尋問
翌朝、冷たい牢の扉が重い金属音を立てて開いた。
そこに立っていたのは、不機謙を絵に描いたような顔のシンと、その横で穏やかに微笑むセレナだった。
「おはようございます。昨夜はよく眠れましたか?」
セレナの声は、ここが地下牢であることを忘れさせるほどに澄んでいた。朝日を背負って立つ彼女の輪郭は光に溶け、まるで救いの女神のようにさえ見える。
「おい、小僧。いつまで寝ている。さっさと来い」
シンの無慈悲な催促に、地面を押し上げながら立ち上がる。
だが、一歩踏み出すごとに全身の骨が軋み、焼けるような痛みが走った。
引きつった顔で、包帯に巻かれた無様な体を見せる。
「いや……あの、まだ骨が折れてるんだけど。動くたびにミシミシ言ってるんだけど……」
「あ? 骨の一本や二本、気合で繋げろ。戦場では折れてからが本番……」
強引に首根っこを掴もうとしたシンの腕を、背後からセレナが「めっ」と窘めるように軽く叩いた。
その仕草はあまりに無邪気で、けれど有無を言わせぬ王者の威厳が滲んでいる。
「こら、シン。いきなり無理をさせてはいけませんよ。彼はまだ重病人なのですから」
セレナはシンを制止させると、向き直って真剣な表情を浮かべた。
「それに、今日は『百足』についての尋問の日なのです。彼らがどこを拠点にし、誰が糸を引いているのか。知っていることをすべて教えていただかなくてはなりません」
隣で零がわずかに身構えるのがわかった。
その警戒を解くように、セレナは慈しむような笑みを浮かべる。
「安心してください。拷問のような野蛮なことはしません。ただ、これはあなたたちが『奴隷』として公的に認められるための、重要なステップでもあるのです。わかりますね?」
それは「従わなければ奴隷としての保護すら与えない」という、柔らかい宣告でもあった。
「ちっ、承知しました。数日だけ命を拾ったな、小僧」
シンは不服そうに鼻を鳴らし、牢の入り口から一歩下がった。
案内されたのは、セレナの私室だった。
窓から差し込む陽光が絨毯の刺繍を浮き上がらせ、空気中を舞う埃さえも金粉のように輝いて見える。
そこには、湯気を立てるスープや焼きたてのパンが並べられていた。
疲弊しきっていた2人の身には、それはあまりに現実味のない、毒々しいほどの贅沢だった。
(……毒は入っていないようね。でも、この優しさがむしろ怖い)
零が慎重に、まるで獲物を狙う獣のような鋭さで周囲を観察する中、セレナは優雅な所作で紅茶を一口啜り、静かに切り出した。
「まず、組織のトップ……『ボス』と呼ばれている人物について、あなたたちはどこまで知っていますか?」
その問いに、口の中に残るパンの甘みを飲み込んで答える。
「まず前提としてなんですが、俺がこの世界に来てからまだ二ヶ月程度なんです。右も左もわからないうちにどうにか生きてきた状態なので、組織の深い事情は分からないです……」
嘘偽りない事実を告げる。
「彼の言っていることは本当です。だから、私が知る限りのことを話します。……と言っても、話せることがどれだけあるかはわからないですが。」
補足するように、零が真剣な面持ちで口を開いた。
「あなたが牢屋に入れられた時に、軽く聴取してもらった衛兵の情報では、あなたはかなり上位の幹部、序列五位なのですよね?そのあなたですら、わからないことが多いと?」
「はい。組織は徹底した分断管理がなされているので、上の序列の人間が何を考えているのか、下には一切降りてきません。私が会ったことがあるのは、自分より下の序列の数人と、下っ端たちくらい。幹部は、、特に私は単独行動が基本だったから、横の繋がりすら希薄です。」
零の声は淡々と、けれど組織という巨大な機構への根源的な恐怖を含んでいた。
「ボスの顔どころか、本名や性別さえも秘匿されています。わかっているのは、逆らう者はこの世界のどこに逃げても、必ず殺されるということだけ。……王女様、あなたが命を狙われた理由も、おそらくは私たちが知る由もない『上の判断』。あるいは、不確定要素になりつつあった私を、あなたという巨大な獲物にぶつけてあわよくば共倒れさせる、間接的な処刑だったのかもしれません。」
