1日目の⑤.大自然の摂理
食べれば、出る。
完全生物でもない限り、それが大自然の摂理である。
状況が緊迫してからでは遅いという経験知から、手近な黄色い腕章の係員さんにヘルプを求めたところ、公衆トイレが用意されているという。
やるじゃないか、異世界。やるじゃないか、ウルブ王国。
早速、指示された場所に向かったのだが、ねえちょっと待ってください。
人が、すごいたくさん人がいます。
行列です。
列を作っています。
そりゃ日本人や旧共産圏諸国人は列を作るの得意でしょうけど、これはない。
公衆トイレの超人気コンテンツぶりに心が折れた。某同人誌即売会でもここまでじゃあなかった。
「すいません。トイレ、ヤヴァイです」
「あ、はい。ついてきてください」
またしても手近な係員さんに頼り、銅貨を手のひらにのせ、強く握手を求めたところちょっと困った顔で手を引いて案内してくれた。
もちろん、手が離れたときには銅貨は綺麗に消えている。プロの技だ。
近くの建物で、入ってすぐの狭いカウンター越しに誰かと何事かを短く会話し、僕の方に顎をしゃくった。
「つきあたりを左だ」
言われるままに建物内通路を進み、左手に……あったよ、楕円の穴が開いた箱的な物がおかれた小部屋が。
穴の上には木の板が載せてあり、恐る恐るめくると、かすかな臭気が鼻を刺す。
トイレだ。
であれば、遠慮は必要ない。
箱的なものにどっかりと腰を下ろし、思う存分放出を決めるしかない。
☆
転生してから串焼き2本しか食べていないはずなのに、えらく消化がはやくないですか。なんでもう出てくるんですか。もっとじっくり吸収しててくださいよ。そういや西洋人は日本人に比べて腸が短いとかなんとか……。
ともあれ、リトルジョーならともかく、ビッグベンを決めてしまったのが問題だ。
しかし、避けては通れない問題でもある。
まだ心に余裕のあるうちに、この問題に気づき、対処をはかれることを、むしろ幸運だと思うようにしよう。
ポジティブ、ポジティブ。魔法の言葉。
結局、サイドポーチから取り出した紙をもみほぐして我慢して拭いた。
「ありがとうございました」
通路を戻り、狭いカウンター越しにお礼の声と粒銅というやつを差し出すと、わかってるじゃないかと言わんばかりに頬がほころんだ。
「神託の冒険者さん、想定していたよりも多いらしいな。あんたが一仕事している間にも、トイレだけは貸すようにって連絡がきたぜ」
「想定は知らないけれど、僕のほうは大仕事でしたよ。ところで、仕事の後始末って、こっちではどんなふうにするんですか?」
「え、そりゃまあ、適当な大きな葉っぱをほぐしたものがあれば上等だな。基本はマイ・ヘラかマイ・スポンジを持ち歩くもんだ」
ガチで中世かよ。
いや古代史のころからあるやつじゃんか。
あー、でもなあ。
軟弱な日本人のお尻のためにジョグレス進化を遂げたトイレットペーパーなんてあるわけないもんなあ。
その日本も、先の大戦中には糞縄などという素敵文化遺物を使用したらしいし、どう使うのか不明なメガネや貝殻じゃないだけマシと思いたい。トホホ。
あらためてお礼を言って建物を出て、出すものは出してすっきりはしたので倉庫整理にまい進せねばと気を取り直したところで、自分のマヌケに気がついた。
マイ・ヘラやマイ・スポンジ、どこで手に入れればいいんだ?
すでに倉庫待ちの列に並んでいる。
いまさら、さっきの建物に戻ってリサーチを行う?
