『ドグラ・マグラ』争奪戦〜万能の魔導書が欲しいんだ?〜
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――何人来たってこの本だけは渡さない。マヌケどもめ、しつこいぞ!
――くだらない噂に惑わされて、こんな本なんぞに群がって。
――まあ、でも、仕方ない。仕方ないから相手してやる。私は番人、『ドグラ・マグラの番人』だ。精々惑え! 迷って狂え!
勿論お前らもだぞ。惑え惑えよ、戸惑面喰に――
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「オイ、そこのガキ!」
今日もスラム街の一角に怒鳴り声が響く。ただし、今日の声の主は見かけない顔の大男だった。
「なに?」
気怠げな返事は少女のもの。端正な顔立ちの少女。衣服もスラムにいる割には綺麗だ。
「お前『ドグラ・マグラ』って本、知らねえか?」
対する大男はあからさまな悪党。撃鉄が下りた2丁拳銃のトリガーに指をかけている。
「知ってる」
「本当か?」
「さっきのお客さんにも同じ事聞かれた」
「客? ああ、お前娼婦か。分かった、話せ」
悪党は、小綺麗さから少女を娼婦だと考えたらしい。その少女に2つの銃口を向けた。
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「つまり、お前のさっきの客も『ドグラ・マグラ』を追ってた上に、偶然場所を知ってたお前がそいつに話しちまって、俺達は絶賛大ピンチって事か?」
「大ピンチ?」
「あ、いや、お前は関係ねえ。マズイな。分かってるよ。ああ? うるせえな」
男は何やらぶつぶつと言っている。
「……よし、確かにお前は関係ねえが、案内してもらおうか。お前ならそいつがどこ行ったか分かるだろ」
「お金くれる?」
「さあな」
もはや清々しい笑顔で男は銃口を向け直した。が、少女が差し出した左手を見て全力で嫌そうな顔をした。
「何のつもりだ」
「握手。これからよろしくって事」
「ああん? 見ろ。両手が塞がってて無理だ。さっさと案内しろ」
少女は無表情のまま数秒硬直した。まさか悪党と握手したかった訳でもないだろうが。しかし、すぐに何もなかったように踵を返して歩き始めた。背中に拳銃を突きつけられたままで。
この状況下で、少女はまだ口を開く。
「じゃあ、自己紹介。歩きながらでもできる」
「はあ? 何がしたいんだお前。状況分かってるか?」
拳銃がどれだけ強く背中に押し付けられても、少女は気にせずただコクリと頷き、勝手に自己紹介を始めてしまった。
「私、ルマ」
それだけ。ルマはただスラム街の奥へ進んでいく。男はその続きを待ったが、ルマの自己紹介はそれだけらしい。気紛れか、男も応えた。
「あー、俺はドッグだ。犬じゃねえぞ。なんだよ? 別にいいだろ名前ぐらい」
「わかった、ドッグ」
名前の可笑しさには触れずルマはまた頷いた。自己紹介を終えた2人はひたすらに進む。まるで恋人同士のように。
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しばらくしてドッグは黙って歩くのに飽きたのか、両手をぶらぶらさせルマに話しかけた。
「そういやお前、なんで『ドグラ・マグラ』を知ってんだ? 娼婦なんかには一生縁のないモンなんだがな」
「……噂になってる。スラムの皆知ってる。『何でも願いを叶える魔法の本』だって。皆探してる」
「ふうん、人生一発大逆転狙いか。それで、お前はなんで場所まで知ってんのに手に入れようとしない。そんな事やらなくてもよくなるぞ」
ルマはわざわざ振り返って問い返した。
「どういうこと?」
ドッグは少女の眉間に銃口を突き付けた。
「いいから。前向け」
ドッグは再び歩き始めた目の前の少女に軽蔑の視線を送った。フンッと鼻で笑ったくらいだ。本人の責任ではなくても、その無知と愚かさはドッグにとって見下すのに十分だった。
(目の前のチャンスをむざむざ逃すなんて馬鹿のやる事だ。俺ならもうとっくに手に入れて逃げてる。惜しいな。その幸運、俺ならもっとうまく使うぞ)
アレを手に入れるのは俺だと悪党はほくそ笑んだ。
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「そこだな?」
ルマが向かう先にある四角い建物――元は商館か何かだったのだろう。他よりも一段背が高く豪華な建物にドッグは目をつけた。
「そう。なんでわかったの?」
「なんでって……あれは誰でもわかるだろ」
ドッグには、元商館が渦巻く瘴気を纏っているように見えていた。黒紫の霧に覆われた建造物から漂ってくる寒気。ドッグはこみあげる震えを抑えつけた。
「やっぱりやめとく?」
首を傾げ見上げるルマ。しかしドッグは笑い飛ばす。
「ハハッ! まさか! 俺にはどうしてもアレがいるのさ」
