どうしても衝動が止められない
「どうしてこうなった?」
あ、どうも。はじめまして。私の名前はハーゲー・アッガールと申します。由緒正しき商人の家系であり、ご先祖様は違う世界からやってきた勇者様を支えるために活躍されたそうです。そして、その功績で王室御用達に命じられ、私の代まで8代に渡って栄えてきました。
栄えてきました。
そう、過去形なのです。只今、私が絶賛大ピンチ中なのです。危険水域オーバーです。どのくらいピンチかと言うと、私の大事な頭部が縦横無尽に蹂躙されているのです。豊穣な大地である側頭部や後頭部ではなく前頭葉部分から頂上にかけて、ぺんぺん草くらいしか生えていないオリハルコンよりも貴重な(当社比)髪の毛が抜けていっているのです。
「さようなら。ヨーデル。ステファン。アストロ。コウディー。エミング」
次々と抜けていく髪友に別れを告げている私に、諸悪の根源、神聖なる邪悪な魔王、傍若無人の神見習い、悪魔なデストロイヤー、無邪気な恐怖少女、人類最悪の極悪勇者、断崖絶壁な大草原の小さな――
「なに? なにか変な事を考えていない?」
ああ……。ステファン――は先ほど別れを告げましたな。あれはジョファン! くぅぅぅ! 彼との付き合いは10年以上もありましたのに。嘆き悲しんでいる私など気にせず、私の貴重な髪の毛を弄り回している少女が話しかけてきます。
くっ! 本当なら私の貴重な友を蹂躙している少女に文句どころではなく、宣戦布告や聖戦も辞さないのですが、いかんせん相手が悪すぎます。残念ながら私は引きつった笑みを浮かべながら答えました。
「いえいえ。なにをおっしゃいますか。勇者様に変な事を考えるなどありえませんよ。この度は荷馬車の危機を救ってくださって本当にありがとうございました」
「そんなの別にいいよー」
そうなのである。
この少女は異世界からやってきており、しかも救国の勇者なのである。先日も四天王の一人である火の魔将を打ち倒して凱旋したばかりである。しかも、その際に生命線と我が商会で呼んでいる荷馬車大隊が襲われているのを、勇者様が獅子奮迅の活躍で守ってくださったのである。
「本当にハーゲーさんの頭って気持ちいいよねー。ツルツルしてて、ほど良く髪の毛があって変化も楽しめるもの。これは至高の頭部よ。誇っていいわよ、ハーゲーさん」
頭脳を誇った事はあっても、頭部のツルツルさを誇った事なんてありまえせん! しかも我が家系なのか、アッガール一族の男性は30代前半から徐々に薄くなり始め、40を超えるころには――ミスリルを山積みにしてエリクサーを購入して、回復を試みても効果のない焦土が出来上がってしまうのです。いや、エリクサーで試した事はありませんよ? ですが、私は仲間を大事に慈しんで共に歩んできました。その大事な仲間に。大事な仲間に水平線のような直線な体形を持つ――おっと殺気が漲ってきましたね。相変わらず勘だけは鋭い。さすがは勇者様です。
「それで勇者様は――」
「洋子だよ」
「それで勇者様は――」
「洋子」
「勇者――」
「よ・う・こ」
「それでヨーコ様はなぜ私の頭部をまさぐっておられるのでしょうか?」
「え? 気持ちいいからだよ! 初めてハーゲーさんと出会って、背後から頭部を見た時に胸の高鳴りを覚えたもの。サバンナの草原のように雄大な大地。そこにそびえ立つバオバブの葉っぱのような髪の毛。輝けるモントス神原みたいな頭皮。もう最高だよね。いつもは触らせてくれないけど、今回は荷馬車大隊を救ったから無理を聞いてくれるかなって」
サバンナなる草原は知りませんが、神が住むと言われているモントス神原のようだと呼ばれるのは、本来なら喜ばしい事なのでしょう。さらには勇者様を名前で呼ぶ栄誉を賜った私は、髪の敵である勇者様の言葉通りにヨーコ様と言い直します。
苦虫を潰した顔をしている私に気付かず嬉しそうにしながら、なにが楽しいのか。本当に何が楽しいのか! 私の貴重な貴重な貴重な髪がギリギリ茂っている頭部をなで回し続けます。
さすがに我慢の限界です。
「ヨーコ様。そろそろ止めて頂けますでしょうか! 私の大事な髪が――」
「危ない!」
ひぎゃぁぁぁぁぁぁ! しびれを切らして止めるように伝えようとした矢先。ヨーコ様が叫ぶと同時に私の後頭部を掴んで後方に投げ捨てました。もう一度言います。ひぎゃぁぁぁぁぁぁ! 後頭部ですよ! 後頭部。そんな場所をわしづかみにして放り投げたのです。
さすがに怒髪天を衝く気持ちに――いや、髪はないですが、激しい怒りをぶつけようとした私の目の前を紅蓮の炎が通過していきました。思わず硬直した私の耳に、不愉快な笑い声と共に羽ばたく音が聞こえてきます。
