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第2話 英雄が愛した女性

◆◆◆


 英雄譚のはじまりにあったのは、無機質な言葉だ。


『あなたは選ばれました。この仮初の聖剣を振るい、蛮族と魔物を率いる災厄の王を打ち倒しなさい』


 酷く無機質で、感情も籠っていない言葉。

 異世界『ゲンダイニホン』で生きていた英雄『ヒロ』は、突然我々の大地へと召喚され、戦えと告げられた。

 常人であれば、その理不尽な状況に怒り、嘆き、そして使命を投げ捨てていたことだろう。


 ――おお、勇者様――

 ――我々をお救いください――

 ――おあ、これで助かるのだ――


 だが、それは出来なかった。

 神でも見るかのように、『英雄』の姿を望んだ人々と。


 ――お兄ちゃんが、僕たちをすくってくれるんでしょ?――


 ただ、救いを望む無垢な人々の視線を裏切ることを、少年には出来なかったのだ。


◆◆◆


 ヒロは生まれ育った世界では暴力を嫌い、個人的な感情での戦いなどしたこともない人間だったと言う。

 だが、少年が異世界へと呼び出されたから僅かの間に、その手は酷く汚れてしまった。


 数ヶ月前までは戦いとは無縁であった手は、泥と血で汚れていた。

 その血が自分のものであれば、まだよかった。

 打ち倒した敵の血。彼を守るために散っていった人の血。守ろうとしても届かなかった人の血。

 手にこびり付いた悪臭を嗅ぐたびに、少年は自嘲する。


 ――自分に出来ることなんて、敵を倒すだけだった。


 少年は命と心を削り、英雄として戦い続ける。

 その行く先には魔物によって殺された人々の血が流れている。

 その歩いた道には、刈り取った命と、彼を守るために散っていった命が散らばっている。


 向いていない、逃げ出したい、自分がやる必要はない。何度も少年の弱い心は叫んだ。

 それは出来ない、見捨てることはできない、そんなことは自分自身が許せない。その度に、英雄は自分に言い聞かせて歩き続ける。


 そうして心を擦り減らして戦い続けた――


◆◆◆


 ある日のことだった。

 山中を移動中に、魔物に襲われる馬車を発見した。

 英雄は半ば機械的に剣を抜くと、襲い掛かる魔物を容易く切り伏せる。

 もはや剣を振るうのにためらいはなく、命と奪うことも自然となっていた。


 ――あれが英雄――

 ――剣に迷いがない。刃は迷うことなく首を斬ったぞ――

 ――なんと、恐ろしい剣を使うものだ――


 いつしか、その戦いに恐怖を抱くものまで生まれていた。馬車の御者たちも、その一人だった。

 尊敬と畏怖、そして恐怖を背中に受けても、少年は眉一つ動かさない。


 ――自分に出来ることは、戦うことだけ。


 とっくに、そう、諦めていたのだ。


 戦いの趨勢は語るまでも無いだろう。恐るべき力をもって英雄は敵を打ち倒し、犠牲者もなく戦いは終わった。

 魔物の全滅を確認すると、薄汚れたマントで血を拭う。

 未だ畏れ、距離を置く人々をちらりと見る。ヒロの視線に気が付いたのか、御者たちはバツの悪そうな顔をしてヒソヒソと話をしている。


 ヒロは護衛を申し出るつもりであったが、彼らの反応を見るとそれは余計な事であると判断した。


 ――このまま、ここに居るのはお互いによくない。


 そして、一礼だけして立ち去ろうとした時だった――


「あなたは……」


 鈴のような声が聞こえた。

 馬車の扉が開くと、中から出てきたのは蜂蜜色の髪をした、陶磁器のような白い肌をした少女。

 彼女は、止める御者たちを無視してヒロに近づくと、深々と頭を下げた。


「はじめまして、金龍の都の『フィルシェ』と申します。この度は、私たちをすくっていただき、誠にありがとうございます」


 整然と感謝を述べ、真っすぐに少年の顔を――瞳を見る。

 そのように、まっすぐに自分を見つめられたのは、何時いらいであったろうか。

 英雄としてではなく、目の間の恩人として、ただ、感謝を告げられた。


「あ……」


 口から言葉にならない音が漏れた。

 行き場を失った感情が、瞳から零れた。

 フィルシェは一時戸惑うものの、すぐに微笑み、英雄の頬に触れると、涙を拭う。


「姫様――」


 御者が何かを言おうとしたが、すぐに口を閉じる。

 瞳を伏せ、自らの愚かさを悟り、二人を見守っている。


「ヒロさまですね、勇名は聞き及んでいます。この大地に生きる全ての人の代わりと言うのは大袈裟ではありますが、これから私の口から告げる言葉は、皆が感じていることだと思ってください」