自嘲気味に笑う彼女の指先が、わずかに震えている。カズトはテーブルの下でその手をそっと握りしめる。
セレナは顎に手を当てて、深く考え込むように視線を落とした。その沈黙が、部屋の豪華な調度品を押しつぶすような重圧となって広がっていく。
「……なるほど。序列五位という地位ですら、その程度の情報しか与えられない。ほんとうに徹底していますね。ですが、一つ気になることがあります。シン、彼らの言っていることに嘘はありますか?」
背後に控えていたシンが、鋭い眼光を向ける。
その瞳が、こちらの心臓の鼓動まで数えているような錯覚に陥った。
「動揺による脈動の変化も、視線の泳ぎもありません。少なくとも、本人たちは真実を語っているようです」
シンの言葉を受け、セレナは再びこちらを向き直った。
「わかりました。では、質問を変えましょう。零、あなたはボスの目的については何か聞いていませんか? たとえば……この国を滅ぼすこと、あるいは、私個人に対する何らかの執着、とか」
零は重い沈黙を置いてゆっくりと答えた。
「ボスの目的は『女神を殺すこと』、それ以外は何も分かっていません。私の目的と一致するから組織にいましたが...」
その言葉を聞いた瞬間、セレナの瞳に微かな驚きと、深い興味が宿った。
「女神を、殺す? この世界の調和を司る存在をですか。それはまた、途方もない野望ですね」
セレナは身を乗り出すようにして零をまっすぐに見つめた。
「ですが、それがあなたの目的と一致していた、と仰いましたね。……零。百足の幹部としてではなく、あなた個人としてお聞きしたいのです。なぜあなたは、女神を殺したいほどに憎んでいるのですか?」
部屋を包む空気が、一段と重みを増す。
カズトもまた、零の口から語られるであろう言葉を待って、固唾を呑んで彼女の横顔を見つめた。
彼女が組織という泥沼に身を置くことになった根源。
それは、カズトもまだ詳しく聞けていない領域だった。
「……。女神なんて、救いでもなんでもない。ただの不条理な存在よ。私は……」
彼女は自分の手元を凝視しながら、セレナに問いかける。
「王女様、あなたは私たち転生者がなぜ、そしてどうやってこの世界に転移してくるのかご存知ですか?」
「……いいえ。先ほどお話しした通り、歴史の記述としてその存在を知ってはいますが、その原理や理由までは……」
セレナは正直に首を振った。
零はふっと、自嘲的な笑みを浮かべる。
その笑みは、薄氷のように脆く、危うい。
「そうでしょうね。当事者の私たちだって詳しくは分からないんだから。……私たちは、突然気がついたらこの世界にいました。何の前触れもなく、何の当てもなく。昨日まで当たり前だった家族も友人も世界も、すべてから無理やり引き剥がされて、見知らぬ土地に無防備に放り出される」
カズトはその言葉を聞きながら、自分がこの世界に来た日の心細さを思い出し、胸が締め付けられるような思いで零を見つめた。
彼女が背負ってきた孤独は、自分のそれよりも遥かに長く、深い。
「私は、組織で過ごすうちに、禁書や古びた記録を調べ、ある一つの仮説に辿り着きました。歴史を紐解くと、奇妙な共通点が見えてきます。転移者は、この世界の文明がある程度の水準にまで発展した時、歴史を無理やり『リセット』するために呼ばれているのではないかと」
「歴史を……リセット……?」
セレナの顔から余裕が消え、真剣な眼差しが零の言葉を追いかける。
「ええ。この世界の文明が進みすぎて、あるいは力を持ちすぎて都合が悪くなった時に、何かしらの理由で直接手出しができない女神が、異世界から強力な力を持つ『異物』を投げ込む。この世界にそぐわない個の力は、人の欲を刺激して争いを加速させ、最終的に世界を衰退させる。衰退しなくても、大きな力を振るって暴れた転移者達が死ねば、世界は傷を癒すために長らく歩みを止めることになるわ。私たち転移者は、女神がこの世界を管理しやすくするための『劇薬』に過ぎないのよ」
零の拳が、膝の上で白くなるほどに強く握りしめられた。
