シンの修行
「色々と大変でしたが、やっと二人を解放できますね。……正直、五分五分で斬首という可能性もありましたが、なんとかなって本当によかったです」
さらりと言い放たれた言葉の重みに、2人は思わず顔を見合わせた。
解放に際し、二人の首には「特製の細い銀の首輪」が嵌められた。
一見すれば、美しく繊細な意匠を凝らした装飾品のようにも見える。
だが、それは持ち主の意志一つで生殺与奪を握る、呪いの魔道具だった。
「ふふ、よく似合っています。さて、カズト。私のほっぺをつねろうとしてみてください」
「え? なんで? いや、そんなことできるわけないですよ」
「かまいません、実験です。やってみてください」
促されるまま、首を傾げながらセレナの白く柔らかな頬へ手を伸ばそうとした。
指先が彼女の透き通るような肌に触れるか触れないか――その瞬間だった。
「っ!? ぐあああああああっ!!」
突如、全身の神経を逆なでするような、鋭利な激痛がカズトを貫いた。
まるで体中の血管を一本ずつ引きちぎり、そこへ高電圧の雷を流し込まれたかのような衝撃。
カズトはその場に崩れ落ち、喉を掻きむしりながら悶絶した。
「カズト!?」
零が悲鳴のような声を上げて駆け寄る。
「それが『奴隷の首輪』の機能です。私に危害を加えようとしたり、私の命令に背こうとしたり、あるいは、不敬な真似をしようとするだけで、その苦痛があなたを支配します。わかりましたか?お兄ちゃん♪」
セレナは、床に伏し苦痛に震えるカズトを慈しむように、それでいて支配者としての絶対的な力強さを宿した瞳で見下ろした。
その唇が、残酷なほど美しく弧を描く。
「さあ、いつまでも寝ていてはいけません。今日からは、その痛みさえ忘れるほどの訓練が待っているのですから」
脂汗を流しながら、痺れの残る体でようやく這い上がる。
「……セレナ様、意外と手厳しいですね。さっきの、本気で心臓が止まるかと思いましたよ」
恨めしそうに首輪の縁を指でなぞる。
だが、痛みで自らの身体を確認していると、異様な軽さに気づき、驚いたように腕を回した。
「それにしても、魔法ってすごいな。あんなにバキバキだった骨折が、たった数日で治るなんて。元の世界じゃ考えられないですよ。まぁ、あの鬼に、今日からまたすぐ折られそうなんですけど」
隣に立つシンを盗み見れば、彼は相変わらず無表情で腕を組んでいた。
「あら、手厳しいだなんて。死罪になるはずの命を、私の『お気に入り』として繋ぎ止めたのですから。これくらいは愛の鞭だと思ってくださいな」
セレナは楽しげに告げると、シンの隣へと歩み寄る。
「カズト。治癒魔法で無理やり繋げた骨は、まだ馴染んでいません。ですがのんびりもしていられないのです。シン、彼らのその『脆い骨』を、二度と折れない鋼へと叩き直してください。」
「御意。おい、小僧。殿下のお言葉だ。ついて来い。まずは死ぬまで走ってもらう」
襟首を強引に掴まれ、引きずるようにして訓練場へと連行される。
「ちょっと、待ちなさいよ! 私もなの!?」
「黙れ。二人とも基礎から鍛え直しだ。まずは俺から逃げ回ってみせろ。捕まったら、その細い首をへし折ってやる」
シンの放つ苛烈な殺気に、零も顔を青くして後に続かざるを得なかった。
陽光の降り注ぐ訓練場に、絶叫が何度も木霊する。
「どうした! 足が止まっているぞ! 呼吸を乱すなと言ったはずだ!」
シンの特訓は、まさに「地獄」の具現だった。
全身に鉛のような重りをつけられた状態での原始的な長距離走。
それもただ走るのではない。
背後からはシンの鋭い殺気が常に追いすがり、時折、風を切る音と共に木剣で容赦なく切り付けられる。
「なんか、、こんな、の、ばっかり、だな!」
「はぁ、はぁ……っ、しっかりしなさい!」
