泣き虫ヴァレリとその従者
桃色の花びらが、視界いっぱいに広がる。
この春、私は世界最難関と言われるマルリッヒ学園の中等部を第二席で卒業した。やっと、やっとあの子を守れる強さを手に入れた。
私には二歳年下の従者が居る。彼は正に才色兼備で、人形のように整った顔立ち、この国では珍しい漆黒の髪の持ち主だ。それに比べ私は髪の色こそ珍しい銀髪だけど、全体的にはショートでサイドの髪だけ長い。この髪型は覚悟の証。例え何と言われても変える気はない。そして顔立ちだってそれなりだ。本当に私のような下級貴族にはもったいないくらいの子だ。
私は小さい頃から泣き虫で、下級貴族という事もあり、当時通っていた学園でも少し浮いている存在だった。友達が居なかった訳じゃないけれど、毎日のように浴びせられる悪態からあの子はいつも私を守ってくれた。私より年下なのにとてもしっかり者で、従者だからといって上級生相手にも引けを取らなかった。そんなあの子に甘えてばかりの私にとって、それは当たり前の事であり、何の疑問も持っていなかった。あの事件が起きるまでは――。
***
あれは、もうすぐ初等科の卒業を控えた日の事。帰りの支度を済ませ正門前であの子と一緒に迎えの馬車を待っている時だった。
「おい、泣き虫ヴァレリ」
見知った声に思わず肩を震わせる。ゆっくりと声の主のほうを振り向けば、三人組みの同級生が立っていた。声を掛けてきたのは三人組のリーダー的存在だったロクサ・ディストル。彼は上級貴族だったからか、下級貴族の私を嫌っていた。あとの二人、フォース・ランビィもフェル・ハイネも、たぶん同じ理由で私の事を嫌っていた。
「な、何……?」
私がそう言うのとほぼ同時に、あの子が彼らと私の間を遮るように立った。彼らはそんな事には気を留めず、いつもの調子でいつものようにいつもと同じ事を言ってきた。
「泣き虫ヴァレリのくせして馬車を待つだなんて何様だよ?」
「そもそも馬車なんて来るのかよ?」
「歩いて帰った方が早いんじゃないですかー?」
私は何も言わないまま、そっぽを向く。言い返したい気持ちでいっぱいだっだけれどここで事を大きくしてはあの子にとっても、私にとっても無意味でしかない。
「なんだ図星なのかよー? 庶民は庶民らしく庶民の学園にでも通ってろってーの」
「お前何でここに居るんだよ、場違いなの分かんない訳?」
「従者のお前も大変だよなー、こんな冴えない下級貴族に雇われちまってよー。何なら俺の従者にしてやってもいいんだぜ」
「!」
言い返せない悔しさに目にじわりと涙が滲む。そんな私を見てロクサ達は鼻で笑う。彼らは決まってあの子を勧誘する。上級貴族から見ても本当に逸材なのだ、あの子は。それにあの子を勧誘すれば私が黙ってないと知っているから。
「そ、それを決めるのはアルだか」
「お言葉ですが――」
私の言葉を遮るようにアルが口を開いた。
「私はあなた方のような野蛮な人に仕える気はありません。私の主人はヴァレリ様ただお一人です。生涯これは変わりません。それにしても、上級貴族様というものは随分とお暇なのですね? 懲りもせず毎日毎日お嬢様に構っていらっしゃるとは……。こうしている間にご自分の足でお帰りになってはいかがですか? どうせ暇なのですから、あなた方は」
アルはフッと笑い捨て、私の背中をそっと押す。
「参りましょうお嬢様。そろそろ迎えが到着します。ここにいてはお嬢様のお身体に障ります、野蛮な菌が移ってしまいますよ」
「だっ、誰が菌だって!?」
途端にロクサが顔を真っ赤にして反論する。それに便乗するようにフォースもフェルも騒ぎ始めた。
「従者の分際で生意気なんだよお前!」
「おや、私は別にあなた方が菌とは一言も言っていませんよ? それともご自覚がおありなのですか?」
アルは、皮肉を言うのが上手かった。
「こっの!」
そう言うなりロクサは背負っていた革鞄から銀色に鈍く光るハサミを取り出し、それをアルに突きつけた。彼の家は銀器を取り扱う事を生業としているから、きっと普段から持ち歩いてるんだろうな。護身じゃなくて、自慢する為に。ハサミを突きつけるロクサにフォースとフェルと私はぎょっと目を見開き、思わず後ずさる。
「お、おいロクサそれはさすがに……」
「そ、そうだよ! いくら従者だからって!」
「うるさい! こういう奴には一度痛い目を見せてやったほうがいいんだ!」
ロクサは二人の制止を払って鈍く光る切っ先をアルに向け、狙いを定める。アルはその切っ先を冷めた目で見つめたまま動かない。
「ちょっと構ってやれば図に乗りやがって、ムカツクんだよたかが従者のくせして……!」
ロクサがアルに向かってハサミを振り上げたのと同時に、私はアルの前に両手を広げて立ちはだかった。
「やめて!!」
「お嬢様!?」
いくら小さい私でも衝撃を和らげるくらいにはなると思った。迫る痛みに思わずぎゅっと目を瞑ったけれど、いつまでたっても痛みは襲ってこなかった。代わりに温かなぬくもりがふわりと私を包んできた。
ジョキリ
何か紙の束を切るような、嫌な音がした。
「アル……? なん、で……?」
目を開ければ、私を抱き込むようにしているアルが目に入った。そして、その足元には――。
「アル、アル……アルの、綺麗な髪が!!」
後ろで結っていたアルの綺麗な一房の髪が、そこにはあった。
「あ、あぁ……ご、ごめんなさい!」
「何してんですかあんたは!!!!」
「ひゃっ」
今までに聞いた事のないアルの怒鳴り声に思わず身を縮める。こんなにも怒りを露にしてるアルを、私は知らない。アルって、こんな風に怒鳴るんだ……。
「あんたに何かあったら、俺は……」
あ、一人称が私から俺になった……。って、冷静に考えてる場合じゃない!アルの目が、怖い!!
