水魔法の訓練
休日2日目の朝。
窓の外からは、昨日よりも少しのんびりとした空気が漂ってくる。
この世界も、カズトが元いた日本と同じく七日で一週間。
学校は月曜から金曜までの五日間で、土日が休みというサイクルだ。
二日間の休日という馴染みのあるリズムに、カズトはベッドの上で、まだ昨日の疲れが残る体を大きくさすりながら呟いた。
「ふわぁ。二日間も休みがあるのは、生活リズムが元の世界に近くて助かるよなぁ」
そんなカズトの横では、零がすでに動き出していた。
彼女は昨日図書室で書き留めたメモを真剣な表情で広げている。
「おはようカズト。いつまでも寝惚けてないの。今日はセレナ様と一緒に訓練する予定でしょ? 明日からは生徒会の仕事も始まるんだから、今日という日を有意義に過ごさないとね」
「わかってるよ。でも考えてみれば、命がけじゃない純粋な訓練って、この世界に来てから初めてな気がするな。いつも実戦か、殺されかける修行ばっかりだったからさ」
カズトが少し遠い目をすると、零はあきれたように、しかしどこか優しさを孕んだ口調で返した。
「それは仕方ないわよ。弱いと死ぬ、それがこの世界のルールなんだから。私との修行だって、言ってみれば愛の鞭みたいなものよ。で、今日は具体的に何の訓練をするつもり?」
「今日は昨日分かった水魔法を練習してみようと思ってるよ。基礎中の基礎からな」
二人が城の訓練場へ足を踏み入れると、清々しい朝の空気の中に、眩いばかりの光が何度も弾けていた。
そこには、額に汗を浮かべながら真剣な表情で杖を振るセレナの姿があった。
マリアは少し離れた場所で、一切の隙を見せない鋭い視線を送りながら、その様子を静かに見守っている。
「……はぁ、はぁ……っ! もう一度、今度はもっと密度を高く……逃がさないように!」
彼女が凛とした声で呪文を唱えると、手元に集まった魔力が柔らかな光の球体を作り出し、周囲を優しく照らした。
昨日の食事中の、カズトに甘えていた賑やかさが嘘のように、ひたむきに魔法と向き合うその姿は、一国の王女としての気高さと責任感を十分に感じさせるものだった。
(本当に、朝早くからやってるんだな。口ではあんなこと言ってるけど、陰じゃ相当な努力家なんだな)
カズトが感心して見入っていると、魔力の気配を察したのか、セレナが顔を上げた。
カズトの姿を見つけるなり、彼女の表情はぱあっと花が開いたように明るくなった。
「あ! カズト! おはようございます。見ていてくれましたか? 今、傷を癒す光の集束を練習していたんです。あなたに何かあった時、すぐに役に立てるように!」
太陽みたいな笑顔でこちらに駆け寄ってくる。
「おはようございます、セレナ様。はい、遠くからでも光が見えましたよ。すごく綺麗で、力強い魔法でした」
「まあ! ありがとうございます! カズトにそう言ってもらえると、疲れなんて吹き飛んで、もっと頑張れそうですわ!」
少し照れくさそうに、しかし誇らしげに胸を張るセレナ。
その横から、マリアが静かに一歩前に出た。
彼女の所作は相変わらず完璧で、無駄が一切ない。
「おはようございます、カズトさん、零さん。お二人も朝から訓練場に来るとは、意識が高くて素晴らしいですね。カズトさんは、さっそく昨日の水の練習ですか?」
「ええ。まずはチョロチョロと出すところから、感覚を掴んでみようかと思って」
カズトは空いているスペースに移動し、体内の魔力に意識を向けた。
マリアが休憩を兼ねて「カズトさんの新しい魔法を見学しましょう」と声をかけると、それまで肩で息をしていたセレナは、子供のように目を輝かせて駆け寄ってきた。
「カズトの水魔法! はい、ぜひ見学させてください! あなたがどんな風に水を操るのか、興味がありますわ!」
「カズトさん、どうぞ。気負わずにやってみてください。まずはコップ一杯の水をイメージするのがコツですよ。形にこだわらず、ただ生み出すことだけを考えて」
三人の期待と好奇心が混ざった視線を浴びながら、カズトは訓練場の端にある大きな水桶の前に立った。
