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日影が森私立女子高等学院 私の遠い日の心の中の秘密の物語 第3話(全6話)改訂増補版

作者: 舜風人





subtitle     英語タイトル




deep Shadow Forest Girls High School        深い影の森の中の女子高等学院


A secret story in the heart of my distant day    私の遠い日の心の中の秘密の物語








ここからは「続編」 sequel  となります














はじめに、、、、、編者の言葉






先に、、、、、、、、、、、、、、




叔父の遺品整理から、教員時代のことを記録した古い大学ノートが何冊か、出てきまして、、




その古い大学ノートにはわたくし(編者)の今は亡き叔父が、私立 日影が森高等女学院 に、


非常勤教師で務めていた時のことが書かれていたのです。


先に、私はその中の一冊を「正編」として、過日、公開したわけですが

実はもう何冊かの別のノートが残されていたのです。

(記録1、記録2、ノートA、ノートB,ノートC)






例えばその中の一冊には、、




それは表題がノートの下の方に小さく「NSJクラブの思い出」と書かれていて、


内容はおそらく叔父が顧問をしていた「NSJクラブ」の活動と、そのおもいでを私的に思い出して?後日に、書き留めたもののようです。


パラパラとめくってみると部員の7人の女生徒たちとのかなりきわどい会話?とか、おそらくは「老人性の妄想的」な?性的な内容も書いてあって、正編とはかなり内容も異なります。、このような内容ですから前回は、この異本・別本の公開は、しない方が、叔父の沽券 (プライド)にも触るので、みあわせたわけですが。




先ごろ再び思い出してその古い大学ノートを引っ張り出して読んでみると、、公開しても良いのではないか?


と、、私(編者)の気持ちが変わったのです。




なぜ?




それは当時の女子高生の実態が生生しく描かれているので、今となっては資料的価値?もあるのではないか?と思ったからです。また、これを読む人に何かのサジェッション(忠告)にも、なるのではないかと、そう思ったからです。




しかし、、40年も前のそんなおはなし?今、現在では、もう、ここに描かれたような、、こんな女子高生は存在しないのかもしれませんよね?




だったら?まあ、、これは一つの空想メルヘン??




あるいは、、「妄想老人青春日記」?としてお読みいただいても良いと思いますよ、


でも?


40年前も、、、今も、、、女子高生の心理自体は本質的には、そんなに変わってはいないのかもしれませんよね?




ここでは


私立の、17才の女子高生の40年前の生態の一端が分かって興味深いのでは?




それでは、、、


まず「正編」 をお読みくださってから、この「続編」をお読みください。






なお、、叔父の文章は、あくまでも、メモであり、走り書きであり、内容的には、錯綜していたりしていますので、私(編者)の判断で、読みやすいように、私(編者)が、適宜、書き換えあるいは、加筆・補筆しておりますことを、、はじめにおことわりしておきます。


特に論評・評論部分はほとんどが私(編者)の加筆になります。


なお正編での生徒名とか、ハナシの内容と、この続編との生徒名や内容が微妙に相違していますが、多分叔父の記憶の迷走(混濁?)?ということでご了承くださいませ。というわけで、


こちらは「正編」とは少々異なった、ディレクターズカット版 (Director's cut) (異本Different book)となります




ここではその「部活の事だけ」に絞って書いてあります。授業のことや行事のことは全部カットしてあります。








それでは、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、


思い出は40年の時を越えて、、あの白い、木造校舎の女子学園に帰ってゆく。



それは、、、1980年ころのことだった、


とある、、田舎の県の、、人口7万の市に、その私立女子高は郊外の、日影が森という場所にあった。




時代はいまから40年以上前の1980年だった。


その女子高にひょんなことから、叔父は非常勤として2年ほど勤務しました。、


これはその時の 遠い 遠い 遠い、、、思い出のお話なのです。


今では、、もうあり得ないような昔のお話なのです。




、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、






それでは、、、、、、、、、、、、、、、、、、、叔父の思い出がここから始まります。








続編     私立日影が森高等女学院  「NSJクラブの思い出」






正編にも書きましたようにこの学校の正式名称は「○○高等女子学院」です。


○○に実在の市名が入ります。




それでは、、、、、、、、、、、、、、、




先日思い立って納戸のせいりをしてたら「NSJクラブメモ」という古い大学ノートが出てきた


それは昔、私がかかわった、、、、とある女子高のクラブのことが、ごく私的に書かれていたメモだった。


ああ、そうだこんなこともあったよな、ふと思い出が鮮明によみがえってきた、でもクラブの「記憶」はあるが


でもこんな「メモ」を書いた記憶は、とんと忘れていて、さっぱりないんですよね?




