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 葟杞(こうき)は、秋が嫌いだ。憎んでさえいるかもしれない。

 一番好きなのは、春。小鳥たちが可憐に囀り、空気が軽く柔らかく温かくなって、芽吹き、花咲き――希望が溢れる。今年こそは、と期待を持たせてくれる春は、やさしい。春は皆が笑顔になる。

 その春と秋とが似ているじゃないかと言う人がいるらしい。馬鹿なことを。全く違うではないか。

 春は「今年こそはたくさん実ってくれよ」と願いをかける始まりの季節。

 だが秋は、終わりの季節だ。収穫に肩を落とし、税を搾り取られむしり取られ――ひとり、またひとりと子どもたちが身を売っていく、別れと絶望の季節だ。

(……ついに、来たなぁ)

 独特の文様を編み込んだ厚い茣蓙の上に呼ばれたときから、何の話なのかはわかっていた。今年は大雨に何度も襲われた、|酷い冷夏だった。この秋が来る前から、きっとこうなることは悟っていた。だから葟杞は自分でも驚くほど平静な心持ちで、目の前に座る両親が切り出すのをただ、待った。

「………葟杞。本当に……すまん」

 先に声を発したのはやはり父だった。隣の母がすすり上げながら小さく震えている。二人とも唇を噛みしめ拳を色がなくなるほど握りしめながら地べたを見つめていて、情けなさと悔いと恨みとが、ありありと窺えた。

 そんな風に思う必要はないのに。

「父さん、母さん、顔を上げて」

 凛とした葟杞の声につられるように夫婦がおそるおそる視線を上げ、そして、年が明ければ十三になる娘の表情に――息を忘れた。

 全てを諦め受け入れた、静謐な微笑み。

 平凡な自分達の子にしてはあまりにも頭の出来が良く、こんな(ひな)びた山間の村に生まれていなければ…と村の者が揃って溜め息を吐くような、万事抜かりのない、しっかり者の自慢の長女だった。

 だが、暇を作っては寺の堂主や薬師のばあさんや旅芸人達が語る神話や昔話、異国譚に現を抜かすなどどこか掴み所のないところがあり、皆に頼りにされ愛されてはいたが、時折、何を考えているのかわからない薄気味悪い心地を味わうこともあった。

 しかしその葟杞の微笑みに、夫婦はこの娘はとうに覚悟を決めていたのだと知った。

 ―――家族のために身を売る、と。

 葟杞は両手を突き、茣蓙につくほど深く、頭を下げた。

「今まで育ててもらって、ありがとうございました」

「……葟杞…っ!」

 母がもう泣いていることを隠そうともせず、葟杞に覆い被さるようにしてその身体を抱きしめた。父も葟杞と母との両方に腕を回して、嗚咽を漏らす。すまん、ごめんなさい、許して、という謝罪の言葉と雫が雨のように降り注ぐ。

(……ああ、この人たちの娘で、よかった)

 売られていく子どもなど、寒村ばかりのこの辺りでは珍しくもなんともない。家族のために年長の子どもが金に換わるのは、当たり前のことだ。特に女なら十に満たずに売られて行く者も多い。

 だが両親は幾度も訪れた危機にも葟杞を売ることなく、やり過ごしてくれた。出来うる限りのことをして力を尽くしてくれた。それでも、今回は駄目だったのだ。だから葟杞は笑って、礼だけを残して、出て行ける。精一杯慈しんでくれた両親と、年老いた祖母と、三人の妹達と――家族の待望だった、生まれたばかりの弟を守るために。

(……それにわたしは、この村にはいびつな存在だから)

 村の生活は苦しいが、温かく陽気な皆と暮らすのは楽しい。自分を慕ってくれる妹や友達もいる。自分を頼ってくれる両親や大人達もいる。だが度々、両親や村の皆から幽霊を見るような目で見られていることに葟杞はとうの昔に気付いていた。

 それはきっと―――幼い頃に山の中で、神仙と出会ってしまったからなのだ、と葟杞は思っている。

 村も皆も好きなのに、ふとした瞬間に、どうして私はここにいるんだろう、と心が問いかけることがある。なぜそんなことを問うのか、葟杞自身にもわからない。ただ漠然と、疑問だけが浮かんでくる。

 だからたとえ売られなかったとしても、きっといつか、自分から村を出ていくような予感があった。嫁に行って田畑を耕し、子を為して育て上げていく――そんな普通の娘の生活を送る自分が、葟杞にはどうしても想像できなかった。

(……だから、これで、よかった)

 両親の嗚咽につられて集まってきた弟妹や祖母もまた涙に暮れる。そんな優しくあたたかい家族と離れるのは、辛い。売られた先にどんな生活が待っているのかは伝え聞いているから、想像したくもない。

 しかしどうせいつか村を出ることになるのなら――家族の役に立つ形で、と思っていた。だからこれでいいんだ、とまだ齢十二とは思えぬ冷静さで葟杞は現実を静かに受け入れた。

 翌々日。

 大嫌いな秋の風に(さら)われるように、村の五人の娘達と共に人買いに連れられ、葟杞は生まれ育った緑豊かな故郷の山から去った。


 葟杞は自らが売られる時期を選んだわけでは勿論ない。

 だが結果として、この秋のこのときに売られていったことが―――玄国の古都・平陽(へいよう)と、一柱の神獣の命運を変えることとなる。


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