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登校準備②

 セレナは「手加減」という言葉に、何か面白い遊びでも思いついたかのように目を輝かせた。


「手加減……確かにそうですね。カズトは対人戦の経験があまり多くないのでしょう? トカゲは殺しても問題ありませんが、学園の生徒を初日に殺めてしまっては、流石にわたくしも庇いきれません」


 セレナは優雅に手を挙げると、庭園の周囲を警備していた近衛兵たちに合図を送る。


「そこのあなたたち、こちらへ。カズトの『対人戦』の練習台になりなさい。――手加減の、ね」


 呼びつけられた三人の近衛騎士たちは、驚きと共に不快感を隠せない表情で顔を見合わせた。


彼らにとって、自分たちは国を守る精鋭であり、目の前の少年はつい数日前まで牢に入っていた「犯罪者奴隷」に過ぎないのだ。


「殿下、本気でございますか? このような若造……それも奴隷を相手に、我々が稽古をつけるなどと」


「あら、不満かしら? ならば命令です。カズトを『適当にあしらって』みなさい。治せる範囲なら、怪我をさせても構いませんよ。出来るのなら、ですが。」


 セレナの視線に、騎士たちは背筋を伸ばして「ハッ!」と頭を下げた。


(うわ、すごい空気になってる。これ、手加減の練習の筈だよな……)


 カズトは零と視線を交わした。


 零は「あんた、絶対にやりすぎないでよ」と、無言の圧力を含んだ口パクで忠告してくる。


「……おい。奴隷風情、まずは俺が相手だ。剣を抜け」


 騎士の一人が前に出た。


 彼が放つ殺気は本物だ。


 セレナの椅子に座っていたカズトへの嫉妬が、その剣先を鋭くさせていた。


「さあ、カズト。準備はよろしくて? 相手は一流の騎士です。これまでの特訓の成果を見せてくださるかしら?」


 セレナはカズトの能力を信じきった表情で再び椅子に深く腰掛け、観戦の構えをとる。


 カズトは腰に剣を帯びることなく、自然体で前に出た。


 元々奴隷に武器は与えられていないが、今の彼にはその必要すら感じられなかった。


「俺に剣はないから、素手で行かせてもらう。遠慮はいらない。――セレナ様、始めます」


 その不遜とも取れる言葉に、近衛騎士の額に青筋が浮かぶ。「舐めるな、小僧!」と叫びながら、鋭い袈裟斬りが繰り出された。


(……遅い、わけじゃない。流石にシンさんとは比べ物にならないけど、無駄のない動きだ。でも、見える!)


 カズトは特訓で培った繊細な魔力操作を使い、両手に薄い魔力の膜を形成した。


 鋼鉄のような硬度を持たせたその手で、振り下ろされた真剣の「腹」をパァン! と弾く。


「なっ……素手で弾いただと!?」


 驚愕する騎士を尻目に、カズトは雷の力を完全に封印したまま、純粋な身体能力と魔力強化だけで肉弾戦を仕掛けた。


 相手の懐に潜り込み、掌底を胸元に叩き込む。

 

 ドォン!


「ぐぅっ……!?」

 衝撃波と共に騎士が数メートル後退したが、彼はすぐに姿勢を立て直した。


 流石は王都を守るエリートだ。


 並の人間なら今の衝撃で肋骨が折れていてもおかしくないが、彼は強靭な肉体と鎧で耐えてみせた。


(……よし、この程度なら簡単には死なない。思いっきり行っても大丈夫そうだな!)


