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結婚式帰りの女

「マスター、お酒、ください」

 わたしは酔っていた。酩酊状態で辿り着いた不可思議なバーで、マスターに絡み酒するほどに。

「もう、およしになったほうが…夜も明けますよ」

「いいから!まだ、大丈夫…」

 そう言ってさっきから何度もお酒を要求するけど、一向に酔わない。

 本当にアルコールが入ってるのだろうか?

「マスター、これ、ノンアルでしょ?」

「うちはノンアルのカクテルも多数ご用意しておりますので…」

「ぼったくりバーだわ!」

 わたしが金切り声をあげても、マスターの表情は揺るがない。

 その揺るがなさが、昼間見たあいつの笑顔に重なる。

 と、その時、チリンチリンと鈴の音がして新しい客が入ってきた。

「マスター、久しぶり。適当に国産のウイスキー、ストレートで」

 新しく入ってきた男は、久しぶりの常連で、二人連れだった。

「マスター、わたしにも、同じものを」

 わたしがそう声をかけると、男はわたしを品定めするような目で見つめた。

 気合の入った黒いレースが基調のパーティードレスに、スパンコールのボレロ。華奢なパンプスに、少し乱れたアップヘアのわたし。

 そう、親友の結婚式帰りといった風情。足元には、今日の式で受け取ったブーケが輝いている。

 と、わたしは品定めに勝ったのか、男のうち一人がわたしの隣に腰掛ける。

「僕から一杯奢らせてくれ」

「本庄さま。しかし…」

「最後まで面倒見るさ。道端に放り出したりしないよ」

 マスターは不承不承といった面持ちで、三人にウイスキーを出した。

 それを一気に煽ると、アルコールの刺激がわたしの心に沁みた。

 ああ、心の傷が痛すぎて酔えないんだ。わたしは、そう自覚した。


 次に目を覚ますと、知らない天井がわたしを出迎えて、混乱が襲う。

 と、ギイっという不吉な音がして、扉が開いた。

「あ。起きてる?」

 昨日の夜、バーで隣に座った男が、シャワー上がりだろうか、髪をタオルで拭きながら近寄ってくる。

 わたしはハッとして、自分の身体を確かめる。服は、間違いなく着たままだったので、少し安心する。

「…あの、わたし……」

「連れて帰るの、大変だったよ。深月ちゃん酔っ払い過ぎてて」

「なんで、名前…」

 と、見渡せば昨日の結婚式でもらったブーケの残骸が、あちこちに散らばっている。

「これ」

 確かマスターに、本庄と呼ばれていたその男は、ブーケについていたメッセージカードを差し出す。

“深月へ

 いつも見守ってくれて、ありがとう。

 次は深月の番だね”

