エルフの王女殿下
八日は旅支度と用事を済ますことに一日を使って、九日の午前七時に、ロンディーヌを出た。
イングリッドと一緒に戦ったことがあるというエルフに会うためだ。
なかなかない機会だと思う。
正直なところ、俺はイシュクロン王国に来る前は、もっと簡単に物事を考えていた。それこそ、イシュクロンに入りフォーディ族を訪ねて「おたくさんの娘さんはどこですか? エリオットの生まれ変わりなんです」と説明すると、いろいろと親切に教えてもらえるといえば言い過ぎだが、近いことを考えていたのである……。
現実は、無理だ。
だいたい、俺は今、ゴート人だ。
フォーディ族は、エルフのなかでも高貴な七氏族のひとつなので、彼らに会うのがまず困難だ……信用を積み重ねて、会いたいと伝えて許可が出てから……結局は、物事を積み重ねていくしかない。物語のように、神様がでてきて助けてくれるわけがないのである……。
それに、エルフ相手にイングリッドって知ってるかと尋ねたところで、俺が知っている範囲のことしか出てこなかった……彼らは皆、お友達ってわけではないのだ。人間におきかえれば理解が早い。お前は人間だから、遠くの人間の国の王について知っているだろ? と尋ねられても、一般的なことしか答えられないのだ。
しかし……しかしだ。
イングリッドと一緒に戦って、現在も現場に出ているエルフともなれば、今の俺でもあれこれと尋ねることができて、新たな情報を得らえる確率はグっと高くなるだろう!
舟を使って河を下れば早いが、ロンディーヌとブルガエーシュ、そして共和国が占領しているアレンバネッサを線で結んだ三角形の内側は、両軍ともに多くの部隊が森の中を移動しているので、目立つ方法は避けて、歩くことにしている。
俺ひとりなら、休憩を頻繁にとる必要がないので、三日もあれば到着する。ここが平地で開けた場所なら二日で到着できるが、森の中はそうはいかないのだ。
高低差があるし、突然に窪みがあったり、まっすぐに進みたいのに崖になっていて迂回しないといけなかったりということがある。
今も、冬を迎えようとする森は落ち葉を大量に地面に落としていて、それが足場がいいのか悪いのかを隠すので、注意しながら進む必要があった。
進みながら、途中で水と軽食を口にして、さらに進む。
カペラ湖から流れるツァーリ河を左手に視認し、対岸を南下するイシュクロン王国の部隊を見つけた。中隊規模……おそらく、ブルガエーシュに向かっているのだろう。
森をさらに進み、頭上の太陽を眺めると午後になったとわかる。
ここで、西方向……南西方向からその音が聞こえてきた。
戦いの音だとわかる。
剣、魔法、悲鳴、絶叫、咆哮。
迷った。
今回、俺は王国に雇われているわけではない。
片膝をついて姿勢を低くし、戦闘の行方を音でおう。
ゴート語が賑やかになる。
「逃がすな!」
「追え!」
こちらへと、逃げてくる王国軍兵がいるとわかった。
俺は剣を抜いて、いつでも飛び出せる体勢をとる。すると、逃げてくるのはエルフ二人で男女だとわかった。
「殿下! 走って」
男はそう言うと、立ち止まって敵を迎え撃とうとする。
殿下?
エルフの女性が殿下……つまり姫ということは、七氏族の誰かだ!
俺は男に加勢すると決めて、逃げる姫とすれ違うように走った。
「え!?」
突然、俺が現れたものだから姫君は驚いたが、俺が彼女に目もくれず、敵へと向かったので思わず振り向き立ち止まった。
追っ手の共和国軍兵は十人!