「ふ、ふん! 今日はこのくらいで許してやるぜ! お前ら行くぞ!」
「お、おう!」
「これ先生に言ったらおこだからな!」
ロクサはハサミを置き去りにしたまま典型的な捨て台詞を残して去っていった。正門でこんな大騒ぎしておいて先生に言ったら、なんて無理な話だと思うけどな。……てかおこって何?
「弱い犬はよく吠える、か……」
アルは三人の後ろ姿に向かってポソリと言った。
私、アルを守ろうと動いたはずなのに、結局アルに守られてしまった。……アルを守る? その時、心の隅にあった箱がカタリと音をたてて開いた気がした。アルを守る? あれで守れると思ってたの? 私は。私があんな行動に出れば従者であるアルは必ず今のような行動に出るって分かってたはずなのに、私の浅はかな考えのせいで、アルは綺麗な髪を失ってしまったんだ――。
そうだ、私はちっともアルを守れてなんかない。守られていたのはいつだって私。木登を降りられなくなって泣きじゃくる私を助けてくれたのも、遠足先で迷子になった私を一番に見つけ出して手を繋いで一緒に帰ってくれたのも、あの三人に色々言われて悔しくて泣く私の代わりに彼らと闘ってくれたのも、全部、全部、アルなんだ……! 主人は従者を守る者! 私が守られて、どうする!!
「お嬢様、お怪我はありませんか?」
「……」
「お嬢様? どこかお怪我を……?」
「アル!!!!」
「はっ、はい!?」
私の突然の大声にアルは一瞬ビクリと震える。
「どうされました? 突然大きな声をお出しになって」
「ごめんね、ちょっとハサミ貸してもらえないかな」
「え、これは凶器ですから先生に提出を……」
そう言うアルを無視して、私はアルの手の中にあったハサミをパッと奪い取った。そしてそのまま胸まであった二つのみつあみをジョキンと切り落とした。風にのって銀の髪が舞う、残ったサイドの髪がゆらゆらと揺れる。
「なっ、なっ、何して、あんた、何してんですか!!?」
あぁ、またあんたって呼ばれた。そんな事を冷静に考えながら私をアルの目を真っ直ぐに見る。
「アル、私強くなる!!」
「……は?」
アルは、私が何を言ってるのか理解出来ていないような顔をしていた。口をポカンと開けたまま私の次の言葉を待っている。
「今まであなたに助けてもらって、繋いでもらって、傍にいてもらって、守ってもらって……私あなたにしてもらうばかりで。それが普通なんだって、当たり前なんだって甘えていたの、ごめんなさい。でもこれからは、私があなたを守るから! どんな事があったって私があなたを守るから! 髪を切ったのはその覚悟を示したかったのと、アルへの、償い……です」
アルは私は見つめたまま動かない。私もアルを真っ直ぐ見つめたまま言葉を続ける。
「その為の力を私は手に入れます。……マルリッヒ中等部、あそこは全世界の紳士淑女が集う場所。そこで淑女としてのマナー、社会と闘う力を身につけてきます。あなたを守りたいから! それまで、待っていて下さい。必ず、あなたに見合う主人になって帰ってきます!」
「……は、い」
アルは呆然としたまま、呟いた。
それからの日々はせわしなく、アルと話す時間が大分減ってしまった。アルは何度か私に声を掛けてくれたのだけど、最高峰の学園に入学する為にはそれ相応の準備が必要だった為、私はそれを何度も無碍にしてしまった。そしてそのままマルリッヒ学園に入学した。
マルリッヒ中等部は都心にあり私の家は地方にあった為、必然的に寮暮らしとなった。世界最高峰の学園だけあって設備は万全で何の不自由もなく生活できた。寮暮らしをしている間、たった一人の家族である母様と、アルとの手紙のやり取りはずっと行っていた。けれど中等部三年目の冬、アルからの手紙がパタリと止んだ、こなくなった。母様に確認しても、「心配いらない」の一点張りで何も教えてもらえなかった。
「アルなら……きっと大丈夫」
そう、自分に言い聞かせた。
***
そうして、冒頭に戻る。
早く、早くアルに逢いたい……!
