美(ちゅ)らん花
私は機上の人となっている。窓から見える空は照り付ける太陽の日差しで、思わず目をほそめてしまう。下を見ればそれまで、キラキラ輝く海ばかりだったのが、陸地が見えてきた。
那覇空港はもうすぐ。普通の高校生なら南国沖縄に来るのは小躍りするくらい喜ぶ(一般的には)はずだろうけど、私の心は晴れなかった。むしろこの日差しがうっとおしいと思えるくらいだ。一般中学生の妹、凛はさっきから身を乗り出し、私側の窓を食い入るようにのぞき込んでいる。「ふう」私は溜息をついた。
めんそーれ沖縄。真理と凛の姉妹は那覇空港へ着いた。手荷物を受け取ると、待ち合わせ場所である空港のレストランへと向かった。そのテーブルにはおじいとおばあがいた。
「おっ、来たか!真理、凛」
真っ黒に日焼けした禿げ頭のおじいが手をあげて二人を迎えた。かりゆしウェアを着て、幾分若く見える。その横で、ニコニコ笑っているのがおばあ。少し腰が曲がって、白髪が目立つ笑顔がチャーミングだ。
「腹へったろ、なんか食べな」
おばあが言った。
「じゃ、ソーキそば!」
凛は真っ先に答えた。天真爛漫な14歳の少女は大好きな姉のことが心配でここまで着いてきたのだった。
「凛は沖縄の食べもん好きさー」
「うん」
屈託なく笑う凛。
「真理は?」
おじいが聞いた。
「私・・・うん、いらない」
真理は16歳の高校生。学校生活に疲れ、軽いひきこもりが出ていた。母や父に勧められて、夏休みの間、おじいとおばあがいる沖縄に預けられたのだった。
「お腹が空いてないの?」
おばあが聞く。
「うん」
「そう」
「うん・・・」
真理は、おばあの視線を反らすように、うつむきスマホをいじり始めた。
食事の後、おじいとおばあは、国際通りや首里城、沖縄ワールドなどの観光地に二人を誘った。が、真理は首を振らなかった。隣には行きたいむくれっ面の凛が恨めしそうに姉を見ている。
おじいは二人を車に乗せると、助手席のおばあに向かって苦笑いを浮かべた。
空港から高速に乗り車を飛ばして30分沖縄北ICを降り、それからうるま市へ。海中道路を横切りしばらく行くと、平屋敷港に着く。それからフェリーに乗り、さらに30分、二人の住む津堅島へとたどり着いた。
津堅島の港から坂を上がった住宅地に、家はある。
二人は疲れていたので仮眠をとった。お腹がすいて、なかなか寝付けない真理はぼんやりと上半身を起こした。隣で凛はすやすやと寝息をたてている。
「お腹へったさー」
テーブルの上にはソーメンが用意されていた。
「おばあちゃん」
「早く、食べなさい。麺がのびちゃうよ」
「ありがとう」
真理は何故か思わず、泣きそうになるのをこらえて立ち上がり、遅い昼食をした。
それから凛が起きると、二人は島を散歩した。少しずつ夕暮れ染まる。真理は昔の記憶を辿りながら歩いていくと、ホートゥガーに着いた。断崖から見下ろす海は、夕日に染められて、オレンジ色にキラキラと輝いている。
「やっぱり、あった」
断崖の階段を降りると神様マカーの祠、二人は手を合わせると、井戸であるホートゥガーを見た。こじんまりした場所だが不思議な感じのする場所である。
「お姉ちゃん、よく覚えてるね?」
「うん、なんとなくね」
真理は幼かった頃、両親と一緒に来た日のことを思い出していた。凜は小さすぎて記憶にない。
「帰ろうか」
姉が言う。
「うん」
妹が頷く。
その夜、真理は夢を見た。それは幼かった頃の津堅島で過ごしていた日々のことだった。幼じみの女の子と遊んだ日々、あの小さい島に二人で手をつないで渡った。帰るときには、道がなくなり、泣きながら島で一夜を過ごした。幼い胸は恐怖で張り裂けそうだった。女の子は真理に心配かけまいとニコニコと笑っている。砂浜で星砂を見つけ、そっと彼女の手の平にのせた。
真理はそこで目を覚ました。全身にうっすらと汗をかいている。タオルケットに潜り込み、二度寝しようとしたが、夢のインパクトが強かったのか、目がらんらんとして眠れない。窓を見ると空が白白としはじめだした。
