【異世界勇者最強伝説】
彼の英雄譚を書くとして盛り上がりの絶頂を考えるなら、これから繰り広げられる戦いしかないだろう。
荘厳な宮殿の最深部で、勇者は目の前の玉座に座る男を静かな面持ちで見つめていた。
息を吸い、吐く。真っ赤に染まった聖剣に、自身の手に、震えが無いか確かめる。
これが、勇者の旅の集大成。世界を救う遥かな旅路の、最後の務めだ。
そんな勇者を冷ややかな目で見つめる男。彼が抱えるのは、お伽噺で勇者が最後に相対し、打ち倒す者の称号。
「お前が、魔王か」
万感を込め、勇者はそれを呟く。
玉座に座る男は、答えを返さない。ただ、勇者を見つめるのみだ。
それを是と受け取った勇者は一歩、前へ踏み出す。
勇者と魔王の決戦。人か魔か。世界は誰の手に在るべきなのかを決める戦い。
「これで、終わるんだ。人の世界が救われて、俺は、家に帰れる」
その場に至って、勇者はまるで走馬灯のように過去を思い返す。
こことは違う世界で、ただの人間として生きていた。人が死ぬなんて、寿命以外では突発的な不幸があるくらいで、大多数が生を当たり前のものとして享受していた。世界とは、命とはそういうものなのだと、疑問を抱く事もせずに彼は日々を過ごしていた。
でも、ある日彼が目が覚ました時に立っていたこの世界では、違った。
何も分からないまま大自然に投げ出された彼を拾い、村まで連れていって言葉を教えた老夫婦は、ある日胴の中が空っぽになって林道にうち捨てられていた。
年上のお兄さんが来た、とはしゃいで棒切れを振り回していた男の子は、ある日体のいたる場所に槍が突き刺さった状態で帰ってきて、次の日に息絶えた。
肉体労働に慣れていなかった彼がよろめきながら斧を振るって薪を割るのを眺めて、囃し立てはしたもののいつも彼に水筒を手渡していた溌剌な少女は、ある日攫われ、そして救われた日の夜に自分の腹に剣を突き立て、身に宿していた何か諸共、死んだ。
突如として世界の果てより来襲した、数えるのも億劫になるほどの魔が、人々を殺し、遊び、犯し、食らい、蹂躙した。
人の世界を守らんと、反目していた、支配していた、されていた、大きいも小さいも、全ての国家が手を握り、これに挑んだ。だが、相手は人智を超えた怪物だった。
人の生きる領域は、次第に狭くなっていく。
神に祈りを捧げた。結果は伴わなかった。だからこそなのだろうか。人々は信仰に傾かず、あらゆる手を尽くした。そして、異界より救世主を呼び出し、特別な力を与える術式を完成させた。
……というのが、辺境の小さな村に突然やって来た王都からの使者にわけもわからぬまま連れられた彼が、歴史の教科書で読んだそのままの豪奢な衣装に身を纏った王に、その傍に控える美しい姫に語られた、この世界の現状だった。
無理だ、と顔を青くして首を横に振る彼に、王は説明する。
貴方には我ら全ての祈りが、神では無く人に向けた希望が、魔への憎しみが込められているのだと。
――魔を殺す度、その力が増していく異能。
ただの平和な異界の一般人である彼が人類全ての切実な祈りを、正の感情も負の感情もない交ぜになったそれを抱えて戦う理由が、そこにあった。
彼は恐ろしかった。生き物を殺した事なんて、幼い頃の無邪気な残酷さのままに振るったものか、そうでなければ小さな、嫌悪の対象である害虫くらいのものだった。
だが、同時に誇らしく、そして使命感もあった。
彼の生きていた世界では、特別な一つ、になど一握りしかなれず、多くは容易く代替可能な部品も同然だった。特別優秀、というわけでもなかった彼もそうなるのだろうと考えていた。
しかし、今のこの状況はどうだろうか。自分の肩に、何万何億……かはわからないが、世界丸ごとの命が乗っている。この世界の人々にとってはもはや彼しかいないのだ。
加えて、彼は恩を返したかった。復讐をしたかった。あのまま死を待つだけだっただろう自分を助けてくれた、暖かく接してくれたあの人達に。そして、彼らを奪った魔に。
かくして、彼は剣を取った。各国は戦線を押し留めるのに必死で、英雄の卵にろくな支給もせず。
棒切れも同然の錆びた剣とそこいらの村人と何ら変わらない衣服、数日程度しか持たないであろう身銭を抱え、勇者は遙かな旅路へと踏み出した。
最初は、魔物を一匹殺すのも一苦労だった。勇者の肉体は当時はまだ普通の人間とほぼ変わらなかったという理由と、大きな生き物を殺す精神的な忌避感から。
ぴくぴく痙攣し必死に生にしがみ付かんとするその姿に嘔吐し、夜にはその最期の顔が夢に出る。
人々は噂した。本当に、こんなのが世界を救う英雄なのかと。
