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32 初めての父親

久しぶりのマンションのエントランス、そのまま入ろうかと思ったけれど、一応もう別の家族がいるかもしれないし、今は他人でいたいと思ってるからインターホンを鳴らした。



懐かしい⋯音。

昔、玄関扉を開けると、ママがパタパタと小走りで【お帰りなさい、寒かったでしょ?ミルクティー用意してるわ】そう言って、笑顔で迎えてくれていた。紅茶の甘い香りと共に⋯。

でも今は同じ家でも違う匂いだ。

ママのいない匂い。愛人たちと暮らしているのかと思っていたけど、気配もないし臭いもない。

女の人のいる匂いではなかった。


「一緒に住んでないの」

「住んでない」


部屋に迎え入れる許可、というように背を向け、奥のダイニングの方へ話しながら歩いていく。

パパどこか寂しそうだ。

家具は変わってなく、配置もそのままだ。

定位置のソファーに座る。


「なんで?子供いるんでしょ」

「望んだわけじゃない」

「最低だね。騙されたとか言うわけ?避妊しなかった時点で、騙されたっていう言葉は使えないよ。共犯だよ。⋯⋯まあ、別にそのこと責めに来たわけじゃないから、今更⋯」

「何か飲むか⋯」

「え!」


びっくりだ。今まで私が生きてきた中で、この人が人に飲み物を、サーブする意思があるなんてことなかった。してもらうのが当たり前、させてきた人。

たとえ買ってきていたものを、コップに入れるだけのものだとしても。


「とはいえ、紅茶の入れ方なんてわからないから、ティバックだがな。湯くらい沸かす」


それでも⋯

「ママ、絶句するよ」

ちょっとからかう気持ちで言ってみた。

「ハハ、そうかもな」


こんなパパは初めてだった。

いつも冷たく、人を押さえつけるような威圧感を、常に張り巡らせて隙を見せない様は、父親と言えるような雰囲気じゃなかった。

なのに、今はトゲが削げ落ちて、戦意を失った負傷兵のよう⋯。

なんと言っていいかわからず、でも何か言わないとと思った。

「どうしたの?パパじゃなくなったね。

そんなにママに去られたのが答えた?」


ちょっとからかう感じで言ってみた。

きっと睨まれて、バカ言うなとか無視されそうだけど。


「⋯そうだな」

「えっ!」

なにその答え!予想外すぎるんですけど!

もしかして、この雰囲気は失恋した人の落ち込みのもの?

信じられなかった。愛とかそんなもの持ち合わせてないと思ってた。全て仕事で得る名声、肩書き、お金。それで物を測る人だと思ってた。

なのに、失恋したと認めショックを受けてる。


「なんで、どうしてもっと早く動かなかったの?どうしてちゃんと伝えてこなかったの?そしたら、ママとの関係変わってたかもしれないでしょ」


「伝える⋯そうだな、そうかもしれない。でも気づかなかった」

「分からなかった?」

「自分がどう伝えるか、何を伝えるか、伝えたいか。ゆりを、お母さんをどう思っていたか、どんな存在だったか」

「はぁ⋯」

「私は小さい時から、いかに人の上に立つか、人をどう動かすか、決して自分の弱さを見せてはいけない。己が強くて上にいれば自ずと周りはついてくる、そう教えて育てられてきた。だから、お前の母親も私に力があれば、従いついてくると思ってた。実際そうしていた。でもそれはそうせざるを得なかったからだ。どんなに力をつけ役職が上がっていっても、彼女の態度と心は変わらなかった⋯むしろどんどん私から離れていくように感じたが、何が足りないのか、不満なのか分からなかった。

だから、腹が立った」


「だから腹いせに浮気しまくったの?」

「しまくってはいない⋯」

「したことに変わりないし、子供まで作ってるし!」

「大丈夫な日だと言ってたんだ」

⋯ 娘に言う?


「大昔のあるある、ずる賢い女が言う言葉よね」

「⋯⋯」

「ママは言ってたわ。自分でなくてもよかったはずだって。パパのお父さん、おじいちゃんとママのお父さんが仲が良くて、紹介されて断れなかったから、結婚したんだって。

⋯⋯ちゃんと好きになってたなら、なってたって言わなきゃ。言葉と態度で表すってとても大切なのよ。わかってても、ちゃんと言葉で言ってもらったり表してもらったら、一層嬉しいものなの。何も言わないと、誤解を生んでしまうこともあるわ」