真理は立ち上がると、凛を起こさないようにそろりそろり外へ出た。
急坂を歩いて下ると、港が見える。朝が早い漁師達の声が聞こえる。津堅港を横目にアギ浜へと向かう。何も考えていないのに不思議と自然に足が進む。防波堤を歩いていると、水平線の彼方に朝陽がのぼってきた。丁度その光に重なり、堤防の先にいる人物がシルエットに見えた。真理は眩しさに目を細める。
影が喋った。
「久しぶり」
「えっ」
思わぬ言葉に返事に窮する。影は真理の方へと歩いてくる。光の焦点がずれ、人物が見えてくる。少女だった。すれ違う際、
「またね」
と、囁いた。少女はゆっくり歩いていく。真理は振り返り、彼女の背を目で追った。
真理は早朝の出来事を考えていた。おそらく私は彼女と会っている。夢の中のあの子だろう。確信があった。ただ名前が思い出せない。○○ちゃん・・・出てこない。
「おねえちゃん」
さっきから、しきりに凛が呼んでいる。
「誰だったかな」
思わず、口に出た。
「ねえ!」
妹が叫ぶ。
「何よ」
「何よって、何よ、さっきから凛が呼んでるのに、ずっと無視しちゃって」
「ああ、ごめん、で」
「遊びに行こうよ。探検、探検!」
「えー、暑いよ、暑い」
「夏だもん、暑いに決まってるじゃない」
姉は妹に無理矢理、外に出された。おじい、おばあからママチャリを借りて島内を一周することにした。ちゃかり凜は港で「島歩きマップ」を手に入れていた。
「まずはニンジン展望台に行ってみよう。島一番の絶景ポイントだってよ」
「はあ」
真理は無気力に答えた。
「それでは、レッツゴー!」
不親切な看板を頼り、少し入り込んだ、小高い場所に展望台はあった。
「私、ここに来たことあるな」
「また、おねえちゃんだけ」
「・・・・・・」
凛も来たことがあると真理は言いたかったが、それは赤ちゃんの頃だからと思い出し、あえて口をつぐんだ。
ずん胴の少し色あせたニンジン型の展望台。思ったよりも高くなく、螺旋の階段をのぼると屋上へ出た。風が強く吹いている。二人の麦わら帽子が飛ばされそうになる。外を見れば沖縄ブルーの海。
「わあ!」
凜は歓声をあげた。
ただこの場所は、展望台の他には目の前に公衆トイレしかなく、滞在時間はおよそ10分という短さで、二人は自転車をこいでいた。
トゥマイ浜に訪れた。目の前に広がる白い砂浜と美しい海。海には水上バイクや大きな浮き輪、バナナボートが浮かんでいる。砂浜にはビーチパラソル。若い男女がシュノーケリングを楽しんでいる。それまでの島の様子とは打って変わってのゴージャスなリゾート地だ。
「わぁ、おねえちゃん、楽しそうだね」
「そう?」
「そうだよ。あーあー、水着持ってくれば良かった」
「ここで泳ぐの?」
「?他にないよね」
「いやー、恥ずかしいわよ」
「なに言ってんの、私達もギャルよ、ギャル」
おませな凛の言葉に真理は一瞬、目を閉じた。すると、隣に人の気配を感じる。
「そうさー、せっかく、ここに来たんなら、泳がな損、損」
振り返ると、全身真っ黒に日焼けした少年が白い歯を見せて笑っていた。
「俺、武藤佐為」
(いきなり、名乗ってるし・・・)
真理は佐為の積極的な行動にドン引きし身構えた。
「お前、可愛いね」
(南国の男はこうも情熱的なの)
真理はあたふたと固まってしまった。
「駄目だよ。おにいちゃん、うちのおねえちゃんは、こういうの苦手なの」
凛が困っている真理の間に割って入った。
「そうなの?」
「そう。おねえちゃんには、じっくり行かないと」
(なに言ってんの、この子・・・)
「わかった。そうする」
「お願いね」
凜は佐為に向かってウィンクをする。彼は親指をたててサムアップポーズをした。
真理は顔を真っ赤にし駆けだす。
「ちょっと、待ってよ~おねえちゃーん」
真理はママチャリを爆走させていた。急いで追いかける凛の姿がかすんでいた。
「まったく信じられない!」
