6 初めての接客
「ゆり姉~このデータ編集、終わりそうにないよ~」
「田伏、また広瀬さんに愚痴ってるのか?」
「野沢さんには言ってないっスよ。」
「ふふ⋯田伏くんなら大丈夫。ちゃんと期限までにできるわ。いつもそうして、その先まで見越して作成してるでしょう。」
いつの間にか田伏くんは私のことを、ゆり姉と呼ぶようになった。
はじめの頃は一部の女子社員から、取り入るのが上手い、歳がいってても可愛いく見せようと振舞ってる、とか言われていたけれど少しずつ周りから受け入れてもらえるようになり、表立って言われる事はなくなった。多分、田伏くんが私の仕事ぶりをいつも周りに聞こえるように褒めてくれるのと、溝口課長が私は紅茶に詳しく、一般社員より知識が豊富だと会議の時などに上司に報告してくれているからだと思う。
給湯室や休憩室などでは、視線が痛かったり、チクチク言われたりはあるけど。
「ゆり姉がそう言ってくれるなら頑張るよ!」
「言って欲しかっただけだろ。」
「広瀬さん、甘やかしたらダメですよ。田伏くんは厳しくして伸びるタイプなんだから。」
「そうなんですか?フフ⋯じゃもっと働きなさい、田伏くん。」
「⋯はーゆり姉可愛いすぎ。」
「⋯ホント広瀬さん見かけは上品な大人で真面目な感じなのに、話していくと可愛さの方が強いわーギャップで落ちる男性続出ですね。」
「まさか!斎藤さんのチャーミングさが羨ましいのに。私は冷たく見られがちだから。」
田伏くんの次に好意的に接してくれるようになった斎藤さん、アラサーできびきびと仕事をこなすけれど、笑うとチャーミングで20代前半に見える。
その隣の野沢さんは、真面目な感じのメガネで少し顔の優しさが隠れてしまってるけれど、やっぱり優しい男性営業事務。主任で、田伏くんを補佐にするべく目下指導中。
そんな話しをしながら、今日の仕事を着々とこなしていた。
「だからそこを何とかして欲しいの!」
「でも、直接お売り出来ないので、代理店さんを通して頂かないと⋯」
「さっきも言ったでしょう!今日担当者が出張で連絡つかないって!待ってたんじゃ間に合わないのよ!もうすぐランチ始まるんだから!」
シャープな感じの顔立ちだけど、目は大きめで他のパーツが小さめなのでキツくは見えない。40歳くらいだろうか。
かなり焦っているし、対応してる早川さん(私にいい感情を持っていない)が、代理店を通さないと無理の一点張りだから、イライラもしているようだった。
「なんかあったのか。」
「ちょっと行ってくるよ。」
野沢さんがやれやれという感じで、席を立ち、その女性と早川さんの所へ向かった。
主任は内勤者のまとめ役兼責任者でもある。
少しして戻ってくると、その代理店の担当している、こちらの営業員に電話を掛けたが繋がらないようで、困っていた。
「田伏、溝口課長に、代理店に事後報告で、お客様に売っていいか確認とってくれ。俺はとりあえず、代理店にこの事を伝えて、担当者へ伝言頼むから。」
代理店の方でもその担当者に繋がらなかったけれど、溝口課長から担当者の上司に断りを入れ、今来られている、delight Cafeオーナーの東条芹香様に、今回特例ということで商品をお渡しする事になった。
もちろんお代は代理店経由で。
何でもランチの準備中、アルバイトの子が紅茶缶を開けて補充しようとして、手を滑らせ慌てた事が事を大きくしてしまい、シンクに全てばら蒔いてしまったようだ。
東条様は、今日からランチを始める為にあらゆる手段で、宣伝していたらしく、メニューに紅茶と書いている以上、初日からない!なんて事は絶対に避けたい、信用に関わる事でもあるから、その紅茶の販売店がすぐ近くにあることがわかった為、直接来たのだという。
味を以前、代理店で試飲していて気に入って、取り引きする事になったから、変えたくなかったとも。
「ええ!?あの紅茶がないの!?」
「はい、すみません、今日の午後、別会社に納品予定で、昨日急に追加が出てしまい在庫がなくなってしまっているんです。」
「本当についてないわ。今日に限って⋯ 」
「別の紅茶ではいけませんか?」
「味もわからないのに、ランチ後のサービスドリンクだからって、適当にはしたくないの。美味しく食べた後にデザートと一緒、あるいは飲み物だけでも、最後まで美味しく頂けたら幸せって感じるでしょ?そう思える味だったから⋯はぁ⋯」
紅茶にこだわりがある事に嬉しく思ってしまった私はらたまらず
「あの、早川さん、私がお話しさせていただいてもいいですか?」
対応してる早川さんにそっと声を掛けてみた。
「貴方が?何もわからないでしょう?」
パソコンも満足にさわれない新人が出しゃばるな、と言いたげに冷たい言葉を放たれた。
「事務処理はまだまだですが、紅茶はこの前から在庫確認していますし、紅茶の種類もわかりますので、説明くらいでしたら大丈夫です。」
納得いかない顔をしたが、お客様の前という事や自分では対応しきれないとわかっていたようで、了承した。
「お客様を怒らせたら責任とってもらいますよ。」
私にだけ聞こえるように言ってきた。
東条様は焦った感じと対応に納得いかないという様子だ。
もし私が一層怒らせたら、というプレッシャーを凄く感じる。でもこのまま帰したり、気分を害されたままでは、後々事が大きくなり信用を無くすかもしれないから、こちらの誠意もわかってもらえたら⋯
「失礼します。東条様、お求めの商品が品切れで申し訳ありません。おそらく入荷まで1週間はかかるかと思います。ですからお手元にお届けできるまで、他にもご満足頂ける紅茶はたくさんあると自負しておりますので、お手伝いさせてください。」
「⋯仕方ないわ。とりあえず代わりになるもの出して欲しいわ。」
「はい、ありがとうございます。セイロンのディンブラをカフェで出される予定でしたよね?料理の関係でこの茶葉を?」
「関係なくはないけど、一番オーソドックスでストレートでもミルクでも好みに合わせやすいと聞いたし、試飲で味も良かったしね。」
「そうですか、ストレートやミルクに合うものでしたら、セイロンとアッサムのこのブレンドでも美味しいと思います。」
「そうなの?でも味がわからないと嫌だわ」
「はい、今からお湯を沸かして淹れますので、15分程お待ちいただけますか?」
「⋯いいの?試飲させてもらえるなら喜んで」
ようやく本来はこんな人なんだろうと思える、落ち着いた雰囲気と優しい笑顔になった。
「ありがとうございます。よろしければ、こちらお暇潰しに紅茶の淹れ方や茶葉の種類、味などが説明されている初心者向けの本ですが、写真などたくさん載せられていて、見やすいのでいかがですか?」
自分のような紅茶大好き人間なら文章いっぱいの本でも大丈夫だけど、普通の人には写真などで見やすいものの方が、受け入れ易いだろうと何かの時の為に持っていたものだ。
東条様はパラパラと中身を見て、読みやすいと感じたようで、最初からページを戻して読み始めてくれた。