救世の塔
物語に出てくる人物、団体等はフィクションです。実在する人物・団体とは一切関係ありません。
ケイ「よお、フェイ。なんだか浮かない顔してるな?」
フェイ「いや、なんだか腹の調子が悪くて。」
ケイ「思い詰め過ぎじゃないか、変なこと考えすぎると腹壊すぞ」
フェイ「ああ、なんだか気分が晴れなくて。今日から新しい仕事任されるみたいだしな」
ケイ「ああ、最近噂になってるやつだっけ?お前が任されることになりそうなんだな」
フェイとケイがいた会議室に男が入ってくる。
ジェイク「ブリーフィングを始める。」
ここは豊かな緑と清水の流れる土地にある国家ロゼリア、その公安部の一室である。
保安官のフェイとケイ、ジェイクは新しく舞い込んできた案件のためブリーフィングを開始する。
ジェイク「最近街の方で救世院という宗教団体に入った家族と連絡が取れなくなったという相談が入った。
他にも救世院に入った知人を見かけなくなったなどの噂も出ており詳細を調べる必要性がある。
その潜入調査に向かって欲しい、担当はフェイ、バックアップはケイだ。
調査がまとまり次第報告書を定期提出するように」
フェイ、ケイ「了解しました!」
ジェイク「基本的にこの件の調査は2人に任せる、どのように進めるかは2人で話し合って決めてくれ」
ケイ「だってよ、フェイ。どうする?」
フェイ「そう言われてもな。救世院の事で分かってることはないんですか?」
ジェイク「救世院は街の東から出て郊外にある街道から少し離れた場所にある修道院を改修して建てられている。
確認できているだけでも15名前後の出入りが確認されている。
入院には院長であるイドニスという女性と面談をする必要がある。認められれば入院して院内での生活が可能になる。」
フェイ「入院の条件は?」
ジェイク「詳細な情報は分かっていない、しかし病床の者、問題を抱える者、自立した生活が難しい者を引き取って世話をしているそうだ。
入院の際にはその点を考慮して面談を受けるといい。
後は救世院の人間と繋がりのある人間を用意してある、入院の際にはその人物を通じて面談を受けるといい。
段取りは2人で決めてくれ。」
フェイ、ケイ「了解しました!」
ケイ「だそうだぞフェイ、どうする?」
フェイ「今回の任務は救世院の調査と報告だ。一通り調べて報告書を作るよ。」
ケイ「それで、何から始めるんだ?」
フェイ「そうだな、まずは救世院付近の下調べと面談の内容のリハーサルを考えよう。」
ケイ「了解、それじゃ腹ごしらえしたら救世院まで行ってみますか!」
フェイ「そうだな、何かあっても対応出来るように用意はしておいてくれよ。」
そうして二人は食堂で食事を済ませ、救世院までの移動を開始した。
馬車で街を出てしばらくするとわき道が出てきた。
ケイ「このわき道を行った先が救世院だ。」
フェイ「なるほどな、来た道も覚えておいてくれよ。」
ケイ「ああ、俺はお前に借りた金以外は覚えているからな。」
フェイ「1億貸しているからな、後で借用書書いてやるからとっとけ。」
そう言うとフェイは辺りを見渡した。
道を進んだ先に開けた丘がある、森の少し手前にその修道院はあった。
屋根に鐘楼が着いた、井戸のある、木材を白く塗った壁が特徴的な大きな建物。
綺麗に整えられた敷地からは人の住んでいる気配がする。
今は外に人はいない、中で何かをしているようだ。
周辺の土地と救世院を一通り見て終えると、立地を紙に取り一旦街へ戻ることにした。
ケイ「これでいいのか?」
フェイ「ああ、今回はこれでいい。何かあった時の経路を確認しておく、相手が襲ってこないとも限らないしな。」
ケイ「そうだな、そのままお前まで消えちまうなんて事もあるかもな?」
フェイ「ああ、その事態も想定しておくさ。非常の際のシグナルも用意しよう。」
ケイ「了解、戻ったら作戦会議だなあこりゃ。」
フェイ「調査には時間がかかるからな。準備はしておくに越したことはない。」
二人は馬車を進め街に戻って行った。街に着く頃には日が暮れかかっていた。
ケイ「フェイお前この後どうする?」
フェイ「今日はこれで上がるよ、明日の準備もあるし。お前はどうするんだ?」
