王女暗殺計画②
王立学園・中央広場。
式典が最高潮に達し、豪華なパレードが広場へと差し掛かった。
沿道を埋め尽くす群衆の熱気。
その中心にある華やかな馬車の上に、標的の姿があった。
「……来たわ。ターゲット確認。背後の男を見て」
零が小さく呟く。王女の真後ろ、影のように付き従う巨躯の男。
SSランク冒険者。彼が放つプレッシャーは、祭りの喧騒さえもそこだけ凍りつかせているかのようだった。
「……作戦通り、私がSSランクの懐に飛び込んで、視界と意識を奪う。あんたは『雷装』の最大出力で、一気に王女の懐まで突き抜けなさい。チャンスは一度、ほんの一瞬よ。それまでは魔力を隠してるのよ。」
零の手が、カズトの腕を強く掴んだ。その指先は、かすかに震えている。
「……カズト。生きて、また会いましょう」
彼女はそれだけ言い残すと、群衆の中に溶け込むように姿を消した。
一人、呼吸を整える。心臓の音が耳元でうるさいほどに響いた。
(殺したくない……。でも、零を死なせたくない!)
葛藤を無理やり飲み込み、意識を集中させる。
パレードが、暗殺のポイントである時計塔の影に入った瞬間――。
「いっけえええええええ!!」
広場の隅で、零が放った「煙幕」と「殺気」を撒き散らしながら、SSランクの男へと突撃した。
SSランクの男の意識が数秒、向かってくる零へと逸れる。
あまりに短い隙。
「いまだ――『雷装』!!」
青白い雷光が、祭りの景色を真っ二つに裂いた。
思考を置き去りにした超加速。
爆風を置き去りにした一閃。
この瞬間、自分自身が雷の矢になったかのような感覚で、王女の元へと飛び込んだ。
目の前に、驚愕に目を見開く王女の顔が映る。
震える右拳に無理やり力を込める、
焼き切れていたはずのグローブ術式が、カズトの魔力を媒介に黄金の輝きを放つ。
(あぁ、これが……俺たちの選んだ道か)
突き出した拳が、無防備な王女の胸元へと迫る――。
雷光とともに肉薄した俺の視界に、王女の瞳が映し出された。
それは恐怖に怯える瞳ではなかった。
俺の抱える葛藤も、悲しみも、すべてを見通しているかのような、静かで深い、慈愛に満ちた眼差しで、真っ直ぐにこちらを見ている。
「――あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!」
咆哮とともに突き出した右拳。
しかし、王女を貫くはずだったその一撃は、彼女の華奢な肩を掠め、背後の空気を爆ぜさせただけに終わった。
「……ごめん。……っ、ごめん。……やっぱり、俺には、無理だ……」
溢れ出した涙が、カズトの頬を伝い、地面へと零れ落ちる。
その瞬間、戦場の均衡が音を立てて崩れた。
「 何やってんのよバカ!!逃げて!!」
離れた場所でSSランクを足止めしていた零の集中が、俺の失敗によって途切れた。
あってはならない、致命的な隙。
「……鼠め」
低く唸るような声。
次の瞬間、SSランクの男は零を振り切り、重力を無視したような速度でカズトとの距離を詰めた。
回避不能な、鋼鉄のような重い蹴りが脇腹を捉える。
ドォォォォォン!!
「が……はっ……!!」
視界が激しく回転し、身体が紙屑のように吹き飛んだ。
広場の石壁を粉砕しながら激突し、崩れ落ちる瓦礫の中に沈む。
「カズトォォォォ!!」
零はなりふり構わず駆け寄ってきた。
任務の失敗も、組織の追っ手も、SSランクの脅威も、今の彼女の頭からは消え去っていた。
瓦礫の中で力なく横たわる俺の体を、彼女は震える腕で抱き起こす。
「しっかりしなさい! 目を開けて! カズト!!」
かつてないほど悲痛な叫び。
意識は急速に混濁し、右手のグローブも絶望に呼応するように弱々しく明滅していた。
静かに歩み寄るSSランクの男の背後で、襲撃されたはずの王女が、俺たちをじっと見つめている。
「ごふっ……、零……ごめん……おれ、やっぱり……早く、逃げろ……」
「もういいから! 喋らないで! あなたを死なせたりしないわ! どうにかしてここからあなたを逃すから!」
彼女は俺を抱きしめ、返り血で汚れながらも、必死にその体温を分け与えようとしていた。
周囲を囲む衛兵と、目の前にそびえ立つ死神――SSランクの男。本能が、逃げ場などないことを告げている。
(どうすれば、、私の首を差し出せば?……それで、それでなんとかこのバカだけは見逃してもらう……ありえない、でももうそれくらいしか!)