「なっ、お前は倒したはずよ! 火の魔将!」
「はっはっは! 今世の勇者は本体と分体の区別もつかぬらしい。アレは私の残像だ。四天王と呼ばれる魔族が簡単に倒されるわけなかろうが」
「もう1回倒せばいいだけでしょ! 『紅蓮の炎よ! 彼の敵を打ち倒さん』前と同じように火の魔法で倒してあげる」
「無駄だ! 我は四天王の中でも火を司る。分体ならともかく。本体の我を、そのような脆弱な魔法で倒せると思うな!」
ああ……。な、なんと言う事でしょうか。終わりです。もう終わりです。
「ふははははー。自分の無力を嘆きながら朽ち果てるが良い」
「くっ! ハーゲーさん。せめて貴方だけでも逃げて!」
「はっ! 逃がすと思うのか? 貴様から戦う力を奪った後に、目の前でこの小太りの男を嬲ってやるわ。お前の大事な仲間のようだからな。何も出来ない状態で――へぶぅれうぅぉぉぉ……」
ふざけるなですよ。私の大事な本当に大切な30年も連れ添ったセバスチャンを焼き切るとは! 怒り任せの私の拳を受け、転がった四天王が立ち上がりながら鼻血を流して睨んできます。怒っているのはこちらです。火の魔将を半眼で睨み返すと「ひぃぃぃ」と情けない声を出しながら、後退りをしていきます。
「な、何者だ。この殺気は只者ではないな――だぶりっしゅぅぅぅ!」
「ハーゲーさん……。貴方は――めそぉおぽたぁぁみぃぃあぁぁぁ!」
後退りを止め、鼻血を流しながらニヒルな笑みを浮かべて私を見ている火の魔将に、イラっとした私は再度全力で殴りつけます。そしてセバスチャンとの思い出に浸りつつ、二度と復帰出来ないレベルでボコボコにしようと歩み始めた私の前に立ち塞がった何者かもついでに殴りつけます。
けっして勇者様だと気付いたからとか。今までの恨みを晴らしたいとかではないですよ。偶然に拳が見知らぬ何者かに当たっただけです。そう、偶然です。怖いですね偶然って。不幸な事故です。涙目になっている火の魔将と見知らぬ誰かに命じます。
「正座」
「は? なぜ我が――い、いや。なんでもないです。ごめんなさい」
「え? 私も?」
私は異世界からやってきた先代勇者様が広めた説教時の所作を命じます。なにやら不貞腐れた表情を浮かべていますが、私がひとにらみすると青い顔で正座をしてくれました。熱い思いは伝わりますね。となりに勇者っぽいのも正座していますが気にしません。
「いいですか。突然の攻撃は騎士道に反します」
「いや、我は魔族――いえ、なにもありません。続けて下さい」
まったく最近の若い者は人の話を途中で遮るので困ります。
「さらに戦闘力のない無力な者を巻き込むなど言語道断!」
私の力説に四天王と勇者だった気がするゴミが「無力?」と首を傾げています。そんな反省の色が見えない出汁取り後の昆布――これも先代勇者様が広げました。出汁取り昆布以下の廃棄物を見ながら説教を続けます。ヨーデル。ステファン。アストロ。コウディー。エミングにジョファン。それに最大の友であるセバスチャン。彼らの無念を晴すため。そう! 私は無念を晴すために説教を続けます。
熱く語っていた私が時計を見ると5時間ほど経過していました。なぜか目の前のなにかが、涙らしき物を流しながら謝罪を続けています。
「ごめんなさい。ごめんなさい。本当にごめんなさい。もう人間を襲ったりしません。配下の魔物も撤退させます」
「許してください。傍若無人な振る舞いをしてごめんなさい。これからは修道院に入って余生を過ごします。許してください」
勇者様が謝罪なんてするものではありませんよ。あれ? 隣にいるのは火の魔将ですよね? さっきまでの威勢はどこに?
「お二方ともどうされたのですか? 勇者と魔族が平和のために手を取り合う場面でしょうか?」
首を傾げながら問い掛ける私に、なぜかお2人が震えながら何度も頷き慌てたように両手を差し出して握手を始められます。
「そうだよね! 平和が一番だよね。これからも仲良くして欲しいな」
「ああ。その通りだ。魔族だから人間だからなど小さな話だったな。真に恐ろしい者の前には全てが無力だ。これからは互いに手に取り合い、無益な戦いを起こさない事を誓おう」
なにか分かりませんが、歴史的転換期に出会ったようです。このお2人が手に取り合えるなら、世界は平和に包まれるでしょう。私が感動の表情で頷いている横で、勇者様と火の魔将が小さな声で呟いているのが聞こえました。
「「どうしてこうなった!」」
どうしてこうなった!