鍵
サリウドは、わざと席を外した。
あいつ、見た目は狼でいかついけど、気遣いは抜群なんだよな……。
オメガの部屋で、宿に依頼して用意してもらった珈琲と焼き菓子を前に、俺たちはお互いの近況報告をしあった。
オメガは現在、グーリットの傭兵ギルドで支配人をしている。そして彼女がこうしてイシュクロン王国に来ている時は、雇われ店長が留守番をしているそうだ。
「ヌリ、八十二歳まで生きてくれて、わたしと一緒にいてくれたの。少しでも寿命を伸ばしたいからって、煙草もお酒もやめて……」
「君の長いながい時間のほんのちょっとを自分にくれって言った責任を、果たそうとしたんだよ」
この台詞は、ヌリがオメガに夫婦になってくれと頼んだ時のものだ。
彼女は濡れた睫を指でぬぐい、珈琲を飲むと俺に言う。
「でも、驚いたわ。人狼がわたしを捜してるって、船に乗り込む順番待ちをしてたら係の人が言うものだから……何か故郷の森であったのかと勘繰ったけど……話を聞いてまた驚いたわ……エリオットの生まれ変わりがわたしを捜してるって言うんだもの」
「話を聞いてくれて助かったよ。ありがとう」
「他ならぬ貴方だもの……貴方には、わたしたちの森を守ってもらっている感謝があるわ」
「……南のほうを、取り戻したいんだけどなかなかな」
彼女はアップルパイを食べた。
「オメガ、話した通り、記憶の一部が抜け落ちていてね……イングリッドとのことも、多くを忘れてしまっているんだ」
「最低な恋人ね」
彼女は口ではそう言ったが、怒っているわけではなさそうだ。
「最低だ、俺は……」
「輪廻転生……冥界神が司る救済かつ試練……」
「試練?」
「貴方は知っているから話すけど、冥界神は竜王と同一。竜王陛下は金竜を倒す……というわけではなくて、竜の暴走を止めることが使命――」
それは今、初めて聞いた!
頭痛……いや、忘れていたのか。
彼女が話すのを聞きながら、頭痛に耐える。オメガは俺が近況報告の時に、記憶を取り戻す時は頭痛に襲われると説明していたので、痛がる俺を案じながらも話を続けていた。
「――なのよ。金竜、嵐竜、天竜、黒竜……この四竜は聖なる竜でありながら、邪悪な竜でもある……テンペストが復活したこと知ってるわよね?」
「知ってる」
「そういうことよ……竜王陛下は、テンペストの復活する時代に、貴方の魂を復活させている」
「……」
「前世でも、そうだったに違いない。テンペストやエルミラといった竜が、悪い竜として復活しかねない時代を迎えつつあったから、竜王陛下は貴方の魂をもった人間を地上に遣わした……今回は、防ぐことはできなかったけど、止めるために貴方がいる」
痛い……頭の芯がうずくように痛い。
脳内で、その映像が再生された。
エルフであるイングリッドの身体を借りたテンペストが、俺と会話をしている光景だ。
彼女は、優しい声色で俺に告げる。
『わたしが復活した時、わたしが悪竜であったなら、お前とイングリッドで、わたしを倒してくれ』
『……それまで、生きていられないと思う』
『人間……肉体はそうだろう。だが、魂は違う。肉体が滅べば、魂はバルボーザによって導かれ、再び世界に肉体を得て現れる……だから約束をしてくれ。悪竜であったなら、倒してくれ。わたしはお前の魂に頼んでいる』
『……わかった。テンペスト……俺とイングリッドで、あなたが悪竜であったなら倒します』
思いだした。
思い……だせた!
大事なだいじなことを、思い出した!
そうだ。
俺は、テンペストと約束をしている。
竜騎士の力を使ってしまった前世の俺は、竜化の呪いを受けてしまった。これは次第に自我を失い、肉体も竜のように変化するというものだった。これを止めようと、イングリッドが俺たちに竜の命の欠片を与えたテンペストに頼み込んだ時、テンペストは承知してくれた。
だけど、その代わり、自分が悪竜として蘇ったなら、自分を倒せと俺に依頼した。
竜に、頼まれた。
「オメガ……」
「思い出してる?」
「思い出してきた……そうだ。俺は、テンペストと約束をした……彼女を倒さないといけない。そのために、やはりイングリッドを捜す」
「アブダルの子孫、スコットに訊けばいいわ。彼の家、クローゼ家は代々、その情報を引き継いでいるみたい」
!
!?
「オメガ……そのスコットという人、知ってるのか?」
「知ってるけど?」
!!
天才か!?
「あ……会わせてくれ! すぐに」
「すぐに会えるわよ。このバルナのギルドを取り仕切ってるから」
なんと!
朝、会った奴か!?
