第2章 一般人と魔法宗教
単なる一般人、砂衣誠に出会った平等鞠の魔法についての主観と思想。
第2章 一般人と魔法宗教
「あ、あっと、えっと……」
どう対応してよいのかわからない。何せ、このような状況に出会ったことが、鞠にはなかったからだ。
まさか任務中に、一般人に、魔法を知られるなんてこと――想定するだろうか?
確かに魔法を使って任務を達成する以上、魔法の存在が一般人に知られるおそれは少なからずある。しかも、今回は一般人を巻き込むであろう戦いだ。そこは『魔法行』も理解しているはずだ。もちろん、鞠も理解している。
だがしかし、『魔法行』も鞠も、たとえ理解していたとしても――対応を考えていたのかどうかというのは、また別だ。『魔法行』は宗教に巻き込まれた一般人をどうするのか、ちゃんと考えているが――鞠はといえば、全く考えていなかった。
いや、考えている。この少年が果たして魔法を知ったとしてどうなるのか。どうするのか。ただ、ここで鞠が対処を決めたとしても、それを『魔法行』が許すとは限らない。
組織に入り、そして活動するということ、それによる制限。好き勝手にできないという本当の意味。
「魔法って……本当に存在するんですか……?」
こちらの脳味噌を抉るような視線で、期待の心たっぷりに訊いてくる――鞠は考える。
この質問における真理的、事実的な答えはイエスだ。この電話それ自体が魔法で動いているし、そしてこれから鞠は、魔法を使った戦いに行くのだから。
……鞠の知らないところで言えば、鞠が生まれた時代からこの生命をまだ現世に留めているのも魔法のおかげなのだが――。
「ええ……魔法は、存在します」
鞠は答える。
「まさかこういうところで知られるとは思ってませんでしたけど……まあいいでしょう。これも一種の、魔法的な縁です」
「縁……」
結果、鞠は魔法の存在を、この見ず知らずの少年に話した。幾つかのリスクがあるが、おそらく、一番安全な方法だろうと、判断したのだから。
まず第一に、彼、少年の性格。彼の今までの話し方から推察した性格からすれば、彼は魔法を知ったとしても、それを大多数の人には言わないだろう。そういうことならば魔法を隠す必要がない。もしも彼が言い回ったとしても、その時はその時で、他の人が行ってくれる――例えば、精神感応系の魔法使いとか。そういう人が虱潰せる人数ならば。
第二に、これは第一の仮定が間違っていた場合――つまり、彼がとてもアクティブ、活動的な人間だっだ場合だ。この場合魔法の存在を教えるというのはとても危険なことだ。とても多くの人間に魔法を教えることになるかもしれない。
しかしそれは別の意味で大丈夫だ――といっても、『魔法行』的に許される、人間の責任問題的に許されることではないのだが。つまり、今から鞠が潰しに行く魔法宗教の教徒であると報告すればよい。
どうやら、話を訊いた限りだとアクティブな宗教らしい――こういう勧誘はしないらしいが、偶然という便利な言葉がある。
まあ曲がり角で誰かとぶつかるなんて、そんな偶然のほうが現実的にないのだけれど。
「まあでも私あんまり魔法は使えなくて……宗教というか、その活動の名前すら覚えてないんですよね……場所も曖昧で……良かったら、教えてくれませんかね?」
通常時の鞠ならば、このような話し方はしない。このようなコミュ障卒業したての人間のような話し方はしない。だから、これは一種の変装だった。
わざとらしくない行動をすることによって、逆に隠密性を高める、というやつだ。変にこそこそするというのは隠密性に欠けるというが、わざとこそこそした動きをして、逆に弱みを握ってもらう。そしてその弱みは、実はなんの効果も現さない。そういう作戦だった。
「そう言われましても、僕はちらっとしかそれを聞いてないんですけど……」
と、少年のリアクション。
ふむ。
彼はどうやら魔法使いではないらしい。よって、ここで戦闘――死闘が起こることはないということか。いきなりのエンカウントで即死することはないというわけだ。
鞠はそこで一安心し――いや、まだここからが本番だ。こいつは、どうにかしてでも『魔法行』に連れていかなければならない。今ここでテレポートの魔法でも使えれば良いのだが、しかしそれが出来るとされているのは『賢者』だけだ。あとは、それに匹敵する敬愛する濾過さんか――
