古賀兄弟への訪問客 四頁目
練気
人間全てが備えている生命エネルギー。
ロッセニムという闘技場の初代闘技王が手にした力で、様々な武人が目指す一つの目標地点。
『能力』ほどの多様性は見られないが、重要なのは『神器』の能力無効の守りを突破できるという点。
これにより『練気』は、『属性』と並ぶ『神器』突破口の一つとして利用されている。
「今日は一日あいつらに付き合ってもらって申し訳ねぇ」
「いや好きでやっているなんだ。気にしないでください」
それから時が過ぎ深夜零時。蒼野達子供たちが眠った後で、原口善と土方恭介の二人がリビングの机を挟み話し込んでいた。
彼らの間にはワイングラスと赤ワインが置いてあり、善がそれの栓を開き恭介の側にあるグラスに注ぐ。
「俺の戦友が愛した一品だ。さして高いものじゃねぇが気にいってもらえれば何よりだ」
「では……」
善の説明を聞いた恭介が興味深そうにワインを眺め、軽く回し香りを楽しむ。
それから少しして口に含み、渋みと甘味、それに僅かな酸味が見事に調和したその味をしっかりと感じ取るとゆっくりと飲み込み、余韻に浸る。
「うん。これはおいしい。お子様舌の私でもごくごく行ける。名前は何と?」
「こいつの名はホシクサ。通称『真実の探求者』だ」
のだが、恭介の顔に張り付いていた笑顔が善の告げた名を聞き固まる。ワインに向けて伸びていた手はその場で静止し、持っていたグラスは力なく手から離れる。
「おい驚きすぎだ。グラスを落とすぞ!」
「こ、これは失敬!」
そのまま机に衝突するかと思われたグラスであったが、善が声をかけると恭介は我に帰り、すぐさまキャッチ。中の液体もこぼすことなく、少々深く息を吐いた。
「しかしホシクサか。確か歴史上で確認できる中では世界初の歴史研究家の名前だったような」
「ああ。加えて数少ない天寿を全うしたと言われる歴史研究家だ。そんな驚くことだったか?」
「ああ。まあな」
その説明を受け恭介が困ったように笑い、それを見ていた善は表情一つ変えず腕を組む。
「さて、遠回しに聞くのが苦手でな。単刀直入に聞きたいんだが…………あんたは何者だ?」
「というと?」
善の言葉に対し恭介が普段と変わらぬ様子で言葉を返しながらワインを転がすが、それを見て善の眉間に皺が寄る。
その反応は、彼の想像を遥かに超えた物であったのだ。
「実はあんたの事は大分前から調べさせてもらってた。蒼野と康太が一番尊敬してる人物で、なおかつ人格形成にもかなり影響を与えた人物だったみたいだからな。あいつらを預かる長として、身元調査をしたんだ。その結果に俺は驚いた」
その時出てきた彼の情報に善は動揺した。
四大宗教の協力により世界中の人々の情報が登録されているデータベース。それを確認しても彼の名はなかったのだ。
無論それらに所属していない地域で生まれた可能性も十分に会ったのだが、この男に関して言えば蒼野や康太の前に現れる十年近く前まで、一切の記録が存在しなかった。
無論そこまでならばありえる事である。四大宗教に所属しておらず、ひっそりと暮らしていれば、ほんの僅かな可能性ではあるがありえたかもしれない。
しかし今日こうして本人を目にしたことで、その僅かな可能性もありえないと確信を持て言いきれる事ができた。
「あんたは何者なんだ。それを教えてくれねぇ事には、あいつら二人の恩師といえど安心できねぇ」
善の目は人の体を伝う生命力、すなわち『気』の流れを見る事ができる。ゆえに人形を使った騙し討ちをされようとも決して騙されることなく、加えて相手の感情の変化もある程度はわかる。
そんな善が見たこの男の『気』は体全体を包みこめる大きさの綺麗な円形だ。
激情家が見せる炎のような気でもなければ、冷静沈着なものが見せる静かな海のようなものでもない。
これまで善が見たこともない、完璧な円形、いや球体であった。
「何者だ、と言われても困ったな。恐らく私には君の問いに答えられる明確な答えがない」
遠慮気味に笑う男の姿に対しても善は微塵も気を抜けずにいた。
彼の心に揺れはなく、その心は綺麗な形を保ったままだった。
