クリムゾンディブロの効果
宿から大通りへと出たところで、矢の斉射を浴びるだろうと予想をしていた俺は、風守護の魔法を発動することで周辺の大気を操った。
ここでやはり、幾本もの矢が俺へと射かけられたが、俺の周りの大気がそれらをあらぬ方向へと転じさせる。直後、矢を放ってきた方向へと、火炎弾の魔法を放った。
一瞬で火炎に襲われた奴らが、燃えながら絶叫する。俺の火炎弾は前世の時から得意中の得意で、威力、範囲、命中精度、発動までの時間などなど、俺より優れた奴はいないという自信があった。
燃える死体が大通りに転がり、それが周辺を照らすことで敵の数と位置が明らかになる。
梯子をもった奴らが、どうしたものかとおろおろし、盾と剣をかまえた者達は、お前が行けと仲間同士で譲り合っていた。
情けない。
俺がそう思った時、その声が発せられる。
「情けない! どけ」
現れたのは、筋骨隆々とした壮年の男だ。声から、先ほど俺に応えたのは彼だとわかった。その男は、俺を見るなり大剣を肩に担いで笑う。
「ははは……エルフじゃねぇし、クリムゾンディブロじゃないかよ……勝てるわけがない」
「……俺を知っているのか?」
「深紅のマント、この強さ……気づけないやつはよそ者だろ……やめだ、やめ。手をひく。だから見逃せ」
「そいつらに、武器を捨てさせろ」
彼は、仲間に「武器をおろせ」と言い、自分も大剣を地面に捨てた。
二流だな……自分の武器をそういうふうに扱う奴は強いわけがない。
彼は名乗る。
「俺はジゴラ……あんたがいると知ってたら請けてない」
「エリオットだ。ヴァレンタイン家の仕業か?」
「喋った馬鹿がいるのか……」
彼は舌打ちすると、腰に手をあてて言を続ける。
「……俺はそれを肯定も否定もしない。わかるだろ?」
「言わなければ、これからでも皆殺しにする。殿下を連れ出したのがレイで、殿下を連れ戻せと言われていたのか?」
「そうだ。戦時中で軍を動かせないと説明されてな……いや、おかしいと思ったが、金をもらえるなら問題ない」
シン・ヴァレンタインはゴート共和国に情報を流しただけではなく、捜索と確保にも協力しているということになる。彼にとって、共和国に彼女を差し出すという結果が大事なのだろう。そして今回の襲撃は、共和国の正規軍ではできないことを、シン・ヴァレンタインが雇った傭兵にやらせたのだ……。
俺はジゴラに、宿の死体を片付けたらさっさと逃げろと告げる。
「前金もらってるだろ? それで諦めろ。俺たちは行く」
「わかった。しばらく遠くにいるから、そのうちに行ってくれ」
彼らが離れた後、俺は三人に声をかけた。
こうして俺たちは、深夜の出発を強いられたのである。
-Elliott-
登山道そのものは、通過は注意さえすれば問題なかった。
夜はともかく、昼間は行き来する旅人や商隊もあり、賑やかな一面がある。高原植物はいずれも背が低く、木々はぽつぽつと立つにとどまり、見通しはいい。
俺は三人から先行して、アロセル教皇領を目指す。
殿下が到着するまでに、教皇に面談を依頼しておかねばならないからだ。
俺ひとりであれば、休憩もそこまで取る必要がなく、眠るのも最小限で済む。夜は気温が下がるので、夜は歩き、昼間の温かい時間帯に浅い眠りをとった。
すっかり、浅い眠りで満足できる身体になってしまったが、訓練の結果というよりも、もともとそういう体質なんだろうと思う。ただ、気が休まった時などはガツンと深い眠りに落ちて、一時間ほど気を失ったように眠ることがあった。
登山道を一日半ほどで踏破した俺は、二日目の昼にはアロセル教皇領の中心、アロセールに入った。
巨大な城壁に守られた城塞都市だ。もともとは教皇庁と大聖堂の門前町が始まりで、現在は人口三万人を超している。ほぼ円形の市街地の中央に大聖堂があり、それを輪のように建物が囲っていて、そこが教皇庁だ。
東の城門から市街地へと入った。
審査など何もないのは、無言の警告である。
この都市で問題を起こした者は許さぬ、という意味があることを知っていた。実際、アロセル教団は世界でもっとも信じられている宗教の団体であり、各大陸に支部がある。そして、それらを守るために教団騎士団を指揮下においているが、その騎士たちの総本部がこのアロセールにあり、常に目を光らせていた。
市街地は、巡礼に訪れた人たちで賑わっている。
主神はもともと、多神教の一神であったが、これを神々の頂点として崇めているのがアロセル教だ。