男は一人で、十人を前に魔法を発動させた。
「風刃波!」
男から放たれた風の刃が、敵兵の一人を真っ二つにする。内臓と血液がバシャバシャと森を汚し、木々の幹は赤い樹液を滴らせるようだ。
俺はその男を敵の魔法から守るべく、魔封盾で彼を守ると、走りを止めずに敵へと突っ込み、右に剣を払い、左の敵には盾をぶつけた。瞬時にふたつの死体を作った後に、前の敵へと蹴りを入れ、斬撃をみまってさらに加速する。
「新手か!」
敵兵たちがざわめき、足並みが乱れた直後、男が氷槍を発動して敵ひとりを串刺しにしていた。
逃げる敵へと、俺は火炎弾を発動して追撃をくらわし、立っているのが俺とエルフ二人となってから剣を振り、血を払う。
「助かった。ありがとう。俺はレイノレティンラヒンディル。レイでいい」
「エリオット・ヴィラールだ。怪我はないか?」
「おかげで無事……だ……エリオット? エリオット・ヴィラール?」
「そうだ」
彼は驚いたようにかたまった後、俺たちに歩み寄ってきた女……姫と呼ばれていた女性エルフを俺に紹介する。
「こちら、七氏族のひとつで、ヴァス族の姫様である。殿下、こちらはクリムゾンディブロと国内で知られるエリオット・ヴィラール殿」
姫は、口に手をあて驚いていた。
「エリオットです」
俺は、王族を前にふさわしい態度をとる。つまり、片膝をつき、こうべをたれた。
ヴァス族とは、現在のイシュクロン王国の王であるフェイレン王が長を務める一族であるから、その姫ということは、王国の姫という立場である。一氏族の姫よりも格が高い。
彼女は、俺を立たせながら名乗った。
「アイリランドロープヴァリスヴァスと申します。アイリーンとお呼びください」
「姫あるいは、殿下とお呼びいたします」
俺は立ち、二人に問う。
「失礼ながら、俺がいなければ命を落としていた可能性があるが、護衛を彼ひとりしか連れず、このような敵も多い一帯で何を?」
「……殿下、彼はクリムゾンディブロを継ぐ者、話しましょう。力になってくれます」
お金しだいだ……いや、記憶を取り戻すことに繋がるなら。
「では、歩きながら……教皇聖下に会う必要があるのです……それも、極秘に」
彼女に誘われ、俺はやや後ろを歩く。最後尾に、レイが続いた。
「わたしは父上に相談しましたが、今はまず国防が最優先だと言われてしまい……ですが、竜王の復活が近いのです。それを止めるために、アロセル教団の協力が必要なのです。それで、父上に許可を取らないまま抜け出したのですが、レイが抜け出したわたしを見つけました。彼を説得し、今に至ります」
「二人でアロセル教皇領まで? それは無茶ですよ」
しかし、どうして王陛下は彼女の訴えを無視する? 気にはなるが、質問していいものでもない……。
俺の意見に、彼女は頷くも、意思の強さを目の輝きで示す。
「竜王バルボーザの復活は、金竜エルミラの復活を誘います……それは避けねばならないのです」
竜の復活が近いことを姫様は感じ取って、それを止めたいと?
「ともかく、計画を立てて森を進まねば……見たところ、食料などはお持ちではないようですが?」
俺の指摘に、二人はお互いを見合った。
「襲われた時に、落としてしまって……どこに落としたのかもわかりません」
……詰んだ!
エルフは大食いだ。彼らは優秀な魔導士であることが多いが、優秀であればあるほど、魔法発動後の回復を目的に大量の食事をとる。
レイの力量はわかった。彼は呪文の詠唱もなしで魔法を発動したので、かなりの使い手だ。姫様は不明だが、ヴァス族の姫君が魔導士の才能がないわけがない。
つまり、この二人がこのまま手ぶらで進むと、途中で必ず空腹で動けなくなるだろう。とくにレイはさきほど戦っていたので、姫様よりも早くに力尽きるものと考えた。
俺は、ブルガエーシュまでの物資、それも一人分だけしか持っていない。
レイに言う。
「無理だ。俺はブルガエーシュに行く途中で、そこまでの物資しか持っていない。貴方なら無謀さを理解してるだろ?」
「理解しているが、姫様の望みを叶えるのが私の務めだ」
こいつは……面倒なタイプだ……姫のことになると、譲らないタイプ……となると、どうやっても食料を手に入れる必要が……森の中に点在する集落に寄って、購入するしかないが、ずっと戦争をしているから、略奪を怖れて移動しているかもしれないからなぁ……。
姫様を見ると、彼女は期待を込めた目で俺を見つめていた。
