3分間勇者
俺がまだ3歳の頃だから、もう15年も前の話だ。
母親が流産した。予定では女の子だったらしい。
「妹が出来るのよ。ノブはお兄ちゃんになるの」
数ヶ月前はこの上なく幸せそうに語っていた母が、
泣きながら何度も「ごめんね」と言っていたのが強く印象に残っている。
自分が酷く悪い事をしでかしたような気分になって、一緒に泣きながら謝った記憶もある。
出来る事なら思い出したくない過去だが、忘れてはいけない事だ、とも思う。
俺には妹がいた。
この世に生まれてくることこそなかったが、確かにいたのだ。
話をすることも、一緒に遊んでやる事も、憎まれ口を叩き合う事もなかったけども。
それでも、俺には確かに妹が居た。
俺はそう思うことにしている。
そして、妹の分まで、今生を精一杯生き抜いてやろうと、そう思っている。
思っているのだが………。
ジリリリリリリ……!
けたたましく鳴り響く目覚ましに手を伸ばし、その爆音にトドメをす。
そして時刻を確認する。当然、起きなくてはいけない時間だ。
でも眠い。
自慢じゃないが俺はとてつもなく朝が弱い。
起きたては大抵ぼーっとしていて、たまに自分が誰か分からないくらいだ。
それに昨日は、友人の長電話に付き合わされたせいで、ロクに睡眠をとっていない。
あと5分。いやせめて、3分だけでも……。
と、俺は二度寝の誘惑に負けてしまう。
3分だけで済むはずがないと分かっていても、そのまま枕を引き寄せ、布団の中に包まっていると、すぐにでも身体全体は睡眠モードに落ちていく。
3分。ほんと、3分だけ……。
そして、俺の意識は再び暗闇に支配されて――。
「いつまで寝てんだ――!」
突然、カン高い叫び声と頭部への打撃を受け、俺は慌てて跳ね起きた。
「いってぇ……何すんだよ…………。……っ!?」
俺は驚愕した。
そこは俺の部屋じゃなかった。
というか、日本でもなかった。
突き抜けた真っ黒な空。
荒涼とした大地。
だだっぴろい、360度すべての視界にまっさらな地平線が見える。
こんな場所が、山国の島国日本にあるはずがない。
「ようやく目覚めたか、勇者よ」
そしてコイツだ。
なんの冗談だ。
頭のてっぺんには食肉目の獣みたいなでっかい耳、
背中には猛禽類のような逞しい真っ白な翼がついている。
しかもやたら露出の多い服を着た中学生くらいの少女がそこにはいた。
「勇者ぁ? 誰のことだよ」
そしてお前は誰だ。というか、ここはどこだ?
「寝言をほざくでない、武藤信彦よ。そなたそ選ばれし勇者。悪の魔王を倒し、世界を救う宿命を負った……ってねーるーなーーーっ!」
ネコミミ天使少女は再び俺の頭をガンガン叩いた。わりと本気で。
「ってーな。寝言ほざいてるのはテメエだろうが。夢の分際で偉そうにしてんじゃねえ」
俺は怒気を込めて言った。
そう、こんなのはアホな夢だ。
自分が情けなくなるが、とにかくさっさと目を覚まさないといけない。
こんな夢を見ちまっているということは、少なくともレム睡眠に入っている。
このままだと遅刻する。
「寝言などほざいておらーーーぬっ!」
ネコミミ天使は俺の耳元で絶叫した。
迷惑なやつだな。目覚める前にこいつを簀巻きにしてやるべきだろうか。
「よく聞くがいい、勇者ノブヒコよ。おぬしは魔王を倒すまで、元の世界に戻る事は出来ぬ。やつの邪悪な波動が、この世界とおぬしの世界を…」
「なんだとーーーーっ!?」
