眠れる森の姫君
黒竜……つまり美神の神殿……おそらく分社のひとつがあったのだろう。
ハーヴェニーは最も美しい女神とされているが、傲慢で嫉妬深く思い込みが激しい神とされている。そんな神にされた黒竜とは、どんな竜だったのかと思いながら通路を進んでいると、ゆるやかに下りながら左方向へ曲がっていることがわかった。
「どれくらい歩いたかわかるか?」
俺の問いに、サリウドが即答する。
「十分から十二分の間……一歩が一秒として数えたから、誤差がある」
一キロほどは歩いたか?
いや、視界は松明頼みで速度は出していないから、その半分も歩いていない。
「風が……奥から流れているな」
サリウドが言う。
どこに行くのだろう?
すると、通路の壁面に横へと伸びる通路があり、その先は上へとあがる階段だった。
このまま地下へ向かう道へと進む前に、この階段の先を確かめたほうがいいと思う。
「サリウド、この先がどうなっているかを確かめたい」
「わかった。行き止まりならそれはそれで良し、だ」
石の階段をあがると、壁面の色調があたたかみを感じるものへと変化してきた。
なんだ?
扉がある。
ドアノブの下に、鍵穴がある!
「サリウド!」
俺が彼を呼ぶと、ポケットから鍵を出した彼が、鍵穴へと差し込んだ。
ガチャリ!
ガチャリと音がした!
ドアを開けた瞬間、記憶が蘇る頭痛に襲われる。
俺は片膝をつく。
頭の中で、その映像は再生された。
『地下はプールにするのだ。神殿の下、水路がずっと続いているから、使った水はそのまま流せるようにしてな!』
イングリッドと俺は、屋敷の図面を前に笑顔で話し合っている。その周囲に、ドワーフの職人……ガイエル! そうだ! 彼は職人をしてたんだ! 俺が戦い方を教えたら、メキメキと強くなって!
ガイエルが言う。
『では、この神殿部分の施設を再利用する形でプールを作って、その上の部屋をお風呂場にしましょうか。湿気がこもらないように、お風呂場の上は開放的にして……庭に立方体の広い穴を掘って、風呂場にしましょう。開放的で気持ちいいですよ、きっと! 屋根は折りたためるタイプにすれば雨にも困りません』
『それ! それがいい!』
『井戸の水を汲むのも大変でしょうから、神殿の水を汲みあげる装置をつけましょう。費用はこれほど』
『蓄えならエリオットがたっぷりしているのだ! ダイジョブ!』
おいおい、という突っ込みをしたのを思い出した。
そうだ。
屋敷の外に、庭園を造った。そして、庭園の真ん中には、花壇を段々畑のようにして、底部分にバスタブを置いていた……天蓋は折りたためば空も見えた……星空をみあげて、二人で湯船につかって……。
イングリッドは、そこで待っている。
俺は、その部屋……プールだった部屋をつっきり、上へとのぼる階段を急ぐ。
「おい!」
慌てたサリウドが後ろからついてきた時、階段をかけあがった俺は、風呂場だった場所に立った。
草花に囲まれたバスタブに、彼女は裸で寝ていた。頭上は木々の根が幾本も走り、ここをすっかりと隠してしまっている。それなのに、イングリッドが寝ている場所を避けているようだ。
俺は、バスタブに横たわるイングリッドの頬に指で触れた。顔や身体は蝋のように白く冷たいが、柔らかな肌は生きていると感じられた。
痛い!
頭痛がひどい!
この凄まじい頭痛すら嬉しい!
痛い……痛いけど、こんなに嬉しいことは初めてだ!
出会った時、彼女は俺の命を狙った……それから決闘だと向かったところで、戦いを前に一緒に食べた牡蠣にあたって苦しんで休戦した……それから事件にまきこまれ、竜を巡る聖なる騎士団との戦いをくぐりぬけ、俺と彼女、そしてアブダルはこの国に来た。
「イングリッド」
声をかけてみる。
彼女は目覚めない。
どうしたらいい?
彼女を起こすには、どうしたらいい?
「エリオット、任せてくれ」
サリウドが俺の隣に立ち、片膝をついてバスタブの中の彼女を見つめる。
「俺、あるいは俺の血族に起こされるという呪いをかけているはずだ」
「あ!」
そういうことか!
サリウドが、イングリッドの肩を揺すった。
「イングリッド、エリオットが迎えに来たぞ」
彼の言葉で、蝋でできたような彼女の身体を光が包んだ。
俺は、マントを脱いで彼女にかける。
待つしかない。
終わるまで、待つしかない。
ちゃんと、蘇ってくれ……。
待つ。
彼女を包んだ光は、ゆっくりと薄まっていく。
待つ。
待つことしかできないのだ。
慌てなくていいからな?
