サイノプス史 外伝
エイプリル・フールだということで、ごめんなさい。
春のファンタジー短編祭(武器っちょ企画)参加作品です。 http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/126804/blogkey/396763/
●短編であること
●ジャンル『ファンタジー』
●テーマ『マニアックな武器 or 武器のマニアックな使い方』
サイノプスは剣のように聳え立つ山脈に囲まれた小国である。
寒冷な気候に火山灰の多い酸性土壌、とあっては作物の生育も悪い。
わざわざそんな土地を選んで建国したのは、とある大国の第7王子、変わり者と名高いネベウスであった。
あるとき、彼は町で見初めた娘と恋に落ち、彼女を娶りたいと母である女王に恐る恐る進言した。
本ばかり読み、戦闘を嫌うひ弱なネベウス。女王は、彼に王族としての自覚を持たせるいいチャンスだ、と密かにほくそ笑んだ。
「その町娘と結婚したくば、国を出て独立せよ」
千尋の谷から突き落としたつもりで、国を追い出した。しかしネベウスはある意味聡明であった。おりしも戦乱のご時世。険しい山に囲まれていれば他国からは攻めにくく、国力が乏しければ元より侵略の手は伸びなかろう。ネベウスはその土地を合法的に買い取り、国を作ることにした。彼の唯一の願いは妻と平和に暮らすこと。それに最適な土地がサイノプスだったのだ。
「軟弱なことよ」
自ら進んで貧しい王国の主となった臆病な息子に女王は苦笑した。
しかし慎ましい国政は、ネベウスの第1王子メンドゥーサのために一変する。
読書好きで夢見がち、争いを嫌うメンドゥーサ。明らかに父王似の王子であった。メンドゥーサが成人を迎えた時、父王ネベウスは自らを省みて、息子に武者修行のための遠征を命じる。
その道中、凍てついた氷原で、メンドゥーサは死にかけていた美しい娘カシクを助けた。彼女は透視能力と読心術を備えた力を持つ者であった。ふたつもの能力をもつ者は珍しく、その力により周囲から疎んじられ、あちこちを彷徨った末に行き倒れていたのだ。父王同様、メンドゥーサも一目惚れを信じるロマンティックな男である。ふたりが引かれ合うのに時間はかからなかった。
遠征からカシクを連れ帰ったメンドゥーサに、父王ネベウスは難色を示した。
「どこの馬の骨とも知らぬ娘を、次期国王の妻にするわけにはいかぬ」
そのネベウスとて市中で見初めた娘を后にした男。心の底から反対していたわけではない。後の書物には、
『だって国王らしい台詞を言ってみたかったんだもん!(サイノプス史・外伝〜初代王ネベウスの巻より)』
と記されている。いずれにしろ、一度口に出してしまったことは引っ込みがつかない。賢王ネベウスは、仕方なく条件を挙げてカシクに示した。
「カシクよ、そなたがメンドゥーサの、ひいては我が国のためになる女子か否か、我の前に形にして見せるがよい」
カシクはメンドゥーサの側にいたい一心で、そのたぐいまれなる力を駆使した。彼女は透視能力でサイノプスの山々が金やプラチナ、石炭などの豊かな鉱山であることを突き止めてみせたのだ。父王ネペウスは
『メンドゥーサには口きいてもらえないし、どうなることかと思った! よかったー、なんとかごまかせて!(サイノプス史・外伝〜初代王ネベウスの巻より)』
と胸を撫で下ろし、何食わぬ顔で娘の功績を称え、ふたりの婚姻を許したのだ。
以来サイノプスは地下資源により飛躍的な発展を遂げた。
それから5年。父王の崩御に伴いメンドゥーサは2代目の国王になった。
サイノプスは豊かになったものの、まだまだ発展途上の国であった。なぜなら鉱山の発掘がスローペースであったからだ。
「鉱山を掘り尽くせばあっという間に国は衰退する。出し惜しむくらいがちょうどよい」
メンドゥーサはそう言ったが、それは表向きの理由であった。
鉱山を探し当てるには后カシクの透視能力が欠かせない。だが、カシクは透視をするたび身体に多大な負担がかかり、3日間は寝込んでしまうのだ。
『カシクに無理させちゃだめだって! ふたりのいちゃいちゃ時間が減るのは死活問題なんだよ! 皆の者、いいか、しかと心得よ! (サイノプス史伝〜2代目王メンドゥーサの巻)』
そんな国王の方針で発掘はスローペース。さらに、
「ヤポニカとかいう国では『豆100粒』とかいう美談があってだな。いや、『芋ひと袋』だったか……」
