004 マリーの酒場
夕暮れからの稼ぎ時と呼ぶにはまだ早い時間。これからの下拵えに追われていた【マリーの酒場】の主ルディは、力任せにスウィングドアを押し開けて侵入してくる傍迷惑な常連客の姿を見て、その手を止めた。
酒場のマリーは日中と夕暮れから深夜で店の名前が変わる。
朝とランチは隣接する宿屋のメンツが切り盛りする【マリーの食堂】。そしてルディが担当する酒場の二面性を持ち合わせている。
元々冒険者だったルディは若い頃にはそれなりに名を馳せた冒険者だった。しかし、戦場において敵の一閃で両足を切断される事態に陥った。持ち前の体力と早期の治療魔術のおかげもあってか、無事回復し再び戦場に立つことが適った。だが、武器を振るい踏み込む度に、両足を切断された時の痛みが見えない傷として残り、悪夢に苛まれる日々が続いた。
思うように戦えなくなったのをきっかけに、潮時と考え引退を決意した。
ルディは戦いの場を変えた。趣味だった料理の腕を活かし、酒場を開いた。
馴染みと結婚もし、子も儲けた。何時何処で命を落とすかわからない冒険者であった時代も大変だったが、そんな彼らの憩いの場である酒場を舞台にした厨房という戦場で生きるのも悪くなかった。
体力や腕力は衰えておらず、酔っ払って暴れる連中に制裁を与えるそのパワーは、往年の姿を思い出させる。
「マスター、オレンジひとつ!」
「牛乳」
「お水お願いします」
「酒も飯も注文しない客は帰れ」
養成所に通う前から入り浸っている三人組(+アルファ)の子供にメンチを切ってやるものの、連中にはどこ吹く風の如く通じてはくれない。
今や挨拶となってしまっている。
「いや~マスターそんなに邪険にしないでよ」
「無愛想すぎる」
「えっと……お慈悲をください」
「帰れ」
「いらっしゃい、みんな」
ルディの後頭部をスパーーーッンと心地よく響かせながら、給仕の少女がカウンターにカップを並べた。
「モモ、大好き!」
「私も大好きよ、ヒンメル。さ、座って」
スキンシップとばかりにハグしあう少女達を尻目に、ラントは代金をルディに渡して席に着く。
「ちっとも背ぇ伸びねぇな、おい」
「ほっといてくれ」
ルディはラントが気にしていることを知りながら、もう一杯、注ぎ足す。
「そういえばお前ら、やらかしたんだって? 今回は校舎半壊させたそうじゃないか」
養成所に関する騒動は千里を駆ける、という噂もある。ただ騒動は通常運転なので、気にする者は多くない。
ただヒンメルに限ってはそうはいかない。
騒動に自分が関わっていると恐姉に知られれば、相応の仕置きが待ち構えている。それを思えば、補習で無理難題云われる方がマシだ。
あの、“まだ蚊の方が役に立つ”と**す様な、**む様な(自主規制)あの視線が精神的に苛まれる。
「その件で課外活動言われてね、ちょっと遠くまで行くから車欲しいなーって思って来たんだけどね。今日は、運送のおねーさん達居ないの」
普段なら隅で幾つかのテーブルを陣取っている十数名の女性陣が居る。
彼女らは村から町へ。町から国へ。違法でないものなら何でも何処へでも運ぶのを信条としている運搬系のギルドを組んでいる。昔からの馴染みの為、よく可愛がられており、信頼もしている。
欲を言えば送迎をお願いしたいのだが、「行けばわかる」と言われてるだけでどのくらい日程を要するのかが予測も付かない。
「みーんなならぁ、あんたたちが来る前に、ヴィントがかっ攫ってったよぉ」
残っていた運送ギルドの数名のうち、カナがケラケラと笑いながら手を振って応える。
夕方前から飲んでいるのか、彼女らのテーブルの上には幾つものジョッキが並んでいる。
三人の脳裏に、ヴィントがその甘いマスクで彼女達に「デートしよ」と、声を掛けている様子が目に浮かぶ。
恐らく、実際に声を掛けたのは一組なのだろうが、その場にいた何人かが連れ立って出て行ったのだろう。
「抜け駆けか!?」
「拐引だよな、あいつの場合」
「でも一緒に行く約束はしてないし……」
騒がしいその反応にルディは深い溜め息をついた。
「マスタ~、憐れと思うなら車貸して」
「断る」
猫撫で声ですり寄ってくるヒンメルに対し、ルディはきっぱり言い放った。
ボロだったとはいえ、以前貸した車は大破して戻ってきた。
「モモのとこは空いてない?」
彼女も知人とギルドを組んでおり、主にマネジメントを担当している。
「うーん……わかった、壊さないって約束するなら貸してあげる。ところで、何処まで行くの?」
「リアンビの丘――だっけ? アルト山脈の手前にあるらしいんだけど」
詳細な地図にも記載されていないため、だからこそ運搬ギルドの情報が欲しかった。
「あぁ……あそこか」
そろそろ客も入ってきて店内は騒がしくなってきたというのに、一気に雰囲気が変わった。
どことなく、生温かく、憐れむような視線を感じて、ヒンメル達は居心地が悪くなった。
「旨い弁当を用意してやる――最後の晩餐になるかもしれないしな」
「うちの七番目の車、お香典変わりにあげるから気を付けて行ってきてね」
さりげなく、中古処分じゃないから――とそれぞれ二人から物騒な慰めにも似た空気をひしひしと感じる。
「……リアンビって、何かあるんですか? 先生からは、ただ“行けば分かる”としか聞いてません」
メーアが少々不安げに、周囲の反応を伺いながら訊く。
「う~~~ん。敢えて言うなら“お墓参り”? マスターの頃もあった? リアンビ送りって」
「あったな……。素行の悪い連中が送られてたな。帰ってきたらすっかり別人のようにおとなしくなってだな」
「うちはカイとリクが……ね。私もお目付けで行く予定だったけど、都合悪くなったから免除してもらったかな。」
そして帰ってきた二人からは、当時のことは何も教えて貰えなかったとモモは付け足した。
つられるかのように、周囲の客もどうだったかと話題に乗ってくる。
しかし、現地の詳しい話は誰の口からも出てこない。
「あははははは。お墓参りで別人だって。あははははは」
酔っぱらってるカナのツボに嵌ったのか、ケラケラと楽しそうに笑った。
「カナは?」
「アタシはそもそも養成所行ってないもん。知らな~い。
でもお墓参り程度で人格変わるってなら、それだけヤバいってところでしょ?
もしかしたらヴィント、途中で降ろされてるかも~~~~」
再度ケラケラと笑う頃には、周囲の客もそれぞれ別の話に移っている。
結局、車はカナが大型車を貸してくれることになった。頑丈で、ちょっとした魔物でも轢き倒すことができるという。
それでも三人の胸中にはただただ不安しか残らない。
しかし夕食はしっかりと集り、入念に打ち合わせをし、早朝に落ち合う予定を立て、寮や家路についた。
早朝。
前日の養成所での騒動を耳にしたヒンメルの姉が、双子の弟を供にして、マリーの食堂のドアを蹴り破るように訪問したのは別の話である。
2019.12.30 初稿