-Elliott-
オメガの案内で、ギルドの建物へと午後一番に入った俺は、受付の男がスコットであるとオメガによって明かされた……。
彼は言う。
「人狼で、サリウドと名乗るから、ついにこの時が来たと驚いたのに、宿の場所を貼らせてくれと言われて拍子抜けしたんだ……あの時に訊いてくれたらよかったのに」
「まさか、そうだとは思わないだろ」
サリウドの苦笑に、俺もつられる。
スコット・クローゼは褐色の肌が健康的な中年で、代々、受け継いできたという鉄製の鍵をサリウドに差し出した。
「俺は、サリウドという人狼が現れて、イングリッドの居場所を尋ねたらこれを渡せと言われている。他は知らん」
「……場所は?」
サリウドの問いに、スコットは肩をすくめた。
「だから、その鍵があう場所だろ?」
「このちっこい鍵があう場所を、おそろしく広い世界から探せってか?」
サリウドの嘆きに、俺も同意だ!
イングリッド! ……痛い。
イタタ……。
「その人はどうした?」
スコットの問いに、オメガが「大丈夫、こういう人なの」と答えて誤魔化す。
そうだな。
彼はただの子孫だから、関わっていないところまで関わらせるようなことはしては駄目だ。
「スコット、帰りの船、もう一度、手配してもらえる?」
オメガの依頼に、受付の男は頷くも表情は晴れない。
「もちろんさ……だけど、五か国半島方面は便の欠航が増えて……ほら、馬鹿な竜が暴れてるらしいじゃないか? これから頼むとなると、来月上旬あたりだろうね……」
申し訳ない!
俺は、オメガに滞在費用と船の代金を負担すると伝える。しかし、彼女は悩むような表情となり無言になった。
どうした?
オメガが口を開く。
「スコット、船の手配をして。十二月に入る前には戻ってくるわ。エリオット」
彼女が俺を真っ直ぐに見た。
「なんだ?」
「イングリッド様の寝所、探すのを手伝うわ。わたしを案内として雇って」
なるほど。ただお金を受け取るだけということはしないと……迷惑をかけたのは俺だから、当然のことだと思ったんだけどなぁ……。
サリウドが、鍵をまじまじと眺めながら問う。
「探すって言っても、どこから探す?」
「あの方が、エリオットとの思い出がたくさんあるこの国を離れるわけがな――」
ズキンと頭が痛み、胸が疼いた。
脳裏に、彼女の笑みが蘇る。
『エリオット、お肉をわけてやろう。あーん、しろ』
『エリオット、晴れたから散歩しないか?』
『エリオット、出発の準備できたぞ。行こう』
彼女はいつも、俺を見ていた。
オメガが喋っている。
「――から、フォーディ族の森に行こうと思う」
「近いのか?」
サリウドの問いに、彼女は微笑んだ。
「そう遠くないけど、行くのは難しい……エリオットは、一度、行ったことがあるわよ? 前世で」
イタタタ……。
思い出してきた。
イングリッドの両親……フォーディ族の長に会って挨拶をした……イングリッドが選んだ相手が人間だったと大笑いされて……あの森、存在しているのに、存在していない森だ。
「思い出した。たしかに遠くはないけど、行くのは難しい」
「は?」
間抜け面になった狼の顔は、愛嬌がある……。
オメガが説明役を継いだ。
「アレンバネッサの近くなのよ」
サリウドが、「あぁ、そういうことか」と声を漏らした。
アレンバネッサは現在、ゴート共和国占領地だ。二百年前はまだまだ安全圏だったが、五年前に占領されてしまっていた。そこから東へ半日もかからない距離に、フォーディ族の集落がある。
エルフの七氏族に数えられる一族で、全員がハイエルフだ。オメガがイングリッドを姫様と呼ぶのは、イングリッドがそのフォーディ族の長の娘であることと、オメガがそのフォーディ族に仕える戦士の家系だからだ。
「わたしが招待すると言って、二人を連れていくことは可能よ。フォーディ族の集落は森の中の断崖内部に造られているから、もしかしたら、その中のどこかに隠れておられるのかも……」
「巨大な竜は足元の針を見つけることはできない……か」
サリウドが、俺に同意を求めるような表情で言った。
頷きながら、たしかにあの集落には隠れるところがいっぱいあると思う。
森の中には、いくつも崖がある。そのなかでも大きな崖に、横穴を開けて居住空間にしているのがフォーディ族だ。ドワーフみたいだと言うとイングリッドは笑っていた。
『彼らに造るのを手伝ってもらったのだぁ。世界広しといえでも、エルフの集落をドワーフが造ってくれたのはここだけだぞ』
誇らしそうに、教えてくれていたっけ。
俺たちは、準備を今日中に終わらせて、明日にはバルナを発つことにした。