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防空壕

父方の爺さんの葬式、俺にとっては人生最初の葬式だ。


当時8才のガキだった俺は殆ど顔を見たこともない爺さんだった事もあり、退屈でしかなかった。


それでも、俺はその葬式を今でもはっきりと覚えている。


なぜかというとそこでした親父との会話が忘れられないからだ。


親父の話は俺の「葬式ってなんでするの」というくだらない質問から始まった。



=======




「それはな生きてる人のためにするんだ」


俺の質問に親父はは少し考えてからそう答えた。


「生きてる人のため? 死んだ人のためじゃなくて?」


2人で並んで椅子に座り、親父を見上げて質問を繋いだ。


「あぁ、死んだら、死んだ人の魂とか霊というのかな。 それを生きてる人間がどうこうする事は父さんは出来ないと思う。 それが出来るのは閻魔大王様や天国の神様だ、そして、天国の神様や地獄の閻魔大王様がどうするかは生きてる間にいい事するか悪い事するかで決まる」


「ふーん、お葬式で天国に行くんじゃないんだ」


「これは父さんの父さんの話、お前のお爺ちゃんが父さんにした話だ。 ちょっと怖いけど聞くか?」


父さんは遺影をちらっと見て俺に質問した。


「うん」


「よし、これはな、爺さんがまだ子供の頃の話だ」



========




爺さんが子供の頃、第2次世界大戦が終わってやっと1年が経った頃の話。


辺りはまだまだ空襲の傷跡が多く、人々の心にも戦争の傷跡から血が流れて止まっていなかった。


爺さんはその頃、11才の悪ガキでアッチコッチで悪さをしてたらしい。


そんな時に爺さんは友達にこんな話を聞いたんだと


「防空壕にお化けが出る、お化けは子供を拐っては防空壕に連れて行って生きたまま埋めているそうだ」


爺さんはその話を聞いて


「そんなお化け俺が退治してやらぁ!」


爺さんは木刀を肩に担いでその(くだん)の防空壕まで出かけて行った。


その防空壕は川の土手に作られた防空壕でかなり長大な物だった、学校や病院に地下を掘って繋げるつもりだったのが途中で頓挫した物だそう。


空襲の直撃で防空壕であるにも関わらず中は半分程が崩れてしまっているらしい。


爺さんがその防空壕に着いたのは正午を少し過ぎた頃、中は殆ど明かりが届かない暗闇だった。


爺さんは内心で(お化けなんぞいるもんか、空襲の方がよっぽど怖いわ)そう毒付きながら入っていった。


中は異様に蒸し暑く、息苦しかった。


爺さんは手に持った木刀で壁をガリガリとなぞりながら歩き、時おり


「誰かおるんかっ! おるんやったら出てこいやっ!」


そう暗闇に怒鳴りながら進んだそうだ。


防空壕は思っているより随分と長かったらしい。


暗くなった辺りで爺さんは壁に手を付けながら最初の威勢も何処へやら、声も出さずに黙々と進んだ。


行かなかったと思われるのは嫌だったので持っている木刀をこの奥に置いていき、後日に誰かと来て自分が奥まで1人で入った証明にしようと考えていたそうだ。


爺さんの耳に奇妙な音が聴こえたのは防空壕の入口の光が全く届かなくなったあたりだった。


ざりっざりっ


という微かな音が聞こえてきた。


最初は気のせいかと思ったが、進むに連れて微かな音が確実に大きくなっていく。


ざり、ざりり、ざりざり。


爺さんは足音を殺してゆっくり近づいた。


「・・・か ・・・っちか ・・・ぶだ、ぜった・・・ みっけ・・・」


そんな、呟く様な声が聞こえたらしい。


同時に酷い嫌な臭いが鼻をついた。


爺さんはそこまで行ったら恐怖もあったが、その先にナニがあるのか気になって戻るという頭は無かったらしい。


ゆっくり、ゆっくりとその音の方へと近づいて行ったそうだ。


そしたら、防空壕の先に少し明かりが見えた。


その間もずっと、ざりざりという音の元へと近づいて音も臭いも次第に大きくきつくなっていく。


呟き声も聞こえてはいたが判然としない。


気配を殺して音を立てないようにゆっくりと近づいた。


灯りの正体は小さなランプだった。


そのランプの灯りに照らされて濃い影がゆらゆらと動いている。


その影の主はボロボロの着物をきて髪の毛はボサボサで腰まで届いていて、悪臭を漂わせていた。


一目でまともじゃないことが分かる。


ソイツは素手で土壁をざりざりと引っ掻いていた。


嗄れた嫌な声でずっとブツブツとナニかを呟き続けている。


掠れた声で


「だいじょうぶ、ちゃあんとみつけるから、ぜったいにみつけてあげるから」