今日帰る事はアルには内緒にしてある。母様にも協力してもらってドッキリ大作戦を計画していたのだ。アルには明日帰ると伝えてもらってある。きっと驚くだろうな、ふふっ。
***
「母様、ただいま帰りましたー!」
「ヴァレリー! 逢いたかったよーぅ! おっかえりー!☆」
母様は若い、見た目じゃなくて、中身が。
「ヴァレリー? 今何か言ったー?」
「いいえ? 何も言ってませんよーぉ?☆」
昔一度だけ母様に「母様は中身が若いよね」と言った事があったのだけれど、その日から一週間ロクに口もきいてもらえないどころか、存在を空気として扱われた。もう二度と同じ過ちは繰り返さない、と幼いながらに心に誓った。
「母様、アルはどこにいますか?」
「え? えっとー、アルはねー……」
「あ、自室ですね? じゃあちょっと挨拶してきます! また後ほど」
「え、あ……分かったわ。いってらっしゃーい☆」
母様少し様子が変だけど、いつも変だから気にしない気にしない。やっと、アルに逢えるんだから……! この三年間で話したい事がいっぱいある。新しい友達の話や、身につけた淑女としてのマナー。そうだ、最初の挨拶は優雅に「ごきげんよう」なんて言ったらアルどんな顔するかな?
「……」
そんな事を考えてるうちに、アルの部屋の前まで来てしまった。いざ逢うとなると、少し緊張してしまう。手紙でやり取りしてたとは言っても、冬以降はしてないし。
「すぅーはぁー……よし!」
覚悟を決めてドアノブを回す。キィと音をたててドアが押し開かれる。
「アルー? ごきげんよう、久しぶりね」
少し早口になってしまった挨拶だけど、良かったちゃんと言い切れた。さぁ、アルはどんな反応をしてくれるのかなー?
「あ、れ?」
そのにアルの姿はなかった。居ないのはアルだけではなくて、寝具やら何やらが全てなくなっていた。
「あ、部屋間違えちゃったのかな……や、やだな。三年も経つと自分の家でも迷うのか私は。は、ははは……」
嫌な予感がした。間違える訳ない。たった三年でアルの事を、自分の家の部屋割りを忘れたりするなんて、あり得ない。
もう一度、母様に聞いてみよう。そうしたらアルがどこにいるのかちゃんと教えてもらおう。
「あれ、何で涙なんか……」
ポトリ、と一滴の涙が頬を伝い床に落ちた。緋色の絨毯に小さな丸いシミが出来る。シミが、増えていく。
「人の部屋に入る時にノックしない癖、まだ直ってないの?」
「!」
記憶にあるアルの声とは随分違って低いのに、それでもアルだと分かるのは、きっとずっと一緒に居た私の特権だと思う。勢いよく振り向いた先には、腕を組み、入り口のにもたれかかるようにして立つアルの姿があった。
「あ、あ、アル……!!」
名前を呼ぶと、アルは微かに微笑んだ。
成長したアルは綺麗な顔立ちはそのまま引き継がれ、色っぽさが増していた。身長ももうとっくに抜かされている。ただ、髪は伸ばしていないようだった。
「遅い……」
「ごめ、ごめんね! お待たせしちゃって……! 三年間も待ってくれてありがとう! あのね、私アルにいっぱい聞いてもらいたい事があっ」
「だから、もう遅いよ?」
「へっ?」
アルは寂しそうな、嬉しそうな笑みを浮かべて、
「俺はもう、あんたの従者じゃないんだよ――」
そんな、異国の言葉を発してきた。何これ。逆ドッキリみたいな感じなのかな。そんな顔じゃ嘘が本当か分かりづらいよ……。吐くならもっとマシな嘘を吐いてよ……?
「よく、分かんないよ。これ何かのドッキリなのかな? アルってば冗談キツいよー。もっと分かりやすい嘘にしてくれないと私、分かんな……い」
アルは何も言わずにずっと私を見つめていて、私もアルを見つめているのに、どうしてか視界がぼやけてしっかりとアルの姿が見えなくて、このままアルがどこかへ行ってしまいそうで――。
気付けばアルの服の袖を摘んでいた。アルは無言で、それがさっきの言葉は嘘じゃない、冗談じゃないって肯定してて、でも何か言わなくちゃって口を開きかけた時、彼女は現れた。
「申し訳ありませんが、そちらの手を離して頂けますか?」
亜麻色の綺麗な綺麗な髪を腰まで垂らし、甘い顔立ち甘い声、全てがとろけるように甘い女の子。唯一甘くないのは、その瞳。獲物を狙うようなを射抜くような、そんな瞳だけはギラギラと光っていた。
「ご挨拶が遅れてしまって申し訳ございません、現アルの主人であるエリエット・ディストルと申します。以後、お見知りおきを。さぁ行きましょうアル」
「分かった。……じゃ、さよなら」
掴んでいた裾がスルリと抜ける。私はそれをまた掴む事は出来なくて、ただ呆然とその場に立ち尽くしていた――。
中途半端ではありますが終了です。読んで頂きありがとうございました。