叶うはずのない交渉。理解していても、零はどうにかなると信じたかった。絶望的な交渉を切り出そうとした、その時。
凛とした、けれどどこか包み込むような温かさを持った声が広場に響き渡った。
「ストップよ、シン。その者たちを殺すのではなく、捕らえなさい」
王女が、毅然とした態度で守護者の前に立った。
その言葉に、剣を抜きかけていたシンがピタリと動きを止めた。
「……王女殿下。しかし、こ奴らは貴女の命を狙った大逆人。ここで芽を摘んでおくのが私の役目です」
「ええ、わかっています。でも、今のあの子の瞳を見たでしょう? あれは、人殺しの目ではありませんでした。私は、彼が何を叫ぼうとしていたのかを知りたいのです。」
王女はゆっくりと歩み寄り、瓦礫の中でボロボロになったカズトと、必死に守る零を、慈しみさえ感じる眼差しで見下ろした。
「ほら、死なせるには、あまりに惜しい子だわ。二人を王城の牢へ。怪我の治療も最優先で行いなさい」
シンの威圧感がわずかに緩んだが、零はまだ信じられないといった表情で王女を凝視していた。
(……助かった? 殺さなかったから……助かったっていうの……?)
王城の冷たい石壁に囲まれた牢獄。
零は一人、鉄格子を握りしめたまま、カズトが連れて行かれた奥の通路を凝視し続けていた。
暗殺に失敗し、捕らえられた身。
本来なら拷問か即座の処刑が妥当なはずなのに、王女は零への簡単な取り調べと、カズトには治療を命じた。
その不可解な温情への困惑と、カズトを死なせかけてしまった自分への激しい嫌悪が、彼女の心を千々に乱していた。
「……遅いわね。まさか、あのまま……」
不吉な想像が頭をよぎったその時、二人の衛兵に支えられるようにして、一人の少年が運ばれてきた。
「カズト!」
衛兵たちは無言で俺を牢の中へ投げ入れるようにして運び込み、重々しい鉄の扉を閉ざした。
全身には白い包帯が幾重にも巻かれているが、青白かった顔にはわずかに血色が戻っていた。
「……う、……あ……零、か……?」
「バカ! バカバカバカ! 本当に死んだかと思ったじゃない!」
彼女は倒れ込むカズトを膝の上で受け止め、先ほどまでの不安をぶつけるように叫んだ。
しかし、その手はやはり、傷に触れないよう震えながら優しく添えられている。
「へへ……。王女様……優しかったな……。殺さなくて、よかった」
「……っ、そんなこと言ってる場合じゃないわよ。ここは王城の最深部。いくら命が助かったって、私たちは王女暗殺未遂の大逆人よ。それに組織も黙ってない。クレイが言った通り、私たちはもう処分対象なのよ」
彼女の膝の上で、俺は重い瞼を持ち上げた。
確かに絶望的な状況だ。
王国の法からも、組織の掟からも、完全に逃げ場を失っている。
けれど、あの王女の瞳を思い出すと、不思議と死の恐怖は感じなかった。
静まり返った牢獄の中で、包帯越しに自分の胸元をそっと押さえ、記憶の奥底にある温かな景色をたどるように語り始めた。
「……黙ってたんだけど、俺さ、日本に妹がいるんだ。ちょうど、あの王女様くらいの年かな。もう二度と会えないんだろうけどさ。結構仲が良くて。王女様を殺そうとした時、どうしても妹の顔が重なっちゃって、、殺せなかった……」
声は弱々しく、けれど晴れやかな響きを含んでいた。
人を殺して生き永らえるよりも、人間としての誇りを守ったことに、どこか安堵している自分に気づく。
もしかしたら、心のどこかでこの暗殺は失敗したかったのかもしれない。
零はその言葉を黙って聞いていたが、やがて俯き、肩を震わせながら唇を噛んだ。
「……もういいわよ。わかってたの。本当は、最初から……」
彼女は膝の上の俺を、壊れ物を扱うような手つきで抱きしめた。
「例え今回、あんたが王女を殺せたとしても、きっと組織はまた次の、もっと無理な命令をしてきたはずよ。結局、私に『生き残る道』なんて最初から用意されてなかったの。これは、あんたをこんなことに付き合わせた、私の罰よ」
彼女の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
巨大な裏組織の序列5位。そんな肩書きの裏に隠されていた、一人の少女としての弱さと後悔が溢れ出す。
「ごめんなさい。私のエゴであんたを拾って、私の弱さであんたを地獄まで道連れにしちゃって。本当に、ごめんなさい……」
その時だった。
重々しい石造りの通路から、カツン、カツンと静かな靴音が響いてきた。
零は反射的に涙を拭い、カズトを庇うようにして鉄格子の向こうを睨みつけた。




