王女暗殺計画③
そこに現れたのは、豪華なドレスの裾を揺らし、たった一人で歩いてくる王女の姿だった。
「美しい絆ですね。死を前にしてもなお、互いを想い合えるなんて」
王女は鉄格子の前に立つと、跪いている零と、横たわるカズトを静かに見つめていた。
その手には、没収されたはずのあのグローブが握られていた。
「あなたの妹さんの話、聞こえてしまいました。私が助かったのは、海の向こうにいる一人の少女のおかげだったのですね」
「あいや、妹は海の向こうというか、どっちかっていうと空の向こう側というか……。って王女様!? なんで一人でこんなところに!?」
さっきまでのシリアスな空気をぶち壊すような反応に、王女は口元に手を当てて上品に、けれど楽しそうに笑った。
「ふふ、ノリツッコミできるくらいには元気になったようですね。安心しました。初めまして、私はセレナ・エル・アイリス・アステリアです。ところであなた達、『転移者』ですよね?」
その一言に、零の表情が凍りついた。彼女は一歩前に出る。
「なぜそれを!? 私たちの正体は組織の秘匿事項のはずよ。この世界の人間が知るはずのない情報だわ」
「やっぱり。確信が持てました。王族の歴史に残る古き記述と、あなたたちの特徴が一致しているわ。珍しい黒髪と黒い瞳。実年齢よりもどこか幼く見える顔つき……そして、この世界の理とは少し異なる『不思議な力』を持つ異世界からの来訪者。これまでも、数百年周期で幾度となく確認されているのですよ」
王女の眼差しが、俺を射抜く。
「カズト、と言いましたね。私を殺さなかった理由が『妹に似ていたから』というのも、あなたたちが異世界から来た優しい人間だという証拠に思えます。異世界は、こちらよりも争いが少ないらしいですから。」
彼女は少し声を潜め、真剣な表情になった。
「単刀直入に言いましょう。私は、あなたたちを処刑する気はありません。ですが、仮にこのまま逃したところで、組織と国の両方から追われることになる。そこで、一つ提案があるのですが」
王女は鉄格子越しに俺たちを見つめた。
「あなたたち、私の『犯罪者奴隷』になりませんか?王族暗殺未遂という大罪を犯した以上、無罪放免というわけにはいきません。これが、私が提示できる最大限の譲歩です」
「犯罪者奴隷……? なんだよ、それ」
困惑して聞き返すと、隣にいた零が苦々しい表情で説明を補足した。
「……罪を犯した人間を、死罪の代わりに『飼い殺し』にする制度よ。主人の命令には絶対服従。法的に人権は消失し、文字通り道具として扱われるわ。……稀に王族も、表沙汰にできない汚れ仕事のために犯罪者奴隷を持つと聞いたことがあるけど……」
零は王女を鋭く睨みつけ、その真意を問う。
「王女様、あなた何をさせるつもり? 私たちを『百足ムカデ』にぶつけて、共倒れさせる気?」
「いいえ。私はもっと……平和的で、かつ困難な目的のために力を貸してほしいのです。この国の腐敗、そして『百足』のような闇組織を放置し続ける勢力が王宮の内部にも入り込んでいる。私はそれを正したい。そして、異世界の知識を持つあなたなら、私の知らない『平和な世界』の作り方を知っているのではないかと思ったの」
王女は手に持っていたあのグローブを、鉄格子の隙間から足元へ落とした。
「拒否してこの場で処刑されるか。それとも、私という飼い主の下で、世界の理を変えるために足掻いてみるか。選ぶのはあなたたちです」
カズトは足元のグローブを拾い上げた。回路が刻まれたそれは、今の迷いに応えるように、鈍い光を宿している。
(奴隷、か。でも、そうすれば零と一緒にいられる。……でも、人権はなくなる)
零の方を見ると、「あんたに合わせるわ」と言うように、小さく頷く。
カズトは自分の傷ついた体よりも、隣にいる彼女の未来を案じていた。震える膝で立ち上がると、王女に向かって必死に懇願してみる。
「なぁ、奴隷になるのは、俺一人じゃダメか? 俺が、あんたの言うことを何でも聞くから。必ず役に立って見せるから、せめて零だけは自由にしてほしい。」
その必死の訴えに、王女は少し意外そうに目を見開いたが、すぐにフフッと小さく笑って指を口元に当てた。
「ダメでーす」
彼女は両手の指で可愛らしく「×(バツ)」の形を作った。
その仕草は少女のようだったが、返ってきた言葉は紛れもない正論だった。
「まぁ、個人的にあなたのことは気に入りました。その献身的なところ、悪い提案ではないのですが……。でも、仮に私があなたのお願いを聞いて彼女を解放したとして、その後はどうなると思います? 『百足』が失敗した彼女を殺しに来て、それでおしまい。ではないのですか? それは、あなたの望むことではないでしょう」
俺は言葉に詰まった。
「それに……王族殺し(未遂)はそんなに軽い罪ではないんですよ? 本来なら即座に八つ裂きにされても文句は言えません。二人を奴隷として引き取るのだって、私としてもかなり無理を通すことになるんです」
王女は鉄格子に指をかけ、少しだけ声のトーンを落とした。
「これは、二人で生き残るための唯一の提案なんです。」