金色の髪は潤い輝き、碧い目はサファイアのようだ。肌は処女雪のように白く、鼻梁と唇の形と大きさは神の奇跡と思えるほどに整っている。エルフにしては珍しく、唇の右上にホクロがあるが、それがかえって彼女の魅力を増していた。人間での年齢でいうと外見は十代後半から二十代前半だから、エルフの平均寿命を考えるとおそらく三百歳ほどかと思う。
俺は、ブルガエーシュで女性エルフに会いたい気持ちがある。しかし、イシュクロン王国の姫君をここで見捨てるのは駄目だと決めた。
ならば、進むか退くかだが、退く説得はいかなるものも拒否する構えの姫様を前に、おのずと選択肢は進むしかない。
ならば……。
「わかりました。護衛をします。ただし、条件があります」
「なんでしょう?」
アイリーン殿下の問いに、俺は一礼し口を開いた。
「まず、ロンディーヌに戻ります。そこで準備を整えて、再度、西を目指しましょう……荷物持ちを雇う必要があります……口の固い人をギルドで雇い、それから出ましょう。抜け出されたということは、金品はお持ちではありませんか?」
彼女は頷くと、右手を俺に魅せた。
人差し指と薬指、小指にそれぞれ指輪が光っている。どれも高価なものだとわかった。
「これを売ります。足りますか?」
「……おそらく、往復の路銀にはなろうかと……レイ殿」
「レイでいい、俺もエリオットと呼ぶ」
「レイ、いいかな?」
「異論はない」
こうして俺は、イシュクロン王国の姫君を護衛することになったのである。
-Elliott-
十月九日の深夜に、三人でロンディーヌに入った。
アイリーン殿下には、とりあえず俺の部屋に隠れてもらい、明るくなってから俺とレイが買い出しを分担しておこなう。特に俺は、ギルドに顔を出してデリスカに無理を頼み込む重要な役目があった。
「頼む。急ぎなんだ。一人、紹介してほしい」
「いきなりすぎるよ。掲示板に貼りだして、応募があるのは待てないのか?」
「それだと遅いんだ。どうしてもすぐにアロセル教皇領に行かないといけないんだよ」
「理由はなんだ?」
「いろいろあって、話せない」
「……」
「本当なんだ。あんたたちが嘘をつかない種族のように、俺もエルフ相手に嘘をつかない」
「貸しだぞ」
「恩にきる!」
こうして、紹介されたのは人狼族で、サリウドという名前の男だった。人狼の年齢などわからないが、体毛に白いものがけっこう目立つので、中年以上なのだろうなと勝手に想像した。彼は一人であちこちを旅していて、単発で戦う必要がない仕事を探していた。
「エリオットだ。今回は荷物持ちを頼みたいから、戦闘はしなくていい」
「サリウドだ……わかった。報酬は五万シリグももらえるのか? 荷物持ちだけで?」
「ああ、ただ、この仕事で知り得た情報を口外しないという誓約書を書いてもらうことが条件だ」
「問題ない」
人狼は人型の狼といえる。人語も話すし知能も高い。手の形は人と同じだが、二足歩行をしていても脚は狼のようにしなやかだ。
耳をピンとたてて俺の後ろについた彼は、部屋に戻るまでにいろいろと質問をしてきた。
お喋りが好きな人狼らしい。
「荷物はどれくらいの量だ? 俺とお前、二人か?」
「いや、お前に頼みたいのは食料だ。各自の着替えなどは各自で持つ。人数はお前をいれて四人」
「四人? 四人で荷物持ちを雇う必要があるのか?」
「二人はエルフなんだ」
「……なるほど、それもかなり魔法を使える二人なんだな?」
「そうだ。だから食料消費が半端ない」
「……俺の知っているエルフも、よく食べた。美しく強い女性で、俺は彼女に二度ほど命を助けられたんだ……全力を尽くした後の彼女は驚くほどに食べていた」
「知ってるなら助かる。それが二人いると思ってくれたらいい」
部屋に到着し、買い出しを終えたというレイも待っていたので、サリウドを二人に紹介すると、人狼は俺に苦笑する。
「おい、いくらなんでも姫様とは思わなかったぞ」
「わたしを知っているの?」
サリウドは片膝をつくと一礼し、二人へと名乗った。
「サリウドと申します。王国に仕えて戦った時期が過去にあり、お姿を何度か……事情があり、今は各地を旅しております。先月、イシュクロン王国に帰還し、仕事を探していたところ、荷物持ちで雇って頂きました次第です」
「そう。サリウド、苦労をかけますがお願いします」
サリウドはそこで、俺に問う。
「つまりこれは、非公式なのだな?」
「ああ、非公式だ。極秘にアロセル教皇領に行き、教皇に会う。それから無事に姫様を都にお連れする」
俺の説明に、彼は頷くとレイに右手を差し出す。
「報酬をもらえるなら問題ない。よろしく。サリウドだ」
「こちらこそ、レイと呼んでくれ」
出発は、翌朝と決めた。
この狭い部屋に四人も集まると窮屈だが、仕方ない。