本音を映す瞳を隠そう
彼女の分厚い長い前髪の奥が気になった。
太い黒縁の眼鏡をかけそのレンズもなかなかの太さがあり、視力が低いことが見て取れる。
まるで自分の顔を隠すようなそれを、全て取り外し彼女の顔が見たい。
いつからか僕はそんな欲求を持つようになった。
そんな彼女と同じ日直になった今日だが、彼女は一向に僕と目を合わそうとしない。
覗き込んでみても、こちらを見るなとばかりに顔を逸らされるので少し傷つき始めた。
授業の合間に黒板を消していても、花瓶の水を替えていても、ノートを運んでいても、話しかけても、僕と彼女の視線が交わることは一度もない。
そんなに嫌われることをしたのかと頭を捻ったが、正直現時点で顔を覗き込もうとしていたら、当然嫌われるだろうと結論づけた。
まぁ、だからと言って素顔を見たいという欲求は消えないのだが。
むしろそう隠されると余計に気になるというものだ。
夕日の差し込む教室で彼女が日誌を書き込む姿を見つめていると、居心地が悪そうに彼女が身じろぐ。
「あの、帰っていいですよ」
シャープペンシルの動きは止まっているが顔は上げない。
今日はこの日誌を書き終われば日直の仕事が終わるわけだが、それまでにどうにかして彼女の顔を見たいのだ。
帰れるわけがない。
「いいよ、待つよ」
そう言って笑うがこちらを見ない彼女には無意味なことだろう。
僕がそう言ってもシャープペンシルが再度動き出さないところを見ると、視線に耐えられないので先に帰って欲しいのが本音なのだろうが、残念なとこに帰ってやる気はない。
カチカチカチカチ、とシャープペンシルがノックされる。
どう考えても書けないであろう長さまで出しても、そのノックする指は止まらずに最終的に芯が外れた。
「……何で、そんなに見てるんですか」
顔を伏せていても視線は感じるもの。
彼女の声が震えているので少しまずい気もしたが、僕は斜め前の席の他人の椅子に座り軽く傾ける。
数秒の間を置いて「顔が見たいからかな」と告げると、彼女の細い肩が僅かに揺れたのを見た。
おずおずとゆっくりと怖々と彼女が顔を上げる。
顎を上げただけのようなものなのでしっかりと視線が合うわけでもなく、彼女は僕をその長い前髪と分厚いレンズの奥から上目遣いで見ているんだろう。
「君の顔が見たいんだ」
ガタン、と音を立てて椅子から立ち上がる。
二人きりの静かな教室には小さな音でも良く響いた。
彼女の眼鏡に手を伸ばし払い除けられるより早く奪い取れば、慌てたように彼女も立ち上がり手を伸ばす。
机を挟んでいるので彼女の足が机に当たり、筆入れが音を立てて落ち、中身がばらまかれる。
彼女の意識が一瞬筆入れに取られた瞬間、眼鏡を持っていない逆手で彼女の前髪を払う。
瞳を隠す前髪を斜めに払えば、その奥の瞳が現れてやっと視線が交わる。
「っ……!」
綺麗な黒い瞳に僕の姿が映っていて目を奪われる。
パッチリとした大きな瞳にしっかりとした二重で睫毛も長い。
コンタクトにすれば見栄えもいいし、長い前髪も短く切り揃えればいいのにと思うほどだ。
彼女は目が合うと真っ直ぐに僕を見て、それから一瞬で顔を赤くする。
え、と僕の動きが止まった瞬間に彼女は我に返り素早く眼鏡を奪い返し装着、前髪を下ろす。
「ちょ、待って……」
僕の制止の声も虚しく彼女は筆入れとばらまかれたその中身を乱雑に鞄に詰め、日誌を僕の胸に押し付けて教室を走り出る。
取り残された僕だが、押し付けられた日誌は仕上がっていた。