第四話
「私をお呼びになったそうで」
孔攸が木蓮宮――璃桃が賜った宮にやってきたのは、さらに翌日だった。
牡丹の宴を五日後に控え、妃達の各宮はどこも落ち着かない。どの女官や侍女たちも、自らの主人が皇帝の目に魅力的に、寵愛を得られるように写ることを目指していて、また妃自身も己を磨くことに余念がない。
それは璃桃の宮も同様で、普段よりも少しだけ浮ついている。
ただし璃桃は別だ。
牡丹の宴でどれ程美しく着飾ったとしても、青鷹から直接話しかけられるのは翠蘭だけ。どの妃も新参者に遅れを取った、と腸が煮えくりかえる思いをし、そして後宮現状第二位の位にある貴妃は翠蘭を深く憎悪する。
だが、璃桃は既に皇帝の寵を得たいとは思っていないのだ。目標は穏便に後宮を出ること。であれば、無駄な波風を立てても良いことがあるとは思えない。
春玉をはじめとした侍女たちに去年と同じ装いで構わないこと、皇帝は華美な装いを気に入らないのかもしれないと方便を交えて伝え、早々に衣装の確認を終えていた。
勿論、物言いたげな女官や侍女を視線だけで黙らせてある。
多分、徳妃や才人などは、こそこそと耳障りだろうが、知ったことではない。
装飾品のみ、新たなものを着けることを約束し、難儀そうに息を吐いたとこへ女官が孔攸の訪いを告げたのだ。
構えることなく入室を許可し、それでも璃桃はやや不満げに鼻を鳴らす。木蓮宮に来るよう伝えてからかなり時間が経っている。
いくら璃桃が悪役令嬢であっても、蔑ろにされるのは我慢がならない。
「――貴方、随分とのんびりしていらしたのね」
僅かに鼻白んだ孔攸だが、ニヤッと笑う。
「私もすぐに貴妃の元に馳せ参じたかったのですが、何分多忙の身ゆえ」
「抜け抜けとよく言うわ。不快よ」
じっと孔攸の目を見て、璃桃はにこりともしないで伝えた。皇帝の後ろ盾があるから罰せられることはない、と知っていて答えているに違いない。
(あの飄々とした仮面、引っ剥がしてやりたいわ)
「本当ですよ? ――それにこれは今朝やっと手元に届いたのです」
孔攸が懐から藍色の布で包まれた、両掌に乗る大きさの包みを取り出した。
璃桃は訝しさに眉をひそめる。
「それはなに?」
長椅子に腰掛けたまま、扇をゆっくりと閉じ掌で玩ぶ。
孔攸と璃桃の距離はそれ程近くはない。
元より、二人の関わりは薄い。
孔攸が包みを恭しく掲げた。春玉がその包みを受け取ろうと身動ぎしたのを、璃桃は良く手入れされた繊手で制す。
「ねぇ、その包みはなに?」
「貴女にお約束したものですよ」
肩を大袈裟にすくめ、孔攸は包みを開いた。中身はなんの変哲もない木箱だ。その蓋がゆっくりと開けられる。
「まさか約束って……」
中にあったのは簪だった。
無数の丸い真珠が涙のように連なる。
璃桃のところからもそのまろやかな乳白色が見て取れる。
目が肥えていて、かつ各地の産業に興味を持っていた璃桃は、微かにオパールのように混じり気のある珠が最上の品であることに気付いた。
「それは西普産の真珠ね?」
河州普県の西、そこでとれる真珠は独特の乳白色が美しい。その中でも、所謂西普産の真珠と呼ばれているものがある。
真円真珠だ。
歪みのない真珠はかなり少ない。天然の貝から採れるものだから仕方ないとはいえ、崩れた形も多い中、綺麗な球体の真珠は貴重だった。
たった一つで上等の真珠が片方の掌分買える。
璃桃であっても、ねだるのに逡巡するような品である。
「貴女にぴったりのものであれば最高のものを、と」
きっと高価であればそれでいいと思っているのだろう。瞬間、眉をひそめかけ、璃桃は自制する。
「――――春玉、誰もこの部屋に来ないようにしてちょうだい。貴女が室の前にいて見ていて」
簪のために人払いをした訳ではない。もしかしたら春玉は誤解したかもしれないが、他人に聞かれるわけにはいかない。
孔攸が唇の端だけで笑う。魅力的なのかもしれないが、今の璃桃には皮肉にしか見えなかった。
春玉が一礼し、室を出て行く。乳兄弟の春玉すら信用出来ないのは、以前の璃桃の怠慢だろう。
だが、迂家のどんな相手にも情報が漏れるわけにはいかない。
それは璃桃の望みに関係なく、孔攸の秘密にとってだ。これから孔攸を味方に引き入れる予定なのだ。ほんの僅かでも、足元をすくわれる要素は残したくない。
「――それをもっと近くで見せてちょうだい」
もしも璃桃が娼館にいたらどんな男でも武者震いするような、蕩けるような笑みを紅い唇にのせる。
「わかりました」
ふ、と孔攸に真顔が覗く。
(……絶対に逃がさないわ)
彼は璃桃側に取り込めるような男ではない。けれど、協力を取り付けることは出来る筈だ。まして翠蘭絡みであれば、攻略対象たちは無視出来まい。
(せめて否定の言葉がなければ良しとしましょう)
孔攸が手を伸ばせば届く距離に詰めてくる。
「ねぇ、陶宦官」
見目の良い、整った顔。少し小首を傾げ、目を細めていかにもな柔和な表情を作る、完璧な造作の裏に、狡猾で計算高い武官の顔を持つことはわかっている。
自分が女性を虜にすることを知っていて、敢えてそう振る舞っている男を、璃桃は手玉に取るのだ。
僅かに震えが扇にうつる。
気力でそれを押さえて、璃桃は婉然と微笑んだ。
「あら? 陶武官と呼んだ方が良いかしら?」
「何を戯けたことを――」
「あら、だって貴方まだ、ついているのでしょう?」
不定期更新です。またサブタイトル短く変更しました。よろしくお願いします。






