登校準備
文字通り「死の淵」を何度も覗き込むような地獄の特訓を乗り越えたカズトと零。
昨日はもはや二人とも声すら出せないほど疲弊していたが、その成果は劇的だった。
身体を巡る魔力の奔流は太く、鋭く、研ぎ澄まされている。
そして本日。
シンとの最後の実戦特訓を終えた二人に与えられた任務は、「セレナ王女の直属護衛」だった。
「カズト、零! 今日からずっと一緒です! わたし、この日をどれほど待ちわびていたことか!」
豪華な公務用のドレスに身を包んだセレナが、弾けるような笑顔で二人に駆け寄ってくる。
その背後には、旅支度を整えたシンの姿があった。
「少しはマシな面構えになったな。俺はこれから隣国との国境付近に現れた高位魔獣の討伐に向かう。しばらく城を空けるが、カズト、零。万が一セレナ様に傷一つでもつけてみろ。地の果てまで追い詰めて、生きていることを後悔させてやるからな」
「はい! 肝に銘じておきます、シンさん。セレナ様は、俺たちが必ずお守りします」
カズトは引き締まった表情で拳を握った。
特訓を通じて、王女を守るという責任感が一人の戦士としての自覚を芽生えさせていた。
「シンさんもお元気で。セレナ様、私たちがついている限り、どんな刺客も近づかせないのでご安心を」
零もまた、凛とした佇まいで王女の傍らに控える。
「お前達はもっと強くなれる。訓練を怠るなよ」
シンはそれだけ言い残すと、一瞬の風と共に姿を消した。
SSランクという、この国で最も忙しく、最も危険な任務を背負う男の背中を見送り、カズトは改めて気を引き締めた。
「ふふ、シンがいなくなって、ようやくわたし達、水入らずですね。さあ、カズト、零! 今日はこれから庭園でのお茶会があります!ずっと、わたしの隣にいてくださいね?」
セレナは嬉しそうに、自然な動作を装ってカズトの腕に抱きついた。
「せ、セレナ様! 護衛中ですから、あまり密着されると反応が遅れてしまいます!」
「どんな体勢からでも守ってもらわないと困りますよ? さあ、行きましょう!」
美しい花々が咲き誇る王城の庭園。
本来なら、護衛であるカズトと零は、数歩後ろで直立して見守るべき立場だった。
しかし、現実はカズトの想像を絶する展開になっていた。
「ふふ、いい座り心地ですわ。カズトの膝は、椅子よりもずっと温かくて落ち着きます」
「れ、セレナ様! さすがにこれは、その、周りの目というものが……っ」
豪華な椅子に座らされたカズト。
その膝の上に、セレナが当然のような顔をしてちょこんと腰掛けていた。
小柄な彼女とはいえ、その柔らかな重みと、漂う甘い香りに、冷や汗が止まらない。
「セレナ様! いくらなんでも、それは王女としてはしたのうございます! その者は犯罪者奴隷なのですよ? そのような者に触れるなど、王家の名に傷がつきます!」
給仕をしていた侍女が、顔を真っ青にして注意する。
周囲の衛兵たちからも、嫉妬と蔑みが混ざった刺すような視線が注がれていた。
しかし、セレナは冷ややかな、けれど絶対的な威厳を持って言い放つ。
「……黙りなさい。カズトと零は、わたくしの『所有物』です。奴隷なのだから、主人の椅子になるのは当然のこと。なんの問題もありません。それとも……わたくしの裁定に不満があると?」
「い、いえ、滅相もございません……」
侍女は蛇に睨まれた蛙のように震え上がり、引き下がった。
(所有物ってこっちにきたばかりの頃に零にも言われたなぁ)
カズトは呑気に過去を懐かしみながら、遠い目で現実逃避をしている。
セレナが満足げに鼻を鳴らすと、カズトの首に腕を回して、さらに密着を強める。
「さあ、カズト。わたしにその赤い実のタルトを食べさせてください。あーん」
「(……!)」
隣で控えている零は、プルプルと震えていた。
「……セ、セレナ様。カズトが緊張しすぎて、護衛としての感覚が鈍っております。もし今、刺客が現れたら対応が遅れます。カズト、あんたも! 何ぼーっとしてるのよ、不敬よ!」