独り言を叫び(凜は遠くで聞こえない)曲がり角へと入っていく。鬱蒼とした森の中へ進んでいくと小さく開けた場所があった。自転車を止める。怒りに任せてこいでいたから、ブレーキをかけた途端に後輪が浮き上がる。慌てて自転車から離れるとチャリは横倒しになり、一メートルほど滑った。
「もう!」
自身にも苛立ちを覚え、真理は空を見上げた。深呼吸をして自分を落ち着かせる。
「ふう」
(ここも来たことあるな)
冷静になると見えてくる。地図で確認すると、中ノ御嶽をしめしている。
御嶽は沖縄でいう聖地。石碑の前には少女が祈りを捧げていた。真理は後ろ姿で分かった。夢の中と朝出会った少女だと。
ただ一心に祈っている少女は崇高な近寄りがたい空気を醸し出していた。そんな彼女に真理は見とれてしまう。
ほどなくして真理の袖が引っ張られる。凛が追いついたのだった。ふくれっ面をしている。
「おねいちゃん!」
「しーぃ!」
静寂が破られ、そこにいた森の鳥たちが一斉に飛び立つ。
少女は背がぴくっと驚きで動いたのち振り返った。真理と少女の視線が合う。少しの沈黙の後、少女の笑顔。
「あら、真理」
(やっぱり彼女は私を知っている)
「久しぶり」
知っているけど、曖昧なので、知ったテイで真理は返す。少女はくすりとまた笑う。
「忘れていたと思ったけど、私のこと覚えていた?」
「うん、でも・・・」
真理はこの場で何度も幼い時の記憶をたぐりよせてみたが、鮮明な夢の出来事しか思い出せないでいた。
「まあ、無理もないわね。津堅を離れたら忘れちゃうよ・・・うん。私は和子、安里和子よ」
「ワ・コ・・・」
懐かしい響きをもった名前だった。真理は自然と涙がでていた。幼い頃、二人で遊んだ記憶が次々に溢れ思い出してくる。
翌日から真理は和子と一緒に過ごすようになった。巫女である彼女と御嶽でお祈りをした後は、トゥマイ浜で佐為と合流し海遊びを楽しむ。聞けば和子と佐為は同級生だった。凛は真理に引っ付きみんなと遊んでいる。
真理は見る見るうちに活発な女の子へと変貌していった。それまでの出来事が嘘のように・・・。
そうして10日が経った。四人はいつものようにトゥマイ浜で遊びシュノーケリングを楽しんだ後、近くの神谷荘の食堂でかき氷を食べていた。
「いやー、今日も焼いたサー」
佐為は真っ黒に日焼けした肌を自慢げに見せ、白い歯を見せて笑った。
「佐為君、あんまり変わってないと思うけど」
真理はかき氷を一口食べると、スプーンを彼にむけた。
「そうかな」
佐為は自分の腕をまくって見せた。
「佐為は本当に自分好きよね」
和子は呆れたように言った。
「そんなことないサー」
「あるわよ」
と和子。
「ねぇ、おねえちゃん」
凜は真理の手を引く。
「そうそう」
姉は友達との会話に夢中だ。
「それにしても」
佐為はむんずとアンマー特製の巨大サーターアンダギーを掴むと頬張った。もぐもぐさせながら、
「真理、元気になったな」
「そう?」
真理ははにかんで笑った。
「そうね」
和子は優しい笑顔を見せる。
「そうじゃないもん!」
凜が突然叫んだ。
「凛・・・」
「私のおねえちゃんは、そうじゃないもん!」
「凛、どうしたの?」
「おねえちゃんは、忘れようとしているだけでしょう!」
「何を」
「何をって、高校生活だよ」
「・・・・・・」
「逃げてきたくせに」
「凛!」
パシッと乾いた音が食堂に響いた。真理は妹の頬をはっていた。怒りに任せて頬をはたいたことに我に返り、はっとなる少女。
「私、おねえちゃんのこと、ずっと心配していたのに」
「・・・・・・」
「バカ―!!!」
凜は駆けだして去っていった。
真理はトボトボと家に帰った。部屋には西日が射していた。凜はまだ帰ってきていないようだ。床にごろんと転がり目を閉じた。
「ばあちゃん、凛帰って来た?」
そのままの姿勢で夕飯の支度をするおばあに聞いた。
「まだ帰ってないよー」
真理は一抹の不安を覚えた。それから一時間が経っても、妹の帰ってくる気配がない。陽が沈みはじめ、辺りは薄暗くなりはじめた。