とにかく目先の利より福祉や教育の充実に重きを置けと言われているため、サイノプスの軍事費は少なく、武器や装備も乏しかった。資源豊富なサイノプスはいつ何時大国に攻め込まれるかわからない。自国を守るため、王とその側近は策を講じた。
戦術に長けた能力を持つ者を優遇する政策を打ち出したのだ。
国王がサイノプスのためになる人材と認定した者は、国や貴賤を問わず防衛軍に入隊でき、その身をサイノプスのために捧げると誓えば一生の安泰を保証される。
剣術や馬術、兵器の研究など、単純に戦術に明るい者も名乗りを上げたが、実は集まった者の多くは力を持つ者と言われる人々であった。
もとより透視・読心能力を持っている后がいる国。今まで他国でその能力ゆえ虐げられ阻害されてきた者たちは、挙ってサイノプスに集結した。彼らを国に入れてしかるべき者かどうかは后が読心により判断した。
集まったクリンガたちは透視、念力、読心など様々な能力を持っていたが、中でも傑出していたのは幻灯士と呼ばれる者たちである。
幻灯士は第三の目と呼ばれる額の小さな穴から、音や香り、温度までもを伴うリアルな映像を流すことができた。しかもそれは狙った対象人物の脳の中にだけ繰り広げられる、夢を具現化したような世界。見た者はさながら異国の旅人のようにその幻想の中を彷徨い、現実から切り離される。ムンドゥスは、幻灯士によってさまざまだ。ある者は広大な花畑だったり、海底都市であったり、ビルの中だったり。それぞれの歩んできた人生や趣味・嗜好によって映像は異なり、優秀な幻灯士であればあるほどいくつものムンドゥスをもっていた。その創り込まれた空想絵巻はあまりに心地よく、ついのめり込んでしまう。
戦闘時においては複数の敵を一挙にムンドゥスに引き込み、自分のテリトリーで思うままに攻撃を仕掛けることができるのだ。多くのクリンガが国防のために戦う中、幻灯士の勝率はきわめて高かった。凱旋後は十分な休養をとったのちにメンドゥーサの宮殿に招かれる。第三の目からの珍しいムンドゥスの数々は、メンドゥーサやカシクにとって大きな娯楽でもあるからだ。誉れ高き幻灯士たちは国王に気に入られ、ついにはサイノプスの軍に『幻灯士部隊』が結成された。
そのころ、黒い馬に乗った男がサイノプスの国境を越えようとしていた。
彼の名はザイオン。
漆黒の髪をなびかせ、浅黒いが艶やかな肌の中に埋め込まれた琥珀のような瞳。端正な顔立ちは王子と見まごうほどの気品に満ちているが、着ている黒い上着はかなり年季の入った代物だ。立ち襟や裾、袖などが金糸で縁取られ、前身頃は様々なボタンでびっしりと埋め尽くされている。金ボタンはもちろん、黒真珠を埋め込んだものや、象牙に薔薇の細工をしたもの、魚を象ったエメラルドなど、このあたりでは見かけないボタンばかりだ。そして彼の腰には柄が返り血で黒ずんだごつい太刀が下がっている。
ザイオンの職業は傭兵であった。自由を愛しひとつの土地に留まるのを嫌い、目星をつけた国に入っては、その国で強いといわれる男に決闘を申しつける。そこで勝ち星を上げ要人の目に止まれば、軍に入隊し戦闘に加勢するのだ。戦いが勝利をおさめ国を挙げて祝杯を上げているころ、ザイオンは褒美を抱えてさっさと次の国へと姿を消す。
長居は無用、しがらみは身を滅ぼす。強い者と剣を交えて腕を上げ、報酬をもらえればそれで良かった。孤児であるザイオンは、はじめに彼を引き取った養父母から縁者にたらい回しにされ成長した。愛情を求めても返されることのない毎日の中で学んだのは、強くあれ、ということだ。力さえあればこの身ひとつでなんとか生きてゆける。
「愛と黄金の国、サイノプスねえ」
彼は馬上からその街並みを眺めた。先進国ほどの文化水準はないが豊かで、家族や子供を大事にせよと憲法に謳うサイノプス。軍備や兵器に使う金を福祉や教育に費やし、軍には怪しい力を持った者ばかりを集めているという。
「お手並み拝見と行こうじゃないか」
ザイオンは薄く笑った。
入隊を希望する、と軍に掛け合うと、現れたのはごつい体躯の司令官だった。彼はザイオンの頭の先から爪先まで視線を這わせる。最後に胸のボタンを数え上げるように見つめると、
「なるほど……お前が『ボタンのザイオン』か」
と低く笑った。太い指がボタンのひとつを指差す。
「ウーヌスの『血のルビー』。あの鉄壁の軍隊を脱走したとは見上げたものだ」
胸に輝く1番新しいボタン。それには、血のように赤い、ウーヌスでしか採れない貴重なルビーが施されていた。ザイオンのボタンはその国での勝ち名乗りだ。戦争に勝ったとき、その国の最高の素材、細工が施されたボタンを奪い、縫い付ける。今や縫い付ける場所に苦労するほどボタンだらけの上着は、彼が動くとしゃらしゃらと鈴のように鳴った。
