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 思い返してみれば「後悔の始まり」と言える日も、今日と同じように夕方まではごく普通の、ありふれた1日だった。


 世間がバレンタインだと浮かれ、スイーツ店以外も甘い匂いを漂わせ、チョコレート一色に染まってしまう、2月14日。

 僕はそんな中、夕食を摂りに、駅の方面へと足早に向かっていた。

 季節は冬。昨日から降り続いていた雪は昼頃にかけて次第に弱まっていき、夜になった今では止んでいた。しかし、路面に積もった雪はそう簡単に消えることはないようで、いまだ堆雪幅に堆く積まれている。

 そんな天気だったというのに、駅前は人で溢れていた。

 疲れ切った仕事帰りのオフィスワーカー、ベビーカーを押した家族連れ、大学生と思われる集団、自分たちだけの世界に入り込むカップル。それに加えて『愛を込めて、甘い贈り物』『バレンタイン、あなたの愛をチョコで伝えて』などの華々しい文言が書かれた看板を尻目に、僕は目的地の吉野家に着くなり立て籠もる。牛丼を腹一杯に流し込んで、会計を済ませると、そそくさと寄り道もせずに家へと帰る。

 まだ午後8時だというのに手短にシャワーを浴び、寝床に潜る。こうして僕は徹底的にバレンタインから距離を置く。間違ってもインスタグラムなんて開いてはいけない。身を守るため、逃げる。

 だがここまでしても、僕はバレンタインから逃げることはできなかった。どうしても、()()()()()()のことを思い出してしまう。


 いや、思い出さざるおえなかった——


 ◇


 中学の頃、僕には好きな人がいた。

 忘れもしない。名前は上坂麗奈(うえさかれいな)。一重瞼で鼻筋が通っていて少しピンクがかった唇に、ロングヘアーの髪型に白いシュシュが特徴的な女の子だった。けれど、クラス内で目立つほうではなく、休み時間はずっと読書に耽っていて、彼女と話したことがある人は僕の知っている限り、両手で数えられるほどだったと思う。それにスポーツなども平均的だったため、それで注目が集まることもなかった。ただ、彼女の本を読んでいるときの横顔、授業を受けるときの姿勢、発言するときのガラス玉のように透き通った声、廊下を歩くときの凛とした佇まいは、今でも鮮明に覚えているほど美しかった。

 そんな彼女と関わるようになったのは、些細な出来事がきっかけだった。図書委員会で彼女と委員会が一緒になったのだ。

 その頃の僕も華々しい側の人間ではなかった。休み時間には教室の隅でライトノベルを読み、成績もそこそこ。教師に強制的に入部させられた卓球部も半月を過ぎる頃には、部室内で居心地悪く過ごし、1ヶ月も経つと部室の扉に手をかけることも無くなった。だから、委員会の仕事も最低限しかやらないつもりでいた。女子友達はおろか、男友達すらいない僕は、新たに誰かに話しかけるなんてハードルの高いことはせずに過ごす予定だった。だから同じ委員会になっても、麗奈と話すことはないと思っていた。

 4月、5月、6月は予定通り最低限の会話しかせず、委員会会議には出るだけ出て、残りの活動はカウンターでの受付やしおりやポップの作成、全校配布の小冊子の案出しなどを惰性的に行っていた。

 そんな僕に転機が訪れたのは7月の終わり頃、ちょうど夏休みに入ってすぐのことだった。

 その日は年に2回ある書架整理をしていた。集まって作業を開始してからもうすぐ2時間が経ちそうになり、そろそろ作業にも飽きてきた頃、手に取った1冊の本のタイトルが気になり、疲れがたまっていたこともあって、しばらくの間眺めていた。

「その本、好きなの?」

「ぅわっっぅ!!」

 後ろから突然声をかけられたことで、変な奇声をあげながらバランスを崩してしまい、ゴンッと背面にあった書架にぶつかってしまう。幸いにも上から本が落ちてくることはなく、声の主を見てみると麗奈だった。