そこでは私がかかわったとある部活。。クラブの女生徒のことだけを特化して?書いてあった。


そのクラブのことはまざまざと覚えていますが「記録ノート」をかいたことはすっかりわすれていました。


おそらく、、、23才の若者としてはおそらく人生で初めてこんなに、まじかに出会うたくさんの「若い女性」「女子高生」という生き物によっぽど印象(衝撃)が強かったのだろう。


しかもそんな17才の彼女たちから「慕われる」?という空前絶後の初体験です


それで、、衝撃のあまりメモとして書いたのかな?


今となっては、、、しかとは覚えていませんが。




もちろん私も教師としてそれ以外の授業や会議、書類づくり、などの本業をまじめに90パーセントでやっていたのであって、この部活の私の全教員の活動の割合?は、まあ、ほんの10パーセント以下ですが


今となって思い返してみれば、、教師時代で






記憶に残るのはクラブの女子とのたわいない思い出ばかりだとは。。、、




教師稼業の思い出って結局、、生徒たちとの何気ないような雑事?だけが、 妙にいつまでも、残るものなんでしょうね?


連日の職員会議とか、まじめに苦労した工夫した授業のことなんてほぼ忘却の彼方ですものね。


そして鮮明に覚えてるのが女子高生との「雑談」?だけだったとは?


これってどうよ?


40年たってみれば、、すべては霧のかなたです。そして記憶もボケボケで?あやふやで


全てが妄想状態ですよ。ですから私のここからの記述もそういう「妄想老人青春日記」ということでどうかご容赦くださいませ、


妄想老人の戯言として、読み流していただけばそれで結構でございます。


それでも、、一応は真相を確かめたくって、、


先日思い立って古い当時の、、別の公式?の「学事記録ノート」を納戸の奥から引っ張りだしてパラパラめくってみました。。あやふやな記憶整理のためにね、


そこにはびっしりと校務や授業計画、会議のことが、まじめに書かれていました。




生徒会のこと


掃除分担表


交通安全指導


部活分担


通学指導


髪型指導(髪は肩までか、それ以上長い場合にはに結ぶこと)


PTAのこと


県の総体のこと


生徒指導のこと


性教育指導(養護教諭担当)


期末テストのこと


学習指導予定表


喫煙指導


スカート検査(スカート丈の検査です、そんなことしてましたね、バカみたい?当時はいまのようなデザイナーブランドのしゃれた制服なんてありません、ごく普通のセーラー服ですよ)




などなど古い大学ノートにびっしり書き込まれています、当時は真剣にまじめな教師だったのですよ。




これを見るとあの当時の私の苦しい教師の日常?が浮かび上がって、、胸が苦しくなりました。




でも?


こういうイヤなこと?って人間の生体保護本能?でしだいに忘れるようにできてるんでしょうね?


そして楽しかったこと、、、、


まあごくつまらない、たわいもないような女生徒とのやり取りだけは妙に、記憶に残るんでしょうね?というのも、23歳の私にとってこんなにたくさんの若い17才の女性に囲まれてしかも、慕われるってまったくの驚天動地の初体験です、だからこんなにいまでも鮮明に覚えてるんでしょうね。




というわけで?




こういう息苦しい教育の現実はいまさら残り少ない老人にとっては、いまさらここで繰り返しても苦痛なので?


以下は、、楽しかった。そう、、たわいもないようなことだけを語るつもりです。。


授業や、行事や、生徒指導や、会議や、そういうことはすべてカットですよ。


そう、、、私は自分の楽しみ?自己慰撫?(セルフ・ヒーリング)のために書いてるのであってどこかの誰かの読者?ために書いてるわけではないのだからです。


だから、


いまさらシリアスな深刻な周辺校の教育事情や高校生生徒指導事情を述べてみても40年前の話ですよ、


私もいまさら語りたくないし、忘れたいし、、読まされる方もイヤでしょう?