暫く耳をすませているとようやっとそう聞き取れた。


「ちゃんと、てんごくへ、いけるように。 みつけて、あげるから」


その時点で爺さんはもう怖くなってずっと固まってたそうだ、明らかにその人間は普通じゃない。


ボロボロの着物はかろうじて女物だと分かる。


それ以外は嗄れた嫌な声も、見た目も人間としか判断がつかない。


爺さんはその女から目が離せなくなった。


どれぐらいじっとしてたかは分からんが、いざ引き返そうと思って体を動かしたら関節が軋む感覚があるくらいには長い時間、じっと息を殺してその女を見ていたらしい。


爺さんはゆっくりと後ずさってその場を離れようとしたら


ガラッ


っと音をたてちまったんだと、石を後ろ足で蹴ったらしい。


そしたら、さっき迄のブツブツと喋ってたのがピタッと止まった。


壁を背にして一瞬爺さんは固まったそうだがすぐに逃げようと走り出した。


だが、爺さんは走り出してすぐに転んで足を挫いた。


足の痛みは凄まじい激痛だったが、爺さんは這ってでも必死にそこから逃げようとした。


すると後ろから


「あ“ぁあ“ぁあ“ぁーーーーーーー」


っと、とんでもない奇声を上げながら女が追っかけてきた。


這って逃げようとしたがすぐに捕まって爺さんの背中に女が馬乗りになったんだと。


そんで


「むすめはどこだっ!! むすこはどこだっ!! かえせかえせっ!!」


そう叫び散らしながら爺さんの髪を掴んで引っ張り回したそうだ。


女はガリガリでも、大人と子供だからなかなか振り払えなかった。


爺さんは泣きながら「離せ、離してくれ」と言ったが、女は爺さんの言葉が聞こえているのかいないのか、ずっと奇声を上げて騒ぐばっかりだった。


そんで、女が爺さんの体を乱暴にうつ伏せから仰向けにした。


女の顔は、真っ黒に汚れて痩けた頬にクチャクチャの髪が油でねっとりと頭皮に張り付いて、手はずっと素手で壁を掘っているせいで爪が剥がれていた。


目は正気を失っていた。


女は拳を振り上げてめちゃくちゃに殴り付けてきた。


爺さんは恐怖で身を縮ませて顔を両手で覆うので精一杯だった。


そこへ


「やめろっ、やめなさい!」


という男の声が聞こえた。


「すまなかった、もう邪魔はしない。 その子を連れて帰らせてくれ」


男は必死に女に向かって声をかけた。


女は暫く声の主を睨みつけるとゆっくりと立ち上がってランプを持ってまた穴の奥へ去っていった。


爺さんを助けたのは爺さんに防空壕のお化けの話をした友達の親父だったそうだ。


友達が父親に「話をしたら退治するって行ってしまった」と言うと、聞いてすぐに助けに来てくれたらしい。


その人は女の事を知っていて、子供が近付かないようにお化けの話をしたそうだ。


爺さんはおぶってもらってその防空壕を出ながら女の話を聞いた。


なんでも、あの女は防空壕の崩落で子供が生き埋めになったそうだ。


『女はな、父親と亭主が戦争で死んで、母親も病気で亡くしたんだ。 子供のそばに居てやりたくても働かなきゃ食うていけん。 幼い子供2人を家に残して働きに行ってる間に空襲が来て子供達は女に言われていた防空壕では無く、この崩れるかもしらんから入らんように言われていた防空壕に避難した。 運悪く、防空壕の真上に焼夷弾が直撃して天井が崩れて子供達は生き埋めになった。 子供達が入って行ったのを見ていた人間がいてな、それを聞くと女は


「子供達を出してちゃんと供養してあげないと、天国へ行けない」


そう言って今でもずっとああやって穴を掘っとる。 正気を失ってもずっと掘っとるんだ。 もしかしたら、子供達の亡骸があって、葬式の1つもあげていたらあそこまで正気を失う事もなかったかも知らん』


爺さんは友達の親父の話を黙って聞いた。


爺さんはその話をずっと大人になっても覚えていた。


そして、こう思ったそうだ。


葬式は生きてる人間が死んだ人を思って、その悲しみに対して心の整理をつける為にするもんだと。


死んだ人のためじゃなく、生きてる人が前に進む為にするもんだってな。




====



会ったことも、殆ど顔も見たことない爺さんの葬式。


話した事も無い。


だけど、俺は親父の横に座って爺さんのその話を聞いて、周りを見回した。


泣きながら爺さんの話をしている人。


笑いながら話している人。


皆がそれぞれ、爺さんが死んだことを受け入れて、心の整理をつけているんだと妙に実感したのを今でもよく覚えている。

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