「そんなこと知るか」

「はぁ?」

何だこいつ、と思わず悪態をつきそうになった。


「⋯知るわけない。幼い時からいい成績、いい学校、いい会社に入って、上り詰めることで認められる。人間は、自分より下だと感じれば、バカにするし見下す。自分が見下せるくらいの大物になれと、ことあるごとに言われ従わないと折檻され、母親も遠目に見てるだけで、何も言ってくれない。

それが正しい、いや、それが自分の世界なんだと、いつの間にか納得してた。人を愛することなんか知るわけない

金や名声を分けてやることが、その証明だと、勝手に思ってた⋯」


この人も⋯パパもある意味可哀想な、カースト社会の犠牲者なのかもしれない。大切なことを教わる場も人もなかった。

私にはママがいたから、そういう思いやりや愛情を教えてもらった。

恋愛に関しては、まゆみ姉や学校の友達、ううん、きっと恋できたのもママがその基盤を、私をたっぷり愛してくれたから⋯


「今からでも学べるよ。だってそうでしょ、そんだけ手放したくないのは、社会的なことじゃなかったって分かったんでしょ?だから、一度は離婚しておいて、やっぱりダメだと戻そうとしたんでしょ?

もっと愛し方を知らないとね。愛人さんに教えてもらえば?

会社だけじゃなく、もっと外に出てみなよ。

⋯⋯私が付き合ってあげてもいいよ」


「お前が?」

伏せがちにしていた目を大きく開いて、驚いた表情をしている。


「ママじゃなくて、不満だろうけど⋯愛人さんに嫌がられるかもしれないけど⋯ランチ代浮くしねっ」


なんだか素直になりきれず、そんな風に言ってしまって、うつむいた。


「⋯そうしてくれ。今更父親ズラなんてできないが、飯ぐらいいくらでも食べさせてやる。

金ならあるからな」

「何言ってんの!新しい家族もあるし、第一今の職解かれたんでしょ、給料かなり安くなったんじゃない」

「まぁこれまでの半分ぐらいになるだろうな⋯それでもFXなんかで資産はちゃんと確保している。誰にも言うなよ」

「さすがっ⋯なら、遠慮なくね?」

「いつでも連絡してきなさい」

「うん、パパもしてきていいよ」

「ハハ⋯」


初めてだろう。こんな風に普通に話せて笑えたのは。

急に普通のおじさんになった。私達親子もここからかなかもしれない。まぁこの人次第だな⋯

ママ、びっくりするだろうな。でももうママには言わない。変に同情して、溝口さんを妬かすと大変だそうだしね。



学生時代のことや、ジョセフのことなどを話した。

娘はやらんみたいなのは、さすがにないようだけど。まだ親という感覚が芽生えていないんだろう、急には。ジョセフはIT業界でもルーキーながらすごい頭脳で、席巻していると有名らしく、自分の半分ほどの年齢に満たないそのルーキーにも、今回の件を介入されていたら、もう完全にパパは終わっていたのかもしれない。

ジョセフが主にやっていたら、おそらく超有名世界的企業を巻き込み、株をちょっとやり取りして起き上がれないようにしていたはず⋯自分の敵とみなした相手には容赦ない。

特に私が傷つき、その私の大切な、ジョセフも大のお気に入りのゆりママに辛い思いをさせていると知ったら、彼はもう手加減など一ミクロンもよぎらなかっただようだったし⋯

それを知ってしまったパパは自分よりも、何100万倍の力もある恐ろしい男が私の恋人だと⋯囚われてしまったのでは、と複雑なようだ。逃げ出したくても、もう逃げられないだろうと⋯。


帰る支度をして、靴を履いていたら言いにくそうに話してきた。


「何かあれば、いつでも言ってきなさい⋯ママのことでも⋯」

「わかったわ、ありがとう。でもママは頼りたい人がいるから大丈夫だよ」

やんわり、もう諦めなと伝える⋯


「あんな若い女がほっとかないような男を⋯いつまでそばにいるか」

「私もそう思ってたけど、思ってた以上に真面目だしママに一途で執着してるよ。このところ、オープンにママへの愛を表してるみたいだし⋯パパも愛人さんと今の状況受け入れなよ。じゃないと、全部失ってしまうよ」

「もう少し時間がいる」

「うん、まぁそうだろうね。⋯じゃあ、行くね」

「ああ」


あっさりとした別れ方で生家を後にした。

もっと哀愁のようなものを感じるかと思ってたけど、そうなるほどの楽しい思い出がない。

でも一区切りついたような気持ちだ。スマホを見ると、ジョセフ⋯からの鬼電がすごい⋯⋯

マンションの下で待ってるって、とうとう痺れを切らして仕事を抜けてきたみたい。


嬉しいようなちょっと怖いような思わず苦笑いをしてしまった。

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