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第3章 後編:鍛冶師と交差する運命

金属を叩く乾いた音と、工具が触れ合う澄んだ響きが、静まり返った鍛冶場に広がっていた。


煤けた天井と黒く汚れた壁の中、炉の炎がほのかに揺れている。その暖かな光に照らされ、ひとりの屈強な男が黙々と作業を続けていた。

広い肩幅、分厚い腕、短く刈り込まれた灰色の髪には汗がにじみ、顎には荒々しい髭が生えている。頬には深い傷痕が一本走り、その男の過去を物語っていた。

けれど、その鋭い顔立ちの中にある瞳には、どこか不思議な優しさが宿っていた。


「調子はどうだ、小娘?」


低く落ち着いた声が静寂を破り、木製の小さな椅子に腰掛けている少女――カルヴァに向けられた。

彼女はわずかに頷いたが、表情にはまだ混乱と戸惑いが浮かんでいた。


――あの化け物に襲われ、死にかけた。

その記憶が、まるで昨日のことのように胸に残っている。

でも今、自分はまったく知らない場所にいた。

燃える炭の匂いと、金属と金属がぶつかる音に満ちたこの鍛冶場で。


男は口元にわずかな笑みを浮かべた。

「俺は鍛冶屋だ。まあ、見りゃ分かるかもしれんがな。」


そう言って、手早く作業台の上の道具を整えていく。


カルヴァは首をかしげた。

「鍛冶屋? それって……何?」


男は手を止め、一瞬の沈黙のあとで豪快に笑った。

「ハッハッ! 鍛冶屋ってのはな、金属を叩いて剣とか斧とか、武器や道具を作る職人のことだ。盾でもナイフでも、頼まれりゃ何でも作るさ。」


カルヴァは目を丸くして、ぽつりと呟いた。

「へえ……」


全部は理解できなかったけど、男のたくましい腕や、無数の傷跡に思わず目を奪われた。


「……あんまり興味なさそうだな?」

男が苦笑混じりに言うと、カルヴァは慌てて手をぶんぶんと振った。


「そ、そんなことないですっ! ただ、どう返せばいいのか分からなくて……!」


男はくつくつと笑いながら、大きな手で彼女の髪をくしゃりと撫でた。

「気にすんな。ただの冗談だよ、小娘。」


そう言うと、再び作業台に向かい、大きな金属の塊を手に取る――

それは、これから武器へと姿を変える素材だった。


カルヴァはその様子をじっと見守っていた。

金槌が鋼を打つ音が一定のリズムで響き、そのたびに炉の炎が揺れる。


やがて、彼女の視線は鍛冶場のあちこちへと移った。

壁には様々な剣や斧、槍が掛けられており、どれも見事な出来栄えだった。中には使い込まれた跡があるものもある。

作業台には大小さまざまな工具が乱雑に置かれ、無骨でありながらどこか整った秩序が感じられた。


「……すごい。」


自然と漏れたその声に、男が手を止めて振り返る。


「気に入ったか?」


カルヴァはぱっと顔を明るくして、勢いよく頷いた。

「うん! すっごくかっこいいです!」


男は鼻を鳴らして、再び作業に戻った。

しばらくして、打ち上げたばかりの剣を手に取り、その刃先をじっと見つめる。

装飾は控えめだが、無駄のない美しい仕上がり。炉の光が刃に映り込んでいた。


「これは……まあ、標準品ってとこだな。レアリティで言えば……“レア”くらいか。初心者向けだ。」


呟くようにそう言って、男はその剣をそっと木箱の中に収めた。


そしてカルヴァの方を向き、椅子に腰を下ろす。

その鋭い視線の奥に、確かな目的のような光が宿っていた。


男が片手を上げると、指先に淡い青の光が灯る。


カルヴァは思わず身を引いた。

「な、なにを……?」


「安心しろ。ただの確認だ。」

男の声は落ち着いていた。

「“インサイト・レンズ”ってスキルだ。毒が残ってないか、体の状態を見てるだけさ。」


数秒後、男は頷いた。

「よし。完全に治ってる。毒も全部抜けた。」


そう言いながら、彼はまたカルヴァの頭を撫でた。その手には、どこか父親のような優しさがあった。

「運が良かったな、小娘。もう少し遅れてたら、あの化け物に食われてたぞ。」


カルヴァはそっと視線を落とす。