有名どころの神々は八神。
主神アロセルは男性の神で、長身で若々しい容姿をしていると言われている。全ての神々の頂点に君臨しているが、竜王バルボーザには勝てないという制約がある。
智神ガリアンヌ。容姿は不明。神々の世界の法を定め、守る。裁判官の役割ももち、公明正大。アロセルの双子の弟とされている。
美神ハーヴェニー。女性の神。美しく高貴な姿をしていると言われるが、愛が不足すると醜い化け物になるという恋を司る神でアロセルの妾。
大地の神マーヴェ。女性の神。アロセルの妻とされているが二人は不仲。農業や林業、畜産業などを保護している。
戦神ヴェロムは女神で、その美しさは神界一と言われている。戦いの神であることから、錬成や鍛冶、製鉄や鉱業までも保護している。アロセルの妹。
商売の神ゴルゴズ。男性の神で老人。経済活動を保護する神で、ゴート共和国では特に人気が高い。
海の神リベール。巨大な蛸のような身体に鯨のような頭をもつ巨人。航海や水産業を保護している。
冥界の神レヒト。美しい青年の神。他の神々が拒否した役割を買ってでて、自ら冥界に落ちて死者を保護し、彼らが輪廻転生することを助け、見守っている。
アロセル教団以外の教団……たとえばガリアンヌ教においては、この八神は平等という扱いで、アロセル教団はガリアンヌ教を異端認定していることから、両者は対立していた。
信じる教えの違いで争うなんて馬鹿らしいし、神様もそんなことを望んでいないと思うが、信じる者たちは真剣で、本気なのである。
俺はその真剣な信徒たちが、感激しながら大通りを進むのをかきわけ、迷惑がられても止まらずに急ぎ、教皇庁に到着した。
石材で建築された建物の外壁は、陽光を浴びて美しく輝くほどに磨かれている。
表参道からまっすぐに通じる正門で、四人いる教団騎士団の騎士たちのうち、一人に用件を伝えた。
「失礼。私はエリオット・ヴィラールと申します。イシュクロン王国のアイリーン殿下から、教皇聖下宛て使者として参りました。殿下から聖下宛ての手紙もこのように……お通し頂きたい」
騎士は若い男で、俺の差し出した手紙を眺め、首をかしげる。
「アイリーン殿下から? ……しばし待たれよ。私では判断つきかねる」
「よろしくお取次ぎをお願いします」
ここは丁寧な対応が正解だ。
俺は待つ間、正門で威風堂々と立つ騎士たちの視線を受けた。
なにか、こそこそと話し合っている……?
愛想笑いを返すと、一人が小声で問いかけてきた。
「貴公……クリムゾンディブロか?」
「ご存知で?」
「やっぱり!」
いきなりでかい声!
「深紅のマントにエリオット、そうじゃないかと思ったんだよ!」
「俺の言った通りだったろ!」
「すげぇ、本物だ!」
三人の騎士たちが、はしゃいでいる……巡礼者たちの視線を浴びているぞ?
一人が、弾んだ声を出す。
「評判ですよ。イシュクロン王国が健在なのは、王国にクリムゾンディブロが復活したからだって」
「……ありがとうございます」
「大和の大蛇退治、あれは本当の話で?」
ああ……一年前に請けた仕事か。
「ええ、巨大なヒュドラで、頭が九つもありましたが倒しました」
「すげぇ!」
「その時の話を詳しく!」
なんだか歓迎されて悪い気はしない。
俺が、大蛇と大和王国で呼ばれていたヒュドラを倒した時の話を始めて少しすると、用件を伝えた騎士が、偉そうな雰囲気の騎士を連れて戻ってきた。
騎士たちが慌てて姿勢を正し、俺も咳払いして二人を待つ。
「閣下、こちらエリオット殿です。エリオット殿、教団騎士団の上位騎士であられるヴィサ・アハテー閣下です」
ヴィサ卿は、四十過ぎの男で厳格な印象をうける。
俺は一礼し、ヴィサ卿も会釈を返してくれたが、口にしたのは警告だった。
「貴公、我々を騙せばどうなるか、わかってのことであるか?」
……ま、当然ながら疑いますよね?
ここで、俺が答えるより早く、三人の騎士が味方をしてくれる。
「閣下、彼はクリムゾンディブロです」
「そうです、イシュクロン王国の赤い悪魔ですよ」
「本物です」
彼らの訴えを訊いたヴィサ卿が、目をぱちくりとさせて俺を見る。
「イシュクロン王国のクリムゾンディブロ? 赤い悪魔の再来と言われているエリオット殿?」
「……一応」
ヴィサ卿に、手をガシっと掴まれた。
な! なんだ!?
「早く言ってくれ! 歓迎する!」
俺は肩を抱かれ、背中を叩かれ喜ばれた。