王女暗殺計画
零の言葉は、かつてないほど重く、逃れようのない現実を突きつけるものだった。
「とにかく、王都へ向かうわよ。立ち止まっていても時間が無くなるだけ。移動しながら作戦を立てて、あんたの強化も行うわ」
彼女は依頼書を懐に仕舞い込むと、小屋の扉を蹴り開けた。
外の空気は冷たく、これから向かう修羅の道を予感させる。
「SSランクの相手は、私がするわ。いい、カズト? その間に、あんたが王女を殺しなさい。もうそれ以外に道はないわ」
「……俺が、王女を……」
自分の手を見つめた。
罪もない誰かの命を奪うことが零を守るための条件になる。
その重圧が、重く肩にのしかかる。
「……できないなんて言わせないわよ。『隣にいる』と言ったのなら、私と同じ地獄まで来なさい」
彼女はそう言い放つと、迷いのない足取りで王都へと続く道へ踏み出した。
道中、彼女は地図を広げ、指先で王都の中心部を強く指し示した。
「ちょうど一ヶ月後、王都で年に一度の記念祭が開かれるわ。そこに王女も現れる……」
零の瞳は冷静に、しかし冷酷に暗殺のシミュレーションを繰り返している。
「記念祭の間、王女の周囲は文字通り『死域』になるわ。SSランクが常に張り付いているはずよ」
彼女は顔を上げ、こちらの目をじっと見つめた。
「私が稼げる時間は、持って数十秒……いえ、数秒かもしれない。
あんたはその一瞬の隙に、祭りの喧騒に紛れて王女の心臓を貫くの。……いい? 躊躇えば二人とも死ぬ。あんたの雷の力は、その一瞬のためにあるのよ」
無言で頷く。
全回復したとはいえ、今の俺の『雷装』では、まだその一瞬を掴み取るには足りない。
「……わかった。移動の時間をすべて、その一瞬のために使う」
「……ふん、威勢だけはいいわね。なら、今から王都に着くまでの間、あんたに寝る時間は与えないわ。移動中も常に私の殺気を感じ取りなさい。反応が遅れたら、その度に刺してあげる」
彼女の宣言通り、それからの旅路は文字通りの地獄だった。
零はカズトに対して一切の手加減を捨てた実戦訓練を強いてきた。
食事中、歩行中、あるいは仮眠を取ろうとする瞬間ですら、零の鋭い手刀や蹴りが容赦なく襲いかかる。
「……っ! くそ、今のも気配がなかった……!」
「喋る暇があるなら足を動かしなさい! 『雷装』の起動が遅いわ。本番でその遅れは死に直結するのよ!」
零は非情なまでに追い込んでくる。
だが、それがカズトを死なせたくないという、彼女なりの裏返しの執着であることは痛いほど伝わっていた。
カズトもまた、彼女の殺気を防ぐたびに、自分の感覚が極限まで研ぎ澄まされていくのを実感していた。
(やるしかないんだ。俺が王女を殺さなきゃ、零が消される。…そのために、そのために!他に、他に方法は……)
夜、焚き火の微かな明かりの中で、零は傷の手当をしてくれながら、ポツリと漏らした。
「……いい、カズト。王女を殺した瞬間、あんたは世界で一番の罪人になる。別に、今から逃げたっていいのよ?」
「今更だろ。零が地獄に行くなら、俺もそこへ行くって決めたんだ」
彼女は一瞬だけ、悲しげに、そして愛おしそうに目を細めた。
けれどすぐにいつもの厳しい顔に戻り、「なら、明日は今の倍の速度で動いてもらうわよ」と告げて、背を向けた。
〜
王都の喧騒は、これから起きる惨劇を予感させないほど華やかで、活気に満ちていた。
フードを深く被り、表通りの賑わいを避けて裏通りへと足を踏み入れる。
暗殺の助けとなる道具を探して、怪しげな骨董屋やジャンクショップを巡る。
薄暗い店内の片隅、埃を被った棚の奥で、一つの古びたグローブに目が止まった。
「……これ、なんだか妙に惹かれるな。ただの革製じゃなさそうだ」
零は不審そうに眉をひそめ、そのグローブを手に取って魔力を流し込んだ。
「……これ、ただのグローブじゃないわ。『魔力収束』の極めて高度な術式が組み込まれている。放散されやすい魔力を一点に集め、威力を数倍に跳ね上げるための魔道具よ。こんなの初めて見たわ。」
「えっ、そんなすごいものなのか?」
「……いえ、残念だけど壊れているわね。中核の回路が焼き切れているわ。だからこうして、ただの丈夫な防具として安値で叩き売られているのね」
店主は「それはただの硬い手袋だよ、兄ちゃん。丈夫さだけが取り柄だ」と投げやりな声をかけてくる。
けれど、グローブを嵌めて拳を握りしめると、不思議な馴染みを感じた。
「壊れててもいい。今の俺には力が足りない。こいつの『収束』の残骸があれば、少しはマシになるかもしれない」
雷の魔力を微かに流すと、壊れているはずのグローブが、主の執念に応えるように一瞬だけパチリと青白い火花を散らした。
