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伯爵暗殺③

 冷たく言い放ち、零が闇に消えようと背を向けた、その時だった。


ズサッ


 背後で、枯れ葉を踏みしめ、無理やり体を引きずるような音が響いた。


 零の背中が、凍りついたように固まる。


「……げほっ……、……はぁ、……はぁ……。俺は、……まだ、死んでないぞ……」


 血を吐き出しながら、震える膝を叩いて、俺はゆっくりと立ち上がった。


全身の骨が悲鳴を上げ、意識は霞み、立っているのが奇跡のような状態だ。


それでも、俺の目はまっすぐに零の背中を射抜いていた。


「……あれだけ、殺すって……言っておいて……。あんたも、やっぱり……甘いな……。本気で殺す気なら……首の骨でも折れば、よかっただろ?」


 口の端を吊り上げ、挑発するように、けれどどこか愛おしそうに笑った。


「嘘、でしょ……」


 振り向いた零の瞳に、本物の戦慄が走る。


 分かっている。彼女は加減なんてしていなかった。


死なない程度、けれど二度と立ち上がれず、トラウマを植え付けて自分を嫌いになるはずの、そんな致命的な暴行を加えたはずなのだ。


 (なんで立てるのよ!)


 零の内心の叫びが聞こえるようだった。だが、俺は止まらない。


「……あんたがどれだけ……俺を突き放しても……、俺は何度でも……あんたの前に立ってやる。……あんたを、一人になんか……させない……!」


 フラフラと、けれど確かな足取りで、一歩、また一歩と近づく。


「来ないで、、来ないでよ! あんた、そんな体で……ほんとに死ぬわよ!?」


 その声は、もはや命令ではなく、悲鳴に近い叫びだった。


 光を知らない彼女にとって、ボロボロになっても手を伸ばし続ける存在は、眩しすぎて心を狂わせる毒のようなものなのかもしれない。


 その時、俺の全身から、先ほどとは比較にならないほどの激しい雷が噴き出した。


「本当に俺を捨てたいなら、しっかり殺していけ! 生きている限り、あんたから離れはしない!!」


 青白い電光が森の闇を白日のように照らし出す。


 ボロボロの肉体に鞭打ち、無理やり雷を纏う。


 その姿は、自分でもわかるほど痛々しく、同時に異常な執念を放っていた。


「……っ! 出来ないと思ってるの? ちょっと優しくしてやったからって、高を括ってるのかしら!?」


 零は奥歯を噛み締め、再び殺意を練り上げる。


 しかし、その瞳の奥は、恐怖にも似た動揺で激しく揺れていた。


「安心しろ、お前が俺を殺しやすいように、全力で抵抗してやるよ!」


 俺は叫び、決死の一歩を踏み出す。


「雷、装……行くぞ!!」


叫びと共に地面を蹴った。


 加速。雷の力が神経を焼き、千切れかかった筋肉を強引に駆動させる。


自傷ダメージすら無視した、命を削る突撃だった。


「またそんな使い方をっ!」


 零もまた、魔力を全開にして応戦せざるを得なかった。


手加減をすれば、今の捨て身の一撃に自分が飲み込まれてしまう。


それは彼女にとって、かつてないほど本気でカズトと向き合わざるを得ない瞬間だった。


 ドォォォォォン!!


