第1話 片想いの名門貴族 その1
ジョンはケイラが好きだった。
国王の肝いりで設立された王立高級学院で、官吏としての教養を習得していた青春時代に出会い、それからずっと、彼は彼女に恋心をいだきつづけてきた。
学院からの卒業を期に、離ればなれとなった2人だったが、会えない日々は、彼の彼女への気持ちを加熱した。会えないままに、こらえきれない程の熱量をもって、恋しい気持ちは彼の胸を焼き焦がした。
想いを彼女にぶつけよう、そんな行動に出たことが、無かったわけではなかった。学院時代には、不器用かつ不格好ではあっても、機会をとらえてはせっせと、彼女に話しかけたものだった。
だが、想いを表に出してしまうと、誰かを傷つけてしまうことがある。誰かに迷惑を掛けてしまうこともある。そんなことを、ある時ジョンは思い知らされた。
親し気に、嬉しそうにケイラと話すジョンを見て、秘かに涙を流した少女が幾人もあったそうだと、クラスメイトに聞かされたことがあった。
ジョンをケイラと2人切りにしてあげようと図った友人が、そのために最終のシャトルに乗り遅れて、学院に泊まりこむハメになってしまったこともあったらしい。
王都のある「ラバジェハ」星系第4惑星の、王都より外側の衛星軌道を周回する宙空建造物が、彼らの通う王立高級学院だった。王都も学院である建造物も、共に「ラバジェハ」星系第4惑星の人工衛星であった、とも言える。
日に5本出ている、学院から王都へのシャトルの最終便に、その日のジョンはケイラと2人で乗りこんだが、彼らを2人切りにしてやろうと気を利かせた友人は、翌日まで王都に戻れなくなってしまった、とういわけだ。
シャトルの窓からは「ラバジェハ」星系の、第4惑星が望まれる。瑠璃色の濃淡がマーブル模様を描き、茫洋たる巨大さで無言の圧力も与える絶景だ。ガス惑星であるそれは、人には住むことはおろか、降り立つことすらもできないのであるが、目を楽しませるに足る、美しい外観を誇っているのだ。
惑星を取り巻いている環も、まるで白銀の大地であるかのような具合に、シャトルの窓からは望まれていて、搭乗者たちの心を浄化してくれる。
そんなシャトルで二人切りになれたのだから、若い彼らにはロマンティックな時間が訪れた。悩みを打ち明け合い、夢を語り合い、心を通わせ合うことができたのだ。
それが、友人の機転と犠牲の上にあったとは、気づきもしないで。学院に取り残され、翌朝のシャトルを見るまで、ひとり寂しく過ごした友人の苦労など、知りもしないで。
国王の肝いりであるからには、品格のある内装や洗練された設備が、そこには整えられているのではあったが、宿泊を想定した施設ではなかったので、帰りそびれた友人には不快な一夜が待っていたという。
後日にそれを聞かされたジョンは、胸を痛めたものだった。恋する想いを表に出すことが、知らぬ間に誰かを傷つけてしまうものなのだ。
ケイラを愛しく思う彼の気持ちが、想いを寄せてくれていた少女たちに涙を流させ、後押しをしようとした友人には、不快な一夜を味わわせてしまった。
それを聞いて以来、ジョンはケイラと話せなくなった。話しかけようとするたびに、何かに後ろ髪を引かれ、断念してしまうのだ。話せない日々がいつまでも続き、話せないままに、青春は過ぎ去って行った。
そして、話せないままに卒業の日を迎え、彼と彼女は離ればなれになった。広い宇宙が、光ですら越えるのに数十年を要するほどに、広大で漆黒な真空が、ジョンとケイラの間には横たわることになったのだ。
卒業後の彼女の消息を、調べようと思えば、簡単に調べられた。然るべき誰かに、尋ねれば良い。それだけだった。それを知る友人など、数え切れないほどいたのだから。
だが、尋ねるとなると、想いを表出させてしまう懸念が生じる。また、ジョンのケイラへの恋心が、誰かの知るところになってしまう。また、誰かを傷つけるかもしれない。また、誰かに迷惑をかけるかもしれない。
ジョンは、誰にも知られないように、ケイラの消息を追いかけることにした。加熱され続け、火を噴き出しそうな恋心を抱えて、ジョンの密かなるケイラ捜索は続けられた。
結果、10年近くの歳月が過ぎてしまった。誰かに尋ねれば数分で見つけられた彼女の居場所を、ジョンは卒業から10年目にして、ようやく探し当てたのだった。
「ジャティー」星系の惑星軌道を周回する人工建造物の中で、ケイラは暮らしていると知った。
ジョンは「セボ」星系の、惑星軌道に人工建造物を投入し、それを自宅とした。
どちらも人工惑星だ。天然の惑星を、どちらの星系も持ってはいるのだが、人の定住には不向きな環境だった。