サイノプスには、ザイオンの噂が耳に届いているようだ。恐らくその功名も、悪名も。
(さて、どう出るか)
ザイオンもにやりと笑みを浮かべて司令官を見返した。ひとつの軍に落ち着かない自分をどう評価するのか。まあ、この腕で全てをもぎ取っていくしかないのだが。
「国王と王妃にお目通りいただく。宮殿へ参れ」
司令官はひらりとマントを翻し、先に立って歩き始めた。
「ザイオンとやらをこちらへ」
女官の声がして、薄いベールのような幕が引かれる。玉座には国王メンドゥーサと后カシクが座っていた。カシクの腕の中には、丸々とした赤ん坊が抱かれている。数ヶ月前に生まれた第一王子ペクーニアであった。
(傭兵の審査に、赤子連れで高みの見物か。随分暢気な国王だな。俺の命も軽く見られたものだ)
ザイオンは心の中で軽く舌打ちをした。
「おお、お前がザイオンか。近う寄れ。噂は聞いておる」
メンドゥーサは目を輝かせながらザイオンを呼び寄せ、その上着に息がかかるほど顔を近づけた。
「聞きしに勝る見事なボタンの数々。ウーヌスのルビー、ヤビシアのトパーズ、トゥエーデのサファイア」
メンドゥーサは次々と素材と国を言い当てる。元々凝り性で暇があれば書物を読んでばかりいる国王メンドゥーサ。サイノプスに資源があると知るや、貴金属や貴石についての書物を片っ端から読破した。さらに識者や鑑定人などから事細かに学んだ結果、いまやサイノプスの王は宝石商より目が効くと言われている。
しかしその中でもメンドゥーサが興味を示したのは、白いシンプルなボタンであった。温かみのある滑らかな艶をもち、地図の等高線のように年輪が刻まれている。メンドゥーサはそれをつまんでしげしげと眺める。まさか一番地味な物に目が行くとは思わず、ザイオンは眉を上げた。
「それは、元々この上着についていた物です。私はこのボタンひとつしかついていない上着にくるまれ捨てられていたそうで、このボタンがどこのものかも知りませぬ」
「ほう……それは気の毒に。つらいことをきいてすまなかった」
メンドゥーサは顔をしかめた。
(この札付きの傭兵に『すまなかった』だと? お人好しもここまでくると滑稽だな)
ザイオンが口端を上げれば、王の目は再びボタンのついた黒い上着に注がれた。
「だがその上着は上等な絹織物。お前は高貴な血筋の者とみた」
メンドゥーサの言葉は、治りかけの傷に触れたようにザイオンをぴり、と苛立たせる。
「私にとっては、氏や生まれなぞ塵に同じ。信じられるのは我が身だけにございます」
ザイオンはメンドゥーサに強い眼差しを向けた。
「黄金の国の王よ。どうか私の力をご覧ください。このザイオン、必ずや王のお役に立てると」
「……『愛と黄金の国』だ」
王は憮然として訂正する。このキャッチフレーズは、多額の身銭を切って名だたる詩人に作らせた彼のお気に入りなのだ。
「カシクよ。先日の透視からまだ2日しか経っておらぬ。心苦しいが、この者を『読む』ことができるか?」
気づかう王にカシクは微笑み、赤子を抱いたまま席を立つ。
「王の仰せなれば」
ザイオンの前に歩み寄るカシクは、本当に子供を産んだのかと思うほどにか細く小さかった。しかし長い睫毛で縁取られた翡翠色の瞳や濡れたような赤い唇にはそこはかとない色香が漂う。抱いている王子は黄色の巻き毛が無垢な顔を縁取り、天使のような顔で寝息を立てていた。カシクは、跪いたザイオンの頭上に片手をかざし、ゆっくりと撫でるように揺らめかせる。すると頭全体が熱くなり、薄い膜でぴたりと包み込まれるような圧迫感を覚えた。
(はっ)
読心を封じる術に心得のあるザイオンは、ひそかにぐっと丹田に力をこめ心の中で呪文を唱え続ける。しかしカシクも負けてはいない。周囲の気はザイオンをあぶり出すようにじわじわと浸食し、脳全体が熱く締め付けられて蒸気でも上がるような気配がした。
(まずい)
思惑、信念、記憶、欲望。それら全てを束ねる枷が、外れそうになったとき、カシクはかざしていた手のひらを離し、赤子をぎゅうと抱きしめる。ぱん、と何かが弾けた音がして、熱い気は身の回りから消えた。ザイオンは思わずその場に手をついた。肩で息をする。
「ふっ」
ザイオンは冷や汗をかいた額を拭いながら、すぐさま太刀の柄に手を遣り体制を立て直した。
(これは……聞きしに勝る力だ。読まれた、か?)