 相手の頑丈さを確認したカズトの顔に、僅かに笑みが浮かぶ。

 

 圧倒的な格上に挑むのともまた違う、対人戦の緊張感、そして自分の力がどこまで通用するかを試せる高揚感。


 地獄の特訓では味わえなかった「純粋な戦い」の楽しさが、彼を突き動かした。


「次はこっちから行くぞ!」


 カズトは地面を蹴り、弾丸のような速さで肉薄する。

 

 剣を振るう隙すら与えない高速の打撃、それを受け流そうとする騎士の洗練された剣技。


 火花が散るような激しい応酬が、庭園に響き渡った。


「うふふ、素晴らしいわ! カズト、その調子です! 零、見てください。カズトがとても楽しそうに、わたしの騎士たちを翻弄していますわ!」


「……もう。本当に、楽しそうにしちゃって。でも、魔力操作の精度は上がってるみたいですね。相手を壊さないギリギリのラインを、体感で覚え始めています。」


 零もまた、呆れつつもカズトの成長を認めるように微笑んでいた。


 カズトが鋭い踏み込みから繰り出した連打を、騎士はもはや受け流すことができなかった。

 

 重い衝撃が腹部を捉え、騎士は苦悶の声を漏らしながら膝をつき、そのまま地面に倒れ伏す。


「あ……わりぃ。ちょっと熱くなりすぎたか?」


 慌てて手を差し伸べようとしたその時、庭園の入り口から一段と鋭い殺気と、カチャリと鎧が鳴る重厚な音が響いた。


「……そこまでだ。情けない姿を晒したな」


 そこに立っていたのは、近衛騎士団の副団長だった。


鍛え上げられた長身に、装飾の施された白銀の鎧を纏った男のその眼光は、単なる騎士のそれとは一線を画す鋭利さを秘めている。


 彼は悶絶している部下を一瞥すると、不愉快そうに鼻を鳴らした。


「セレナ様、失礼を。部下たちの不手際により、お目汚しをいたしました。しかし、このような奴隷の子供に近衛の面子を潰されたままでは、騎士団の名折れ。殿下、次は私がこの者の相手をすることをお許し願えますか?」


 副団長は恭しく一礼したが、その瞳の奥にはカズトという異分子を力で屈服させようとする意思が宿っていた。


「あら、副団長。あなたが直々に? ふふ、それは面白い趣向です。カズト、どうしますか? 彼はさっきの騎士たちとは格が違いますよ?」


 セレナは面白そうに首を傾げ、判断を委ねてくる。


(カズト、気をつけて。あの人、さっきの騎士とは比べ物にならない強さよ)


 零が小声で警戒を促すと、カズトの口角が釣り上がる。


副団長という「壁」の高さが、彼の闘志にさらなる火をつけた。


「望むところです、セレナ様。副団長さんでしたっけ。あんたが相手なら、もう少しだけ出力を上げても大丈夫そうだな」


「……抜かせ、奴隷が。貴様のその増長、私の剣で叩き直してやる」


 副団長が長剣を抜くと、周囲の空気がビリビリと震えるほどの魔圧が放たれた。


 両者の攻防は、先ほどまでのやり取りとは明らかに次元が違っていた。


 カズトは魔力操作の精度を上げ、肉体を強化して食い下がるが、副団長は流石に近衛の要職。


 無駄のない剣筋に高密度の魔力を乗せ、カズトの隙を鋭く突いてくる。


(くそっ、重い! でも、合わせられる!)


