尋問③
「ところでカズト、あなたの妹さんについて、もう少し詳しく聞いてみたいですね。……私と似ていると言っていたけれど、どんな方だったの?」
セレナの問いは、カズトにとって最も柔らかい記憶の扉を叩いた。
その問いに、一瞬だけ遠くを見るような目をした。
脳裏に浮かぶのは、この世界の重々しい石造りの風景ではない。
窓から差し込む西日、使い込まれたダイニングテーブル、テレビから流れるバラエティ番組の音――日本の、どこにでもある平凡で明るいリビングの光景だ。
「あー……。そうですね。見た目というか、雰囲気がセレナ様に、ちょっと似てるんですよ。なんていうか、芯が強くて、自分の意見をハッキリ言うところとか。あ、でも、あいつはもっと……こう、ガサツというか(笑)」
カズトは懐かしさに自然と頬を緩めた。
その表情は、これまで見せてきた物ではなく、ただの「兄」としての顔だった。
「俺がゲームばっかりしてると『またやってんの?』って呆れながら、なんだかんだ隣でずっと見てるような奴で。喧嘩もよくしましたけど、俺が悩んでる時は、意外と鋭いところで励ましてくれたりして。……自慢の妹、だったんですよ。俺がこっちに来る前は、あいつの受験が近くて……。合格したのかな、とか、たまに考えちゃいますね」
カズトの話を隣で聞いていた零は、そんな穏やかなカズトの表情を初めて見たようで、少し意外そうに、そしてどこか眩しそうに見つめていた。
彼女が知るカズトは、常に彼女に守られ、振り回される少年だった。
けれど、その根底には、誰かを慈しみ、見守ってきた優しさという名の背骨があったのだと、今更のように気づかされる。
「ふふ、素敵なお兄様だったのね。受験?というのは、あなたの世界の試練のようなものでしょうか。あなたが私を殺せなかったのは、その『家族を愛する心』が、この世界の殺伐とした空気に染まりきっていなかったからなのね」
セレナは少しだけ寂しげに微笑み、それから自分の胸元に手を当てた。
「王宮にいると、純粋な家族の愛なんて信じられないことばかりです。だからこそ、そのお話を聞けて少し安心しました。それでは、、あなたが守りたかったその『妹さんへの想い』。私が、この世界で代わりに受け取ってもいいかしら?」
「えっ、それって?」
「もちろん、妹代わり、という意味ですよ。奴隷にそんなことを言う主人はいないでしょうけれど、私はあなたのその『優しさ』を、私のために使ってほしいのです」
セレナは、カズトの動揺を見透かしたように、わずかに身を乗り出した。
そして、宝石のような瞳をわざとらしく潤ませ、唇に指を当てて、茶目っ気たっぷりに囁いた。
「ね、だめですか?……お兄ちゃん?」
その破壊力抜群の言葉が放たれた瞬間、部屋の空気が一変した。
「!?!!?!!!!??」
カズトは、まるで時を止められたかのように固まった。
心臓の鼓動が耳の奥で爆音を立てて跳ね上がり、熱が首筋から耳の先まで一気に駆け上がる。
「お兄ちゃん」という聞き慣れたはずの響き。
それが、目の前の高貴で美しい王女様の唇から放たれた。
そのあまりのギャップに、脳の処理能力は完全に限界を超えていた。
しかし、カズト以上に激しく、そして本能的に反応した人物がいた。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! な、な、なによそれ!? 王女様ともあろう人が、破廉恥っていうか、距離感がバカなの!?」
零は椅子をガタッと鳴らして立ち上がった。
その顔は沸騰したかのように真っ赤で、敬語も忘れて叫ぶ声も裏返っている。
「それは私の、っていうか! そんなの、卑怯じゃない! 妹の顔が重なるって言った直後にそれは反則よ! 私だって、私だってまだそこまで呼んだことないのにっ!」
口を滑らせかけ、はっと慌てて両手で口を抑える零。
だが、その瞳には明らかな焦燥と独占欲が渦巻いている。
そんな彼女をニコニコと見つめるセレナの横で、シンが額に青筋を立てたまま制止した。
「殿下ッ! 冗談にも程があります! 奴隷ごときにそのような呼称、王家の品位に関わります! ……おい、小僧、いつまで鼻の下を伸ばしている! 殺されたいのか!?」
シンは今にも剣を抜きそうな勢いでカズトを射抜き、一方でセレナの肩を揺らさんばかりの勢いで詰め寄る。
「ふふ、そんなに怒らなくてもいいじゃない。カズトも固まっちゃって……なんだか、本物の兄妹みたいで楽しいですね」
セレナはくすくすと楽しそうに笑い、困り果てて固まっているカズトと、必死に怒り狂う零を交互に見て、満足したかのようにティーカップを手に取った。
