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7 初めての親指

しばらくして、ブレンドを淹れ東条様にはティーカップでお出しし、社内の人達には紙コップで出した。

1人分で淹れるより3、4人分で淹れた方が、ティーポットの中でちゃんと茶葉がジャンピングするので、美味しくなる。

それに社内の人達も味を時々確認した方が、顧客に説明するのに、真実味が出て伝わりやすいと思ったからでもある。


まず、ストレートを味わってもらってる間に、ダージリンとアールグレイも蒸らしている。

余計な事だと思ったけれど、食後のサービスのような紅茶にも、ちゃんと気持ちを置いている彼女なら、決して迷惑にならないだろうと思った。


「コクもあって、いい香りもする。渋すぎない...美味しいわ。」

「ありがとうございます。茶葉が細すぎないのと、ここの茶園がそういう味わいを出しています。あと、こちらがもう少し蒸らし時間を取ったミルクティーにしたブレンドです。」


そう言って東条様に渡すと、ゆっくりと口にした後、徐々に目を見開いて驚いた。


「まろやかで美味しい!ストレートも良かったけど、これもいいわ!何だか甘いし。」

「ありがとうございます!私もこのブレンド大好きなんです。それでは東条様、こちらのダージリンとアールグレイもお試しになられませんか?」


更に驚いた様子だったけれど、喜んで飲むと言ってくれた。始めはストレート、その後はミルクを淹れて試していただいた。

もちろん社員の方達にも。


「凄いわ。ダージリンのストレート、フワッと香って鼻から抜けるようで、ミルクを淹れると味が損なわれるかと思ったけど、ダージリンの味ちゃんとあって、これはこれで美味しいわ。」


その後アールグレイも同じように、ストレート、ミルクで飲み驚いていた。


「お口に合ったようで良かったです。ストレートで飲むのが普通とされていますが、実はミルクも合うのですよ。ただ、ダージリンでもファーストフラッシュにはミルクは合いません。それにそれぞれ茶園があり、その茶園の味によっても。」


「そうなのね⋯深いわね。困ったわ。」

「東条様?カフェのお料理には向きませんか?」

それとも、お金の事だろうか。東条様はしばらく真剣にティーカップ3客を順番に見て、話し始めた。

「困ったのよ。」


何が困ったのだろう。好みの味がなかったのか、私が出しゃばり余計な事をして、お客様を1人減らしてしまったのでは、と不安になった。


「どれも美味しいから全部欲しくなったわ。」

「「「 ! 」」」




数分沈黙のあと、うん、やっぱりそうね、と独り言を言って

「3種類全部いただくわ。ありがとう!あなたのおかげだわ。広瀬さん、だったわね?逆にもっといいものに出会えたわ!」


「そんな⋯ありがとうございます⋯お気に召していただいて良かったです。お店間に合いますね。」


「ええ!ありがとう。」


皆びっくりだった。でも私が1番驚いたし嬉しかった。自分の淹れたお茶を美味しいと言ってくれ、しかも購入を決めてくれたのだから。

妻をしていた時は、お茶を淹れても、何をしてもありがとうなどと言ってもらえたり、こんな達成感と認めてもらえたと思える事はなかった。当たり前の事だった。妻という立場では。


由美子はもちろん、ありがとうと言ってくれていたけれど、また違うのだ。この状況は。


「ありがとうございます。どれくらいご入用でしょうか?」

「そうね⋯セイロン1kg前は入れてたんだけど。」

「そうですか⋯ご提案ですが、今回3種類ですので、ブレンド600g、ダージリン、アールグレイはお試しで200gずつというのはいかがですか?毎日いただく紅茶、どんなスイーツにも合わせやすいのはブレンドですし、あまり紅茶に親しみがない方や味に特徴を求めない方はにも無難なものを選ばれるかと思いますから、ブレンドを多めでご用意された方がいいと思います。」


