復讐する天使
目の前に横たわる女の顔を、一度たりとも忘れたことはない。
正確には、15年前の顔を。
この女が、30歳の若さで乳ガンなどに襲われたのは、自業自得だ。
かつて中学生の私をいじめ、自殺寸前まで追い込んだ首謀者。そんな人間が、幸せな人生を全うできるとしたら、この世は狂っている。
さて、どうやって苦しめてやろうか――方法を思いつくたびに、笑いがこみ上げる。だけど、そんなどす黒い感情は、誰にも見せない、悟らせない。
私は、白衣の天使だから。
彼女が、痛みに耐える表情で私を見る。私は、天使と呼ばれるにふさわしい微笑で、彼女を見下ろした。
同僚達には、「彼女、昔とてもよくしてくれた友達なの。だから、できるだけ私が受け持ちたいの」と打ち明けておいた。
お陰で、夜勤はもちろん、日勤でもほとんど彼女を担当させてもらえる。
もちろん、筋弛緩剤を注射して、安楽死なんてさせてあげないわよ。
こんな女のために、犯罪者になる気はない。
あの凄惨なイジメが犯罪として裁かれなかったのだから、私だってうまくやってやるわよ。
点滴に採血は、必ず太めの針を使う。わざと一度は失敗するなんて当たり前。最後は、「体調が悪い時って、血管が出にくいのよね」と、一番痛い、手の甲にブスリと刺してやる。
体は、水で拭いてやる。あんたは真冬のトイレで、私の頭から水をぶっかけて、笑っていたもんね。
トイレに行きたいと呼ばれて、点滴台やら車椅子を、もたつくふりをして、時間をかけて準備しているのは、もちろんギリギリまで我慢させるためよ。
掃除用具入れに閉じ込められて、トイレにもいけなかったあの日を思い出すと、用意をする手が自然に遅くなるのよねぇ。
イジメに興じる女の典型、彼女は、受けた被害を、倍にして周囲に訴えている。でも、まともに取り合う人などいない。
あんたはかつて、品行方正を装って、大人達を騙していたけど、私は、あんた以外の患者さんには、嘘じゃなく優しいのよ。
ガンの激痛に苦しむ彼女に、私はいつも、生理食塩水を鎮痛剤と偽って注射してやった。もちろん、太めの針でね。
治まらない苦痛に顔を歪める彼女を見るのは、最高にいい気分だった。
3ヶ月ほど苦しみ抜いたあげく、あの女は死んだ。
フン、因果応報ってヤツよ。いい気味。
「気が済んだかい?」
霊安室に横たわる彼女を見下ろす私の横で、黒い影のような男がささやく。
「まだよ。あと3人、早くここに入院させて。なるべく悲惨な病気でね。苦しんだ魂ほど、価値があるんでしょ?」
次はどうしてやろうかと考えるだけで、嬉しくてたまらない。早く実行に移したい。
押し殺した声で笑いながら霊安室を出る私の背後で、男が呟いた。
「オレも長いこと死神やってっけど、おまえみたいに執念深い死人は初めてだ」
なにバカなこと言ってんのかしら。
私が死人ですって?
死んだ記憶はないんですけどぉ。
鼻先で笑いながら、勤務病棟の6階へ戻るため、エレベーターに乗った。
中にある、大きな鏡を見た。
私の姿、何となく透けているような気がする。いやだ、あの男の変な呟きを真に受けたりして。
私は、弱気を振り払って、エレベーターを降りた。
ナースステーションに戻り、今日のスタッフや業務割り当てが記入されたホワイトボードを見て、ため息をつく。
「もう、また私の名前を書き忘れてる」
<了>