そして、零に向けて悪女のような、それでいて余裕たっぷりの微笑を投げかける。
「零さん、そんなに焦らなくても、彼を独り占めしたりはしませんよ。……今は、ね?」
「セ、セレナ様、、流石にそれは、心臓に悪すぎますって……」
カズトは真っ赤になった顔を両手で覆い、指の隙間からかろうじて言葉を絞り出した。
ようやく少しだけ呼吸が整いかけたその時。
隣にいた零が、負けじとカズトの袖をギュッと強く掴んだ。
彼女の顔は、茹で上がりそうなくらい、あるいはそれ以上に沸騰しそうなほど赤くなっている。
「わ、私だって! 別に王女様に負けてるわけじゃないんだから!! 私だって、お兄ちゃんって呼んでいいって……そう、約束みたいなものがあるんだから!」
零は一度深く深呼吸をすると、意を決したようにカズトの顔を真っ直ぐに見上げた。
その瞳は潤み、恥ずかしさで震えている。
「ね! お、 お兄ちゃん……っ///」
「…………」
カズトは今度こそ、完全に彫像のように固まった。
横では子声でおーっと言いながら、楽しそうに小さく拍手をする王女様。
セレナからの呼びかけが「高貴な悪戯」だとしたら、これまで命懸けで共に歩み、背中を預け合ってきた零からの呼びかけは、あまりにも破壊力が直撃しすぎた。
以前、出会ってすぐの頃に冗談で「お兄ちゃんって呼んでも良いんだぞ?」なんて言ったことがあるが、その時は殺されかけたのに。。
脳内の処理回路がショートし、感情の昂りに呼応するようにグローブの回路からパチパチと小さな火花が漏れ出す始末だ。
「あらあら。零さん、意外と積極的ですわね。カズト、ショートしてしまっていますけれど大丈夫かしら?」
セレナは楽しそうに花の咲いたような笑顔を見せているが、背後のシンはもはや限界だった。
「…………(ピキピキと額に青筋を立てて)……殿下そこまでです。そして阿保2人。ここをどこだと思っている。痴話喧嘩なら牢屋でやっていろと言ったはずだ」
シンは鞘に入ったままの剣の柄で、カズトの頭を軽く――シンにとっては軽く、カズトにとっては意識が飛びかけるほど――小突いた。
「おい、小僧! 魂が抜けているぞ! 戻ってこい!」
「いだぁ!!あ、は、はい! 戻りました! すみません、今、一瞬女神様がここにいた気がして……」
ようやく再起動したカズト。
だが、零の方は全エネルギーを使い果たしたのか、あるいは羞恥心が限界を突破したのか、カズトの背中に顔を埋めて隠れてしまった。
背中に伝わる彼女の吐息と震えが、カズトの心臓をさらに狂わせる。
呼吸を整えたセレナは居住まいを正し、少しだけ真剣なトーンに声を戻した。
窓から差し込む光が彼女の背後で揺れ、その姿を神々しくも、どこか儚げに映し出す。
「さて、お互い打ち解けることもできましたし、これで私たちは本当の意味での協力者、いえ、運命共同体です。数日後、あなたたちの『犯罪者奴隷』としての処遇が正式に通ったら、まずはこの王宮内に潜む『百足』の協力者を炙り出してもらいます。」
セレナは少し背もたれに体を預け、まるで友人と談笑するかのような柔らかい、けれど逃げ場を許さない鋭い眼差しを向けた。
セレナは満足げに微笑むと、少しだけ名残惜しそうに白磁のティーカップを置いた。
「それでは、『お兄ちゃん』呼びは二人きりの時の楽しみにとっておくことにして……ある程度聞きたいことも聞けましたし、カズトの傷にも障るでしょうから。今日はここまでにしましょうか」
その言葉に、カズトは「助かった……」と言わんばかりに深く息を吐き出した。
背中に顔を埋めたままの零は、いまだ耳まで真っ赤にしたまま、石像のように微動だにしない。
「シン、二人を牢屋まで連れて行ってください。くれぐれも、乱暴にしてはいけませんよ?」
「……御意。おい、お前ら、さっさと立て。いつまでも密着してないで歩け」
シンに急かされるようにして、カズトと零は部屋を後にした。
去り際、カズトが振り返ると、セレナは優雅に、けれどどこか意味深な視線を送って見送ってくれた。
バタン、と重厚な扉が閉まり、豪華な私室に静寂が訪れる。
護衛も、使用人も、いない完全な一人きりの空間。
「…………」
数秒前まで完璧な王女の微笑を浮かべていたセレナの顔が、みるみるうちに沸騰したように赤く染まっていった。
「っ……! もう、な、なにを……何を言ってるのよ、私……! お兄ちゃんだなんて、あんな、あんな恥ずかしいこと……!!」