だが、その評価は即座に覆る事となる。
勇者の身がその真の力を発揮するのと、魔物を殺す事に慣れ忌避感が消失したのはほぼ同時期の事だった。
人間の生活圏に侵入してくる、害意のある魔物だけを狩っていた勇者は、積極的に魔物の領域へと踏み入り、これを切り払っていく。
魔王軍直下の幹部の一人を決闘で切り倒したその時、その力を疑う者は誰もいなくなった。
西の軍国の騎士団長の青年が、仕えるべき主君として同行を申し出た。
北の大国の若き天才魔導士の少女が、衝突の果てに友好を結び、友として同行を申し出た。
東の法国の大聖女が、勇者の背に神の姿を見て、その旅の結末を見届けようと同行を申し出た。
頼れる仲間を手にし、日に日にその力を増していく勇者をもはや止められる魔はいなかった。
かつて魔がそうしたように、瞬く間にその勢力圏を削り取り、押し込んでいく。
いよいよ魔王の城に攻め入ろうというこの時、勇者の力は極限に達し、あらゆる攻撃で傷一つ付かなくなっていた。
そんな勇者の隣には、もはや誰もいなかった。
魔。人間を超越した存在。人間の世界に進出してきた下等種はともかく、真に魔の領域に住まう上位者たちは、人間という種族が及ぶ存在では無かったのだ。
そう、ここにただ一人立つ勇者を除いては。
騎士団長を国に伝わる伝説の鎧ごと無残に噛み砕いた邪竜の牙。勇者は蚊にさされた時程の痒みも感じなかった。
魔術師の命を代償とした究極の魔法を容易く弾いた怪魚の鱗を、勇者が振るった剣はバターのように切り裂いた。
大聖女の結界を秒と経たず破壊しその体を焼き尽くした魔人の術は、勇者にとっては遙かな故郷の夏の日差しよりも穏やかなものとしか思えなかった。
仲間達を失った悲しみに涙を拭い、勇者は魔王の城へ孤独な突貫をかける。
立ちふさがる魔物を、やあ我こそは魔王軍幹部などという名乗りを聞く事もせず一撃で切り倒し、魔王の間へと駆ける。
そしてたどり着いたのが、今この決戦の場だった。
魔王が、ずるりという暗い闇の気配を纏い立ち上がる。
「……人か、魔か。どちらに最初の責があったかなど、最早論ずるまい」
静かな魔王の言葉に、勇者は怒りを覚える。何を。自分が大好きだった人達を、この世界を蹂躙したのは、お前達じゃないか。自身の経験と王の語った話。魔に責があるのは明らかだと勇者は認識していた。
「明日を迎えるのは、いずれか一方のみ。ゆくぞ、人間」
仰々しい名乗りも無く、戦いは始まる。魔王は自身の腕に黒い球体、人間という種族では到底不可能な凄まじい量の魔力が凝集したものを生成する。そして。
「……死ね、魔王」
その上半身と下半身は、勇者の剣の一振りにより分かたれ、赤色の血を撒き散らしながら崩れ落ちた。
「……、ふ、やはり、及ばぬか」
慈悲は無く。魔がこれまで人にそうであったように。末期の言葉など聞いてやる事はせず。魔がこれまで人にそうであったように。勇者は、皮肉げに笑う魔王の首に向けて、剣を振り下ろす。
「だが、タダでは死なんぞ……!」
しかし、ここで魔王から放たれた波動が勇者へと襲い掛かる。それは勇者の全身を包み込み。
……何の傷を与える事も無く、勇者の剣を止める事もなく、その首は刎ねられ完全に動きを止めた。
「……」
勇者は背を向け、魔王の間を後にする。不思議と、感慨は無かった。
「おお……魔王様……勇者、貴様ァ!」
ただ、どの道感慨に浸る事はできなかったであろう。
勇者の前に、蜥蜴が人型になったかのような姿の魔が怒りの形相で立つ。
魔王の軍を構成する一般的な魔物だ。
勇者に向けその手に持った剣を振り上げる、という動作をする事もできず、その身から鮮血が迸り、地面に崩れる。
もはや、魔の兵士など道端の小石程の障害ですらない。
「ク……ソッ」
最後の抵抗とばかりに、その強酸の唾を勇者の脚に吐きかける魔。
勇者はそれに構う事なく、王城を後にした。
王都に帰ろう。
途中で、これまでお世話になった村に立ち寄って、まだ魔は暴れているはずだ、奴らを狩って。
最後には、皆のお墓の前で報告をして、それで、故郷に帰ろう。
今後の旅に想いを馳せ、魔王が死んだ影響により晴れ渡った青空を眩し気に眺める。
そんな彼は、自分の脚に小さな水ぶくれができている事に気付く事は無かった。
なまえ:●●●●
しょくぎょう:ゆうしゃ
ぶき:でんせつのけん
よろい:でんせつのよろい
たて:でんせつのたて
HP:998/998
MP:998/998
こうげき:998
ぼうぎょ:998
すばやさ:998
まほう:998
【ゆうしゃ は まおう を たおした!】