「……ふん、ジャンク品がお似合いね。でも、確かに今のあんたの荒削りな雷を抑え込むには、その頑丈さは役に立つかもしれないわ。買いなさい、私が少しだけ調整してみてあげる」
数枚の銀貨で手に入れたそのグローブ。
壊れた魔道具と、組織から見捨てられた暗殺者、そして死に損ないの男。
王女暗殺という絶望的な任務を前に、新たな武器を手に馴染ませていく。
王都の城壁から離れた人跡稀な荒野。期待を込めてグローブを嵌め、魔力を流し込んだ。
「……っ! いけ……!」
しかし、グローブは沈黙したまま。
先ほど店で見せた一瞬の火花が嘘のように、冷たい革の感触しか返ってこない。
零はカズトの手を取り、再び指先から細い魔力の糸を伸ばして内部構造を精査した。
彼女の眉間には深い皺が寄っている。
「……だめね。表面上の傷じゃない。魔力を増幅させる心臓部の術式そのものが、焼き切れて完全に消失しているわ。機械で言うと、回路を繋ぎ直そうにも、繋ぐべき『銅線』そのものが存在しない状態よ」
彼女は吐き捨てるように言い、俺の手を離した。
「ただの丈夫なグローブとして使いなさい。SSランク相手に、こんなガラクタに頼ろうとした私が馬鹿だったわ」
無言で、手元の古びたグローブを見つめる。
彼女が「無理だ」と断じるほど、この道具は死んでいる。
けれど、俺にはこのグローブが、今の自分たちそのもののように思えてならなかった。
「……いや、いいんだ。壊れてるくらいが丁度いい」
ベルトを強く締め直した。
「回路がないなら、俺の雷で強引に道を作ってやる。零、明日の特訓からは、こいつを嵌めた状態でやる。道具に合わせるんじゃなくて、俺がこいつを無理やり動かしてみせる」
「バカね。壊れた機械を根性で動かそうなんて。でも、そういう無茶、嫌いじゃないわよ」
零はふっと口角を上げると、容赦のない回し蹴りを横腹に叩き込んできた。
「ほら、突っ立ってないで構えなさい! ガラクタを動かす前に、自分の体が動かなくなるわよ!」
「がはっ……、……ああ、行くぞ!!」
夕闇迫る荒野に、再び青白い雷光が散り始める。
機能しないはずのグローブを嵌めた拳が、彼女の鋭い一撃を必死に受け止め続けた。
連日の過酷な訓練の中、『雷装』はより鋭く、より激しさを増していった。
「はぁ、はぁ……、もう一回だ!」
拳を振るうたび、グローブからはパチパチと乾いた音が響く。
零が「回路が焼き切れている」と断じたその内部では、驚くべき現象が起きていた。
強引に流し込み続ける雷の魔力が、消失した術式の跡をなぞるように、少しずつだが新たな「魔力の通り道」を焼き付けていたのだ。
それは既存の魔道具の理屈を超えた、雷の魔力特性による再構築。
細く、けれど確かな輝きを放つその「線」は、カズト自身も、そして解析したはずの彼女も気づかないほど深く、内側から刻まれていった。
祭典を数日後に控えた王立学園。
二人は一般客や商人に紛れて、下見のために敷地内へと足を踏み入れた。
「……見て、あの時計塔の周り。配置されている騎士たちの眼光が違うわ。あれは近衛の精鋭ね」
零はフードの下で、鋭く警備の穴を探す。
しかし、俺の視線は別の場所——中央広場へと向けられた。
「……っ、あそこにいるのが……」
広場にはひときわ気品を放つ少女が立っていた。
彼女こそが暗殺のターゲット、この国の第一王女。
そしてその背後には、微動だにせず、ただそこにいるだけで周囲の空気を歪ませるほどの威圧感を放つ、双剣を背負った男の姿があった。
「見つけちゃったわね。あれがSSランクよ。カズト、今のうちによく目に焼き付けておきなさい。あの男がほんの一瞬、王女から意識を逸らすその瞬間が、私たちの生き残る唯一のチャンスよ」
グローブを嵌めた右手を無意識に強く握りしめた。
内側に刻まれつつある未知の回路が、昂る魔力に呼応し、微かに熱を帯びたような気がした。
(王女の見た目は中学生くらいだ。本当に、あんな人を殺さなきゃいけないのか?)
平和を象徴するような王女の微笑みと、絶対的な死を感じさせるSSランクの威圧感。
その矛盾する光景を前に、心臓は激しく波打つ。
〜
迎えた当日、王都の空は皮肉なほどに澄み渡っていた。
街中に響き渡るファンファーレと、人々の歓声。
今日、この記念祭は、祝祭であると同時に、カズトと零にとっては自分たちの生死を懸けた処刑台へと変わる。
結局、良い策は何一つ浮かばなかった。
こう言う時、ご都合的な案が何か出てくるのがセオリーじゃないのかよ。。
王女を殺せば、罪なき命を奪うことになる。
けれど、王女を殺さなければ、零が組織の手によって消される。それだけはダメだ。
「……行くわよ」
潜伏先の宿で、彼女が短く告げた。
その肌はいつになく白く、瞳には覚悟という名の冷たい火が灯っている。
無言で、例の古びたグローブを手に嵌めた。