真理はおじいと凛を探しに出かけた。外は夜のとばりが降り、真っ暗となっている。懐中電灯を照らし、妹がいきそうな所を探したが見つからない。おばあは近所のみんなにふれ、島一同が凛を探している。和子も佐為も一緒になって捜索した。三時間が経ち、夜の十時を回った。一旦、捜索は打ち切られ真理達は家に戻る。
食卓には四人分の夕食が置いてある。が、とてもそんな気分じゃない。
「真理」
外から呼ぶ声がした。
「ちょっと行ってくる」
「はい、きをつけて」
おばあが優しく声をかける。
「うん」
おばあの言葉に頷き、真理は家を出た。玄関に和子がいた。開口一番。
「真理!」
「ん?」
「たぶん、凛ちゃんはあそこだと思うの」
「あそこ?」
「行ってみよう!」
「うん」
真理は力強く頷いた。
自分の家に戻った佐為と合流し、彼の船頭する自転車の後ろに続き二人も島内を疾走する。暗くて狭い道を自電車のライトだけを頼りに進む。地元の人間、佐為は慣れたものでスイスイ走らせる。暗闇が真理の不安を一掃掻き立てられるが、二人がいることでとても心強い。
30分くらい走ったろうか、三人は息を切らせながら浜辺に出た。
「ヤジリ浜サー」
佐為は呟いた。
「あそこ」
和子は指をさした。夜闇に眼慣れした真理は、月明かりに照らされた小さな島を見た。
「アフ岩よ。今日の夕方は大潮だったの」
「大潮?」
「島に渡る道が出来るのサー」
「じゃあ・・・」
「多分、凜ちゃんはあそこにいる」
「でも、どうやって」
道はすでになく、眼前は海。泳いで島に渡るには距離があるし、風も強く、押し流されるのは分かりきっている。
「私は島の巫女よ。御免、佐為持ってきて」
「はいよ」
佐為はそういうと浜の先へと消えていった。しばらくして、ロープを引っ張りながら一層の小舟を持ってきた。
「行きましょう」
和子は駆けだし、真理も走り出す。
「佐為、ありがとう。ここでいいわ」
「おう」
「風が今日は強いから、この辺りかな。みんな乗って」
三人は小舟に乗り込んだ。船の中から竿を取り出し、和子はデッキの上へ立ち上がる。
「いくよ」
和子は海中へ竿を一刺し、力強く漕ぎ出す。
「ワコ、大丈夫なの?」
「・・・・・・」
彼女の目は真剣で島の一点を見つめ集中している。額には汗。細い腕で懸命に漕いでる。真理は手を組み、胸に当て祈った。思いの外風が強く、到着直前で舟は島の外側にずれた。
「くそっ!」
佐為はロープを掴んだまま海に飛び込み、泳ぎ引っ張って、島の浜に舟を引っ張りあげた。
「なんとか着いたサー」
佐為は白い歯を見せ、サムズアップした。
「りーん!!」
真理は力の限りに叫んだ。
「おねえちゃーん!」
凛の声が聴こえる。彼女は声のする方へ駆け出した。
森の木々をかき分け、懸命に声がする方へ。そして・・・。
二人は抱き合った。二人はずっと泣いていた。
後から追いかけてきた。和子と佐為は顔を見合わせて笑った。
ヤジリ浜に四人はいた。今日のこの場所は誰もいない。プライベートビーチ状態だ。真理は思い切って、白いビキニの水着を着て、はにかむ笑顔を見せている。凛はスポーツタイプのピンク色の水着を着て、波間を走っている。和子はブルーのワンピース水着、大胆な水着の真理をじっと見つめ感心している。佐為は緑のビキニパンツで自分の自慢の肉体をひけらしている。
照りつける太陽と青い空。そして澄んだ海。四人は時間を忘れ思いっきり遊んだ。
真理は白いワンピースに麦わら帽子。凛はピンクのワンピース。
島を離れる日がやって来た。フェリーに乗り込み、見送りに来た和子、佐為、おじい、おばあに手を振る。
真理はすうっと息を吸い込むと、叫んだ。
「私、来て良かった!みんな、ありがとう!」
みんな笑顔だった。
「わたしもー!」
凛も大きく手を振る。二人はみんなが見えなくなるまで手を振り続けた。
また、会おうね。
私は強く思った。
これからの日々も私は生きる。
完