結局、惰性のまま倉庫に入り、イチゴを取り出し、買取窓口へ運んだ。
「ねえ、トイレ後の始末するヘラとかスポンジとか、どこで手に入るかな」
「え? あんなもの……ちょっと待ってな。おい、おまえ! そうおまえ! ひとっ走り本店からクソベラと尻拭き一通り、あるだけ全部持ってこい」
査定待ちのヒマにあかせて零した雑談ですらない呟きだったが、窓口の男は何を思ったか雑用係をしていた小僧を一人走らせた。
「ヒヒッ、こりゃあ商機ってやつだ。そうだよなあ、神託の冒険者様も出すもんは出すよなあ。美味しいネタに感謝するぜ」
「誠意はカタチでプリーズ」
「わかってるって。また売りに来るだろ? そんときに一式俺からプレゼントしてやるよ」
つまり、高いものではないんだろう。
まあそうだよな、誰もが必要とするもの、しかもそれはシモの始末に関わるものとくれば、高くては話にならない。
「期待しておく」
「樫のクソベラに上質海綿たぁ言わないが、収納袋に灰袋も込みでご馳走してやらぁ。だから、お仲間にウチの宣伝よろしくだぜ」
「物を見てから判断する、というのが政治的に正しい回答かな」
「へへっ、お固いこって」
食べ物の査定をするそばで、男二人目つきも怪しくシモの話という、実に絵面のよろしくないことよ。
大事なことなんですけどね。とっても大事なことなんですけどね。
イチゴを引き渡し小袋にパッケージされたブツを受け取る。
字面だけだと何かの隠語で怪しい取引かと勘違いされかねない行脚を数回。
本日三度目の鐘の音を聞いた。
太陽がだいぶ傾いてきているので、たぶん夕方の合図ということだろう。
きりもいいので掲示板付近に足を運ぶ。
人だかりがすごい。倉庫や公衆便所と違って、列を作るのではなく雑然としている。
追加されたメッセージを眺めようにもなかなか近づけそうにない。
すべては情報への飢えのなせる業か。
何より僕らってネット掲示板文化の申し子みたいな世代だもんなあ。
誰かの名を呼ばわる者の声もする。
目当ての相手がこの場にいるのなら、勝率は高いかもしれない。
まずは書き物机に寄って、お尻の始末一式セット、どこそこの買取窓口で扱っているよと宣伝文。
窓口の男にのせられているようでもあるが、僕ら転生者にとって大切な情報であることも間違いない。
「情報、貼るよ。通して」
偉大なる預言者モーセなら、海を割るがごとくに人の壁も割れたのかもしれないが、あいにくと僕では「ああ」とか「ほいよ」程度に避けてもらえるだけでも御の字なのだ。
ようようたどりついた掲示板だが、もはや隙間がない。
どうするか悩んでいたら、ココだココと指示される。
金髪逆毛の騎士、ジルゲームスさんが既存の紙を半重ねに貼り直しながら場所をあけてくれたようだ。
「ありがとうございますー」
「思った以上の盛況でな。俺がついていないとこのザマ……」
突然、ジルゲームスさんに掴みかかられた。
「どこだ、どこで買える!」
「あっちの買取窓口で……」
答えながらふと気になって、じっと、手を見る。
ねえ、ジルゲームスさん、お尻の始末に食いつくって、つまりそれはこの世界での大放出経験者ってことですよね。
その時あなたは、どうやってお尻を拭いたのだ。
傷ついたような顔されましても、あなた、その手で、お尻を拭いたんですよね。僕を掴んでいるその手で。
「……ちゃんと洗ったぞ」
「はぁ」
「『不浄の左手』と言ってだな、地球でも古式ゆかしい伝統に則ってだな」
「はぁ」
そんなことより、行かなくていいんですか?
情報を得た人たちが、文字通り走り出してますけど。
「くっ」
金髪逆毛は一声残して転がるように駆けていった。
あれでも騎士だし、今のは『くっコロ』になるのだろうか。なったら嫌だな。そもそも野郎の『くっコロ』にどれだけの需要があるというのだ。
幾人かが走り出したことで、考えなしの後追いもでる。この場合はそれが正解かもしれない。
掲示板を確認してから走り出す人もいる。通常ならこれが正解なんだろう。
そして、確認してもほほ笑みだけを残し、悠然としている人もいる。彼ら彼女らはすでに勝者。別の次元に立っている。
さらに言えば、トイレ配置やお尻のケア情報に触れてもいない人たちもまだまだ大勢いるのだろう。
僕は、なんて残酷な情報格差社会の誕生に関わってしまったのだろうか。
ま、それはそれとして。
掲示板周辺の人口密度がちょっとだけ下がったので、ゆったりと精査をしていこう。
【XYZ】
うん、やはりおっさん世代が来てますねえ。
母集団が10年も前にサービス終了してるゲームのプレイヤーだから、当然っちゃ当然だけど。
【13年式G型トラクター買いたし】
おいおい、ネタを紛れ込ませるくらいの余裕? 転生ハイテンション?
ようやく理解した。今の僕らはお祭りモードなんだ。
なお、相方からの返事はなし。
落ち着け。
まだ初日。しかも、連絡を貼ってから半日も経っていない。
そう、慌てる時間じゃないってヤツだ。
広場の各所にかがり火もたかれはじめたが、情報爆発と荷物運びに気疲れに。
そういや寝床どうしよう。宿なんて探してなかった。
お隣さんに聞いてみる。
「すません、どこに宿あるか知ってます?」
「寝床なら倉庫でいいんじゃね? カネもかからないし、本人以外入れないんだし」
盲点だったな。確かに倉庫内以上の安全地帯はないのか。
そういうわけで便所飯ならぬ倉庫飯である。
処分推奨だったけど持ち込んだゲーム内料理、ワニのピリ辛煮込みにサラダ、ハーブティを一杯。
ハイテンションが維持できなくなった反動のボッチ気質引きこもりモード。
かつてのLLOでは相方がいたり臨時PT募集かけたりといったコミュニケーション能力自体はあるはずなのだが、一人は楽なのだ。
それでいて、コミュニティに属する安心感なんかも求めてしまう。
「ハーブティでコップ、煮込みでお椀鉢ゲット! 水場で洗って、ゴミは……ゴミ箱用以外にも空き箱いくつか取り置いとくか」
謎の光で照らされた謎空間、マイ倉庫の床にそのまま横になる。
転生一日目、終了。