ずっと寝てたんだ。
大変だったろう?
ゆっくりと、目覚めてくれればいいから。
……。
どれくらい待っただろう。
サリウドが、荷物から軽食を取り出した時、それは聞こえた。
「お腹……すいたぁ」
俺は、目を開いたイングリッドを見つめた。
碧い瞳に、俺が映っている。
「イングリッド、俺だ。エリオットだ」
「エリオット? ……顔が違うのだ」
「生まれ変わったんだよ!」
「……わたしたちしか知らないことを話せ」
おい!
疑うなよ!
起こしに来たのに!
サリウドが苦笑する隣で、俺は、俺たちしか知り得ない言葉を選んだ。
「お前の時間の全てをもらうかわりに、お前の前からいなくならない。約束したろ? 戻ってきたぞ」
イングリッドは微笑むと、両手を広げる。
俺は、二百年ぶりに、愛しい人を抱きしめることができた。
-Elliott-
「ふぃふぉいでるうふぉうふぉせふぉにいくのふぁ」
落ち着いて。
食べてからでいいから。
十一月十二日の昼。
俺たちは、王都ブロブディアフの食堂にいる。
イングリッドを目覚めさせ、まず第一にしないといけなかったのは彼女の食事の用意だった……俺たちは、食いしん坊がお腹を減らしているだろうことを、すっかりと失念してしまっていたのだ。
身体に力が入らないという彼女を、俺とサリウドで懸命に地上まで運び、オメガが着替えを貸してくれて、一番ちかい町である都まで運んだ。そして、まっさきに見つけた食堂に跳び込んだのである……。
レインボートラウト? ニジマスのことかな? その香草焼きと、川魚の塩焼き各種盛り合わせ……イワナ、アユ、ヤマメと豪勢だ。根菜と牛の内臓を煮込んだもの、スープは同じ牛の骨を使ったもの、それから大きなお肉はステーキ五百グラムが二枚重なったものだ……。
これが、イングリッド一人分の量だ!
「ふぁふぁしぃふぁふぇふぁべていいのふぁ?」
わたしだけ食べていいのか? か?
「落ちついて食べろ。内臓がびっくりするぞ」
口が高速で動いている……。
金髪はみずみずしさを取り戻し、その顔の造形は完璧な黄金比で美を訴えているが、食事の様子を見ると飢えた野良犬が飯にありついた時のようだと形容できる……。
イングリッドが、お肉をフォークに突き刺して俺を見る。
なんだ?
「あーん、しろ」
口を開けると、お肉をわけてくれた。
美味しい……肉汁を使ったソースが絶品だ!
食欲を刺激され、俺もサリウドも料理を頼んだところで、オメガも頼んだが、幸いなことに、オメガは戦闘をしていないので食事量はちょっぴりで済んでいる。
イングリッドが、杯の水を飲み干して、満足したという顔になるが、すぐに慌てた様子になる。
「サリウドがわたしを起こした。エリオットもいる。テンペストが復活してるんだな?」
「そうだ」
俺の答えに、彼女は何かを考えながら喋る。
「つまり……まずは……やはり竜王の城に行かないといけない」
「竜王の城……跡地のことか?」
「そうだ」
イングリッドが頷く。
「それなら、先日、俺たちは寄った……な」
サリウドが言葉を止めて、俺を見た。
兄さんと再会した場所……そういえば、彼らは何かを探していた?
「イングリッド、そこに何がある?」
「……悪竜退治に必要な武器を保管した倉庫がある。そこに、竜の命の欠片を隠しておいたんだ」
「それ、誰かに話したことあるか?」
「七氏族、摂政家、ドワーフの三氏族は知っていることだぞ」
わかった。
兄さんが、あの場所にいた理由!
俺は、自分のステーキを半分ほど一気に口へと入れ、同じく真似たサリウドと一緒に席を立つ。そして、革の財布に入った金貨や銀貨をまるごとオメガに押し付けた。
「オメガへの支払いもふくめて、ここに入っている金で足りるはずだ。すぐに行く」
「ええ?」
驚くオメガに詫びをいれ、俺はイングリッドに言う。
「お前の装備は?」
「……屋敷の中だ」
それはもう、なくなっているというより、使えないだろう。
「俺は今、ロンディーヌを拠点にしている。そこで準備をして、すぐに竜王の城跡地に行くぞ」
日数がけっこうたっている!
まずい!
あれを兄さんが手にしたら……。
まずいぞ!
化け物が生まれてしまう。