胸の奥に、あの時の恐怖がじんわりとよみがえってくる。


「……私、気を失ったあと……何があったんですか?」


男は腕を組み、椅子の背もたれに軽く体を預けた。


「あいつ、死ぬときに毒を撒き散らすスキル持っててな。お前はそれにやられた。

だから俺が運んできて、初級の治癒スキルで毒を抜いた。巡回隊に報告して、また仕事に戻った――そんな感じだ。」


カルヴァはゆっくりと頷く。

胸に、じわりと罪悪感が広がっていく。

すべては、自分が妹の幻を追ってしまったから――。


「小娘、名前は?」

突然、男が尋ねてきた。


「……カルヴァです。」


すると、彼の険しい表情がふっと和らいだ。

「いい名前だな。俺はオリン・オヴァリン。鍛冶屋で、頑固な年寄りさ。」


「お、おじさん……助けてくれて、ありがとうございました。

 もし、おじさんがいなかったら……私は、も……」

「化け物のエサになってたか?」


オリンは低く笑い、また彼女の頭を撫でた。

「そんなこと言うなよ。俺は当たり前のことをしただけだ。

それに、お前がいたおかげで、あんな危険なヤツが近くにいるって分かったんだ。」


カルヴァはぱちぱちと瞬きをして、やがて小さな笑みを浮かべた。

「……じゃあ、私がうっかり死にかけたおかげで、怪物が見つかったってことですね?」


オリンの表情が一瞬で固まった。

「ま、待て! 違うぞ!? そういう意味じゃないぞっ!」


彼は慌てて手を振る。

「お、お前を囮にしたってわけじゃないからな!? 本当に違うからな!」


カルヴァは口元を両手で覆いながら、肩を震わせて笑いをこらえきれなかった。

そしてついに、明るく笑い声を上げた。


「ふふっ、冗談ですよ、おじさん。」


オリンは一瞬呆然とした顔で瞬きを繰り返し、ようやく少女にからかわれたことに気づいた。


「ったく……生意気なガキだな。心臓止まるかと思ったぞ……」


鍛冶場に、ふたりの笑い声が響き渡った。

冗談と優しさが混じり合うその空間には、いつしか温かな絆が芽生えていた。


それは、予想もしなかった出会いから生まれた――

どこか不思議で、心地よい繋がりだった。


工房には、ふたりの笑い声が穏やかに響き渡り、張り詰めていた空気が次第に和らいでいった。

それは軽いからかいでありながらも、どこか心からの温もりを帯びていて――言葉を交わさずとも、ふたりの間に確かな絆が芽生えた瞬間だった。

予想もしなかった繋がり。それでも、不思議と自然に感じられた。


笑い声の余韻がまだ部屋に漂うなか、オリンは穏やかな微笑みを浮かべながら、そっとカルヴァの様子を見つめていた。

彼女には、何か引っかかるものがあったのだ。

ただの旅人ではない、奥に秘められた何か――もっと知りたくなるような、不思議な気配。


だが、それ以上に気にかかったのは――彼女が一度も「姓」を名乗らなかったことだった。


「……カルヴァ」

と、オリンが優しくも確かな声で呼びかけた。


少女は顔を上げ、好奇心をたたえた目で彼を見つめた。

「はい?」


「ひとつ、聞いてもいいか?」


「……もちろんですけど」

カルヴァはやや戸惑いを含んだ声で応える。


「君の名前だけど……姓は、ないんだよな?」


その問いに、カルヴァはぴたりと動きを止めた。

まさか、そこを突かれるとは思ってもみなかった――けれど、不思議と怖くはなかった。

オリンの瞳には、批判も偏見もなかった。ただ、静かに見守る優しさだけがあった。


「……はい。ありません」

少女は小さな声で、正直にそう答えた。


オリンは静かにうなずいた。まるで、最初からそれを知っていたかのように。

「君は……孤児なんだな?」


カルヴァの瞳が見開かれ、驚きと戸惑いが入り混じった表情が浮かぶ。

「……どうして分かったんですか? 私、何も言ってないのに……」


オリンはくすっと笑い、目を細めた。


「まあな、俺は見た目より勘が鋭いんだよ。

ただ見てるだけでも、分かることは結構あるもんさ」


その軽口に、カルヴァは小さく笑い、ふっと肩の力を抜いた。

だが、その瞳には、確かな尊敬の光が残っていた。