ケイ「俺は今日の分の報告書を書く、お前のバックアップに回されたからな。必要な備品と費用も申請しなきゃならん。」
フェイ「ああ、素手で戦えなんて言われないといいんだけどな?屈強な男がうろついていたとでも書いておいてくれ。」
ケイ「ええ?屈強な男が好みだって?ジェイクに紹介してもらえるよう頼んでおいてやるよ。」
フェイ「これで死んだら毎晩お前の枕元に行ってやるからな!嫁さんと俺と3人で仲良く生活したくなければ装備を調達するんだ!わかったな!」
ケイ「毎晩枕元で小言聞かされるのはごめんだね。救世院を木っ端微塵にできる大砲でも申請しておくか!」
フェイ「使用が許可されればいいけどな、俺まで吹き飛ばすなよ!」
ケイ「多分大丈夫だ。じゃあまた公安部の会議室で落ち合おう。」
日も暮れかかった頃、フェイは帰途に着いた。
家のドアを開けると妻のシルバのおかえりという声が聞こえた。
フェイ「ただいま。」
シルバ「早かったのね。もうご飯にする?」
フェイ「ああ、仕事でしばらく帰れないかもしれない、詳細は言えない」
シルバ「そう、心配だけどちゃんと帰ってきてね」
フェイ「ああ、死ぬつもりはないさ」
シルバ「分かってるけど心配なのよ!」
フェイ「こればっかりはしょうがない、しばらくしたら帰って来れるようになるよ。」
シルバ「そう、じゃあ美味しいものを用意しないといけないわね、あなたの好きな物用意しなくちゃだわ。」
フェイ「ああ、そうしてくれると助かる。満足な食事にありつけるかも分からないからな。」
そう言うとシルバは食事の準備をし始めた。
フェイはソファに横になりながら考え事をしていた。
これからしばらく休みなしか、ご飯を食べたら今日はゆっくり休もう。
それで仕事が終わったらシルバとどこかに出かけよう。
これからの事を考えているうちに食事が出来た。
フェイの好物を食べながらシルバと会話をしていると夜が更けていった。
ひと時の幸せな時間を過ごし夜が明けた。
翌日。
ケイ「おはよう!」
フェイ「おはよう。」
ケイ「昨日はよく眠れたかな?」
フェイ「眠れたよ、シルバの料理を食べてぐっすりさ。」
ケイ「そーかそーか、仲がいいのはいい事だな!それじゃあ今日もブリーフィングから開始しようか!」
フェイ「ああ、救世院への入院への手筈から考える。
救世院に入るにはジェイクが言っていたようにいくらか条件がある。
病気の者、問題を抱える者、自立した生活を送れない者などが概ねの特徴だ。」
ケイ「そう!救世院の名のごとくまさに救いを必要としている人じゃないと入れないわけだ。」
フェイ「そりゃあ、救世院だもんな。」
ケイ「そこでだ、フェイお前には面談の際にこう言ってもらう。
俺は抜けられない組織を抜けてきた。街に戻ればやつらに見つかって何をされるかわからない。これから生きていく場所も生活する場所もない、やつらに怯えながら暮らさなければならない、だからしばらく匿って欲しいと。」
フェイ「……組織って公安部の事か?」
ケイ「そうだぜフェイ、公安部を裏切ればこの国に居場所はない。一生怯えて暮らすんだぜフェイ。」
フェイ「なるほどな、組織に追われている体で行くのか。わざわざ病気にならないでも済むわけだ。」
ケイ「お前がそうして欲しければ俺の必殺かかと落としでお前を救世院に直行してやってもいいんだがな。」
フェイ「それじゃ調査できないだろ?」
ケイ「それもそーだ、だから組織に追われてる体でいく。」
フェイ「なるほどな、大体分かった。
救世院に繋がる人間とはコンタクトは取れているんだったな?」
ケイ「ああ、向こうはこちらを公安部と知らない。だからただの問題を抱えた人を振舞ってくれ。」
フェイ「ああ、上手くいったら主演男優賞でももらえるか?」
ケイ「そうだな、上と掛け合ってみよう。」
フェイ「定期の報告はどうする?」
ケイ「この靴だ。靴底の中にノートとペンを一体にしてある。外に出れない時はこのノートに書いて、書いた物を指定の場所に置いてくれ。」
フェイ「分かった。」
ケイ「そしてもう片足の靴底には万が一のためにナイフが仕込まれている、使う機会がないのが1番だがいざと言う時には使って身を守ってくれ。」
フェイ「ああ、ありがとう。」