「驚かせちゃってごめん……。ただその本、ずっと見てたから……、好きなのかなって」

 訳を理解した僕は返事をしようとするが、咄嗟に今話していいのか分からず周囲を見渡してみる。先輩も疲れ切っている様子で、夏休みの補習で中抜けしている人も多かったため、ホッとして話を切り出す。

「いや、少しタイトルが気になっただけだよ……」

 僕の想定では麗奈からの返答は『そうなんだ』で終わりかと思っていた。だからこそ次に彼女が見せる対応に少し驚いてしまった。

「そうなんだ。わたしはてっきりその作品が重版を繰り返して50万部以上売れていて、芥川賞まで受賞していることを知っている上で、もう読み終わって、読後の感覚に浸ってたのかと思ったよ!でも、それって凄いことだよ。タイトルが気になっても手に取らない人がほとんどなのに!」

 いつもの彼女からは考えられないほどの早口で捲し立てあげられた。声色はいつもと同じガラス玉のように透き通っているが、そこに確かな熱量と少し昂った感情が混ざっているように感じた。

「よければそのほかにも好きな作品とか作家さんとかいたら教えて欲しいな」

 麗奈の美しい眼が僕の心を見透かしているように感じる。そんな彼女を見ていると、教室の隅でラノベを読みながら“みんなと違う本を読んでいる僕——”なんて考えをしていた自分を日のもとに引き摺り出される感覚がしてくる。僕はその眼差しに観念して正直に答える。

「ライトノベルとかを主に読んでるから、純文学はあまり分からないかな……。なんだか難しそうだし……」

 そう答えると麗奈に笑われないかと心配になり横目で彼女のことを見やる。すると彼女は僕の想像だにしなかった答えを返してくる。

「それって、昔の文豪に印象を引っ張られてない?」

 とそう続けた。

「たしかに“純文学”って聞くと、芥川龍之介の『羅生門』だったり太宰治の『人間失格』、川端康成の『雪国』だったりの名著を想像しちゃうけど、最近の作品も文学としての価値は高くて、すごく面白いんだよ!たとえば——」

 と言い、僕の持っていた本の少し隣の本を手に取って僕に差し出してくる。

「この宇佐見りんさんの『推し、燃ゆ』とか。これは君の持っている作品とおなじく芥川賞を受賞しているんだけど昔の作品とは違って、現代でよくある誰かを“推す”、“推す、青春”ってところに焦点を当ててるから理解しやすいよ。」

 と熱く語る。それから驚く提案を受けた。

「だからさ、これを君に読んで欲しいの。で、わたしと感想を交換し合わない?」

「よろこんで!」

 頭で考える前に、口がそう答えていた。美少女からの提案ともなれば、誰が断れるというのだろう?

「何その返事?」

 と少し笑みを零す麗奈。

「じゃあ、感想会の日はいつにする?9月14日までとかどう?ちょうど夏休み終わりの週の金曜日だし?」

「わかりました!」

 また頭で考える前に、口がそう答える。

 幸い、本の貸出期間は長期休みということで特別に9月5日までの大盤振る舞いぷり。夏休みということで、時間がなくて読めませんでしたなんて言い訳は通用しない。まあ、時間がなくても無理矢理読んでいたと思う。

「そんな畏まらなくて大丈夫だよ。同じクラスで図書委員同士なんだし。じゃ、約束わすれないでね!」と言い残し、彼女はその場を離れた。

 しばらくして、書架整理もおおかた終わりを迎え、各々帰路についていく。


 久しぶりに人と話した……。それも、女子と——。

 上がりそうな口角に力を入れ必死に抗おうとするが、抵抗虚しく上がってしまう。もし、ちゃんと読んで感想を語り合えれば、同じ趣味を持つ仲間だと思ってくれるだろうか、友達になってくれるだろうか、あわよくばその先も……ありえたりするのだろうか?なんて妄想に明け暮れてさらに口角が上がってしまう。きっと、すれ違いざまに通報されなかったのは奇跡だったといえよう。


 今日は充実した1日だった。惰性的に消費してきた日陰ものの日々に、一筋の光が差し込んだように感じた。

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