セレナはあまりの羞恥心に耐えきれず、豪華な天蓋付きのベッドにダイブすると、クッションに顔を押し付けてのたうち回った。
「あーーー!! 違うの、あんなの、ただ彼を揺さぶるための冗談だったはずなのに! なんであんなに心臓がバクバク言ってるのよ! 零さんにあんな風に言い返されるなんて思わなかったし……ああああ、もうっ!!」
足をバタつかせ、高級なシーツをぐちゃぐちゃにしながら、彼女は自分の口から出た言葉を何度も反芻しては、枕をボカスカと叩く。
「……でも。……少しだけ……嬉しそうにしてたわよね、彼」
ふと動きを止めた彼女の顔は、先ほどまでの食えない王女のものではなく、一人の恋する……いえ、兄を慕う少女のような、純粋な熱を帯びていた。
重々しい鉄格子が閉まり、再び二人きりになった牢屋。
先ほどまでの華やかな空間とは打って変わった冷たい空気の中で、カズトは壁にもたれかかって「はぁ、、」と長い吐息をついた。
しかし、その安堵も束の間。隣に座る零から、氷点下に近い温度の視線が突き刺さる。
「ねぇ。セレナ様に『お兄ちゃん』なんて呼ばれて、随分と嬉しそうだったわね?」
カズトが恐る恐る顔を上げると、そこには膝を抱え、顎を乗せてこちらをジトーーッと見つめる零の姿があった。その瞳には、隠しきれない不機嫌さと独占欲が渦巻いている。
「い、いや……嬉しそうっていうか、あんな綺麗な人にいきなり言われたら、誰だって固まるでしょ? びっくりしただけだって」
「ふーん。鼻の下、伸びてた気がするけど? ずいぶんデレデレしちゃって。あんなの、絶対あんたを操るための王女様の計算に決まってるじゃない」
零はふいっと顔を背けたが、その白皙の耳はまだ熱を帯びたように赤い。
「でも零だって、言ったじゃないか。あんな、恥ずかしそうに」
「っ! それは、その……! あんたがあの女のペースに巻き込まれて、ニヤニヤしてるのがムカついたからよ! 勢いっていうか!」
零は必死に言い訳をしながら、自分の口に手を当てた。
先日、カズトに与えたキスの残熱と、その後に叫んだ禁断の言葉。
「……あーもう! 私まで何やってるのよ。あんたのせいだからね、全部」
「え、俺のせいなの?」
納得がいかない様子のカズトだったが、零はそのままカズトの肩に、こん、と頭を預けてきた。
「責任、取ってくれるんでしょ?あんなこと言わせたんだから。……これからは、あの王女様の前でデレデレしたら、思いっきり踏んづけるから」
「……肝に銘じておきます」
カズトは苦笑いしながら、怪我をしていない方の手で、少しだけ零の肩を抱き寄せた。
「百足」の追手、女神の思惑、そしてシンによる地獄の訓練の予感。
不安要素は山積みだったが、この狭く冷たい牢屋の中に灯った確かな熱だけが、彼の心を支えていた。
......少しだけ調子に乗るカズト。
隣で頭を預けている零の様子が、あまりにも可愛らしく見えてしまったから。
「ねぇ、零。ちなみになんだけど、もう一回呼んでくれたり、しない?」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、肩に預けられていた重みがビクッと跳ね上がった。
「………………っ!!」
零は、耳まで真っ赤というよりも、もはや顔全体から湯気が出そうなほどの顔で振り返った。
その瞳には、溢れ出しそうな羞恥心と怒りが混ざった、凄まじい熱が宿っている。
「ぜ、っっったいに嫌よ!! バカ! カズトのバカ!!」
ドガッ!!
「ぶふぉっ!?」
零の鋭い右ストレート――技量ではなく、ただの乙女の全力(ゆえに力加減がガバガバ)――が、カズトの腹部にめり込んだ。
「調子に乗らないでよね! さっきのは、その……緊急事態だったの! 王女様に流されそうになってたあんたを、正気に戻すためのショック療法よ! 二度と言わないから! 死んでも言わないんだからね!!」
零はポカポカと、もはや八つ当たりのようにカズトの胸元を叩き続け、最後には恥ずかしさに耐えきれなくなったのか、自分の両膝の間に顔を埋めて丸まってしまった。
「げほっ、ごめん……言い過ぎた……。でも、ショック療法にしては、ちょっと効きすぎたかな……」
カズトはお腹を押さえ、悶絶しながらも、どこか幸せそうな顔で湿った牢の天井を見上げた。腹の痛みさえ、彼女との距離が縮まった証のように思えてしまう。
(もうっ、本当にバカ……)
膝の間から漏れる零の声は、小さく震えていた。
狭い牢屋の中に、殴打の余韻と、二人の少しだけ浮ついた鼓動が響き渡る。
~
数日後。重々しい牢獄の扉が左右に開き、逆光の中にセレナが姿を現した。