当時の、、、、、、、、、、、、


周辺校の教育現実とか


窃盗だの


虐待だの


女子高生売春だの


バイク事故で半身不随だの


退学通知だの


落第だの


集団いじめだの、、、、、、、、、、、、、




40年たってるので、、もういいでしょう?深刻に今さら、古キズをほりかえさなくっても?






さて、、、そういうわけで、、、私にとってもまあ息抜き?としても?楽しかった


NSJクラブと7人の女生徒について「だけ」を、[それだけ]を、これから思い出して、語ろうと思います。


全教員生活の10パーセント以下の割合でしかなかった部活の部分のことだけを、特化して、、。


それは今思えば、、私の唯一の息抜き?でした。そして甘い思い出の、宝石箱??




正編にも書いたように、このクラブの7人の女生徒たちががほぼ私のファンクラブ?(守る会??)です


つまり、、私の「取り巻きグループ」?です。


こういう学校ではこういうグループができるんです。


受験女子高ではこういうことは絶対にありません。




守る会?の女子たちは


何かと学校裏情報?生徒情報?を私にくれて?ひよっこ教師の私を守ってくれた少女たちです、


授業以外で親しくなった7人のかわいい女性徒たちです。


でも?こういうファンクラブ自体が普通の一般の女子高でしか、できないという事実は「正編」でも書いた通りです、


そして23歳のひよっこでしかも非常勤の私が、私を慕ってくる?女子高生と過ちを起こさずに過ごせたことはいまになっても本当によかったと思っています。




ところで、、、私が赴任して命ぜられて、任されたクラブがありました




それは文科系のクラブで


ここではその文科系クラブと部員の女子高生の活動と会話の思い出を


忠実に思い出して?、描いてみます。文科系ですから、集まってまあおしゃべりが中心みたいなものでした、


運動嫌いな?インドア女子たち?のサロン?喫茶室?です?






クラブ名はあえて伏せておきます。(仮称)NSJクラブ?とでも言っておきましょうか?




活動内容は社会福祉系で、老人ホームの慰問とか研修全国大会とか、


募金活動などが中心です。


そして、クラブ員の女生徒たちの17歳の胸のふくらみの上には、


そのクラブバッジが誇らしげについていましたね。


わたしももらったような気がしますが、、今はもう紛失してありません。


部員は顧問が養護教諭の桜岡先生(仮名)という老練なおばちゃん先生です。


そして副顧問が私、佐藤(仮名)というわけです


なんかどういうわけか?このおばちゃん先生に気に入られて、いろいろと、よくしてもらいましたね。




部員は一応11名いることになっていますが、、、


3年生が4人


2年生が7人


1年生がその時点ではなぜか?ゼロ?


、、で、、3年生になると、就職の準備等で忙しいためには2学期以降は


もうほぼ幽霊部員で、部活はたまーに


何か行事の時には来るくらいでしたね。ですから3年生女子の記憶はほぼないです。


この2年生の7人が仲良しグループでもあるので部外者の1年生は入りずらかった?ようですね?


私は彼女たちと、17才で出会い、、18歳で彼女らは卒業してゆきました、




この7人なんですが、今から思っても、よくぞ、みんなかわいいのをそろえたよね?っていうくらい


皆かわいい子でした、ブスは一人もいません。個性はみんな違って顔立ちもみんな違って


でもみんなそれぞれ可愛い、、7人いれば一人くらいは 「どうも、、、」 って子がいるものですが


みんな揃って可愛いんです、おそろいのかわいい子ぞろい、


奇跡に近い?ですね?




それに対して、、、、、大学受験女子高では眼鏡で地味でブスで英語の豆単めくって、、


そういうイメージってありましたよね?


頭の良いのと美貌は反比例する?


今そんなこと言ったらやり玉ですよね?