ケイ「それじゃ特に質問がなければ、救世院に繋がる人間とセッティングするが準備はいいか?」
フェイ「ああ、大丈夫だ。」
そうしてフェイは救世院と繋がる人間と落ち合い、救世院へと向かう事となった。
フェイ「どうもフェイ・カーンです。」
男「あなたがフェイさんですか、話しは聞いております。今回は救世院の助けが必要と言うことで向かいながらお話ししましょう。」
フェイ「ありがとうございます、そうしていただけると助かります。」
二人は馬車で救世院に向かった。
男「着きました。」
馬車を降りると救世院の入口へと向かった。
男は救世院のドアをノックした。
コンコン、コンコン
男「私です、救世院に御用の方を連れて参りました。開けてください。」
しばらくすると扉が開いた。
救世院の男「ようこそ、おいで下さいました。ここに来るまではさぞや大変な思いをした事でしょう。どうぞ中でおくつろぎ下さい。」
男の手に招かれると救世院の中へと入って行った。
修道院を改修したため聖堂がある。
ステンドグラスから差し込む光とロウソクの灯された聖堂は荘厳としてどこか仄暗い雰囲気を漂わせていた。
聖堂を抜けると、部屋へと通された。
そこに待っていたのは白髪混じりで小綺麗な法衣を纏った還暦を迎えようかという女性だった。
イドニス「ようこそおいで下さいました。私はこの救世院の院長を務めさせて頂いているイドニスと申します。
ここに来られるまではさぞや苦労なさった事でしょう。
話しながら私達でお力になれる事があればあなた様のお力にならせて頂きます。」
フェイ「ありがとうございます、私はフェイと言います。
抜けられない組織を抜けてから街で追われる身となってここに辿り着きました。
私には生活する場所も生きる場所もどこにもありません。
私を追うものに怯えながら暮らす毎日しかありません。
次の地が見つかるまでで構いません、それまで匿ってもらえたらいずれ必ずお礼はします!」
イドニス「いえいえ、お礼は必要ありません。
私達は修養者を預かる傍ら、生活の一環として生業を持っています。
ですからその生業に参加して頂ければお礼は必要ありませんし、生活にも困ることはありません。」
フェイ「ありがとうございます、何とお礼を言っていいか。九死に一生を得るとはこの事です。」
イドニス「いえいえ、いいのですよ。
私達は修養者として生涯を遂げる傍ら、私達が世界で行うべく使命を負っています。
それは救世、人の世を救う行いを使命としているのです。
あなたには救世院の中を見て回りながら救世院での生活と救世の教えについて話します。
私に付いてきて下さい。」
部屋が並ぶ廊下を進むと、ひとつの部屋に入った。
イドニス「まずはあなたの部屋から。
あなたにはこの部屋で生活して頂きます。
荷物などおありでしょう、貴重品などはこちらの鍵付きの引き出しに入れて保管して下さい、これがその鍵になります。」
フェイは鍵を受け取り、荷物を部屋に置いた。
イドニス「では次に向かいましょう。」
そう言うと通路を進んだ。
イドニス「ここが書庫、街で買った図書の他に救世院が出版している書物もあります。本が読みたくなった時にはご利用下さい。」
更に通路を進んで行くと炊事場に、着いた。
イドニス「ここは炊事場、救世院にいるみなさんの食事を作っています。
炊事の得意な修養者がみなさんの食事を考えて作ってくれています。」
そう言うとまた通路を進んだ。木のテーブルと椅子の並んだ広い空間に出た。人がまばらにくつろいでいる。
イドニス「ここは多目的室、ここで読書をしたり、話しをしたり、食事もこの部屋で行います。」
また少し通路を進むと、何かの作業をしている音が聞こえてきた。
イドニス「ここが生業の間、ここでカゴや傘、木彫りの彫刻など作って院を運営しています。
あなたにもしていただく事になりますので、自分に合ったものをしていくといいでしょう。」
イドニスは居室の方に向かった。
居室の扉を開けると、修養者と呼ばれる中の司祭が、寝たきりになっている修養者に水を飲ませていた。
痩せた寝たきりの女性は天井の方を見ながら時々何かを呟いている。