「そう」
「お前も覚悟はいいか……いくぞ」
ドッグとルマは『ドグラ・マグラ』のありか、決戦場となるであろう建物に足を踏み入れた。
――後戻りという選択肢は、無い。
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「何だもう来たのか、待ちくたびれたよ! 初めまして私はマーダー! よろしく殺しあおうじゃないか!」
商館の2階にいた小男はマーダーと名乗った。歯を剥き出しにしてギラギラと笑い、目ン玉をギョロギョロ回していて少しも落ち着かない。しかも唾を吐き飛ばしつつゲラゲラ笑っている。
「気味悪ィ。あいつか? さっきの客ってのは」
「間違いない」
「そうか」
ドッグは冷静にマーダーの顔面を狙った。しかしマーダーは避けようとしないどころか、余裕綽々で口を開いた。
「ルマぁ、案内ご苦労だったなあ! お陰で邪魔者を1人喰えるぜ」
「は?」
驚いて首だけ向けると、そいつは何でもないようにこう言った。
「マーダー、後は任せる」
「な、裏切ったのか⁉︎」
「裏切ったァ? ルマが一度でもお前の味方になるなんて言ったか? そいつは案内しただけだろうが」
「うるせえ」
何の前触れもなく、会話の途中だったにも関わらず、ドッグは手を大きく後ろに振りかぶり、勢いよく拳銃を投擲した。
「がッ、ガァ?」
「馬鹿が」
拳銃はほとんど直線を描いて飛んだ。ゴスッという鈍い音の後、奇っ怪な呻き声を残して倒れるマーダー。ある程度の重量をもつ物体が頭部に直撃、前頭部陥没骨折、即死。それは科学も魔法も関係ない。ただの、物理法則であった。マーダーはあっけなく死んだ。
「まあいい。何でもいい。お前らがグルだろうと何だろうと。最終的にアレが手に入るなら何でもいいさ。あ? 何のつもりだ?」
「動くと撃つ」
ルマは、ドッグが喋っている間に拾った拳銃を持ち主へと向けた。
形勢、逆転。
「ふうん? ホントに敵だったのかお前。どうでもいいが。それじゃ、やってくれ。ガラ《・・》!」
ピカッと、まるでドッグのセリフに反応するようにルマが持つ拳銃、もう一方の拳銃、その両方が閃光を放ち、ルマを吹き飛ばした。無論、光に質量はない。ルマは蹴飛ばされたのだ。
そこには三人目の登場人物が腰に手を当て仁王立ちしていた。
再逆転だ。
「偉そうだなドッグ! 助けてやったんだから礼ぐらい言えよな!」
「はっ! 俺の作戦通りだ! 遠慮しとくぜ」
勇ましいポーズとは裏腹にガラと呼ばれた人物は小柄な少女だった。どうみてもルマより幼い。幼児と呼んでもいいぐらいだ。
「オイ起きろ!」
ガラは気絶したルマの細い首筋に、小さな両手を押し当て揺さぶった。
「チェックメイト。これで俺達2人は『ドグラ・マグラ』を手に入れる。そいつが持ってないって言うなら他を当たるだけさ。どっちにしろそいつは娼婦とはいえ俺達を騙した。だから――
殺す」とドッグは言うつもりだった。しかし、気が付くと口を閉じていた。突然体の所有権が奪われる感覚。そして、なぜかガラが眼前に背を向けて直立している。
「ご~~か~~く!」
異常に陽気な声がした方には、気を失っていたはずの、ただの娼婦のはずのルマがそこに立っていた。スラムには似つかわしくない豪奢なドレスを着た少女がそこに。
「ずっとトリガーに指かけてるから銃自体がフェイクなのは分かってたし、妙なひとりごとが多かったから誰かいるのは分かってたけど、なるほどね! 銃のフリした化物を飼ってたんだ! なるほどなるほど!」
いつ着替えた? 体が動かない! 口も開かない! 頭がボーッと――
異状の中、豹変したルマ以外の誰もが動けず、何が起こっているのか、理解できなかった。
「マーダーもいい相棒だったんだけどね。ちょっとルマに犯されすぎて脳がイっちゃってさ。ありがとね! ゴミとはいえ味方を直接殺すのは忍びないもん。ついでに次の相棒も探せるし!」
マーダーは相変わらず死んでいるが、首が無い。死因は陥没骨折ではなさそうだ、頭部なんて付いていないのだから。いつから死んでいた?
何が起こっていた? そもそも何か起こったのか? 俺達は何をした? こいつは誰だ?
――もしかして夢?
「正解ご名答その通り! なんと夢オチ! あなたはマーダーを殺していないしルマは気絶していない。ルマは裏切ってないしあなたの勝ちじゃない。でも結果は同じだからご安心を。マーダーは死んで、次話から何事もなかったようにドッグルマガラの3人で旅に出ます! あのくだらない本じゃなくてルマだけのためにね」
ふざけるなよ! どこからが! 俺は 私は アレのために!
ドッグの脳裏に黒紫の霧がちらついた。
「怒らないで。ほら!」
ルマの左手には一冊の本――書名は、
ドグラ・マグラ!
「私は『ドグラ・マグラの番人』。欲しいなら奪えばいい。起きた時に覚えてたらね」
【暗転】
――次回、矛盾だらけの夢の続き。『忌屍姦』お楽しみに!