東大で美女っていうのもいまはたくさんいらっしゃいますからね。




さて、


最初のご対面は6月も末の放課後でした。桜岡先生に連れられて部室へ、、


そこで7人と始めてあいました、




ちなみに私、中途採用の非常勤ですから始業式にはでてません。


初対面は部員紹介とか活動方針とか、、自己紹介とかまあそんな月並みなこと。


そうして部活が始まったのです。


最初はぎごちなくって、、桜岡先生に遠慮していて、、


凄い他人行儀でしたね。


でもしだいに打ち解けてきて、、結構桜岡先生は保健室で多忙で部活に来なくって


わたしだけだと、、次第にお友達状態に?なってきました。


私は担任でもないし、部活だけの付き合いだから気易かったのだと思います。


彼女たちも次第に遠慮がなくなって、私も結構、ラフな性格なんですよ。、


教師づらもしないし、、というか、、そもそも、、23歳の非常勤では、


板についた教師づらもできないしね、


だから女生徒も気軽にお兄さん的に接するようになってきて


7月過ぎにはもう完全に溶け込んでいましたね、




校務で放課後部活に行けないと職員室にまでお迎えが来たりして


「せんせー、部活?」


B先生から「いや~、佐藤先生モテモテだね。迎えに来るなんて」


そうなると女生徒たちも、いわゆるファンクラブみたいになって


「守ってあげるわ」という感じ、




「わからないことは何でも聞いて、頑張ってね、私たちが付いてるから」状態になりました。


でもそうならなければ新任でひよっこの私が現場で多感な女子高生あいてに


うまく生徒指導をこなしてゆくことなどこういう周辺校ではおそらく不可能だったでしょうね。


その辺の事情は「正編」にも書いてあるとおりです。


そして夏休みに入るころには


みんな私に懐いてきて?正にファンクラブ状態でした、


デモそうなると、私に軽いモーションをかけてみたり、、危険な場面も?


ちょっと危険な?クラブに、、そこになぜか?23歳の独身教師がいるというような,、、、、

青年教師の前に、その教師を慕ってくる17歳のかわいい女子高生がいる。

これ?ダメでしょう?


ああ  危ない   アブナイ、、




よく女子高は男子がいないから女子力が落ちるって言われてるがこの学校はどうだろ?


皆、普通に女の子ぽかったけどね。だらしない子なんていなかったです、女性らしさを賛美するような校訓が麗々しく廊下に掲げられてたしね。生徒指導もかなりそういうラインでおこなわれていましたからね。でも、、この女子高はミッション系ではないです。


普通の?ありきたりの?周辺女子高校です。


部活に私が参加しだして2か月、


すぐに、夏休みで、しばしのお別れがつらかったですよ。


文化部ですから夏休み合宿とかも、ないしね。部活も夏休みなのです。ただ登校日には部室で再会がありましたけどね。




兎に角、ここは女子高で若い同年齢の男性がいません。


だからいわゆる「シスター関係」?もあるそうですが私は実見してはいません。


よく二人連れで手をつないで歩いたり抱き合ってたりはしてましたね、。でもそれってただの友達レベルでしょ?


それ以上の深い?関係はないのだと思いますよ、




殆どの子はやはり男性に興味があるということですね。だから?23歳の私は貴重な存在?なのです。


ましてこの私立女子高は、大学受験校でなんかありません。大学いく子なんてほぼいません。


と、どうなるか?


いうまでもないですよね。関心は恋。愛。美容?。男性アイドル、そして就職の事、


そんな女子高生との部活を通じた思い出の数々。まさかの?7人のかわいい女子高生との出会い?




というか40年後、、、


いま老人になって振り返ってみれば、これって、神様のたった1度だけのわたしへの大盤振る舞い?だったのではないでしょうか?


7人のかわい子から選び放題??


どの子もみんなかわいい、どの子も甲乙つけがたい。


たった一度の神の計らい?


だってこんなことそれ以後、、二度と私の前には訪れなかったからです。


今思えば神様が7人ものかわいい子をこんな私の前に、使わしてくれて、、出合わせてくれたのでしょう?




でも若かった私はよもや、女子高生が私の運命の女だなんては思いもせずに、


軽く?やり過ごしてしまったのです。


もっといずれオトナの女性が現れてそれこそが私の伴侶、、、運命の女だとね、


そう信じていました。だって教師ですよ。生徒ですよ




この私が、、まさか?この女子高生なんかと「真剣ラブ」?え?そして結婚?


そんなバカなはずないと思いますよね、ふつう?


そんな小娘と?お子ちゃまの少女と??あり得ないでしょ?だって子供ですよ


そんなコドモと、この教師の俺が、、まさか?結婚前提の「真剣交際」???


どう考えたってあり得ないでしょ。


教え子の18歳の女子高生と卒業後の夏休みに,まさかの「ウエディング」??


なにそれ?馬鹿じゃないの?ままごと夫婦ですか?あり得ない?