ザイオンがカシクの様子を伺うと、
「どうした、カシク!」
王は悲痛な声で立ち上がり、赤子ごとカシクを抱きかかえる。カシクは青白い顔をして王にもたれながら玉座に戻った。
「このものは、私のような力を持つ者にございましょう」
カシクは小さな声で王に伝える。
「読もうとすれば、阻まれてしまうのです」
「なんと」
王はザイオンの顔を見上げた。
「そのほう、剣の腕も相当なものと聞くが、読心もできるというのか」
「いえ、私の力は読心ではありませぬ」
ザイオンはふてぶてしい笑みを浮かべる。
「読心でないなら、何だ」
苛立って身を乗り出すメンドゥーサにも、ザイオンは動じない。
「まだ、手のうちを見せるときではないかと」
しゃあしゃあと言ってのけるザイオンに、メンドゥーサ王は逆上した。
「何だと!」
立ち上がろうとするメンドゥーサを、カシクが制した。
「おやめ……ください、ませ」
弱々しい声はなかなか聞き取れない。メンドゥーサは再び腰を下ろすと、妻の口元に自分の耳を寄せた。妻のか細い声を聞き取ると、メンドゥーサは必死でうなづいている。
「ごめんね、僕が無理させちゃったから! うん、もうカシクはね、ゆっくり寝室で休んでて! 僕もこれ終わったら速攻行くし! え? そんな、ただ横についてるだけだよう! ペクーニアもいるし、弱ってる君にあんな事やこんな事なんかしないよう!」
漏れ聞こえる囁き声は確かに王の声ではあるが、威厳の欠片もない。
家臣がこほん、と咳払いして、ようやくメンドゥーサは今の状況に気付き、はた、と顔を上げた。
「王、私はここに控えております。皆の戦いぶりも見守りたいと思います故」
カシクの顔色も幾分戻ってきたよう見える。
「そうか」
メンドゥーサは居住まいを正すと、ザイオンを睨めつけた。
「それでは、お前の手のうちとやらを見せてもらおうか。幻灯士部隊から、そうだな……ラディアを」
王の言葉に家臣がハンドベルを鳴らす。すると次々にベルの音が反響してゆき、最後の音が消えるころに、すっと大理石の床に影が差した。
「ラディア、参りました」
淡いブルーのローブを纏った娘が王の前に跪いた。額には幻灯士特有の小さな窪みがあり、そこを青いサファイヤが封をしている。栗色の髪を長く垂らし、その瞳もローブと同じ淡いブルー。
(笑顔でも見せればさぞかし男を魅了するだろうに)
そうザイオンが思うほど、彼女にはまるで表情というものがない。
ラディアが深々と頭を垂れると、王は頷いてザイオンに向き直った。
「この幻灯士と戦うがよい。成功の暁には我が軍への入隊を許そう。ただし、この戦いは御前試合であり、殺し合いではない。決して命を落とすような真似はしてはならぬ」
「それはお優しいお心遣いでございますが、王」
ザイオンの言葉は慇懃で含みを帯びている。
「負けた者を生かしておくような甘いことでは、いつまでもこのサイノプス軍の水準は上がりますまい。命を賭けて戦ってこそ、腕は磨かれるもの」
「……ならぬ」
王の声は地響きのように唸る。
「殺生をしたいのならばこの国を出るがよい。我はいたずらに命を奪うことを好まぬ。それは我が妃も同じこと」
王に肩を抱かれた王妃カシクも、力なくではあるがゆっくりと頷いてみせる。
(なるほど。寵愛する后の言うがまま、まさに傾城といったところか)
ザイオンは胸の中でため息をつく。
(この国は早晩滅びるだろう。さっさともらえるものはもらって、ずらかるに限る)
表面上は王に敬意を示しつつ、ザイオンは太刀の柄に手を掛けた。じゃき、と重い太刀の峰が鞘を擦る鈍い音が響く。誓いの儀式のように刃を顔の高さに上げた。
「それでは血に飢えた刃には『今日のところは我慢せよ』と言って聞かせることに」
ぎらりと濡れたように光る太刀に、ザイオンの美しい琥珀の瞳が映る。
「では、ふたりとも、前へ」
幻灯士ラディアの裸足の白い足が大理石の床を進む。足首に嵌められたアンクレットがしゃらり、と鳴った。ふたりが向き合って立ったところで、その周りに家臣が黒い砂を撒く。ラディアとザイオンは黒い円陣で囲われた。
「この砂の円から出てはならぬ。この円から出るか、追いつめられて動けなくなれば負けだ。何度も言うが殺してはならぬ。正々堂々とお前の力を我に見せよ」
王は手にした白い布を目の高さに上げた。
「始め!」
布が振られた瞬間、涼やかな風が巻き起こった。サファイアを外したラディアの額には小さな穴が現れ、そこから風が吹いているのだ。しかし円陣の砂は微動だにしない。
(幻灯士のまやかしが始まったのだな)
ザイオンはじり、と足を踏みしめ、相手の出方を待った。
すると突然、幕が上がったように視界が変わる。
そこは海辺に立つゴシック調の教会だった。
天を突き通すような小尖塔が無数に立ち並ぶ様は、まるでサイノプスの山脈だ。屋根の下には繊細なステンドグラスを施した薔薇窓があり、中央に重厚な木の扉が見えた。細やかに植物の絵が彫り込まれたその扉にザイオンは手を掛ける。難なく扉は開かれた。
中は天窓からの光だけでほの暗く、ザイオンが足を踏み入れると空気が動いて小さな埃がきらきらと舞う。
(よくできている。これがムンドゥスか)
ザイオンは目をこらした。入ってすぐの拝廊は天井の高いホールになっており、床にはアイボリーと黒の石板で迷宮模様が施されている。その迷路のような模様の中央には、薔薇と聖人が描かれた丸い石板が嵌め込まれていた。大抵の聖堂ではここに年号と国王、司教の名と共に建築家の名前が刻まれている。
——ピュール・イグニス。
世界に名だたる聖堂建築家の名前がそこにあった。
(ということはここは現実に存在する教会か)
そのせいだろうか、ザイオンには入ったときから既視感を感じていた。
拝廊の先には祭壇に向かう身廊という中央通路が通っているが、行き着く先が見えないほど長い。天井にはアーチ状の梁が無数に連なり、巨鯨の肋骨に飲み込まれたかのようだ。ザイオンは太刀の柄を握りしめながら先を急いだ。
(ラディアは、どこだ)
幻灯士のムンドゥスの中には、必ず幻灯士本人が潜んでいると聞く。それを見つけて討ち取ればよいのだが。
——コツ、コツ、コツ。
ザイオンのブーツの踵が高らかに鳴る。
——カツン。
(ん?)