脳内で蛇口から流れる水道水のイメージを強く描き、指先に魔力を集中させる。
(意識して体内の魔力を探ると、何となくわかる気がする。あの、荒々しく全てを焼き尽くす雷とは違った、どこまでも穏やかで、静かな魔力――)
ゆっくりと、溜まった魔力を押し出すように念じると、指先がひんやりとした瑞々しい感覚に包まれた。
すると、指の隙間から透明な水が、言葉通り「チョロチョロ」と、細い糸を引くように流れ出した。
「お……出た。出たぞ!」
「すごいです! 初めてなのに、いきなり水を生み出すなんて。やっぱりカズトは天才です!」
「本当にチョロチョロね。でも、これなら確かに、緊急時の飲み水くらいには十分なりそう」
零が感心したように覗き込む。カズトは数秒間、その繊細な流れを維持することに成功したが、魔力の供給をわずかに緩めた瞬間、水は消えてしまった。
「ふぅ。出すだけなら意外と簡単だけど、これを形にしたり、量を増やしたりするのは結構骨が折れそうだな。雷みたいにぶっ放すわけにはいかないし」
「上出来です。雷属性をメインに持ちながら、これほど速やかに異なる属性を引き出すことができるのは、あなたがこれまで必死に魔力操作の修業を重ねてきた証拠ですね。文字通り血の滲むような努力をされてきたことが分かります」
マリアはカズトの指先を注視しながら、さらに具体的なステップへと導くための指示を飛ばした。
「まずは兎に角水を出し続けて、魔力の流路を確保するところから始めましょう。魔法の基本は維持です。魔力量に優れるカズトさんなら、すぐにコツを掴めるはずです。一定の量を出せるようになったら、次は形を作ることを意識してください。水は放っておけば地に落ちますが、それを魔力で繋ぎ止め、空中に留めるのです。己の意志で水に逆らわせるように」
「空中に留める。出すだけじゃなくて、そこに存在させ続けなきゃいけないってことか。難易度が跳ね上がるけど、確かに勝手に弾け飛びそうになる雷よりは、よっぽど扱いやすさを感じるよ。」
カズトは再び指先に神経を集中させた。
零も「案外、難しいのよね、それ」と腕を組んで見守る。
(出し続ける、出し続ける。蛇口を徐々に開いていくイメージだ。)
最初は細かった水の流れが、カズトが魔力を流し込むにつれて、次第にドクドクと力強い勢いを増していく。
だが、そこで異常な事態が起きた。
カズトの持続力が、常識を遥かに超えていたのだ。
「すごい、もう十分以上も出し続けています。全然、魔力が切れる様子も、疲弊する様子もありませんね!?」
「やっぱり異常な魔力量ね。普通なら初心者なんて、五分も出し続けたら魔力切れでフラフラになるはずよ。なのに逆に、水の勢いが増してない?」
カズト自身、体の中から魔力が枯渇する感覚がほとんどなかった。
それどころか、使えば使うほど体内の「雷」とは別の、清涼な魔力の奔流が指先へと集まってくるのを感じる。
足元の水桶はとっくに溢れ出し、訓練場の地面には見る間に大きな水溜りができ始めていた。
「なるほど。これが話に聞いていた転移時に授かった魔力量。底が見えませんね。カズトさん、もう十分です。一度止めてください。このままでは訓練場が池になってしまいます」
マリアに冷静に制止され、カズトがふっと意識を解くと、あれほど勢いよく出ていた水がピタリと止まった。
「ふぅ。なんか、出してる間の方が逆に体が軽かった気がするな。これ、魔力が切れるまで出せって言われたら、いくらでも出せそうですよ」
「いくらでもって。カズト、あなた一人いれば、水不足に悩む砂漠の国でも救えてしまいそうですね」
流石のセレナも、目の前の圧倒的な魔力の質量に少し気圧されたように後退した。
その様子を横目で見ていた零が、少しあきれたように、しかし誇らしげに口を開いた。
「量に関しては、もう言うことなしね。これだけ無尽蔵に出せれば、維持するための計算を無視して、形状変化にリソースを全部割けるわ。やってみたら?」
「よし、次は形だな。漫画とかでよく見る『ウォーターボール』ってやつか。イメージはしやすいし、やってみるよ」