今度は俺がネコミミに向けて叫ぶ番だった。
「ぶ、無礼者め、何をするかっ!」
「うるせえ! 夢のくせにふざけた設定つけやがって! いいから早く俺を目覚めさせろっ!」
俺はネコミミ天使の両肩を掴んでガクガクと揺すった。
「あうあう……それは私の力では無理なのじゃ~~。どの道、そなたがこの世界を脱するためには、魔王を倒さねばならぬのじゃ~……」
揺さぶられながら、弱々しくもなおトンデモ設定を押し付けるネコミミ天使。
俺はキレた。
「おー上等だよ。やってやろうじゃねーの。大魔王だろうが悪霊の神々だろうが地獄の帝王だろうが今すぐぶっ倒してやるよ。さっさとそいつのとこに連れて行け。あと、伝説の武器のひとつやふたつ今すぐ用意しろ」
「それも無理じゃ。だいいち、今のおぬしはLV1じゃぞ? 今すぐ魔王の元になどいったらすぐにやられてしまうわ」
くっ……どこまで和製RPGな面倒設定……。何で俺は幼少の頃にRPGなんかにハマったんだ。今度人生をやり直す機会があったら、パズルゲームかシューティングゲームにハマってやる。ゲームオーバーが早いからな。
「とはいえ、さすがに丸腰では何かとつらかろう。旅立ちの手向けにこの聖なる剣をやろう。では健闘を祈るぞ、勇者ノブヒコよ!」
と、高らかにつげ、ネコミミ天使は力強く羽ばたいて飛び立ち、あっという間に見えなくなってしまった。
「おいおい、マジかよ……」
取り残された俺は、ただ途方にくれるばかりだった。
◇
それからが大変だった。
クソ天使が置いていった「聖なる剣」とやらは序盤であっさり折れて使い物にならなくなったし、
死んだらセーブもなしに最初からやりなおしだ。
しかもスタート地点がドくそ長いダンジョンで、
地上に出るのに二十年もかかった。
そのあとも、
どっかの城のお姫様と結婚させられそうになるわ、
魔王を倒すために必要な情報を持ってる隠れ里の住人が全員石にされてるわ、
飛行船を手に入れたと思ったらドラゴンに撃ち落とされるわ。
ようやく魔王を倒したと思ったら偽物だわ、
そいつのせいで世界は半壊するわ、
伝説の剣を手に入れたと思ったら錆びてるわ、
その剣の本体がずっと旅してた相棒だわ……。
まあとても「あと3分」なんて時間じゃ収まりきれない大冒険のすえ、俺はようやく魔王の居城へとたどり着いた。
「よくぞ来た、勇者よ!」
高らかに笑う魔王。
「うるせえ黙れ! よくぞ来た、じゃねーよ! テメエのせいで完璧に遅刻じゃねーか。このうらみ、たっぷり晴らさせてもらうからなっ!」
俺はもう個人的な怒りのみで、魔王に立ち向かった。
さすがに魔王は強かった。
何度も死ぬかと思ったが、各地でたっぷりと反則アイテム――一発で完全回復、とか魔法全部無効、とかそういうの――を集めた甲斐もあり、激闘の末になんとか魔王を倒すことに成功した。
「おお、勇者よ。よくぞ魔王を打ち倒した」
と、あのネコミミ天使が無駄に厳かな口調で言う。
このケモノ、よくぞぬけぬけと顔が出せたな。
俺は躊躇なく伝説の剣を構え、ネコミミ天使に必殺の一撃を……。
「ちょ、ちょっとまて! そなた、何を物騒な事を考えておるっ!」
「黙れこのインチキ天使が。テメエだけはこの手で切り刻んでやらないと腹の虫がおさまらねェ。そこになおれ、微塵切りか短冊切りにしてくれるっ!」
「まままて、分かった、この世界を救ってくれた礼に、何でも望みを叶えてやろう!
