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僕が僕じゃなければ  作者: ことのはゆみ
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はじめまして。ことのはゆみです。


慣れてなく、読みずらいところも多いかと思いますがよろしくお願いします。

 僕はとても弱っちい生き物だと思う。


 この街に住み始めてもう一年も経つ。僕はこの街の何を知っただろうか。この街は僕のことを知っているのだろうか。

 僕が逃げて逃げて逃げた先に迎えてくれた街。いや、あの人が用意してくれた街。僕はきっとあと数年でこの街から去るのだろう。いろんな街に住んだって、この街のことは忘れないだろう。特に何もない街。でも何かがある街。特別なものはない。

 でも、この街は大切なあなたが用意してくれた街だから僕は忘れない。



 僕はきっと生まれた時からこうなることが決まっていて、全てが運命で必然で何か一つでも違ったら僕はこうしてここにいないだろう。僕が幸せだったらこの街にはいないだろう。


 僕は1995年のクリスマスと大晦日の間に生まれた。生まれた時刻は夜中の3時10分。さぞ迷惑だっただろう。僕がおなかにいるせいでクリスマスもろくに楽しめず、生まれても年越しは病院で過ごしたのだと思う。

 僕の命ができたのは母親と父親が愛し合ったからではない。愛し合ってはいたんだろうが結婚はしていなかった。

 僕ができてしまい、両親は一度別れ、当然祖母は生むのをひどく反対したらしい。

 母は生む気でいたが反対した祖母に産婦人科まで連れて行かれそうになったところ、曽祖父母は堕ろすことを猛反対し祖母を説得させ母は僕を生むことに決めたと聞いた。

 僕が生まれてこれたのは曽祖父母のおかげだ。僕を生むことに決め、父親に話したところ、よりを戻し結婚することになった。

 だが、当時は今ほど「できちゃった婚」が世間に知られておらず、母親は20代前半だったため周りにとても白い目で見られたという。


 1997年、1999年、父親は同じことを繰り返し僕には妹と弟ができた。母は対策をしていたらしいがあまり意味もなさず2000年父親はまた同じことをして母親は中絶という選択を余儀なくされた。

 父親はパチンコや女遊びで毎日のように帰りは遅かった。家は借金だらけ。なのに仕事はコロコロ変え、昼から遊びまわっていたと聞く。

 そのため、生もうとするにもお金も気力もなく母は人生初の中絶という選択をしたのである。


 それから母はあまり家に帰ってこなくなった。

 父親といることがもう限界だったらしい。もともとふくよかだった母が普通の体型まで痩せていた事を覚えている。ご飯もあまり食べず一日中働いていた。

 そんな母や父に挟まれていたせいか僕は小学一年生にして不登校児になっていた。

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