零は元々の身体能力と百足の幹部としての積み重ねがある。
肩で息をしながらもシンの動きに対応し、隣を走るカズトを励ます。
しかし、この世界に来てわずか二ヶ月程度の身にとっては、すべてが許容量を超えていた。
「……っ、がはっ……!!」
視界がぐにゃりと歪む。
肺が焼けるように熱く、足はガクガクと震えていた。
限界を迎え、足がもつれて無様に地面へ転がった瞬間、意識がふっと遠のく。
「……気絶したか。脆すぎるな」
非情な声が降ってきた直後、魔法で生成された水が頭上から叩きつけられた。
「ぶはっ……! げほっ、げほっ!!」
「起きろ。死ぬまで走るか、殺されるまで走るか。選ばせてやっているだけ慈悲深いと思え」
(それどっちにしろ死ぬじゃねぇか)
無慈悲な催促に、震える腕で地面を押し、無理やり体を起こす。
魔法で繋げたばかりの骨が、過酷な負荷に軋み、悲鳴を上げていた。
その光景を、訓練場に面したバルコニーから、セレナは優雅に椅子に座り見守っていた。
(……カズト。貴方の言った『種火』が、どれほどの熱を持っているのか。ここで見極めさせてもらいますよ)
セレナはティーカップを口に運びながら、決して助け舟は出さない。
それが彼を「王族の盾」として生かすための彼女なりの覚悟であり、決して先日の「お兄ちゃん」呼びを思い出して顔が熱くなっているのを隠すための照れ隠しではないのだ。
「くそっ!あんな綺麗な顔して、見てるだけなんて……昨日の天使みたいな顔とは大違いだ」
震える膝を拳で叩き、無理やり起きあがろうとする。
しかしカズトは足に力が入らず、地面に沈み込む。
それをみたシンが腰のポーチから濁った緑色の小瓶を取り出した。
「ほうら、休んでいる暇などないぞ」
強烈な臭いを放つ液体が頭から無造作に浴びせかけられる。
直後、全身の細胞が悲鳴を上げながら無理やり叩き起こされるような、不自然な活力が脳を突き抜けた。
「な、なんだこれ!?体が勝手に……」
「体力回復ポーションだ。筋肉の疲労を一時的に麻痺させ、強制的に細胞を活性化させる。さて、これでまた走れるな?」
シンの悪魔の微笑みに、顔が土気色に変わる。
「それって回復って言わなくね!?」
休ませてくれるどころか、文字通り「死ぬまで走らせる」ための燃料を注がれたに過ぎない。
隣で肩を上下させている零が、耳元で必死に囁いた。
「はぁ、はぁ……魔力操作を、死ぬ気で極めなさい。いつも言ってるでしょ。出来るだけ多くの魔力を身体の周りに留めて、身体の動きに合わせて、負荷を分散させるのよ。じゃないと、本当に死ぬわよ、これ……っ!」
実力者である彼女ですら、既に魔力ポーションを一本空けている。
その彼女が「限界」を口にするほどの、単純にして過酷な訓練。
しかし、ここでシンはある異常な事態に気づき、内心驚いていた。
(……おかしいな。これだけ追い込み、先ほどから無意識に雷魔法を暴発させていながら、この小僧、一向に魔力が切れる気配がないぞ)
零が薬に頼り、シンのような超一流でさえ呼吸を整えるタイミングを計っているというのに、彼の中から溢れ出す魔力の奔流は、衰える様子を見せない。
(これが、女神が与えた恩恵か。底なしの魔力タンク。だが、それを制御する器がまだまだ未熟だ。なら、多少無理矢理にでも鍛えるしかあるまい)
「おい、小僧! 次は魔力を右手のその無駄に頑丈なグローブに一点集中させろ! 暴発させたら貴様の指ごと吹き飛ぶと思え!」
「えええっ!? ぐっ、やるしかないのか……!」
叫びながらも、再び地獄の周回へと足を踏み出す。
バルコニーから見下ろすセレナの瞳が、青く光る右手を、逃さぬようにじっと見つめていた。
夜の帳が下り、ようやくシンの無慈悲なしごきから解放された二人は、震える足取りで用意された「奴隷部屋」へと案内された。