「不敬って言われても! セレナ様が動かしてくれないんだよ!」
周囲の蔑む視線と、膝の上の甘い熱量の間で、カズトはまさに生きた心地がしなかった。
セレナは周囲の嫉妬に満ちた空気を薄目で冷ややかになぞると、ふぅ、と小さく溜息をついた。そして、名残惜しそうにカズトの膝から立ち上がる。
「はぁ……。まぁ仕方ないですね。残念ですが、カズト、後ろに下がっていいですよ。わたしの所有物であることのアピールとしては、これでも十分でしょう」
解放された安堵感で膝の力が抜けそうになるが、すぐに姿勢を正し、零の隣へと一歩下がった。
「ありがとうございます、セレナ様」
「さて、カズト、零。明日からは王都の学園にも同席してもらうことになります。中等部ですが、二人も生徒として通ってもらうので、午後からはその準備をしてくださいね。わたしの身辺を24時間守るのが、あなたたちの役割なのですから」
「えっ、学園……? 俺たちが生徒として、ですか?」
「セレナ様、私たちは犯罪者奴隷という身分です。そのような公の場に、ましてや生徒として通うなど……周囲の反発は今日以上のものになるのでは?」
零の懸念はもっともだった。
「ふふ、問題ありません。王家から正式に手を回してあります。わたしを暗殺しようと百足が動いた事実がある今、文句を言う者がいれば、スパイの容疑をかけてやります。それに、下手な護衛よりも犯罪者奴隷の方が裏切られる心配はないですからね。理に適ってますよ。」
その言葉にはセレナの個人的な楽しみが含まれている一方で、合理的な理由でもあった。
「(確かにこの首輪がある以上、例え脅されてもセレナ様に危害を加える事は出来ないからな。
...学園か。訓練以上に、対人関係で胃が痛くなりそうだな)」
「(カズトが変な虫に刺されないように、学園でも目を光らせておかないと)」
二人の不安を見透かしたように、セレナはタルトの最後の一片を口に運んだ。
「心配しすぎですよ。表向きは『護衛』でも、実態はわたしの『所有物』。わたしに楯突く度胸のある生徒など、そうそうは現れません。これでもわたしは第一王女ですからね。」
カズトは首元に嵌められた魔導首輪を無意識に指でなぞった。
確かにこれがあれば、身分は一目で伝わる。
「まぁ、セレナ様がそう言われるのなら。でも、そもそもこの世界の学校ってどんなところなんだろう? 俺たちがいた場所とは、だいぶ勝手が違いそうだけど」
カズトの疑問に零が答える。
「この国の貴族や、才能を認められた平民が通う最高学府。魔力の扱い方や剣技、そして魔物学や歴史といった座学も叩き込まれる場所よ」
「ええ。午前中は座学、午後は実戦形式の授業がメインになります。カズトと零には、実技の授業でその圧倒的な力を見せつけてもらわなくては困ります。あ、もちろん、休み時間はわたしの身の回りのお世話も忘れないでくださいね?」
「(学園か。トカゲ相手じゃなくて、同じ人間、しかもエリート相手の立ち回りになるわけか)」
「座学の方は私がなんとかしてあげるけど、あんた学生相手に雷をいきなりぶっ放して殺しちゃダメよ? あくまで授業なんだから」
「わ、分かってるって。手加減の練習も必要かな。でも、学生って言ってもエリート達なんだし、そんなに弱くないんじゃないのか?」
その問いに、零が呆れたようにため息をつく。
「腐っても自分は転移者だってことを忘れちゃダメよ。普通の魔力量じゃ、今まで訓練で速攻で死んでるわよ。普通はこんな鍛え方しないのよ。」
午後、二人は城の仕立て屋に呼ばれ、学園の制服を採寸することになった。
カズトには動きやすい仕立てのジャケット、そして零には、その身体のラインが強調されるような、少し短めのプリーツスカートが用意されていた。
鏡の前に立つ零の姿を見て、カズトは思わず喉を鳴らした。
普段の奴隷服とは違う、年相応の少女としての眩しさがそこにはあった。
しかし、学園生活が穏やかなものになるはずがないことを、カズトたちはまだ知る由もなかった。




