嵐の中の攻防 一頁目
「今日はずいぶんと…………強い雨だな」
全身に伝う雨に対し、善の口からそんな答えが零れ落ちる。
既に梅雨を超え、初夏に突入したこの時期の事を思いながら、口にした言葉であった。
アイビス・フォーカスとの話を終えた善は普段通り転送装置を使いキャラバンへと戻るはずであったのだが、今回はそんな普段の行いに逆らい、歩いてキャラバンがあるウルタイユまで向かっていた。
無論ワープ装置を使わなければ行き来に苦労する距離なのだ。徒歩で帰れる距離ではない。
どこかで走りださなければ、西本部で行われる大規模な戦闘にも間に合わないことがわかっている。
さらに言えば、一刻も早く戻り、明日の予定を蒼野達に伝えるなりなんなりしたほうがいいことだってわかっている。
「…………人が死ぬのは当たり前の事だが、ちと堪えるな」
だが……だが今だけはこうしていたいと善は思ったのだ。
半年前に自身の右腕であるヒュンレイを失ったのに続き、かけがえのない人物を失った悲しみ。
それを何の感情もなく自身へと降り注ぐ雨を浴びる事で洗い流しながら、死を悼む時間を過ごしたいと彼は願ったのだ。
「は?」
しかし……そんな彼の願いが叶えられることはなかった。
神の住む地『ラスタリア』から出発し十分程、猛る思いや悲しみを癒しながら歩いたところで、彼は信じられない光景を目にしたのだ。
燃え盛る炎を具現化したような髪に筋骨隆々な浅黒い肉体と、
細く、薄く、丁寧に整えられた眉毛に横長の瞼をした、見る者を竦ませる巨躯の男性。
見間違えるはずもない、セブンスター第六位オーバーの姿が、彼の視線の先に存在しており、善の姿を認識すると、善と同様に、全身を雨で濡らしながら近づいてきた。
「よぉ原口善。暗い顔して何かあったか?」
「…………てめぇ……」
近づいて来た彼の表情に張り付いているのは酷薄な笑み。
善がなぜ気落ちしているかを知ってか知らずか浮かべているその表情を前にして、落ち着きかけていた心が再び熱を持ち始めているのを認識。
闘気こそ何とか抑えど、腸が煮えくりかえるような思いは視線にのせ、善は目前の人物を睨んだ。
「ハハ、すげぇ形相じゃねぇの。本当に一体どうしたんだ。え、おい?」
思いもよらず、唐突に、誰もが予想しないタイミングで両者は対峙した。
「久しぶりだなオーバー」
「ああ、あんたがゼオス・ハザードの件でラスタリアに来て以来か」
今すぐ最短距離で迫り殴りつける
その激情に善の脳が支配されかけるが、寸でのところで体は理性によって律せられ、口からは冷静な言葉が発せられる。
「あの時はいきなりで悪かったな」
理由は簡単だ。善は未だに、自らの師が目の前の男に殺されたとは信じられなかったからだ。
『セブンスター』第六位オーバーは優秀な戦士だ。
地属性の恩恵で強化された身体能力に、髪の毛を真っ赤に染めるほどの炎属性の粒子量。
格下相手や自身が優勢な時は慢心する癖もあれど、万全の状態で行使される戦術眼は目を見張るものであり、実質末尾とはいえ神教最高戦力の一角に配属されるだけの実力を確かに備えている。
しかし、その男が殺したとされるのはゲゼル・グレアだ。
セブンスター第一位であるアイビス・フォーカスでさえ、自身と同格かそれ以上と認める傑物。
老いたとはいえ世界中の戦士が憧れる一つの到達点に鎮座する存在。
例え致命傷と言える傷を負ったとしても、それで死にましたと言われ、はいそうですかと信じることなど彼には到底できなかった。
「気にすんな。しかし珍しいこともあったもんだ。傘も差さずになぜこんなところを歩いている?」
「……そのことなんだが、ちと野暮用があってな。この付近に来る必要があったんだ」
「ほう、そうだったか」
「てかお前だって傘を差してねぇじゃねぇか。人の事言える立場かよ」
少しでも冷静になるため、口に花火を咥え火を点ける。
そうすることにより周囲の景色をぼやけさせるほどの雨の中にも花火の火が燃え盛り、それが発する音を聞くことで僅かながら冷静さを取り戻すことができた。
「ところで……お前に聞きたいことがあったんだが、昨日の夜から今日の朝にかけて、何かしてたか?」
無論、戻った冷静さはほんの少し程度だ。
それゆえ普段以上にまっすぐな質問が、考える暇もなく口から飛び出てしまった。
「……………………」
しくっじた
鉄面皮と一緒に貫かれる沈黙を前に、善は自らが不意に行ってしまったあまりにまっすぐな質問を悔いた。
この質問は悪手であったと内心で舌打ちし、のらりくらりと躱され、逃げられてしまう未来を悔やむ。
「クク……ククククッ」
のだが、返ってきたのは神経を逆なでさせるような不快な笑い声であり、
「あ?」
それを耳にした瞬間、不思議な事に周囲の雨の音が掻き消えた。
「なんだ。何が可笑しい?」
苛立ちが込められた善の問いに対しオーバーは肩を震わせてくぐもった笑い声を上げており、耳に届いた聞くに堪えない笑い声を前に彼は怪訝な表情を浮かべる。
「おい……」
「なぁんだ。やっぱり知ってるんじゃねぇかよ!」
なぜ笑っているのか、そう尋ねようとした善に投げかけられた言葉は、全てを理解した者だけが口にすることができる言葉であり、それを耳にすると、彼の怒りが瞬時に臨界点まで上昇。
「オーバー……おめぇは」
「ああそうさ! てめぇの考えた通り。俺が! あのおいぼれ爺さんを殺したんだ!」
「っっっっ!」
声高にそう宣言する男に対し善が様々な感情がごちゃ混ぜになった表情を顔に浮かべる。
「うは、うはは。うはははははは!」
それを見たオーバーの表情はこの上なく楽しいという悦に浸った様子のもので、嬉々とした様子で目の前の人物に対し言葉を紡ぐ。
「楽なもんだったぜ。俺とあのおいぼれの二人で合同の仕事に行った帰りに、疲れてる野郎の背後から心臓一突きだ。
よっぽど疲れてたんだろうな。いや俺の手刀が早すぎたのか? 抵抗する間もなくヨボヨボの老いぼれから心臓を抜き取ってやったぜ!」
まるで自らの悪戯が成功した事に喜ぶ子供のように、自らの行った行為をオーバーは語り出し、
「そしたら死に体のあの爺さんがなんていったかわかるか? 『今ならば、全てなかった事に……』なんて言いだしてよぉ!」
「もういい。おめぇはもうしゃべるな」
それを聞き続けた善が咥えていた花火をへし折り練気を練る。
「!」
その瞬間、セブンスターに所属するだけの実力を備えているオーバーが見たものは、これ以上ないというほど膨れ上がった、怒気を孕んだ青い練気。
「ははっ! ちょうどいい。あんまりにもあっさりしすぎて退屈してたんだよ! てめぇもあのおいぼれと同じところに送ってやるよぉ!!」
それを見ても男は一切怯むことなく、獰猛な笑みを浮かべ腕や足に炎を纏う。
こうして、アイビス・フォーカスや原口善が想像するよりも早く、火蓋は切って落とされた。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます。
作者の宮田幸司です。
という事でいきなりセブンスター同士の対決です。
2章に入って以降、初めての戦いとなるので、作者も精いっぱい頑張れればな、等と思います。
それではまた明日、よろしくお願いします