私は、違う。なら、どうするか。
――考えている鞠をよそに、この少年――名前を砂衣 誠とする少年もまた、考えていた。
いや、そもそも魔法というものは普通の一般人が普通に生活していればまずその存在を認めることもできないのだ。誠はそうだったが、いまここで、魔法というものを見てしまった――正確には、音だけなのだが。
音だけ――? 幻聴という線はないのか? 思慮深い彼はそう思った。現実的には幻聴ではなく、耳が当たり前の機能として当たり前に聞こえたもの。空気の振動は確かにあったのだが。
だから、彼は聞かざるを得なかった。
「魔法――もう一度、見せてくれますか?」
「えっ」
見せてくれるか、そう質問することで、今度は視覚的な確証を得ようとしたということも含めての質問となる。べつに視覚的ではなくても、魔法というものは――やはり気になる。
鞠は驚いた――いや、魔法を知りたいのであれば、それを教えようという態度を取るつもりだった。ただ、向こうからそれをお願いしてくるなんて、願ったり叶ったり――
「……なのかなぁ?」
独り言。
見せろと言われて見せない理由はなくなった――いや、逆か。見せる理由がある。一番簡単な攻撃魔法でも見せればいいだろう。
「分かりました――『燭台の上の知恵』」
少年の目の前に手を差し出し、呪文詠唱も必要ないほどの簡単な魔法をその手の上に顕現した。炎だ。まあ、手のひらサイズの小さなものなので、炎というより火を出したようなものだが。
しかし、それでも一般人にはとても凄いことをしたかのように映る。
そして、あることを思いついた。
前線基地。
鞠がこのような身なりをしている以上――小学生の年齢である以上――ホテルを取るわけにもいかなかった。『魔法行』直属のホテルでもあればよいのだが、『魔法行』にはそもそも人がそんなにいない。
多種多様な国籍、民族が所属してはいるのだが、それでもまあざっと数えたところでその人口は10万人である。
そういうことを差し引いても、鞠はホテルのような豪華な場所は苦手なのだ。
「どうぞ、あがってください」
「どうもー」
アパートの一室。少年の家だ。
魔法的な縁という胡散臭い言葉で頑張ってここに前線基地を獲得したというわけだ。
……あまり綺麗だとは言えないが、人ふたり住むくらい問題はないだろう。そう鞠は評価を下した。
腰を落ち着ける。少年の方は冷蔵庫からお茶を取り出し、コップに注ぎ、鞠に差し出す。
鞠は受け取る。飲む。
「さて、魔法の仕組みについてでしたね」
胡散臭い口調で鞠は話す。
「まあ科学が事実から起こる現象だというのに対して、魔法は精神において起こる現象ですね」
「精神、というのは想像や意識といった考えでいいんですね?」
年下の鞠に敬語で話す少年。なんとも奇妙だ。
「そうですね。魔法ってもともと、思い通りに物事を操ることを目的としてますからね。つまり思わなければ何にもなりません」
「具体的に、どう操るんですか?」
「世界に流れている魔力を使うんですよ。その流れを理解して使う。それが魔法です」
魔法についての説明。一年生の教科書に載っている内容を話す。
「魔力を溜める、そして放出する。これが一般的な魔法の使い方ですね」
「魔力っていうのは?」
魔力。魔法を使うための力。魔力が何か分からないならば、当然魔法も使えない――
「……いや、そのへんはまだ研究されている最中らしいです。なんでも、あと五十年はかかるとか」
使えないというわけではない。皆さんご存知のように小説や漫画やアニメなどで――当然のように魔法を使っているではないか。そして、そういう作品にはたまに――生まれついての魔法使いがいる。
すなわち、魔法使いが具体的に明確な魔力のビジョンを持っているわけではない。
「魔法使いってものも曖昧ですよ。魔法使いの血を引けば魔法使いになるとは限らないとかなんとか」
「魔法を使うって、なかなか不明確なんですね……」
「不鮮明、ってところかな」
「その、魔法について聞いたことがあることなんですけど、いいですか?」
「聞いたことがある?」
「いえ、小説で読んだことがあるんですよ――魔法を使うより、科学を使った方が手っ取り早い――ということを」
例えば、先のパイロキネシスについてもそうだ。ライターで擦ればすぐに出るのに、わざわざ精神を集中させる必要はあるのか?