音が軽い、と思った瞬間、足元の石板がぱっくりと口を開いた。
——ひゅっ。
ザイオンは息を飲みすんでのところで身を翻す。風が吹き込んでくる床穴を覗き見れば、深い底からざざん、ざざん、と波の音が轟く。
(落下すれば海の藻屑か。あれほど命を奪うなと言われていながら、小癪な真似を)
ザイオンは小走りで長い身廊を駆け抜ける。
(どこだ)
身廊の両脇は列柱とアーチで仕切られ、左右2本の側廊に繋がる。ジグザグに走りながら、ドアを1枚1枚開けてゆく。集会室、祭室、食堂。人の気配はない。
ついに祭壇のある聖堂に辿り着く。ステンドグラスからの色とりどりの光。
(聖堂こそまやかしそのもの)
ザイオンは聖堂をぐるりと見渡した。
(オルガンが響く高い天井も、薄暗い内部に天窓から光が落ちるのも、神の彫像の陰影もすべて信仰心を煽るための仕組まれた美だ)
神など信じない。
神がいるならばもっとましな暮らしが出来ていたはずだ。
人を殺めなければ自分が飢え死ぬ。
どれだけ倒しても倒しても、安住の地はなく、いつも背後を振り返りながら逃げ惑う人生。
(教会は嫌いだ。ここにいると余計なことを考えすぎる)
ザイオンは踵を返して外に出た。
外に出ると潮風の香りにむせ返りそうだ。修道院の周りには回廊があり、一部が坂の上に繋がっている。
(別棟か)
回廊に足を踏み入れると、両側に立ち並ぶ太い支柱からシュルシュルと音がする。柱頭の葡萄のレリーフから突然蔦が伸び、ザイオンの足に素早く絡んだ。
「むっ」
足を取られた瞬間、屋根から石像のガーゴイルが翼をはためかせて飛んでくる。けたたましい鳴き声を上げては、ザイオンを襲った。
「邪魔立てをするということは、ラディアは上か」
巻き付く蔓を太刀で切り離し、ガーゴイルを振り落とす。ザイオンの太刀は石像に当たっても刃こぼれひとつしない。傾斜のある回廊を駆け上がり、先にある建物の扉を蹴破った。
大きな音と共に開いた場所から漂う、古い紙とインクの匂い。
薄暗い中に目をこらすと、とてつもなく広い室内の全貌が見えてきた。
高い天井に届かんばかりの夥しい数の書棚。そこにびっしり隙間なく煉瓦のように堆く積まれた分厚い書物。
天井には学者や聖職者に学ぶ弟子たちの絵巻図が描かれている。
そこは教会図書館であった。聖堂と同じく、人影は見えない。ザイオンが注意深く中を進むと、並んでいる机のひとつに、後ろ向きにひとりの少女が座っていた。
栗色の髪、淡いブルーのローブ。
彼女が椅子から立ち上がり、ゆっくりと振り返る。
額は前髪で隠れているが、その瞳は晴れた日の海のような淡い、ブルー。
「ラディア」
名を呼ばれた瞬間。
ラディアはあろうことか、顔を花のようにほころばせた。
警戒して太刀の柄に手をやりながらも、ザイオンはその変わりように息を飲む。
凍てついていた表情は溶け、眼差しは春の陽のように柔らかい。彼女に見つめられると、不思議な力が漲った。例えるなら、身体の内から何かが芽吹いてくるような。ブルーの瞳はザイオンに語りかける。
『あなたを、ここでずっと待っていた』と。
(これはいったい、何だ?)
