#2 タコ?イカ。
雪華には、とても親しい友人の天音という年上美人の女性がいる。彼女とは数年の仲だがとても仲が良く、他人にほとんど興味を持たない雪華にしては珍しく“親友”と公言しているほどの仲だ。天音も雪華も互いに恋愛対象ではなく、天音は腐女子のため夏樹と蓮桜がが寝静まって腐った話をするのが楽しみだったりする。普段は日常生活の些細なことを話していて、どこのスーパーの何が安いだとか今日の晩御飯を何にするだとか、色気など皆無の内容を毎日メールでやり取りする仲なのだ。
天音はとても礼儀正しい女性で、夏には暑中見舞いを送ってきたり、以前雪華が再手術を受ける際も手助けに来てくれたりと面倒見が相当いい。これで美人で料理も上手なのに、彼氏を作らないのが不思議でならないと雪華は思っていた。
夏になると、お中元に天音から干物セットが送られてくる。夏樹は干物を愛しているため、毎年小躍りして喜ぶ。蓮桜も季楽も魚は好きで、食べ方はさておきありがたく完食する。返しのお中元は夏樹が務めている会社のハムやウインナーのセットになるが、天音は毎回喜んでくれてそれもまたありがたい。
今年も天音から干物が届き、日中家に常駐している雪華が受け取りをした。その日はちょうど土曜日だったため季楽の幼稚園も休みで、干物の箱を見ただけで狂ったように喜んだ。女の子はませるのが早いとは言うが、季楽も間違いなくそれである。
「あまねちゃんがおさかなくれたの?見せて!開けて!きらがひもをはさみチョッキンするから、せっちゃんはさみ取って!」
一年前はまだ少し訳が分かっていなかったような顔をしていたのが、まるで嘘のようである。
開封して冷凍に干物を入れ、その日帰宅して夏樹に季楽が玄関先で天音から干物が届いたことを興奮気味に伝えた。夏樹を抱っこして、台所で夕食の準備をしている雪華のところに夏樹が歩いてきた。
「ただいま。」
「おかえり。」
「あまねちゃんから干物もらったって?」
「そう。」
「お礼のメールした?」
「した。」
味気ないやり取りだと思うかもしれないが、考えていただきたい。男の会話なんてこんなものだ。
「何の干物もらったん?」
「魚とタコと桜エビとシラス。」
「シラスまで?」
冷凍を覗きながら、夏樹はいただいたお魚の確認に余念がない。
「せっか?」
「なんや?」
「タコやなくてイカやないか?」
「イカか。」
雪華も冷凍室を覗きつつ、イカの姿を確認した。
物の名前を間違えて覚えているのは、子どもならよくある話だ。子どもにならよくある間違いを、雪華も平気な顔でしてくれる。普段は比較的しっかりとはしているが、根本的な性格が若干飛んでいる。いわゆる天然のようなところがあるが、本人は全く持って信じていない。
数日後夕食に干物を焼いている時だ。その日は仕事の鬼の蓮桜が珍しく夕方佐渡嶋家にやってきた。季楽を迎えに来たのだが、夕食時に差し掛かっていたから食べて行けと雪華が夏樹に蓮桜を差し押さえさせたのだ。季楽は一歳前から雪華が面倒を見ているから、引っ越しを機に季楽のものも家族並みに佐渡嶋家に常駐している。絵本も遊具も着替えも、当然のようにある。雪華が夕食の準備をしていると季楽が台所までやってきて、干物を焼いているのを確認。魚を焼いているからと、図鑑を引っ張り出してきて夏樹と蓮桜と魚を見始めた。
「これは?」
蓮桜が指さしたのは、エビである。
「カニ!」
季楽は自信満々に答えた。
「残念、エビさんだね。」
こうして子どもと触れ合っている時の蓮桜は、とても優しい顔をしている。
なんていい光景なんだと夏樹の仕事の疲れが癒されだしたのもつかの間、雪華が台所で騒いでいる。
「なつき!このタコ、お祭りのタコのにおいがする!すげぇ!」
あまり大はしゃぎしない雪華が、目をらんらんとさせて騒ぐ。
数年前の雪華からは想像もつかないくらいの表情の豊かさに、夏樹の重い腰が上がった。
よっこらしょと台所まで出向き、クッキングシートを敷いたフライパンの上でぷっくりと膨らんだ干しイカに鼻を近づけた。
「どれどれ。ほんとやすげぇ!」
なるほど本当にお祭りのそれのにおいがするわけだが、ひとつ大きな間違いがある。
「これは美味しいタコやな!」
大はしゃぎのところ申し訳ないが、とりあえず訂正をさせて頂こう。
「せっか、お前が焼いとるそれな。タコやなくてイカや。」
一瞬時間が止まった。
「イカか。」
とりあえず名前の確認をしたが、雪華があまり気にしてはいないのがなんとなく夏樹には伝わる。
-これはまた間違うぞ!
夏樹は確信した。
それからほどなくして、夕食が完成した。
「できたよー。」
台所から雪華の声がリビングに届く。
対面キッチンだから片づけをさぼっているかも筒抜けで、一瞬でもさぼれば雪華のお叱りを受ける。
「はーい。」
返事だけは一丁前に返ってくるが、大概夏樹は動いていない。
「なつき!さっとせぇ!」
「はいはい。」
毎日このやり取りをしていてなぜ飽きないんだと、蓮桜は片づけをしながら不思議に思う。
大体片付けを済ませたタイミングで、雪華が焼きたてのイカを皿に盛って運んできた。
「せっか、それなんやっけ?」
絶対間違えるという核心と、タコという回答に大いなる期待を抱いて夏樹が雪華に問いかける。
-ん!これはたしかタコって言ったら間違いのやつや!
タコではないととっさに思い、雪華の頭がフル回転する。
「えーっと、…んーと、…マコ!」
「マコ?!」
瞬発力のある蓮桜の返しに、夏樹が笑う。
「タコな。」
マコという返答の訂正をする。
「タコか。」
それを素直に受け取る雪華。
「すまん、イカやった。」
「イカか。」
グダグダである。
「とりあえず食うか。」
夏樹と雪華では収拾がつかなくなった時に、いつも助け舟を出してくれる蓮桜。
「冷めちゃう。おなか減った。」
季楽の要求もあって、夕食になった。
「せっか、これは?」
「タコ。」
「イーカ!」
夏樹と雪華は、飽きもせずこのやり取りを何度か繰り返していた。これが特別なわけではない。これが日常なのだ。