ハビタブルゾーンと呼ばれる、中心星の光が適度な強度でとどく距離に、人工建造物を周回させて住み着くやり方が、両星系では採用されていた。
そして、両星系の中心に位置する恒星である「ジャティー」と「セボ」は、連星だった。両方の星が、それらの共通重心の周りを、社交ダンスよろしくクルクルと回っていて、一定の距離をずっと保っている。過去数億年に渡って近くに居続け、数億年後の未来でもそうであろう、と考えられているのが、連星である「ジャティー」と「セボ」という、2つの恒星なわけだ。
「ジャティー」星系を周回する、ケイラの住む建造物は「セボ」星系にある、ジョンの自宅である建造物から、いつでも見ることができた。とはいえ、もちろん、肉眼で見える距離であるはずはないし、建造物の中を見る手段もあるわけがない。高性能の望遠鏡を使えば、漆黒の宇宙空間にポツンと漂う、彼女の暮らす建造物の外観を眺められるというだけだ。
だがそれだけでも、10年越しにケイラを見つけたジョンには、彼女の近くに自分はいるのだということを実感できて、幸せな気分になれた。
ジョンの築いた建造物は、この国のほとんどの人々が驚き、羨むほどの大邸宅といえた。リング状の宙空建造物を個人で所有し、それの内部全域を、彼一人の住居としていた。回転による遠心力で常に快適な強さの人工重力を、外周壁面を床とする形で提供してくれる建造物だ。
その中に設えられた生活空間も、壮麗を極めていた。
百を超える、広大で上質な居室があるだけでなく、岩石でできた衛星から採掘した美しい模様の石材を使った、華美な壁や天井を持っていた。
庭がまた、すごかった。緑があり、流れる水があり、花は咲き乱れて色とりどりの鮮やかさを競っていた。
リング状建造物の天井までは、20mほどの高さしかなかったのだが、それに届きそうな樹木が林立し、その間を飛び交う鳥たちが、可愛らしい鳴き声を響かせたりもしていた。
かれらの星団王国の中では、辺境といわれる場所にある「セボ」星系ではあるが、そんな場所にでも個人用のリング状宙空建造物を保有し、その内側にかくも絢爛豪華な大邸宅を築けるジョンの財力は、王国中の人々から垂涎のまなざしを向けられるものだった。
彼の邸宅の壮麗さは、この場所に彼が邸宅を構えた本当の理由を、人々の目から巧みに隠蔽していた。邸宅の壮麗さに驚かされることで、なぜその場所に、という疑問を、誰も想起できないでいた。
だが、ジョンがここを選んだ理由は、一つしかない。ケイラに近付きたかったのだ。
それも、誰にも想いを知られずに。誰にも、彼の彼女への熱い恋心に、気づかせることなく。
別に、豪邸へのあこがれが、あったわけではない。もともと裕福な名門貴族の家庭に生まれたジョンだったが、親から譲り受けた財産に加え、彼自身の働きで稼いだ財貨も、膨大な額に上っていて、ジョンは、王国でも有数の富豪となっていた。
大邸宅など、ここでなくても、あちこちに保有しているし、どこででも手に入れられた。
だが、ジョンにはここに、ケイラの住む「ジャティー」星系の近くに、大邸宅を保有する必要があった。誰にも真意を悟られることなく、もっとケイラに近付くために。いや、会うために。
10年を費やしてやっと探しだしたケイラに、名門貴族で大富豪のジョンは、ただ会いたかったのだ。
誰にも本当の想いを、熱い恋心を知られることなく、ケイラに会う、その目的のためにジョンは、連日、盛大なパーティーを催した。近隣の住民に、誰かれかまわず招待状を送り、無償で贅沢な食事を潤沢に提供し、快適で享楽に満ちた時間を、不特定多数の人々に過ごさせた。大邸宅を必要とした、それが唯一の理由なのだ。
気前のいいパーティー好きの大富豪として、ジョンの名は瞬く間に人々に知れ渡っていった。呆れるほどに多くの人々が、パーティーを堪能すべく、彼の大邸宅を訪れた。
招待状を持っていない者であっても、来るものは拒まずでどんどん受け入れたので、パーティーの参加者は増える一方だった。誰でも入れるとの情報も、パーティー自体の豪華さと共に広く知れ渡ったので、増加の度合いにも拍車がかかる一方だった。
ここまでの盛大な催し物が、たった一人の人物に会うための手段だなどと、誰も、想像もしなかったに違いない。一般庶民なら数百人の数年分の生活費を、一夜にして使い果たすような大散財を連日くり広げ、それが一人の女性に会うためだけのものだったなど、誰が考えようか。
そして、それも、ジョンの目論見通りだった。誰にも気づかせたくないジョンの思惑にうまうまと乗せられ、人々はパーティーの真意には、一顧だにしなかった。