 新婦からのありがたい直筆メッセージ。そして、見事にバラけて散ったブーケの残骸。

「他人様のお家でブーケをばら撒くのは、次からは止めた方がいいね」

 本庄は言葉と裏腹に、楽しそうに言った。

「すいません、わたし、あの…とりあえず、片付けます」

「いいから、シャワーでも浴びてきたら?着替えなら貸すし」

 本庄は部屋に散らばった花を集めながら、そう提案してくる。

「いえ、これ以上甘えるわけには…」

「僕としては、君の失恋話が聴けたから、お代は充分だよ」

「失恋話?このわたしが?」

 わたしは頭の中がまっさらになった。

 偶然出会っただけの赤の他人に、こんなに簡単に打ち明け話をしちゃうなんて。お酒って怖い。もう二度と…飲まない、とは言い切れないけど。

「おんおん泣きながら話してくれたよ?覚えてない?」

 言われてみればそんな記憶が途切れ途切れあるような。

「…シャワー、お借りします」

「こっち」

 本庄は心の底から楽しそうに、クスリと笑った。


 シャワーを浴びながらわたしは、昨日のあいつの顔を思い出していた。

 一時も欠けず幸せそうだったあいつ。

 わたしがこの三年間、愛し続けた男。

 それが昨日の結婚式の新郎、佐々木勇吾だった。

 勇吾とは、今の会社の同期として知り合った。同じ部署に配属されて親しくなった彼は、気付けばわたしの親友と付き合っていた。

 何故親友に紹介してしまったのか、わたしは悔やんでならない。

 わたしがどんどん勇吾を好きになっていく横で、二人は順調に愛を育んだ。

 一年半の交際期間をほぼ同棲して終え、夜景の見えるレストランでプロポーズ、王道の路線で昨日めでたく結婚式。

 その間もわたしは、勇吾を好きな気持ちをちっとも消せなかった。

 投げやりになってマッチングアプリで知り合った人と数回深い仲になったけど、全部なにか違う感じが否めなくてわたしから別れを告げた。

 風呂場を出て脱衣所で、本庄が用意してくれた、Tシャツにジーンズを履く。ふかふかのタオルで髪を乾かす。ジーンズは少しぶかぶかだったが、履けなくはなかった。

「シャワー、ありがとうございます。髪の毛、さっぱりしたぁ」

「セットしたままだったもんね。服、サイズどう?」

「まぁまぁです」

「少しは思い出した?」

「…いえ、全然です」

 恥ずかしいことに、ウイスキーをストレートで飲んだ後の記憶がさっぱり出てこない。

「お会計って…」

「ちゃんと払ってたよ」

 また本庄はクスクスと笑う。

「そんなに、笑わないでくださいよ」

「昨日と別人だからさ。お酒って怖いね」

「…わたしって、魅力ないですか?」

 眼鏡の奥で、本庄の目がキラリと光った。

「それは、どうして?」

「一晩泊めて貰っといてなんですが、変なこと、した形跡がないので…」

「キスはされたよ、君に無理矢理ね」

 本庄は遂に笑いだした。わたしはムッとする。

「据膳食わぬは男の恥、じゃないんですか?」

「据膳食わぬ男もいるよ」

 本庄は肩をすくめてそう言った。

「貞操が無事だったのに、安心しないで怒るとは、不思議な娘だね」

「誰かに抱かれたい女だっています」

「よく知らない男の家には、基本上がっちゃ駄目だよ」

「…なんかズルいな、本庄さん」

 わたしはふくれっ面になる。

「ズルい?」

「わたしに記憶がないからって、優位に立ってる感じ?」

「お酒に呑まれた自分が悪いんでしょ」

 ぐうの音も出ない。でも、出すしかなかった。

「本庄さんって、どこかで見たことあるような…」

「ああ、そうかもね。この部屋をよく見てご覧」

 リビングに本棚。そこに並べられた小説の数々。

「ミステリー作家の本庄達哉?あの?」

 わたしは腰を抜かしそうになる。なんて人の家に上がり込んでしまったんだ。

「どうも、本庄達哉です」

「それは…失礼しました。失恋話なんかお聞かせしちゃって」

「いや、面白いからいいよ」

 本庄は笑いながら言った。

「わたし……なんて言ってました?」

「勇吾くんのこと?ボロカスに言ってたよ」

「まぁ…変なこと話しちゃったな」

 わたしは赤面する。

「…なんか、食べてく?お腹空いたでしょ?」

「…せっかくなんで、頂きます」

 本庄は自炊に慣れているのか、手際よくコーヒーとサラダ、ゆで卵にトーストという朝食を準備してくれた。

「勇吾くんの、どこが好きだったの?」

「何処だろう。気付くと横にいてくれて、独りじゃないって思わせてくれる空気感ってゆうか…」

 わたしはまず、コーヒーを一口啜る。ほろ苦さが心地よく身体を抜けてゆく。

「何処だろう…誰にでも分け隔てない感じとか」

「ふーん。イイヤツじゃん」

 本庄はトーストに齧りついた。わたしはサラダを突きながら、勇吾の好きなところを思い浮かべる。

 低いその声が好き、あの大きな手が好き、不器用そうな一重のその目が好き、くしゃくしゃな髪が好き。

「…でも、一番好きなのは、一途なところ」

 そして、それを自覚しているからわたしは奪おうに奪えなかったんだな、と思った。


 その晩、わたしはまた【BAR失恋】を訪れた。

 本庄と待ち合わせだった。

 けれど、マスターにしっかり謝りたかったので、先に着くよう家を出た。

「マスター、どうも」

「これはこれは、深月さま、いらっしゃいませ」

「さま、なんてやめてください。くすぐったいです」

「深月さん、昨晩は大丈夫でしたか?」

 マスターは心配そうにわたしを見遣る。わたしは赤面した。

「とりあえず、道路脇に放って置かれるなんてことにはならなかったです」

「それなら、良かったです」

 マスターは儚い笑みを浮かべる。

「…昨晩は、ご迷惑をおかけしました」

「いえ、迷惑など」

「ぼったくり、だなんて言ったりして。しかもわたし、覚えてないんです」

「かなりウイスキーを飲まれましたからね」

「わたし、ウイスキーを、ストレートで飲むなんて、初めてで。自分に酔っちゃったみたいです」

「今日は、何か飲まれますか?」

「マスターのお勧めの一杯を」

 マスターは驚いたように目を見張ると、すぐ畏まった。

「承りました」

 そして背を向け、棚から背の低い丸いグラスを取った。

 シェーカーに氷。澄んだ音を立ててロンドンドライジンが注がれる。次に、コアントロー。量には迷いがない、きっちり。

 最後にレモンジュース、搾り立てではないのは、わざと、か。

 氷がぶつかる音が店内に響く。マスターは振らない。回すように、静かにシェーカーを転がす。

 強くしない、冷やしすぎない、そんな気配を感じる。

 シェーカーの口を切り、クープグラスに白い液体が落ちていく。

 泡立ちは殆ど無い。完全な白でもない。

 まるで、花嫁のドレスの脱いだあとの色。

 マスターはレモンピールをひねり、香りを落とす。飾りは添えない。

 深月の前に、音を立てずに置かれた。

「ホワイトレディです」

 それだけ言って、マスターは視線を外した。

 深月はグラスを眺める。その美しさ、凛としている風情にぐっと来た。

 そして一口。

 柔らかな酸味と、凛としたアルコールが胸の奥に落ちてきた。

「…美味しい」

 深月がそっと微笑むと、マスターもそっと微笑む。

 チリンチリン、鈴の音が響く。本庄が、ゆっくりやってくる。

「お先にやってます」

 わたしはそっと微笑む。

「こんばんは、マスター。それ、なに?」

「ホワイトレディですって」

「いい名前のカクテルだね。僕はいつも通りウイスキーにしとこう」


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