 雷を纏った拳と、超高密度の魔力を乗せた彼女の掌が正面から激突した。


 雷鳴と衝撃波が森を震わせ、周囲の木々をなぎ倒していく。


「ははっ、いい、拳だ!」


 血を吐きながら笑う。対する零は、その衝撃に顔を歪めた。


「……っ、ぐ……ぅ……っ!!」


 彼女の瞳に驚愕が走る。拳から伝わる感覚は、重く、熱く、何より意志に満ちていた。


零が放つ氷のように冷たい魔力が、カズトの放つ熱い雷にじりじりと押し返されていく。


 さらに魔力を絞り出し、防御をこじ開けようと踏み込んだ。


 これはもはや戦闘ではない。互いの魂をぶつけ合う、剥き出しの対話だった。


 雷の光が爆ぜる中で、彼女の中の仮面が剥がれ落ちていく。


露わになったのは、歪んだ泣き顔だった。


「なんで……なんでよ! 捨てるって言ってるのに、楽になりなさいよ! こんな汚い世界、あんたが見る必要なんてないのに!!」


 叫びと共に、零の魔力が爆発した。俺の雷と混ざり合い、巨大な光の渦となって二人を包み込む。


 閃光と衝撃が止むことなく森に響き渡った。


 血を撒き散らしながら、何度も、何度も拳を振るう。


全身を駆け巡る雷が、傷口を焼くと同時に肉体を強制的に動かし続けていた。


今のカズトは、文字通り動く雷そのものだ。


 しかし、それでも届かない。


 死を賭して加速してもなお、零の動きはその先を行っていた。


最小限の動きで猛攻をいなされ、そのたびに身体には新たな衝撃が刻まれていく。


「……やめて、もうやめてよ! それ以上魔力を使ったら、あんたの身体は本当に焼き切れるわ!」


 その声は、もはや怒りではなく懇願だった。


 零は、自分の放つ拳が本当にカズトの命を削っているという事実に、かつてないほどの恐怖を感じていた。


「まだだ……! まだ、あんたの……懐にさえ……入ってない!!」


意識が朦朧とする中、さらに魔力を絞り出した。


 それは零に勝つためではなかった。


零が自分を殺すことを諦めるまで、あるいは、彼女が自分の本心を隠せなくなるまで立ち塞がり続ける。


ただそれだけのための、あまりにも不器用な、命の使い道だった。


(なんでよ……私を憎めばいいじゃない。人殺しの私を、軽蔑して去ればいいじゃない! なんで、そんなにボロボロになってまで!)


 彼女の防戦は、次第に繊細さを欠いていった。


カズトの「死んでも離さない」という執念が、彼女の技術を鈍らせ、その魔力操作に迷いを生じさせていた。


 この戦いが辛うじて成立しているのは、カズトが強いからではない。


 零が「本気で殺す」という最後の一線を超えられず、その心の隙を、カズトが執念だけで突き続けているからに他ならなかった。


「……っ、あんたの……『嘘』を……殴ってやる……!!」


 最後の一歩。


 足の骨が軋むのも構わず、雷の爆発を一点に集中させ、彼女の心臓めがけて飛び込んだ。


 全身から溢れ出した雷が、夜の森を一瞬だけ白日のように染め上げる。


 命をまきにして燃やすような、無謀で純粋な特攻。


その凄まじい「覚悟」に、彼女の計算は完全に打ち砕かれた。


(……あ。)


 零が目を見開くのが分かった。


 反射的に防御に回ることも、避けることもしていない。

 何があっても隣に居続けると言い切った光が、あまりにも眩しくて、零の心身をわずかに硬直させた。


 ドッ、と彼女の胸元に、俺の拳が真っ直ぐに突き刺さった。


 零は内臓を破壊されるような衝撃を覚悟して目を閉じる。しかし――。


「……え……?」


 襲ってきたのは、暴力的な衝撃ではなかった。


 胸に当たったカズトの拳には、もう彼女を傷つける力など一片も残っていなかった。


 指先は彼女の服を弱々しく掴んだまま、ただ震えている。

全身を覆っていた青白い雷は霧が消えるように霧散し、焦げた匂いと熱だけが肉体の限界を物語っていた。


「……やっと……捕まえ……た……」


 力なく笑う。


 そのまま、糸の切れた人形のように、カズトの体は零の胸元に崩れ落ちた。


「……え? 」


 零が慌てて倒れ込む身体を抱きとめる。


その腕の中に伝わってくるのは、尋常ではないほど速く、けれど今にも止まりそうな細い鼓動。


そして、無理な魔力駆動によってボロボロに焼け焦げた肉体の熱さだった。


「なんなのよ、本当に……! 私を殴る力さえ残ってないくせに、何が『殴ってやる』よ……!」


 零の声が、激しく震え始める。


 カズトの顔は血と泥に汚れ、服は無惨に裂けていた。それでも、その指は、二度と離さないと誓うように、彼女の服をギュッと握りしめたままだった。


「……嫌……。死なないで……お願いだから……」


 零は膝をつき、カズトの頭を自分の胸に強く抱き寄せた。


 嘘の仮面は、もうどこにもない。ただの一人の少女として、彼女は声を上げて泣きながら、震える手で必死に回復薬を、消え入りそうな命へと注ぎ込み始めた。

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