 そして、ヒロの手を握った。

 冷えて、固まった手に、忘れていた他人の温もりが伝わる。


「フィルシェ様、僕の手は汚れています。あなたの白く、美しい手が触れるには不釣り合いです」

「いいえ、握らせてください」


 否定するように、強く握った。


「異世界より縁も無きあなたが、心を削り、私たちを助けてくれることに、心より感謝申し上げます。非力な私に出来ることは、こうして言葉と手を握る事だけ。英雄の手は、私たち無力な人々を助けるために汚れたもの。ならばせめて、包むことくらい許していただけないでしょうか」


 その言葉が限界であった。

 ヒロは赤子のように声をあげて泣き始めた。

 フィルシェは泣き叫ぶ少年を優しく抱きとめると、泣き疲れて眠るまで傍にいた。

 

 それを見ていた御者たちは、恥ずかしそうに言う。


「なあ、謝ろうぜ。一瞬でもあの英雄を……少年を化物だって見ちまったことにさ」

「だな、それで金龍の都まで送り届けて、盛大にもてなそう」


 その日、本当の意味で英雄が生まれたと言う。


◆◆◆


 現在残されている英雄ヒロの物語の多くは、フィルシェと出会ってからのものとなる。

 ただ、機械的に選ばれた英雄は、隣に立つ存在を知ったことにより、確かな意思を以って剣を振るうようになる。

 その手に握られていた仮初の聖剣は、いつしか真なる聖剣となる。

 金龍の加護の光と、縁なき世界であっても見捨てない優しさをもつ英雄の傍には、自然と多くの仲間が集う。


 沢山の意思が、力が、英雄の戦いを支えた。


 ――ええ、ヒロ様は私を助けてくれた時から、恥じることのない英雄でしたわ――


 その中で、最も近くで支え続けたフィルシェ。

 英雄と姫の想いが通じ、結ばれるまで時間はそうかからなかった。


 やがて、大陸を襲っていた災厄の王が、英雄によって打ち倒される。

 平和の訪れと、英雄の無事。その知らせを聞き、一番喜んだのはフィルシェだった。

 童女のように喜ぶ最愛の人を前に、英雄は告げた。


「これからも、僕と一緒にいて欲しい」

「その言葉は私にとっては夢のようなものです。けれど、あなたにはあなたの帰るべき世界がある筈です」


 英雄は迷わずに告げる。


「いいんだ、愛する君が居るこの世界が、僕にとって帰るべき場所なのだから」


 返事は、口づけであったと言う。


◆◆◆


 平和の訪れと、英雄と姫の結婚に人々は熱狂をした。

 街を、国をあげた祝賀は七日七晩続き、誰もが輝く未来を信じた――


 ――英雄の最愛の妻である、フィルシェが病に倒れるまで――


 神々に選ばれ英雄が苦難の旅路の果てに魔を祓い大陸に平和をもたらす。

 使命を果たし、平和を得た英雄が、思い人と結ばれて末足掻く幸せに過ごす。

 まるで絵にかいたような英雄譚。末永く幸せに暮らしました――と終わる話であった。

 英雄譚が終わっても英雄の日々は終わらない。戦いのない穏やかな日々。それを、愛する人と日々を過ごす筈であった。だが、愛すべき人は、婚礼の熱が冷めぬ冬に流行り病で命を落としてしまった。


 なんてことはない、戦いの中で英雄が姫と恋に落ちるのなんてことは、物語の中でもよくあること。それが歴史の中でも起こっただけ。

 愛し、愛されると言うことはヒトが生きているのなら当然のこと。

 そして、生きているのなら『死』があるのも同じ。


 死は、英雄の妻にだって等しく訪れるのだから。


 ここで、英雄『ヒロ』とその妻『フィルシェ』の物語は一つの区切りを迎える。

 世界を救えたものの、最愛の人を失った英雄。

 恨むべき相手もおらず、倒すべき相手もいない。復讐譚としても英雄譚としてもあまりにも中途半端で、救いようのない物語。


 ――それは変えるのは、一年と数カ月の時を待つことになる――


 悲劇で終わる筈だった物語を変える『ウィンズ』との出会いまで――

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