そこは石造りで飾り気こそないものの、冷たく湿った牢獄に比べれば天国のような場所だった。
だが、足を踏み入れた瞬間に気づく。
部屋に置かれたベッドの数が、あまりにも不自然であることに。
「私が用意できる奴隷用の部屋は一つしかなく、体裁的にも個室を二つ用意するのは難しいのです。申し訳ないですが、相部屋で我慢してくださいね」
セレナは疲労困憊の二人を労うような、それでいて状況を心底楽しんでいるような瞳で見つめていた。
「あ、相部屋。まぁ、牢屋の時から一緒でしたし、それは別にいいですけど……」
床にへたり込もうとしたその時、セレナがいたずらっぽく人差し指を立てた。
「あと、相部屋だからといって、あまりエッチな事はだめですよ? ふふ、少しくらいなら息抜きになるので構いませんが、零さんが妊娠してしまうのは困りますから」
「「…………っ!!?」」
部屋の中に、氷点下の静寂と、爆発的な熱が同時に吹き荒れた。
「な、ななな……何を言ってるんですか、セレナ様!! そんなこと、するわけないでしょ!? 私たち、さっきまで死にかけててろくに動けないのよ!?」
零が顔を真っ赤にして叫ぶが、セレナは余裕の表情で「それなら問題ありませんね」と、さらりとかわした。
(この人、やっぱりわざと言ってるよな。俺たちの反応を楽しんでるんだ……)
顔を覆い、隣で爆発寸前の零を刺激しないよう、必死に気配を殺す。
「では、おやすみなさい」
ニコニコと満足げに笑い、セレナは優雅な足取りで去っていった。
静まり返った部屋。残されたのは、疲れ果てた男一人と、部屋の隅で固まっている零。
「……ねぇ。絶対に、こっち見ないでよ。あと、ちょっとでも変な動きしたら……今度こそ折るから」
「わかってるって。そもそも、もう指一本動かす元気もないよ……」
這いつくばるようにして、ベッドの端に転がった。
零も反対側の端に、背を向けて潜り込む。
だが、薄いシーツ越しに伝わる互いの体温と、先ほどのセレナの言葉が頭から離れない。
眠気とは別の、なんとも言えない緊張感が部屋を満たしていた。
どれほどの時間が過ぎただろうか。
最初は背中合わせで、互いの存在を意識しない様に距離を保っていた。
だが、過剰な運動による神経の高ぶりと、妙な昂揚感のせいで、まぶたを閉じても意識は冴える一方だった。
シーツが擦れる小さな音。
どちらからともなく寝返りを打ち――気がつけば、暗闇の中で至近距離に、互いの呼吸があった。
暗闇に慣れてきた視界に、零の乱れた髪と、火照った頬が浮かび上がる。
「……まだ、起きてるんでしょ?」
「……あぁ。体がバキバキすぎて、逆に目が冴えちゃって」
掠れた声に、零は少しだけ視線を泳がせた。
それから、何かを決心したように、シーツの下で服の裾をぎゅっと掴んできた。
「そう言えば、しばらく……ご褒美、あげてなかったわね」
「え?」
その言葉の意味を理解した瞬間、心臓が訓練中よりも激しく跳ね上がった。
「ほら、あんた、あの鬼みたいな特訓にも、泣き言言わずに耐えたじゃない。……だから、これは、その……あくまで、明日からも死なないようにするためのご褒美なんだから」
言い訳を重ねるように早口でまくしたてると、零はそっと手を伸ばしてきた。
「よく、頑張ったわね。偉い、偉い」
不器用な手つきで頭を撫でられ、幼子のように甘やかされる。
その優しさは、乾ききった心に染み渡るように心地よい。
けれど、問題が一つあった。
抱き寄せられるような形になった視線の先には、至近距離で形を変える零の豊かな双丘があった。
遮るものは薄い寝間着一枚。
彼女が満足して寝付くまで、全身の激痛と、別の意味での悶々とした熱に浮かされながら、一向に眠れない夜を過ごすことになった。