「ザイオン」
落ち着いたラディアの声。高い天井に温かく響くアルト。
(なぜだ。この場所も、彼女の眼差しも声も、しっくりと馴染む。全く覚えはないのに……)
おずおずとラディアに指を伸ばしそうになったとき、ザイオンのこめかみが、ずきり、と痛んだ。
——これは、ムンドゥスだ。
——幾度となく女に寝首をかかれそうになったことを、忘れたか。
長年の戦いで培った危機を回避する本能が、彼の頭に警鐘を鳴らした。
とある国を脱走するとき、『連れて行って』と縋ったのは軍の息のかかった女。
『愛してる』と繰り返し囁いた女は、ザイオンが寝ている隙に彼の胸にナイフを突き立てた。
全て、その場で斬り捨てた。
その絶望の表情も、つんざく悲鳴も、ザイオンの記憶には残らない。
——所詮、俺は屍の山を踏み分けていく男。
昔も、今も、そしてこれからも。
目蓋を伏せれば、かっ、と血潮の色が滾る。
「地獄の紅焔よ、我が手に!」
ザイオンが左手を広げると、指先から赤い炎が燃え上がる。胸の所でその手を握り手のひらを上に向けて開くと、火はめらめらと大きくなり、たちまち天を突くような火柱になった。薄暗い図書館が真昼の広場のように明るく照らされ、ごうごうと火柱は吠える。
「真朱の龍、いでよ!」
ザイオンが右手で太刀を抜いて天に突き立てるように掲げると、太刀の先から火炎がちろちろと躍り、左手の火柱に絡んだかと思うと巨大な龍の形になった。紅の龍はラディアの前に燃えさかる大口をがばりと開く。
「ザイオン、いけない! 火は!」
ラディアは周囲を見渡しながら叫んだ。
「何を今さら。俺には散々攻撃を仕掛けておきながら、今さら弱い女の振りをしたところで手加減はしない」
炎の龍は鎌首をもたげる。
「燃えてしまう! 書物も、この修道院も!」
くくっ、とザイオンは笑う。
「望むところだ。全て灰になるがいい!」
ごう、と熱風が渦巻き、龍の首は5つに分かれた。それぞれが大きな口から炎の舌を伸ばし、陽炎のように揺らめく。
「行け!」
ザイオンの声に、5匹の龍の口から紅蓮の炎が巻き上がる。書物も、天井画も、燃え上がる焔に掻き消されたように見えなくなる。
「ザイオン、だめえぇ——!」
ラディアが叫んだ瞬間。
ぱりん、と何かが割れるような音がした。
ぱら、ぱら、と水滴が落ちてきて、やがて雨のように降り注いでくる。
炎と雨の間で、ザイオンの記憶の扉がゆっくりと、開いた。
『かかさま! ととさま!』
『ザイオンは、いい子。いい子ね』
『逃げろ! ザイオンだけでも生き延びておくれ!』
『そんな! あなたは!』
『いいから、早く!』
『ピュール!』
きら、きら。ガラスの破片のように落ちてきては刺さる、心の棘。
(思い出した……いや、むしろ、なぜ今まで忘れていた?)
呆然と立ち尽くすザイオンの前に、炎は次第に小さくなっていく。
5匹の巨大な龍は徐々に縮んでゆき、くたりくたりと首を重ねて動かなくなるさまを、ザイオンは信じられない気持ちで眺めていた。
「止め!」
王の声と同時に、ザイオンの眼前に白い布が翻る。
気付けばザイオンは再び宮殿の大理石の上に立っていた。足の下で、ざり、と音がする。ザイオンの踵が、円陣の黒い砂を踏んでいた。
一方のラディアは微動だにせず、裸足の足はきちんと揃えられたまま。サファイアを第三の目に嵌め込むと、ラディアはにっこりと微笑んだ。
(俺の、負けだ)
ザイオンはがくりと膝をつくと、王にひれ伏し懇願した。
「どうぞこの場で私にとどめを」
(俺には生きていく価値などない。俺のせいで、父は、母は……)
大理石にぽたりと落ちたのは、汗か、涙か。
「ザイオン、面を上げよ」
おずおずと顔を上げたザイオンに、メンドゥーサは深い微笑みを浮かべると、あたたかく呼びかけた。
「我は徒に命を落とすことは好まんといったはず。ザイオン、お前が我が従兄弟と思えばなおさらだ」
「は? 従兄弟?」
ザイオンが目を見開くと、メンドゥーサは頷いた。
「そうだ。お前は私の父の末の妹ノウェムと、聖堂建築家ピュール・イグニスの息子。紛れもない私の従兄弟だ」
ピュール・イグニス。 ザイオンの記憶の糸が今繋がった。
(ああ、そうだ、母は父をピュールと。あの修道院で感じた空気はそのためだったのか)
王はザイオンに微笑むと話を続けた。
「お前の母ノウェムはかなりのお転婆な姫でな。自国にかの有名なピュール・イグニスが修道院を建てるというので、こっそり城を抜け出しては見に行っていたらしい。そのうちふたりは恋仲になったが、大国の姫と、有名な建築家とはいえ平民の許されざる恋だ。お前を身籠もってしまった姫はこっそり産み落とした息子を、ピュールの建てた修道院に泣く泣く預けた。ノウェムとピュールは密かに修道院を訪ねては、お前に会いに行っていたのだ」