「そのあたり、どうなんですか?」
「――誤解が、多いよね」
鞠は目を細める。とても珍しい表情だ。
「そもそも、科学にしたって、良いことづくめなわけじゃないじゃん」
魔法は、余分なものが多い。だから、科学の方がより低コストで同じ現象を引き起こせるのではないのだろうか――
しかし、鞠の考えは違う。
「基本的に科学の仕組みは一つ――使いにくいエネルギーを使いやすいエネルギーに変換する。そういうことね。でもね――元が莫大なエネルギーを持っていたとしても、それを最大限活かすことはできない――使い果たす、変換しきるってことはないの」
エントロピー増大の法則という奴だ――自然な状態であるならば、使いにくいエネルギーへと変化する。エネルギーの高いものは、いずれ崩壊していく。リスク以上のリターンはない。そういう説明のできる法則、原則だ。
ちなみに、エントロピーというのは物事の散らかり具合のことだ。具体的な例を挙げて例えるならば、部屋の中に子供とおもちゃの詰まった箱があるのを想像してみればよいだろうか。子供はおもちゃ箱からおもちゃを取り出してそれで遊ぶだろう。そして積み木でお城でも作るかもしれない。しかし最終的には、それは片付けされない。散らかったまま――また次のおもちゃをおもちゃ箱に探すだろう。そのおもちゃにおいても、また同じような扱い方をされる。つまり、部屋はどんどん散らかり――無限水源でもないおもちゃ箱は、いつか底が見えるようになるだろう。
科学は、これをなんとか片付けさせようという、言うなれば親の叱咤のことなのだろう。子供に部屋を片付けさせる、そういうごく当たり前な親と考えることができる。そして叱咤した結果、おもちゃは片付けるが、次は絵本がそれ以上散らかった状態になるだろう。
「でも魔法は、そんなことはない。だって、はじめから溢れるように魔力があるのだから」
魔法――先ほどの子供と部屋の例えで説明するならば、どうなるのだろうか。科学が問題児を叱咤する親だというのなら――そのあたりに溢れている魔力を使うという行為は――壁を抉り取っておもちゃとする、問題児ならぬモンスターペアレントとでも呼ぼうか。この場合のモンスターというのは怪力という意味だ。
そこにあって当然なものを利用する――それが、魔法なのだ。
そして壁というのがこの場合比喩でしかない。つまり世界が存在する限り、魔力もまた存在している。世界の力――これこそ魔法である。
「魔力が無限に存在するなら、変換率は100パーセントであるべきだし、思想によって変換されるなら、エネルギー効率も100パーセントでなければならない。どう考えても、魔法のほうが便利じゃん」
「な……なるほど」
科学が劣る。魔法よりも科学の方が劣る。魔法の方が優れているという事実を知った少年は、大きなショックを受けた――というわけではない。
魔法を信じていたというわけではなく、実際のところ科学すらあまり知らなかった。それがその理由だ。
あ、じゃあ魔法の方がいいじゃん――そうすんなり納得できるように、現代の人間は訓練されている。特に日本人は。
そういうわけでそれが誠の反応だった。
「ほかに、何か質問はありますか?」
「いや、いまのとこ他には無いです」
と、いうやり取りでとりあえず初日の質疑応答は終了した――まあ初日という言い方は長居するようでなんだがとにかく初日だ。時刻は正午前。昼食をそろそろ食べなければならない、と鞠の胃袋は気づいた。
そして時間の経過と共に、襲撃作戦のことを思い出した。いつ出発するのか――あの四人がどのように戦うのか未だ判明していないので具体的には定まっていないのだが。
ただ少なくとも、四人の魔法の性質上昼間に戦うのが良いだろう。寺の中での戦闘であれば一般人に見られることもないのだから。
夜になると眠くなるからという理由ではないのが、この平等鞠の女の子らしくないところである……彼女は資料を確認したあと到着駅まで寝ていたのだ。何より、そんな可愛らしいことを言っていれば――敵に殺されてしまう。
というわけで最小限の可愛さしか鞠は持ち合わせていないのだが。
「あー、じゃあ、トイレ借りていいですか?」
鞠は顔を少し赤らめ、少年を見ずにそう言った。これでも鞠は女の子なのだ。
第2章・終
第3章へ続く