零は唇を強く噛み締め、俺の袖をギュッと掴んだ。
「王女様の言う通りよ。一人でカッコつけないで。……いいわ、私も受け入れる。あんたの隣にいるのが、王女様の足元だろうが地獄だろうが、もう変わらないもの」
零は覚悟を決め、王女に向かって深く頭を下げた。
「謹んで、その提案をお受けします。私たちの命、あなたが望むままに」
「よろしい。交渉成立ですね」
王女は満足げに頷くと、懐から二つの「魔導首輪」を取り出した。
それは主人の魔力に反応し、裏切りを許さない契約の証。
王女は少し申し訳なさそうに、けれどもしっかりとした口調で告げた。
「とりあえず、手続きと周囲の説得を終えて、あなたたちの処遇が正式に確定するまでは、悪いけれど、このまま牢屋にいてもらうことになります。しばらくは我慢してくださいね」
王女といえど、暗殺未遂犯をいきなり客室へ招くわけにはいかないのだろう。
彼女なりの、こちらを守るための慎重な判断であることが伝わってきた。
「……ああ。命があるだけで十分だよ。ありがとう、王女様」
「ふふ、礼には及びません。」
王女はそう言い残すと、優雅な足取りで暗い通路の先へと消えていった。
再び訪れる牢獄の静寂。
しかし、先ほどまでの絶望的な空気とは違い、今の俺たちを包んでいるのは、微かな、けれど確かな「生」への希望だった。
「……犯罪者奴隷、ね。暗殺者が王女の持ち物になるなんて、皮肉な話だわ」
零は俺の隣に腰を下ろし、壁に背中を預けた。
「でも、これで『百足』から隠れる必要はなくなったんじゃないか? 王女の持ち物に手を出したら、それこそ国が黙ってないだろうし」
「……そう単純ならいいけど。でも……まあ、悪くないわ。あんたを失わずに済んだんだから」
彼女はふいっと顔を背けたが、カズトの腕にそっと自分の手を重ねた。
――が、その穏やかな時間は長くは続かなかった。
金属が擦れるような、重い足音が響く。
現れたのは、SSランク冒険者・シン。
彼は鉄格子の向こうから、獲物を見定めるような眼差しで、横たわる俺を見下ろした。
「こいつが躊躇わなければ、王女殿下は殺されていた。こんな腑抜けに出し抜かれそうになるとは、俺もまだまだだな」
その声には、自分自身の不覚に対する苛立ちと、一歩間違えれば主を失っていたという戦慄が混じっていた。
シンは腰の剣の柄に手をかけ、威圧感プレッシャーを膨らませる。
「だが、あの時のスピードだけは本物だった。異世界の力か。だからこそ危険だな。殿下はああ仰ったが、やはり今のうちに殺しておくべきか」
シンの体から放たれる殺気が、牢獄の空気を凍りつかせた。俺が息を呑むより早く、零が俺の前に立ちはだかった。
「……王女様が生かした命を、あなたが奪うつもり? 私は殺されても構わないけど、カズトは殺させないわよ」
戦えば間違いなく2人とも殺されることは明白。けれどもその瞳だけは、SSランクを前にしても一歩も引かずに力強くシンを見ていた。
「……死に損ないが、吠えるな。お前たち暗殺者が、忠誠や愛などという言葉を吐くのは反吐が出る」
シンは鼻を鳴らし、殺気を収めた。
「安心しろ。殿下の命を破るほど、俺は愚かではない。だが、小僧。次、その力を『守るため』以外に使ってみろ。その時は、殿下が止めても俺がお前の首を跳ねる」
男は翻り、去り際に一言だけ残した。
「牢屋から出たら俺が直々に鍛え直してやる。殿下の盾として役に立たぬ不純物は、俺が削ぎ落としてやるからな」
シンの威圧的な気配が遠ざかり、ようやく息を吐き出す。
カズトは壁に背を預け、包帯に巻かれた自分の体と、隣に座る彼女を交互に見て、力なく笑った。
「……なんだか、変なことになっちゃったな。暗殺しに来たはずなのに、王女様の奴隷になって、SSランクに稽古をつけてもらうなんてさ」
「……ほんとよ。私の予定だと、良くて逃亡生活の真っ最中だったはずなのに」
零は膝を抱え、少しだけ寂しそうに、でもどこか吹っ切れたような顔でため息をついた。
そして、俺の顔をじっと見つめると、少しだけ声を低くして言った。
「いい、カズト。こうなった以上、最後まで責任取ってもらうからね」
「責任……?」
不思議そうに首を傾げると、彼女の顔がみるみるうちに赤く染まっていった。
「……バカっ!」
零はそう吐き捨てると、言葉を遮るように、その唇に自分のそれを重ねた。
ほんの一瞬、触れるだけの、けれど熱いキス。
牢獄の冷たい空気の中で、そこだけが別の世界になったかのように、頭の中が真っ白になった。
彼女が顔を離すと、恥ずかしさを隠すように、さらに顔を背けて早口で捲し立てる。
「……元はと言えば、あんたが離れないって言って私を地獄まで道連れにしたのよ。だから、勝手に死ぬことも、私を置いていくことも許さないんだから。わかった!?」
俺は呆然と自分の唇に手を触れ、それからようやく、不器用な笑みを浮かべた。
「……ああ。わかったよ。責任、取るよ」
二人の間に流れる空気は、もはや暗殺者とその助手ではなく、運命を共にする唯一無二のパートナーのものに変わっていた。