、、、、、、、、って思うでしょ、


その昔のテレビドラマの、石立哲夫と、岡崎友紀のラブコメじゃあないんですよ。



「きみのつぶらな目と目が合った瞬間、好きになってしまった。理屈なんかじゃない」




たしかにかわいい


可愛くてたまらない


可愛い17才の少女、、、可愛い妹みたい?


初々しくて、清純で、、でも??


可愛いけど、、そんな子供と、、結婚して出産して育児して、、、18歳の小娘に無理でしょ?


でも、、40年後に振り返ってみれば?実はそうなるように差配されていた??のかも?


まさか?


今振り返れば、この子たちが、、この子たちの一人が本当は私にとっての運命の女(ファム・ファタール?)だったんですよね?


そうでしょ?神様?


デモ、、若かった私にはわからなかった。、、、、で、、見過ごした、やり過ごした、、、、。




「あった瞬間にもう心は決まっている、きみの笑顔がまぶしいから、、」




で、、、、40年後から振り返っての結果を言ってしまうと、、、


、、もう二度と私が結婚すべき女性は私の前に現れることはなかったという残酷な現実、、。


その神の好機を見過ごしたおバカな私は結局そのご、、、この老年になるまで、伴侶とはついに、、出会わなかったからです。誰もいませんでした。誰とも出合いませんでしたその後は、、。


この年になるまでずっと、まあ、、友人程度の女友達は、いましたが、その程度です。


まあ中には、女性から「結婚してもいいよ」って言われたこともありましたが


ふと脳裏にあの17歳の清純な?女子高生の幻影が浮かんできて


目の前の現実の女性と結婚する気になり切れませんでした。




さて、それでは、、時間を40年前に戻して、、気を取り直して、、、


時系列で説明しましょうか?




活動日は火・木の放課後ということになっていました。


ここでは予定を立てたり、彼女たちが「モンチッチ」の絵を描いた手作りの、ぼきん箱作ったり


。老人ホームの慰問のプレゼント準備したり、、出し物の練習したり、、、、、、、、、、、、


まあその他いろいろ、


というといかにも活動しているようだが実は


ほとんどがおしゃべりの時間ですね。


噂話とか情報交換です。


私への生徒情報の提供もあります。


「せんせーダメだよあの子にこういう指導したでしょ。あれじゃああの子が反発するに決まってじゃん。


こうしたほうが良いよ」


このように、ひよっこ、新米教師の私への助言があるからこそ何とか私もこの学校で教師ができたのです。




そして具体的には書くの躊躇されるような、、ちょっとエッチな話も?、、、。


彼女たちとは部活だけの付き合いだし、、、担任でもないし、、23才だし、、


まあ「お兄さん」くらいにしか見てないわけですよ。

だから?すごい、なれなれしいです。



雑談の内容は当然?恋とか、結婚とかまあそういう系が多いです。


彼女たちの一番の関心事ですからね。


「この学校どう思いますか?」


「先生、、女子高生ってどう思いますか?」とか


「どういう女子のタイプが好きですか?」


「先生の趣味は?」


「結婚は何歳くらいでしたい?」とか


「私は、、、好きだったら卒業して18でもいいと思うよ」と久美子は言ってたっけ。


「ああだれか私をもらってくれる人いないかなあ?」


といって私をチラッと見る。

たしかに、、ここの卒業生は大学行く子なんていませんし、就職して18,19で結婚する子も大勢いるのが実態でしたからね


市内に男子校もありますがそれらは公立でここよりはレベルがすこし上です。


で、、はっきり言っちゃうと、下に見られて?相手にされません、


わたしも実際にここへ来るまでは「正編」にも書いたように悪いイメージしかなかったんですが。


来てみるとこのクラブの子たちのように、なんでこんないい子がこんな学校にいるんだろうって感じでした、この7人に限って言えば頭も悪くないし、性格も器量もいいしまあ普通レベル以上の女子ですよ。まあとはいえ、、本校のレベル全体は「正編」の通りの中~低レベルですが、、。




さて彼女たちはすごいレベルは良くって、ユーモアやギャグも通じるし,感性もいいですよ。




正に卒業したら良い「お嫁さん候補」?といってよいでしょうね?