 鋼と魔力がぶつかり合う鈍い音が庭園に響く。


 カズトは相手のレベルの高さに、恐怖どころか湧き上がるような興奮を覚えていた。


 一撃、また一撃と交わすたびに、魔力出力が自然と跳ね上がっていく。


 トカゲを相手にしていた時とは違う、人間同士の高度な駆け引き。


 それが闘争本能をこれ以上ないほどに刺激した。


「あははっ! あんた、すげぇな……面白いッ!」


 瞳に狂気にも似た悦びが宿る。


 それと同時に、カズトの肩のあたりからバチバチと青白い雷が漏れ出し、周囲の芝生を焦がし始めた。


 無意識のうちに『雷装』が発動し、制御を超えた破壊の力が拳に集まろうとしたその時――。


「零、2人を止めなさい。」


「はい、そこまでよ! 二人とも、止まりなさい!!」


 零が二人の間に割り込み、強制的に距離を取らせた。


「っ!? 零、邪魔すんなよ、今いいところ……」


「バカ言わないで! あんた、今自分がどれだけ雷を撒き散らしてたか分かってるの? これ以上やったら、このお茶会の会場が丸焦げになるわよ!」


 零に厳しく叱り飛ばされ、カズトはハッと我に返った。


 視界の端では、副団長が額に汗を浮かべ、驚愕の表情でカズトの拳を見つめていた。


「ふふ、零の言う通りですよ。カズト、あまり熱くなりすぎてはいけません。でも、副団長をあそこまで本気にさせるとは、やはりわたしの目に狂いはありませんでしたわね」


 セレナは満足げに頷き、カズトの方へゆっくりと歩み寄った。


 副団長は、震えそうになる剣先を抑え込むようにして、静かに鞘へ収めた。


「…殿下が止めに入らねば少々教育が過ぎるところでした。奴隷風情にこれ以上、宮廷の芝を汚させるわけにもいきませんからな」


 表面上は傲岸不遜な態度を崩さない副団長。


 しかし、その背中にはべったりと冷や汗が張り付いていた。


 副団長も決して全力ではなかった。それに奥の手もまだある。だが、それを出す前に止められたことに、内心では「助かった」と安堵してしまっている。


 子供の奴隷相手に助かったと思わされた。彼は自尊心を深く傷つけられながらも、カズトという少年の異質さと、雷魔法の脅威を認めざるを得なかった。


 一方、カズトは零から容赦ない「お仕置き」を受けていた。


「加減する練習だって言ったでしょうが! このバカズト!!」


 パァン! と小気味よい音が庭園に響き、零の平手打ちがカズトの頭に炸裂した。


「い、痛ってぇ……! 悪いって、つい楽しくなっちゃって」


「楽しいで済むわけないでしょ! まさかあんたに、あんな狂気的な側面があったなんて。戦いになると周りが見えなくなるタイプ? 全く、目が離せないわね」


 零は呆れ果てたようにため息をつくが、その瞳には、一歩間違えば敵を蹂躙し尽くしていたであろうカズトへの、確かな警戒の色が混じっていた。


「ふふ、確かにちょっとタガが外れかかっていましたね。カズトの意外な欠点になるのかしら?」


 セレナは頬を指でツンと突きながら、面白そうに顔を覗き込んだ。


「でも、わたしは嫌いではありませんよ? 普段は優しくて、わたしの椅子にもなってくれるのに、戦うと手がつけられなくなるなんて。荒々しいカズトも魅力的です。」


「欠点か。自分じゃ気づかなかったけど、確かにあの瞬間、なんだか頭が真っ白になってた気がする。すみません、セレナ様。次は気をつけます」


 カズトはバツが悪そうに頭を掻いた。


 シンとの特訓は「生き残ること」が最優先だった。


 これまで相手を思いやる余裕などなかった弊害が、まともな対人戦で露呈した形だ。


「カズトはこれまで、やりたくない殺しに付き合わされたり、魔物相手だったりで、まともに凌ぎを削る機会がなかったものね。命の奪い合いじゃない『勝負』の熱に、あてられちゃったんでしょ」


 零は少しだけ表情を和らげ、カズトの肩に手を置いた。


 彼女もまた、過酷な過去を共有するパートナーとして、カズトの心の揺らぎを理解していた。


「そうかもな。こっちに来てから、相手を殺すか、自分が殺されるか。その二択しかない生活にずっといたから。試合で相手を倒すのがあんなに楽しいなんて、思わなかったんだ」


「ふふ、それだけあなたが純粋だということですわ。でも、学園はもっと複雑です。あなたのその熱い心、わたしが上手く手綱を握って差し上げますね?」


 セレナはそう言って、カズトの腕をぎゅっと抱きしめた。


「さあ、お喋りはここまでです!いよいよ制服の最終調整です!零、あなたもです。カズトを驚かせるくらい、可愛らしく着こなして見せなさいな」


「もう……私は可愛さなんて求めてないんですけど。……ほら、行くわよ、カズト。シャキッとしなさい」

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