ジョンは敢えて、ケイラには招待状を送らなかった。彼女と同じ建造物内に暮らしている、いわば彼女の、ご近所に当たる人々には招待状を送っていたが、彼女に会いたいという目的を悟られないために、わざと彼女自身には、招待状を送らなかった。
だが、ケイラのご近所のほとんどがパーティーに参加し、極楽と思える歓待を何度も味わっていた。当然のようにその噂は、彼女の耳にも届いただろうし、招待状が無くても参加できるとの情報も、伝わっていないはずはなかった。
パーティーで供される御馳走は全て、バイオオリジンフードと呼ばれるものだ。時代が時代なら、それ以外には食材など無かったと思われる代物なのだが、それは生物が由来となる食材だ。かれらの時代には、貴重なものなのだ。
この時代の貧しい者たちは、ケミカルプロセスフードと呼ばれる、生物の関与など一切ない、宇宙で採取した元素から化学的に合成され、人工的に作りだされた物質を食材としていた。宇宙時代には、何らかの生物の栽培や飼育や養殖などをするより、元素から化学的に合成する方が、簡単に食材を用意できたので。
貧しい者には、そんなケミカルプロセスフードしか手に入れられないのが、宇宙時代だ。不味いわけではないし、味や触感にある程度のバリエーションをきかせられるのだが、やはり単調で味気ない食材であるし、バイオオリジンフードしか知らない者には、気持ちの悪い、食材とすら認識できない物質であるかも知れない。
少し余裕のある者は、バイオプロセスフードを食材とする場合もある。完成された生物体は登場しないが、生物の一部の組織や細胞や遺伝子や遺伝情報などを利用して、食材となる物質を、培養や合成で造りだすのだ。時代が時代なら、バイオテクノロジーとでも呼ばれたであろう技術だ。
ケミカルプロセスフードよりは、味や触感に深みや繊細さが感じられるバイオプロセスフードではあるが、やはりバイオオリジンフードには及ばない。そしてケミカルプロセスフードよりは生産しづらいが、バイオオリジンフードよりは容易に生産できるということで、両者の中間的な位置付けの食材とされていた。
バイオオリジンフードを口にできるというのは、この時代の人々には、たいそうな贅沢として受け止められていた。
そのバイオオリジンフードばかりを多種多様に使った御馳走を、大量に、より取り見取りに用意して、ジョンの大邸宅でのパーティーは連日連夜とりおこなわれた。人々が狂喜して殺到するのは、当然だ。
会場となるリング状宙空建造物内の庭園も、パーティー参加者からは、言葉を尽くして絶賛されたものだった。
動植物と触れ合うことも、当然稀である宇宙時代の庶民が、深緑の木々や、さえずる鳥たちに囲まれ、柔らかな芝生の上に座ったり寝そべったりしての饗宴に、存分に耽溺した。
人々はこぞって、競い合って、ジョンのパーティーに繰り出して来たのだ。そうなれば、招待状を送っていないケイラが参加して来るのも、時間の問題だと言えた。
今回の投降は、ここまでです。次回の投降は、2020/5/9 です。
連星は、珍しいものではありません。半分以上の恒星は連星や三重連星である、なんて主張する天文学者さんもいるようです(鵜呑みにせず、興味ある方はご確認願います)。我々の住む太陽系は、遊離星系であり、連星でもないという、銀河においては変わり種のようです。生物が住んでいるというのが、一番特殊な事情かもしれませんが。
にもかかわらず、あまり作中に連星を登場させたことが無く、作者としては気になっていました。連星の方が多いかもしれないのだから、出さなきゃ不自然だと思いつつ、手ごろな使いどころのアイディアが、思いつかなかったのです。片思いをする男と、その相手の女が暮らす舞台という使い方は、いかがなものだったでしょうか?
あと、早目に自白しておきますが、一人の女性に会うために盛大なパーティーを連日連夜繰り広げる、というくだりは、フィッツジェラルド作「グレート・ギャツビー」にインスパイア―されたもの(パクリって言わないで・・その作品においてもこの作品においても、その部分がストーリーの核心というわけでもないから、パクリではなくインスパイア―であるという主張が、ギリギリ成り立つと作者は信じてます)です。
ちなみに、「グレート・ギャツビー」を読もうと思ったきっかけは、村上春樹先生の「ノルウェイの森」を読んだことにあります。「グレート・ギャツビー」が何度も出て来る「ノルウェイの森」を読み終えた翌日に、偶然、古本屋の百円均一コーナーで「グレート・ギャツビー」を見つけてしまったら、読まない訳には行かないでしょう。
宇宙や歴史の知識を拾うのに加えて、結構広く読書してんだぞってことで、読者様には知ったことではないかもしれませんが、作者の努力のほどを披歴してみました。