「勝手に呼び出しておいて、勝手に毒物扱いで放り出す。運良く素敵な異世界ライフを送れた転移者も中にはいたのでしょうし、毒にも薬にもならなかった転移者もいたでしょうが、……私にとっては地獄そのものでした。中には転移して、誰にも気が付かれずにすぐに死んだ人もいたかもしれません。そんな勝手な台本を書いている女神が、私は許せない」
零の言葉は、まるで鋭い刃のようにその場の空気を切り裂いた。
セレナは何も言えず、ただ静かに彼女の怒りに聞き入っている。
「俺も、転移してすぐに零に助けられてなければあのまま死んでたかもな、、」
カズトは、振り返ってみると自分の身が危うかったことを改めて理解する。
「歴史上、全ての転移者はこの世界では異常とも呼べる力を持っていたはずです。私よりも遥かに強力で頭のおかしい能力を持った転移者の記録もありました。そして、記録に残るほどの転移者が現れた後には必ずと言って良いほど大きく長い争いが続きます。あくまでも個としての力ですから、世界を統一する事は難しいのでしょう。
しかし、その力は時間をかけて文明を衰退させる最初の一滴になるのです。
その波紋が期待通りに広がらなかったり、効果が弱かったり、あるいは上手く使われすぎて偏ったりする時は、短期間でまた次の転移者が呼ばれる……私の後に呼ばれた、カズトのように。
対立する国に次の転移者を落とせば、より過激な争いになり得ますからね。」
零は隣に座るカズトに視線を向けた。
その瞳には、彼をこの呪われた連鎖に巻き込んでしまったことへの罪悪感と、同じ「部品」として扱われていることへの憤りが混ざり合っている。
「まぁ、人類にとっては悪だけど、女神にとっては単なる管理の一環に過ぎないかもしれない。理屈では理解できます。でも、、理由もわからず世界を壊す道具にされて、被害に遭う方はたまったもんじゃない!」
カズトは、自分の右手を見つめた。
自分の中に眠る、この世界を壊しかねないほどの「異常な力」。
それがもし女神に与えられた「掃除のための道具」なのだとしたら。
「……じゃあ、俺が強くなればなるほど、女神の思い通りに動いてるってことになるのか……?」
カズトの声は小さく震えていた。
沈黙を守っていたセレナが、ようやく重い口を開いた。
「……転移者が文明を壊すための種火だという説、にわかには信じがたいですが……。確かに、過去に国を一夜にして滅ぼした『魔王』や『勇者』の伝承には、不自然な点が多く見受けられます。……ですが、零」
セレナは真っ直ぐに零を見つめ返した。
「もしその仮説が正しいとして、女神が歴史を操作しているのだとしたら……あなたたちの組織の『ボス』は、どうやってその神の理に抗おうとしているのですか?」
零は、セレナの鋭い指摘に対しても動じることなく、淡々とした口調で言葉を続けた。
「ボスがなぜ女神を殺そうとしているのか、その具体的な方法は何なのか……それは私にも分かりません。
でも、私たちに下される全ての命令は、最終的には女神を倒すことに繋がると言われています。例えそれが、罪のない人を殺すことだとしても、、」
零の視線は一瞬、カズトの手元を掠めた。
自分達の運命にあらがいながら、彼女自身も答えを探し続けているようだった。
「まぁ、あくまでもまだ仮説の段階ですが。本当のところは、ふんぞり返っている女神様にでも聞かない限り、一生かかっても分からないでしょうね、まだまだ不明な点も多いですから。」
零はそう言って話を締めくくると、冷めてしまったお茶を口に含んだ。
その仕草は、どこか投げやりで、けれど深い孤独を感じさせた。
話を聞いていたセレナは、組んでいた指を解き、深く椅子の背もたれに体を預けた。
その表情は、単なる好奇心を超えた、重い使命感を帯びているように見える。
「女神が世界を管理し、転移者を使い捨てにする。もしそれが真実なら、私が守ろうとしているこの国も、歴史も、全ては盤上の駒に過ぎないということになりますね」
セレナは視線をカズトの方へと向けた。
「カズト。あなたは、自分の力が世界を滅ぼすと言われて、どう思いますか? あなたが私を殺せなかったその優しささえも、女神が仕組んだ台本だと言うのでしょうか」