曖昧の記憶の中、父も母もどことなく悲しげな顔をしていた気がする。
「お前が5歳のころだ。修道院の教会図書館で、お前は会いに来てくれた両親と話をしていたが、別れるのが嫌で、激しく泣いた。両親が何とか泣き止ませようとしたが、かえってお前は泣くばかり。しかたなくお前を置いて帰ろうとしたとたん、さらに泣きじゃくるお前の手から炎が上がったのだ。そこに上がってきたのが、この地を治める領主だった。お前が上げた炎に逆上した領主は、お前と父を殺そうとした。さすがに姫に手をかけることはできないし、お前の力は父ピュールから授かったものだと思ったのだろう。お前は母が何とか連れだしたが、お前の父は……。後日遺体で発見され、表向きは夜盗に襲われたということにして墓地に葬られた。お前の父が最後に着ていたのがその上着だ。逃げているときにボタンは取れてひとつしか残らなかったそうだ」
白い丸みを帯びたボタンをザイオンは握った。そうだ。人を殺めて高ぶり、自虐的な気持ちになったときも、このボタンを握るとなぜか落ち着いて。
「それはマレーンの蛤だ。ボタンに出来るほど厚く、火にくべても割れない上等なものはマレーンでしかとれぬ。ピュールはマレーン出身でな」
「……!」
ザイオンはボタンを握りながら涙を止めることが出来ない。傍らで見ていたラディアはザイオンの空いている手をそっと握った。
「ラディア……」
彼女の手の温度がザイオンの手にじんわりと移り、そっと痛む心をなだめていく。ザイオンは王に尋ねた。
「王よ。私とラディアと戦わせたのは、偶然ではないのですか」
王メンドゥーサはふふ、と微笑む。
「実は予知夢が知らせたのだ。お前がウーヌスのスパイとして我が国に入ると」
「スパイだということまで……」
ザイオンはまさかばれていたとは知らず、王の顔をまじまじと見た。
「サイノプスはほとんど他国を攻めることはない。軍隊はいわば防衛軍だ。戦で手柄を立ててその褒美で暮らしているお前が狙いを定めるターゲットとしては、いささかおかしかろう」
后にうつつを抜かしている平和呆けした王だと思っていたザイオンは、驚くばかりだ。
「予知夢、とおっしゃいましたか。力を持つ者で予知夢を見るものは珍しいとききますが」
「おう、よくぞ聞いてくれた!」
王はぽん、と膝を打ち、カシクの腕の中にいる王子ペクーニアを自らの手に抱き抱えた。
「ペクーニアと昼寝をするとカシクが予知夢を見ることがあるんだ。素晴らしいだろう。どんなにさがしても、こんなに愛らしく役に立つ王子はふたりとおらんぞ! おりこうちゃんでちゅねー!」
王メンドゥーサはペクーニアに盛大なキスをすると、カシクに返した。
「ちょうどひと月前にカシクが、『ボタンをつけた傭兵がくる夢を見た』と知らせてくれて。うちにもウーヌスへ出しているスパイがいてな、お前がウーヌスに雇われて、うちの軍のスパイとして送り込まれることを教えてくれた。お前の上着の写真を見たときに、ピンと来たのだ。確信はなかったから、さっきカシクに『読んで』もらった。結果、間違いないと」
(やはり読まれていたのか)
単にいちゃいちゃしていただけだと思っていたあの時間に、王はカシクから報告を受けていたのだ。
侮れじ、メンドゥーサ。
「お前の母ノウェムから上着の話は聞いていたしな。ノウェムは尼になってあの修道院で一生を神に捧げた。数年前に流行病で亡くなったよ」
「そうですか」
(会いたかった、死ぬ前に一度だけでも。いや、血で汚れた傭兵になど、高貴な尼僧である母に会いに行っても迷惑なだけだったかもしれない)
肩を落とすザイオンに、メンドゥーサは再び声を掛けた。
「……ラディアはお前の母ノウェムに似ておろう」
ザイオンは、はっとしてラディアを見た。記憶の中にある母の顔を辿る。顔はうろ覚えだが、その瞳の色と声に癒されたわけが分かった。母の瞳の色、母の声。
「お前の父ピュールはノウェムの瞳の色が好きだったそうだ。故郷マレーンの海の色に似ていると」
ザイオンがラディアの瞳に見入っていると、ラディアは微笑んで繋いだままの手をさらに強く握った。
「ザイオン、私の幻灯能力は、相手の心象と同調するのです。王は私を呼び寄せおっしゃったのです。『我が従兄弟がウーヌスのスパイとして我が国に入る。排除すべき人間か否か、探ってくれないか。それにはラディア、彼の母似のお前が適任だ』と」