彼女たちは進学なんてしないし、


卒業→就職ですから、卒業生も10代で結婚という子も多いようですね。


だから?高校生でもすでにそういう結婚意識はできてたと思いますね。

18,19で結婚する卒業生も、いっぱいいるわけですからね。


わたしもそういう意味では彼女たちのお相手候補?ですから


そういう、軽い、私へのアプローチは彼女たちからもいろいろ受けていましたよ、


そう言う私へのアプローチのかわいい?具体例まあ覚えてはいますがきりがないのでやめときましょうか?




でも?この際、


ザっとネタバラ?すると、、それぞれが個性的に、、。




文子や法子はおしとやかなさりげないアプローチです。


休日にどこそこにいって買ってきたかわいいお土産の小物をそっとほかの子がいないときに


くれたり、、、、




久美子や智代は、ストレートな?アプローチ


「あたしのことどう思いますか?」「先生だってあたしのこと好きなんでしょ?」


「先生のおうちに遊びに行っていいですか?」、、、みたいな半分ジョークにごまかした?


積極的な言動




幸代と郁代の二人は、お友達的な接近で?


妹的な、、「おにいちゃん いいでしょ?」的な甘えるしぐさで、、、




なんかこの女子高生たちって、おしゃべりで、、色々はなしかけてくるんですよ。


ふつうは好きな人の前では無口?になるハズですよね?


でもそんなことは皆無。ということはただのお兄さん先生にじゃれているだけ??




ただし、、真美子は?部長なので?具体的な私へのアプローチの言動はなかった??とおもいますが。


デモ時々つぶらな瞳で上目遣いで私を見上げたり(私180センチで彼女多分160センチ?)


彼女のしぐさの一つ一つがは鈍感な私でも、私への好意全開オーラがひしひしと感じましたけど、


部活の連絡や報告、予定、相談など、


そっと隣に寄り添ってきたり、、、何気ない心遣い、、二人の息もぴったり合って??


ハナシももうまるでなかのよい兄?妹?状態??


イヤ、、自然体で疑似新婚??夫と新妻??


もうなんというか、極端な話、もう「新妻」きどり、みたいな自然な親密さ??


こういう状態で、もう、ずっと、、、、、、。週2で、約1年半のお付き合い??


もう十分でしょ?何が?結婚準備期間は??おいおいそれって部活だろ?


勿論私も彼女を校外で誘ったり休日に会おうとか、一緒に映画とか


一緒に遊園地へ?


自宅に招いて一緒に食事?????


体育館の裏にこっそりと彼女を呼び出して愛の告白、、そしてキス??


絶対ないですよ、できませんよ、そんなこと絶対に。教師ですから。


できませんよね?というか、、したら?教師失格です。


この子だけを特別には。


可愛くって愛しいけれどあくまでも「生徒」です。




「今は教師と生徒だから、絶対ダメだけど、秘密にして卒業したら結婚しようね?」


そんなこと口が裂けても私には言えませんよ。


彼女のほうもとても利口な子ですからそんな退学につながるようなことは自重していたと思いますよ?


まして、純情でおしとやかな彼女ですから、彼女の方から


「先生もわたしのこと好きなんでしょう?だったら卒業まで待っていてね、そしたらもう生徒じゃないから結婚しようよ」なんて。絶対言ってこないですよ。ラブレターだってわざわざ彼女から書きませんよ、




でも、


つまり、、それ等の彼女たちの行動の要因はですね、


本校教師が6人も本校女性徒と結婚しているという事実からなのか?


教師と女生徒が結婚という「障害」なんて彼女たちは別に何ともおもっていない感じでしたね。


アレルギーはまったくないということです。普通の学校じゃあ考えられませんよね。




さすがに在学中にセックスや妊娠なんてアウトだけど、、


あの卒業後に先生と結婚した先輩みたいに在学中に、「約束」だけはしておいて、卒業したら生徒じゃないから全然OKでしょ?


まあそういう軽い感じでしたね。ここの卒業生たちは二十歳以前に結婚という子も多いでしたからね。


わたしの恋愛経験とか、、も、良く聞かれました。


大学時代にまあ大した付き合いではありませんが、2~3人の女子学生とお友達レベルくらいは


いましたが、、、、。


深い付き合いはありませんので、大したコイバナはできませんでしたがね、


それと、彼女たちの高校生活のお悩み相談とか、、も、、、家のことも平気でしゃべっちゃうんですね。以下の7人の紹介文↓も、、だから書けるのです。


その他、まあいろいろです。


私の立場は、、まあ、言ってみれば「隣のお兄さん」状態ですから、、、、、、、、、、。


、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、




それから、部室で宿題をする子も多いので、。彼女たちの宿題をみてあげたりもしました


彼女たち結構みんな普通に勉強よくできました、この高校ではすごい上位の部です。


女生徒の肩越しに、ノートを見てあげる。サラサラの長い髪が私のすぐ前にある、


シャンプーの香りがして、、、思わず、、イケナイ妄想?