「そうするわ、それでお願い。」

「かしこまりました。ご用意致しますので、もう少しお待ちください。」


「用意は方の人でもできるわよね?広瀬さんに淹れ方のコツとか教えて貰いたいわ。」

「あ、わかりました。独自の淹れ方ですが。」

「十分よ、とても美味しかったもの。」

「ありがとうございます。嬉しいです。では⋯」


誰か用意してくれる営業さんがいるか見回していたら、近くに来てくれた人がいた。


「広瀬さん、僕が用意します。」


田伏くんはいつもの軽い感じな人柄を潜め、キリッとした好青年に見える笑顔で言ってくれた。

⋯いつもそれでいたらいいのに。


「ありがとうございます。お願いします。」


私もいつもより、他人行儀な感じになってしまった。

でも東条様に見えないように、親指を立てて、やったね、という口の形だけをして微笑んでくれた。

何だか恥ずかしい⋯でも嬉しい。

私もドキドキしながら、親指をぎこちなく立ててみた。


その後、東条様にはできれば、1人分より2、3人分をまとめて淹れた方がポットの中で茶葉がジャンピングするので、紅茶がとても味わい深くコクも出るという事や、カフェに求めるものとかお互いの思いを話し合ったりの雑談をして、ランチに急がなければいけない事を思い出した彼女は急いで帰って行った。


東条様は感謝して、とても満足してお帰りになられたけれど、私の方がとても感謝していた。

初めての接客に、ふれあい⋯初めて感じる充足感

私は自分で前に進んでる。



凄いわ!広瀬さん!」

「いえ、そんな⋯余計な事してないと良いのですが⋯」


前夫の妻でいた時は、決して前に出る事は良しとされなかった。


何かサポートするにも気付かれる事なく、何に対しても当たり前だったから、こんな風に出しゃばるという形が大丈夫なのか不安になっていたけれど。

斎藤さんに褒められ、嬉しさ半分⋯まだ不安半分。


「何言ってるんだよ。あんなに詳しく説明できて、こんなに美味しく淹れられて、しかも予定されてた紅茶以外の種類も増えて注文いただいたんだから。これから幅広がっていく感じだったよ。なぁ田伏!」

野沢さんも後押しするかのように褒めてくれた。


「そうそう、ゆり姉もっと自信持っていいよ。パソコンの使い方とか分からなかったけど、それなりにできるようになってきたし、雑用と言われる事だって丁寧にしてるよ。雑用面倒くさがったり押し付けるような人間より遥かにできてるよ!」


田伏くんはそう言いながら、早川さん達の方を睨んだ。かれがそんな風にするのは珍しい。

睨まれた彼女たちは気まずそうに目を逸らした。


「田伏くんありがとう。でも私のパソコン力はまだまだ皆さんを煩わせているのは事実よ。げんに田伏くんにもいつもフォローしてもらってるもの。そんな私が役に立つ事はなんでも嬉しいわ。」


本心だった。家でしていた当たり前の家事やお礼状書き、雑用くらいで、周りは感謝してくれる。

子供のようだけど、嬉しい。日本茶の淹れ方や生け花を習っていて良かった。

東条様に関しては、彼女は元々紅茶が欲しかったのだし、わずかな売り上げだ。


「そんな事ないよ!東条様だって始めのやりとりで、買うどころか気分を害されてたんだ。他の所から入れると言われてもおかしくなかったよ。」

「そうよ。せっかく頑張って営業が顧客掴んでも、こういう事で離れていったりするわ。その辺わかってないのもいるのよ。」

斎藤さん野沢さんはここぞとばかりに、普段私に厳しい人達に苦言を呈した。

早川さん、登坂さんは悔しいけど言い返せないというような顔で、自分たちの席に戻って行った。


他の社員さん達からは、いつもの紅茶があんなに美味しくなるなんて、とかまた是非淹れて欲しいとか言ってもらえたりした。

中には営業行く時、一緒に行って直に淹れて欲しいとまで言ってくれる人もいた。

田伏くんが、しっかりまだまだ事務処理の修行中だから、無理と断ってくれていた。

こんなふうに言ってもらえて、恥ずかしいやら嬉しいやらだ。


何故か倉庫で絶賛してくれた溝口課長を思い出した。




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