「……さてと」

オリンが表情を引き締め、話を戻す。


「君の孤児院はどこにある? 明日の朝、そこまで送っていこう」


カルヴァは少し考えるように眉を寄せた。

「たしか……森の近く、あの魔物がいた場所のあたりです」


オリンの眉がぴくりと動く。

「森の近く? あの辺なら俺もよく知ってるが……孤児院なんて聞いたことがないぞ」


カルヴァはきょとんとした顔で瞬きをする。

「えっ……でも、そんなに遠くまで来た覚えはないんです……」


オリンは椅子に身を預けながら、考えを巡らせた。


「ふむ……こりゃ、思った以上に厄介かもしれんな。

となると、君が遭遇したあの魔物――ただの獣じゃないな。

おそらく……獲物を遠くから引き寄せるような、特殊な能力を持ってたんだろう」


その言葉に、カルヴァの顔に何かを思い出したような表情が浮かぶ。


「そういえば……すごく遠くまで歩いたはずなのに、全然疲れてなかったんです。

ただ、あの声に導かれるままに……」


「……妙だな」

オリンは低く呟く。

「精神に干渉する魔物は確かにいるが……ここまでの距離となると、常識外れだ」


ふたりの間に、緊張を孕んだ静寂が落ちた。


――その沈黙を破ったのは、扉を強く叩く音と、慌てた年配女性の声だった。

「ごめんください! どなたか中にいらっしゃいませんか?」


オリンはすぐに立ち上がり、カルヴァに小さく目配せをする。

「ここにいて。俺が見てくる」

そう言って扉を開けると、そこにはふたりの老女が立っていた。

そのうちのひとりは、見覚えのある顔――エリナだった。彼女は明らかに動揺していた。


「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

エリナが焦った様子で口を開く。

「六歳の少女を探しているんです。金髪で、赤い瞳をした子で……

今日の午後から姿が見えなくなって……その子は、私たちの孤児院の子なんです」


オリンは一瞬ふたりを見つめたあと、振り返って声をかけた。

「カルヴァ、ちょっと来てくれ」


カルヴァは戸惑いながらも一歩前へ出る。

そして、エリナの顔を見た瞬間、不安そうな表情に変わった。

一方、エリナの瞳には、驚きと安堵の感情がいっきにあふれ出す。


「カルヴァ!」


エリナは駆け寄り、少女をぎゅっと抱きしめた。

「よかった……無事で……本当によかった……!」


カルヴァもその腕の中に身を預け、小さな声で呟いた。

「ごめんなさい……」

だが、その言葉が終わる前に、別の声が割って入った。


厳しさを含みつつも、どこか聞き覚えのある声だった。


「カルヴァ!」


振り向くと、そこにはマリエルが立っていた。

怒り、心配、そして安堵――そのすべてが混ざった表情だった。


「どれだけ探し回ったと思ってるの……?」

マリエルの声は厳しかったが、その奥には感情を抑えた必死さが滲んでいた。


カルヴァはうつむき、肩をすぼめて小さく謝った。

「ごめんなさい、マリエル母さま……ほんとうに……」


マリエルはしばらく少女を見つめ、そして静かにため息をつく。

だが、それ以上は何も言わず、視線をオリンに向けた――そして、彼の顔をはっきりと見た瞬間、驚愕の色が走る。


「まさか……あなたが……オリン・オヴァリン?」


オリンは気まずそうに頭をかきながら、苦笑する。

「まあ、そうだけど。今はただの鍛冶屋さ」


マリエルの顔に、隠しきれない衝撃が浮かぶ。


「信じられない……かつて『人類最強の一人』と呼ばれたあなたが……

まさかこんな場所で会えるなんて……!」


カルヴァはぽかんとオリンを見上げ、思わず口を開く。

「オリンおじさんが……『人類最強の一人』……!?」


オリンは照れたように手をひらひらと振った。

「『元』最強な。今は“鍛冶屋”のほうが肌に合ってるんだよ」


だが、その軽口も、カルヴァの胸に宿る尊敬の念を薄れさせることはなかった――。

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