カズトは再び両手を前に出し、手のひらの間に魔力の器を作るように意識した。
先ほどのように垂れ流すのではなく、生み出した水を魔力の膜で閉じ込めて、その場に固定するイメージだ。
(水風船に水を流し込んでいく感じか? 少しずつ大きくなるように、魔力で壁を作って……)
手のひらの間に、テニスボールほどの水の塊が浮かび上がった。
しかし、それはまだ綺麗な球体とは程遠く、アメーバのように不規則に形を変え、今にも崩れ落ちそうなほどプルプルと震えている。
「あ、浮かびましたわ! でも、すごく不安定ですわね。カズト、魔力を一定にしてください!」
「集中してください。水は常に重力に従い、下に逃げようとします。それを下から支えるのではなく、全方位から均等に、優しく包み込むのです。力みすぎれば水は弾け、弱ければ零れます。」
カズトの額に汗が浮かぶ。
ただ出すだけの時とは違い、全神経を水の表面一枚分に集中させる必要があった。
だが、数分もすると、歪だった水の塊が徐々に丸みを帯び、光を透過する美しい透明な球体へと整っていった。
「……できた。これが、ウォーターボールか」
空中に浮く、直径10センチほどの水の球。
カズトが指をわずかに動かすと、それはカズトの意志に呼応するように、ゆっくりと宙を泳ぐように動いた。
「初めてでここまで綺麗に、しかも動きまで制御できるなんてね。カズト、そのままの精度を保って、ゆっくり大きくできる?」
零のアドバイスを受け、カズトは空中に浮かぶ水の球に、さらにドバドバと魔力を注ぎ込んだ。
(もっと大きく、もっと、質量を増やして)
通常、魔法の規模を大きくすれば、それに比例して形状を維持するための制御力と魔力を爆発的に消費する。
初心者の魔法使いなら、バレーボールほどの大きさになった時点で制御が追いつかず、水が頭から降り注ぐ惨事になるのが関の山だ。
しかし、カズトの持つ底なしの魔力は、その常識を力技で踏み倒した。
「 どんどん大きくなっていきます! もう、わたしの背丈を超えそうですよ!?」
「信じられない。質量が増えればそれだけ重力だって強くなるはずなのに、完璧な球体を維持してるわ。どんだけ出力が高いのよ」
訓練場の中央に、巨大な水の惑星のような球体が浮かび上がった。
直径は優に二メートルを超え、朝日を屈折させてキラキラと幻想的に輝いている。
だが、その美しさとは裏腹に、そこには大量の水の重みが凝縮されていた。巨大な質量の塊が、カズトの指先一つの動きに完全に支配されている。
「……驚きました。維持するための消費を、それ以上の魔力供給で力ずくで上塗りしているのですね。その大きさまで制御できるのであれば、もう基礎は十分です。あとは」
マリアはそう言うと、訓練場の隅に置かれていた、厚みのある木製の標的を指差した。
「その水の塊を弾丸に変えて、あそこにぶつけてみてください。形を保ったまま、一気に、高速で飛ばすのです。」
カズトは宙に浮く巨大な水の球を見上げながら、それをどう放つか、かつて遊んだ球技のイメージを膨らませた。
「飛ばすのは雷魔法の時もやってたからな。よし、特大のドッチボールだ。いっけぇ!!」
カズトは右手を大きく後ろに引き、全身のバネを使って「投球」の動作をダイナミックに行った。
それと同時に、魔力で固定していた巨大な水の塊を標的に向かって一気に押し出す。
「きゃっ!?」
あまりの質量と押し寄せた風圧に、セレナが思わず声を上げて身を縮めた。
もはや大岩が飛んでいくような圧倒的な威圧感。
ドッチボールというにはあまりに凶悪な水の塊が、空気を切り裂くような重低音を響かせて標的へと迫る。
――ズドォォォォン!!
鼓膜を揺らす衝撃音と共に、木製の標的は一瞬で粉々に粉砕された。
それだけではない。後ろの強固な防壁に激突した水の塊は、凄まじい水圧によって石壁に僅かにヒビを入れ、辺り一面に豪雨のような激しい飛沫を散らした。
たまには分かりやすくなろうらしい訓練シーンも入れたかった。




