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セレナとお風呂その②

 温かな湯気。かすかに香る花の入浴剤。


 そして、身体を優しく包み込むたっぷりとしたお湯の感触。

 

だが、安らぎを感じるはずのその瞬間、なぜか息ができなかった。


(ごぼぼぼっ!? 水の中!?)


 溺れそうになって、ぶはぁっ! と水中から勢いよく顔を出す。


 視界を拭うと、そこには優雅なバラの花びらが浮く豪華な浴槽……ではなく、どこか無機質な、それでいて機能的な大浴場が広がっていた。


「ごほっ、げほっ……。はぁ、なんだ。一瞬、セレナ様と零と三人で風呂に入ってる幸せな未来が見えた気がしたのに」


 鼻に入ったお湯に悶絶しながら、カズトは夢と現実のあまりの落差に肩を落とした。


 すると、背後から氷点下を突き抜けるような冷たい声が響く。


「セレナ様と風呂になぞ入れるわけがないだろうが。そんなに煩悩が溜まっているなら、もう一度沈めてやろうか、小僧」


 声のする方を見れば、そこには湯気の中から現れたシンの姿があった。


 全裸でありながら、その立ち姿は一本の抜き身の刀のように鋭く、隠しようのない殺気がお湯を伝ってビリビリと肌に刺さる。


「し、シンさん!? なんであんたがここに!?」


「ここは兵士用の共同浴場だ。意識を失ったお前をここまで運び、あまりに泥だらけだったからお湯に放り込んでやったのだ。感謝しろ」


 シンは手に持った手桶を無造作に置くと、自身も浴槽の縁に腰掛けた。


「せ、セレナ様は? さっきまで抱きしめてくれてた気がするんだけど……」


「王女殿下は零を連れて、専用の浴場へ向かわれた。お前を運ぶと若干ごねられたが、さすがに全裸の男を殿下に洗わせるわけにはいかんからな。仕方なく俺が代わってやった」


 シンが太い腕を組み、カズトの体を「品定め」するようにじろりと見る。


「フン。泥を落としてみれば、少しは戦士らしい身体になってきたな。」


 カズトは思わず自分の腕を見た。


 崖を登り、岩トカゲを粉砕し続けた腕は、たった一日で、内側から膨らむような確かな熱量を帯びていた。


「(そっか。あれは夢じゃなかったんだ。俺、本当にあんな地獄を生き残ったんだな)」


 ボロボロになった身体をお湯の熱が癒やしていく。


 シンはそれ以上言葉を重ねず、目を閉じて黙ってお湯に浸かっていた。


厳しい師匠としての顔ではなく、同じ戦場を生きる一人の男としての休息。


 静かな風呂場。


 時折響く、高い天井からお湯が滴る音。


 カズトは、先ほどまでの地獄のような一日を思い返し、不思議な充実感を噛み締めていた。


 そしてふと、女風呂の方では零とセレナが今頃どんな会話をしているのか、一瞬だけ想像してしまい、慌てて頭を振った。


「(……いかん、また沈められる)」


一方その頃、男たちの無骨な空間とは対照的に、王宮の一角にある専用の浴場では、百合の花のような香りが漂う湯気に包まれて、二人の少女が語らっていた。


大理石の浴槽を満たす透き通ったお湯。


セレナはその白い肌をうっすらと桜色に染めながら、小さく溜め息をつく。


「カズトを洗ってあげたかったのに、残念です」


 あまりに無邪気すぎるその言葉に、隣でお湯に浸かっていた零は危うく溺れそうになった。


「ダ、ダメに決まってるじゃないですか。私だって本当は奴隷の立場でセレナ様と一緒の湯に浸かるなんて不敬なことなのですから。男となんてもってのほかですよ」


「そのまま既成事実を作ってしまえば、なし崩しになんとかなると思いませんか?」


「なりませんよ! カズトの首が飛びます! ……セレナ様って、時々キャラがおかしなことになりません?」


 零の切実なツッコミに対し、セレナは悪戯っぽく微笑んで、指先でお湯の表面を揺らした。


「普段は王女としての振る舞いが求められますからね。実際の私は結構やんちゃなのです! えへん!」


「やんちゃで済ませられることではないのですが……」


「昔はよくお姉ちゃんにも怒られましたね。あなたは王女なのだからもっと立場を考えた行動をしなさい! って」


 ふと、セレナの瞳に遠くを懐かしむような色が混じる。零は不思議そうに首を傾げた。


「あれ? セレナ様って第一王女でしたよね?」


「ああ、姉と言っても親戚のお姉さんみたいなものですよ。色々とよくしてもらったんです」


「王族も血縁は多いですからね。確かに色々ありそうです」


 複雑な王家の事情に深入りするのは野暮だと感じたのか、零は話題を本来の目的へと戻した。セレナもまた、期待に満ちた眼差しを向けてくる。


「ところで零、今回の訓練で、カズトはより強くなれましたか? あれだけボロボロになったのですから、つい期待をしてしまいます」


「ご安心ください。たった一日ですが、昨日よりも数段強くなってます。何度も死にかけた甲斐はありましたね。必殺技も習得しましたよ」


「必殺技! それは楽しみです! 頑張ったカズトをどうにか労いたいですね……そうだわ! 今夜は三人で一緒に寝ましょうか!」


 もはや零のキャパシティは限界だった。立ち上がろうとしてお湯を跳ね上げる。


「だからダメですって! 急にまた何を言い出してるんですか!?」


「えー、お風呂はダメでも一緒に寝るくらいなら良くないですか? 二人きりではなく零も一緒なのですよ?」


「奴隷の男女に挟まれて寝る王女がどこにいるんですか……」


「いえ、挟まれるのはカズトです! 美女二人に挟まれて最高のご褒美になりますよ!」


 先ほどまでの王女としての気品はどこへやら。


 セレナの瞳は、まるで新しい玩具を見つけた子供のように輝いている。


「お風呂だからって発言が自由すぎます! 私の心臓に悪いので勘弁してください!」


「うーん、仕方ないですね。じゃあ零を抱き枕にするだけで諦めるとしましょう」


「え?」


 呆気にとられる零の返事を聞く前に、セレナは満足そうに頷いて湯船から立ち上がった。


 その夜、カズトは疲れ果てて、零が戻って来ない事にも気が付かずに、奴隷部屋のベッドで泥のように眠りについていた。


 一方、セレナの部屋では――。

「……あの、セレナ様……。近いです。。」


「ふふ、零はカズトと同じ、落ち着く香りがしますね♪」


 シルクの寝衣に包まれた王女に、文字通り「抱き枕」としてがっしりとホールドされた零が、天井を見上げて遠い目をしていた。


 カズトへのご褒美はどこに?


 そんな問いに答える者は誰もいないまま、王宮の夜は更けていった。

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