善が見た中で唯一彼が心を揺らしたのは先程のホシクサというワインの名のみで、他ではその心に一点のほころびも見せていない。
「……」
善とて全ての人間の心を見てきたわけではない。
いやそれこそ、彼の魔眼の場合オン/オフを自由にできる点から、見たくもない物を見なければならない人物等と比べれば、見てきた数は本当に僅かな量しかないのだろう。
しかし目の前の人物の見せる心の形は、異様としか言いようがない。
機械のような心…………という段階ではない。
さまざな事象を見通し、全てを知った末の諦念の心。もしくは、その逆――――
それが、原口善が抱いた男の印象だ。
そう考えながらならば先程心が揺れたホシクサについて尋ねるべきか考えるが、それはやめておくべきだと心が訴えかける。
その質問をすれば、思いもよらぬ出来事が起きると善の直感が告げており、恐らくそれを聞くべきタイミングは今ではなく、聞くべき人物も自分ではないと自然と理解できたのだ。
「さっきの反応を見るに何か隠し事があるようだが、そりゃ一体なんだ?」
「はは。それを言ってしまえば隠し事の意味がないじゃないか」
そう考え保守的な態度を取ることを決めれば出来る質問も限られ、その程度で目の前の存在が心を揺らすこともないのも自明の理であった。
「ただそうだな。俺としても二人の上司である善さんとは良い付き合いをしたい。その上で告げることができる事があるとすれば」
「あるとすれば?」
これ以上の詮索は無理か、そう考え息を吐こうとした善の耳に聞こえてきたのは思いもよらぬ言葉であり、思わずその言葉を反復して彼を見つめる。
「俺はこれから先もずっと――――蒼野と康太の味方である、ということだ」
そうして告げられた言葉は、彼の心底からの本心であるとなぜか信用する事ができ、
「そうか。まあなら……今はそれでいい」
少なくとも彼が敵ではない事を確信し善は安堵した。
「確かに俺は善さんが言う通り隠し事をしている。だが許して欲しい。俺の持っている情報は、今すぐ告げたとしても何の意味もないんだ」
「つまり時が来れば教えてくれると?」
「それは…………約束できないな」
そう言いながらいつの間にか入れていた二杯目のワインを飲み干した恭介は立ち上がり、身支度を整えるとキャラバンの出入り口に向かい歩き出した。
「もう行くのか?」
「ああ。やるべきことは全て終えたからな。今日はここでお暇させてもらう」
「蒼野も康太も、あんたともっといたかったと思うぜ?」
「そうだな。だがあいつらと一緒にいると、俺はずっと離れられなくなってしまう。見送りに来られるにしても、辛くて足が止まってしまう。だから、これでいいんだ」
男の心が僅かに揺れる。それが深い悲しみを表しているのはすぐにわかった。
「また会えるのか?」
その後彼は興味本位で尋ねた善の言葉を聞くと足を止め、
「どうだろうな。もしかしたら、これが今生の別れかもしれない」
「縁起でもねぇ事を言うな。最近はその手の話題に俺も他の奴らも敏感なんだ」
うんざりした様子で善が返事をすると苦笑した。
「そうか。ならこう答えよう。君たちに隠している秘密の一端、それを告げる時に俺はまた現れる」
すると彼は告げる。
これまでの穏やかな声とは一風変わった、人を裁く神の如き空気を纏った声で告げる。
「これから世界には未曽有の危機が訪れる。恐らく、神教というものが誕生して以来最大の危機だ。それを超えた時に俺は君たちの元に訪れる……はずだ!」
最後だけは普段の穏やかな声に戻りそう告げると再び彼は歩き出し、それ以上何かを告げることもなく、彼はギルド『ウォーグレン』から出て行く。
初夏にも関わらず吹いた冷たい風は、彼の体を絡め取り、その姿を彼方へと持っていった。
夜分に失礼します。
作者の宮田幸司です。
さて、皆さまここまでご覧いただきありがとうございます。
本日の投稿は今回を持って終了。
同時に最初のエピローグも終わりです。
明日からはまた一日一話になりますが、休みの日が来れば、また連続投稿もしたいなと思います。
あと、twitterの死者部屋は、今夜ちょっとばかり更新すると思いますので、よろしくお願いします
それではまた明日、ぜひご覧ください!