3、これはもう単なる甘々カップルなのでは
イシャード殿下に抱きかかえられるようにして、私は不思議なくらい楽しい時間を過ごした。
「考えてみると、私もこんな風にコミュニケーションを取って愛を伝え合ったのはイシャード殿下が初めてです。今までは言葉も話せませんでしたし。好きです」
「そうなのか? ご病気か何かだったのだろうか」
憐憫や心配を感じる優しい眼差しは、今までエミリオお兄様以外はくれなかった。
「呪われていたせいです。好きです。今かかっている呪いをかけられたとき、話せるようになりまして……話せるようになってよかったです。あなたとこうして気持ちを伝え合うことができるから。好きです」
「姫を呪った犯人はつかまったのか?」
「いえ、……好きです」
壊れやすい宝物を扱うように大切に抱き上げられて、椅子の上で抱えられる。
優しく愛しそうにイシャード殿下の手が髪を撫でてくれる。
「アミーラ姫、このお菓子を召し上がれ。わが国の魔法パティシエが腕によりをかけた逸品だ」
そう言って勧めてくれるのは、薔薇の香りをつけたクリームが花びらのように乗ったローズウォーター・カップケーキ。ピンク色の花びら型のクリームがやわらかで、生地はほんわかとした優しい甘さ。おいしい!
「美味しいです。こんな美味しいお菓子をイシャード殿下といただけて、幸せ……好きです」
「あなたは本当に嬉しい言葉でオレを幸せな気分にしてくれる」
「これは、呪いですから……。でも、なんだかだんだんと本心かもしれないと思えてきました。好きです……心から。ああ、でもこれじゃ、本心で言っているかわからないですよね、好きです」
「オレはあなたを疑わない。けれど、大切な姫が呪われている状態は放っておけないな」
「好きです、大好きです」
エミリオお兄様が「これはもう単なる甘々カップルなのでは」と呆れている。ちょっと恥ずかしい。私がもじもじしていると、猫がちょこんと膝に乗ってきた。
イシャード殿下の膝に私が抱えられて座っていて、その私の膝に猫が乗っているという格好だ。
「そうそう、猫のミュウも感謝していると言っている」
「にゃぁ~」
この猫は、ミュウというらしい。
「オレの使い魔だ。貴国を訪ねるにあたって、先に少し調べておこうと思ったもので」
「あっ、そうなのですか。そんなお話して大丈夫なのかしら。でも、嬉しいです。好きです」
エミリオお兄様を見ると「何も聞かなかったことにしよう」と言っている。イシャード殿下はというと、慈しむような眼差しを私に注いで、なにやら不思議なことを言い出した。
「わが国には神秘な力で色々なことを言い当てる預言者がいるのだが、その預言者が言ったのだ。貴国にオレの運命の相手がいて、その相手は聖女なのだと」
――運命の相手? 聖女?
理解の追いつかない私とエミリオお兄様だったが、イシャード殿下は臣下に指示を出し、何かを運ばせた。臣下が持ってきたのは、見るからに特別なゴブレットだった。
「これは、わが国の国宝。《聖なる鏡のゴブレット》です」
ゴブレットは、手にすっぽりと収まるサイズ感。
繊細で優美なデザインをしている。
透明なクリスタルのような素材でできていて、それ自体が輝くようにきらきらしている。
「失礼」
イシャード殿下が私の手を引き、ゴブレットへと導く。
ひんやりしたゴブレットの縁に私の指先が触れると、パァッと神聖な光が輝いた。
「やはり……」
獣人たちが周囲で次々と膝をつく。
なに? なんですか? 皆さん?
そのキラキラした尊崇の眼差しは、なに? 好きです?
「聖女様!」
「我らの聖女様!!」
わ、わあ……っ!? 好きです!?
イシャード殿下は周囲の視線に頷き、説明してくれた。
「預言者は言った。神聖な国宝に力を注ぐことのできるのが、聖女だと」
その手がゴブレットを掲げると、光がふわふわと会場中にあふれていく。
「このゴブレットを使えば、周囲一帯の人の呪いを解くことができる。そして呪いは、呪いをかけた術者へと跳ね返る。さらに、術者の所業までも明らかにする効果まであるのだ」
その言葉に、リリアンがサッと青ざめるのがわかった。
「アミーラ姫の呪いは、これで解ける」
「好きです?」
イシャード殿下がおっしゃるのと同時に、私の呪いが解けた。
パチン、と小気味いい音を立てて。
……と、いうことは?
私とエミリオお兄様が恐る恐るリリアンを見ると。
解けた呪いは逆流して、術者である妹リリアンへと戻っていった。
私だけじゃない。
会場にいる色々な人から、呪いがリリアンに向かっていく!
リリアンは、人知れず色々な人に呪いをかけていたのだ。
「ギャァアアア!!」
人々が見守る中、リリアンの全身が醜く変貌していく。
「リ、リリアン……!?」
「姫!?」
自国の貴族たちも、招かれた他国のお客様たちも、呆然とそれを見ていた。
皮膚は爛れ、髪の毛はごっそりと抜け落ちて。
腰は曲がり、声はしわがれて。
「ア――……ア、アア」
枯れ木のようになったリリアンの脚がくたりと脱力して、地面に座り込む。
イシャード殿下は絶対零度の視線を向けて、厳しく言い放った。
「悪意は放った者に還る……これが、今までの人生で彼女が他者に放ってきた悪意なのだ」
毅然とした声が会場中に響く。
神聖な光が会場中にあふれて、人々に過去を見せる……。
「み、見える。見えるぞ」
「私にも!」
居合わせた全員に、同じ光景が共有された。
みんなが目にしたのは、過去の出来事。
リリアンが私や他の誰かを呪い、高笑いする姿。
恐ろしいことにリリアンは邪悪な術で父や宮廷魔法使いの心を惑わして、自分の味方にしていた。
「こ、これは……ひどい!」
「なんて邪悪な……」
声が会場中からあがり、視線がリリアンに集まる。
変わり果てた姿の妹は地面に這いつくばり、逃げようとした。
「ひぃ、……ひいっ……」
「オレの運命の相手、貴き聖女に害をなした罪。友好国の王を惑わした罪。許されるものではない」
イシャード殿下が「そうですね?」と私の父を見る。父は汗をだらだら流しながら頷いた。
「邪悪な術者をひっ捕らえよ!」
イシャード殿下の美声が凛と響き、兵士が動く。
「い、いゃあぁぁああああ! やだぁああああ!!」
「ええい、往生際が悪い!!」
――リリアンは捕まった。
そして、情状酌量の余地もなく処刑されたのだった。
「なんてことだ……リリアンはいつから邪悪な術や魂を宿したのか。悪道に堕ちる娘に気付いて引き止めることもできず、惑わされるのみだったとは。アミーラよ、すまなかった。父が悪かった……」
父はショックを隠せない様子で娘の処刑を見届けて、後日国民に申し開きをして王位を退き。
息子である王太子……エミリオお兄様へと、王位を譲った。
ちなみに。
「陛下、今までお疲れ様でございました……っ」
「何を他人事のような顔をしているのだ、宮廷魔法使い。お前も一緒に引退せよ」
「ふぁっ!?」
ちゃっかり仕事をつづけようとした宮廷魔法使いも、父に引っ張られて仲良く引退させられた。