あるいは,机をはさんで面と向かっての指導。30センチ向こうには17才の女子高生のかわいい顔がある。


これって23歳の独身教師には刺激が強すぎませんか?実際に変な行動は絶対にしませんが、妄想だけは止められませんよ、23歳の若者ですよ。その前に17歳のかわいい女子高生がいるんですよ、。






「きみの声が、きみの姿が、そこにあった。そして、気づいた時には もう好きになっていた」






正顧問の養護教諭桜岡先生は保健室で結構忙しくて??ほとんど来られないので、私が行ってまあ女生徒の雑談の相手をしてる?


というのが実態でした。そしてその結果を私と真美子部長で正顧問に事後報告に行く


そんな感じです、




でも今思い返してみるとその雑談や宿題指導って結構たのしいものだったんですね。




だって考えてください。


23才の男が、、普通、、女子高生と雑談できる機会ってあり得ないでしょう。


彼女たち、、ちょっときわどい話だって、、平気で仕掛けてくるんですから、、。


でも?


もし?街頭で私が女子高生に声かければ、それって、、もう、、即、犯罪でしょ?




それが公認?で会話?できる?(教師だからまあ、、当然ですが、、、)


なまの女子高生ですよ。会話だって結構、なまなましい?ですよ。そういう意味ではカルチャーショックです,


23才の新卒のしかも非常勤講師ですよ


担任じゃあないし、、そういう気安さ?はあったでしょうね。


私が行けば、、「せんせー、せんせー」と寄ってきて


笑顔で、「今日こんなことがあったよ。ああでもない、こうでもない」と話しかけてくる


私の袖を引っ張ったり、背中をつついたり、、からかったり、、、雑談、、


まあ、、いいようなオモチャ??




でも?23才の青年教師にとってそれが、楽しくないはずがありませんよね?


23歳の青年にとっては公私混同というか、自分が教師だという自覚?


まるで、妹のような女子高生とソーシャルディスタンスをとるって難しいですよね?


アッチはお構いなしに「せんせー」、、って寄ってくるんですから。


デモ時々彼女らがいるクラスで私が授業するってこともあるわけですが


7人が、2年生クラスで、2人  3人  2人というように、ばらけていますから、


授業で彼女らとどうこう言うことはまあ皆無ですね。


ちなみに私、現代国語と古文。漢文を教えて居ましたよ。


さて、、


部活の


活動としては老人ホームの慰問などは日曜日ということもありました。




そういう時は私と桜岡先生の自家用車で分乗して女生徒を乗せてゆくんですよ。、


たしか当時、私は真っ白い「マーク2」という結構豪華な?大きな車に乗ってました。


私の実家はその街ではまあそれなりの名家??でしたから?


言ってしまうと、、、 女子高生と楽しいドライブですよ。


ところで、、仮にですよ、


私が、、どっかの女子高生を、、、私が自家用車で声かけて?乗せたりしたら、、普通はそれって犯罪でしょ?




それが堂堂とできるのです。まあ教師だから当たり前といえばそれまでですが。




でも、今はさすがに教員の車で生徒乗せて慰問に行くってないでしょ?




とある女生徒(郁代)が急用で早退するってんで私が乗せて自宅まで行ったこともありましたね。


女生徒を助手席に乗せて、、これって自分が誘拐犯になったような錯覚にとらわれて


不思議な気分でしたね。


郁代はかわいい子だったのでよけいそうでした。


すぐ隣に17歳のかわいい女子校生がうつむいて乗ってる。


車内は二人っきり、、、、、、、そのまま、、誘拐? 妄想、、、


郁代の家は大地主だし、身代金はいくらでも??


まさか???おいおい、

いくらなんでも妄想が過ぎるだろ?

妄想ストップ!

お前教師だろ?ふざけるなよ、



でも、、これはヤバ過ぎな妄想ですよね?






第4話に続く



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