だから乱暴なことはやめてっ!」
「だったらさっさと俺を目覚めさせろ!」
「ふむ……? いや、それは良いのだが。それとは別に、なにか望みをひとつ、叶えてやろうと言っておるのじゃ。ひとつくらいあるじゃろう? 何か言うてみい」
望み、ねえ。そりゃ、いくらでもあるが。ひとつと言われるとな……。
……馬鹿馬鹿しい。
夢の中で願いを叶えてもらってもな。
とにかくさっさと目覚めなくてはいけない。
体感じゃ二十年はこんな馬鹿げた夢みてるんだ。
――それでも。
どうしてもひとつ、願う事があるとしたら。
「妹が欲しい。もうずっと昔に、母親が流産して、それきり子供生めない身体になっちまったんだ。今じゃもう普通にしてるけど、やっぱり母さんも、あと親父も、どこか寂しそうなんだよ。だから妹をくれ」
ネコミミ天使はにかーっと笑って、それから大仰に手を広げて高らかに告げた。
「あいわかった。そなたの望み、叶えてやろうっ!」
「うおっ!?」
突如、俺は真っ白な光に包まれた。
「今一度礼を言うぞ、勇者ノブヒコよ。元の世界に戻っても達者でな――」
ネコミミ天使の朗らかな声がだんだん小さくなっていく。ああ、やっと目が覚める、と俺は思った。
ま、遅刻は確定だろうけどな。
◇
「いつまで寝てんだ――!」
突然、カン高い叫び声と頭部への打撃を受け、俺は慌てて跳ね起きた。
「いってぇ……!?」
なんだこのデジャヴは。きょろきょろと辺りを見渡す。間違いない、俺の部屋だ。
俺は帰ってきた――。
はずなのに。
「なんでテメエがここにいるんだコラぁああああっ!」
俺は絶叫した。
そこには、夢の中で散々俺を苦しめた、あのネコミミ天使が居たからだ。
「はあ? 何言ってんの、ちゃんとノックしたじゃない。お兄ちゃんがいつまでも寝てるのが悪いんでしょ~?」
俺に馬乗りになったまま、そいつは言った。
ネコミミ天使……というのは不適切かもしれない。
なぜなら今のこいつには、食肉目の獣みたいなでっかい耳も、
猛禽類のような逞しい真っ白な翼もついていなかったからだ。
見た目はもうほんとに、普通の中学生くらいの少女だ……ってか、
俺の母校の中学の制服を着ている。
「いいか、よく聞けこのクソ天使。俺は確かに妹が欲しいといったが、お前なんぞに妹になれなんて言ってねーぞ?」
そいつはきょとん、とした顔になった。
「何よ、お兄ちゃんまだ寝ぼけてるの? まったくもお、いつも寝起きが悪いんだから。変な夢の話はいいから、早く目ぇ覚ましなさいよね。ホラ!」
と、俺に時計を突きつける。
「もうこんな時間なんだよ! このままだとあたしだって遅刻しちゃうんだからね!」
俺は目を見開いた。二度寝する前に確認した時刻から、まだ3分と経っていない。
「桜子~、お兄ちゃん起きた?」
ガチャ、とドアが開いて、母親が顔を出す。
「あら、起きてるじゃない」
「ねーお母さん、お兄ちゃんったら酷いんだよ。このあたしに向かって、"お前なんか妹じゃない"とか言うの」
「まあ。ダメよ信彦、そんな事言っちゃ。桜子みたいに甲斐甲斐しく兄の世話を焼いてくれる妹なんて、世間にはそうそういないんだから」
「そうよそうよ。お兄ちゃんはむしろあたしという存在に感謝すべきなのよ」
桜子……。俺の妹……?
俺は二人の会話を呆然と聞いていた。
確か俺が考えた名前だ。母親に「どんな名前がいい?」と聞かれ、「さくらって名前がいい。綺麗だから!」なんて答えた記憶がある。
俺はうっすらと涙ぐんだ。
そうか。お前は無事生まれてこれたんだな。
俺がまだ夢を見ているのか、昨日までの俺が夢だったのか、どっちかは知らんが。
こっちではお前は、ちゃんと生まれて、俺といろんな話をしたり、一緒に遊んだり、憎まれ口を叩き合ったり。そんな事を、ちゃんとしてきたんだな。
「ほら、いつまでもぼけーっとしてないで、さっさと起きる! ほんとお兄ちゃんはあたしがいないと何も出来ないんだから」
妹が言った。ああ、そうだな。そうかも知れない。俺はもう、おまえなしじゃ何も出来そうに無いよ。
俺は妹の頭にぽん、と手を乗せた。
はじめまして、俺の妹。そして……。
「これからもよろしくな」
≪おしまい≫