「はじめから、俺とラディアを……」
まさか仕組まれた戦いだったとは。何も知らず意気揚々と入国した自分の愚かさにザイオンは顔を赤くした。メンドゥーサはそんなザイオンを見て、くく、と笑みをこぼす。
「そうだよ、お前が心まで血に染まった再生不能な冷血漢なのか、それともここで王族として役に立てる人間なのか」
「……王族、と、して? 俺は、ラディアに負けたのですよ?」
ザイオンは耳を疑った。メンドゥーサは腕を組んで大きく頷いた。
「今回はハンデがあったろう。お前は多くの戦いをその身ひとつで切り抜けてきた男だ。戦術に長け、頭も良く、おまけに我の従兄弟。王族になるのに何の障害がある? 苦労してきた叔母の分まで、お前には幸せになって欲しいのだ」
「俺の……幸せ」
何のためらいもなくそう言葉にする王が、あまりにありがたく涙が溢れた。
今まで誰が自分の幸せを考えてくれただろう。
こんな薄汚れた傭兵で、炎の使い手の俺を。
ザイオンは寝るときも離さなかった腰の太刀を床に下ろすと、這うように玉座に歩み寄った。
「黄金の国の王よ。あなたはどこまで寛大なのか。私のようなろくでもない男を、自国に迎えると言うのですか! ウーヌスのスパイだった男ですよ。きっと後悔します」
ザイオンの声は震えた。
「ウーヌスにはもうしかるべき手を打ってある。なんの心配もせず、うちの王族になれ。それとなザイオン、サイノプスのキャッチフレーズは『愛と黄金の国』だ。自分の国なんだから早く覚えろ!」
メンドゥーサはふくれて見せたがすぐに笑顔になった。
「王よ、感謝します」
ああ、神よ。
全てを見ていてくれたあなたにも、限りない感謝を。
ザイオンが深く頭を垂れたとき、王子ペクーニアが目を覚まして泣きはじめた。
「まあま、よしよし。お腹が空きましたか。王、私はちょっと中座いたしますゆえ」
カシクがペクーニアを抱いて立ち上がる。この国は后であっても自分で授乳をすることになっているのだ。侍女が一緒について下がろうとすると、
「あ、我も!」
メンドゥーサも立ち上がる。ザイオンに振り返ると、
「これから親子3人まったりタイムだから! ザイオンもラディアも疲れたろう。東の間に茶の用意をさせるから、下がって良いぞ」
そう言い残すと、メンドゥーサは『カシク、待ってー』と言いながら、息子と后の後を追いかけて行く。
隣にいるラディアが王の後ろ姿に頭を下げながらくすくすと笑うので、いつしかザイオンも吹き出すようにして笑っていた。
「すごいかただな、メンドゥーサ王は」
「本当に」
肩を揺らせてふたりで笑いあう。こんなに愉快に腹の底から笑ったことがあったろうか。
ああ、幸せだ。
ここが自分の国。
「……!」
ふと目が合ったラディアが黙って、みるみる赤い顔になる。
「ん? どうした?」
ラディアはもじもじと躊躇っていたが、俯いたまま早口でまくし立てた。
「そうして笑っていたほうが、ずっとすてきで……あ、いえ、恐れ多くも王族になるかたに、申し訳ありません!」
耳まで真っ赤にしたラディアにザイオンは声を掛ける。
「俺も初めて君の顔を見たとき思った。『笑顔だったらさぞかし引く手数多だろう』と」
「えっ」
ぱっとラディアが顔を上げる。はにかむその姿は、軍に所属する幻灯士とは思えない初々しさだ。
気付けば、ふたりの手は繋がれたまま。ラディアは慌てて離そうとするが、すかさずザイオンが引きつけ、そっとその甲に口づけた。
「な、何を!」
ラディアが困惑しているうちに、ザイオンの指が白い指を絡め取る。ラディアは顔をさらに赤くしたまま下を向いてしまった。
(ふむ。男女の駆け引きもこれまた戦術であるからな)
ほくそ笑むザイオンはそっとラディアの耳元に囁いた。
「俺はこの国をよく知らない。今夜夕食を共にしてはくれないだろうか」
びくん、と肩を震わせながらも、ラディアは懸命に噛みついた。
「何をおっしゃいます! 今日は王が盛大な晩餐をご用意くださるはず。私など」
「俺は君と飯が食いたいと言っている……できれば、ふたりで」
迫るザイオンにラディアは後退る。
「お戯れを! いくらあなたの母上に似てるからといって、私はお母様役などできません!」
「母親? 無粋なことを。俺は君をひとりの女性として飯に誘ってる」
そう言って艶やかな笑顔を浮かべると、ラディアの瞳がさざ波のように揺れた。
なるほど、笑顔こそ最強の武器。
「王様に……叱られてしまいます」
陥落寸前のラディアにザイオンはウインクをして囁いた。
「大丈夫さ。ここは『愛と黄金の国』だからね!」
fin