イドニス「ここにいるのは苦しみを背負う者ばかり、私達はここを訪れる方々の苦しみに寄り添い、添い遂げる事でこの暗き世の灯火になろうとしています。
私達が彼等彼女らの最後の救いとなるのです。
聖堂に向かいましょう。」
そういうとイドニスは聖堂に向かった。
イドニス「おかけ下さい。」
聖堂に着くと、フェイは祭壇の前の椅子に腰かけた。
イドニスは話し始めた。
イドニス「この救世院の背負った使命は人の世を救う行いをすること。
この世は暗い。
苦しみ弱った人間を救う者はいません。
光の潰えた、無間の闇に生きる者たち。
彼ら彼女らの苦しみと嘆きを、少しでも楽にする慈悲を与える事でこの世界の苦しみを背負い、僅かな光となろうとしています。
この救世院で生活をしている内に自分と光を見つけここから出てゆく者もいます。
しかし、1度落ちた闇から這い上がるのは難しい。絶望の闇の中で苦しみを味わいながら暮らしている者も少なくありません。
私達はその絶望の無間の闇に生きる者達と寄り添い、慈悲と共に僅かな希望の光となろうとする者、それが救世院に仕える宮仕なのです。
あなたもこの救世院を必要とした者。
世の闇に光を奪われても、ここにいる間に僅かな灯火かもしれませんが、希望の光を見つけられるといいですね。」
フェイ「ありがとうございます。ここでは院長の事はなんと呼べば?」
イドニス「ここにいる者たちは私の事を愛称を込めてマザーと呼びます。
あなたもそれで呼んで頂いて構いませんよ、フェイ。」
フェイ「分かった、ありがとうマザー。落ち着ける状況にはないけど自分に出来ることをやってみるよ。」
イドニス「ここには病に冒される者、迫害を受けた者、非道を受けた者、あなたのように事情を抱える者、様々な理由でこの世から追いやられた方々がたくさんいます。
フェイ、世の救いとはなんだと思いますか。」
フェイ「分からない、自分ではどうにもできない死の闇を覆すことができない。」
イドニス「そう、光の潰えた死の闇に落ちた。
ただ苦しみによって死に呼ばれる、死を待つだけとなった者達。
その者らの悔恨と無念はまた苦しみとなって彼等を襲う。
人はいつか死ぬ。でも光なき死の闇にも慈悲と僅かな光を持って添い遂げるのが私達。
それがこの暗き世を照らす私達なりの世の救いであり使命なのです。」
フェイ「マザー、俺もそう思う。死の闇に向かう人間に俺達は無力だ。
死ぬしか解決のない苦しみもある。
だけど生きている、受け入れられない死を抱えながら苦しんで生きているんだ。」
イドニス「そう、生きているうちには死の波はやってくる。
でもその波を超える力も持っている。
でも死の波にさらわれ溺れてしまったものもいる。
光も潰えて、襲い来る死の闇にせめてもの慈悲と希望を与える所、それがこの救世院です。」
フェイ「ああ、何となく分かったよ。」
イドニス「今日は来たばかりです。
荷物を整理したり落ち着いたら救世院の中を散策してみるといいでしょう。
ひとまずは部屋に戻っておやすみなさい。
困った事や分からない事があったら私や宮仕に聞くといいでしょう。」
フェイ「ああ、ありがとうマザー。そうするよ。」
そう言うとフェイは自室へと向かった。
整えられたベッドに座るとフェイはイドニスに言われた事を考えた。
動機は分かる、この救世院がどういう所なのかも。死苦を受けるものの最後の砦、か。
フェイは靴底の中からノートとペンを取り出し、救世院の教えとイドニスの考えを忘れないうちに書き記した。
バッグから荷物を取り出し整理するとフェイは少し横になった。
フェイはしばらく横になっているといつの間にか眠ってしまっていた。
コンコン
ドアをノックする音で目が覚める。
宮仕「フェイさん、お食事の時間です。食堂まで一緒に行きましょう。」
いつの間にか眠ってしまっていたか。
どうやらもう日が暮れているらしい。
食堂に向かおう。
フェイはドアを開けて宮仕と共に食堂に向かった。
木のテーブルを囲むように人が座っている。
救世院の修養者と呼ばれる人達だ。
自分も救世院に入ったので、今日からは自分も修養者という事になる。
食堂には十数人が座っていた。
宮仕「フェイさんはこちらのお席へ。」
宮仕に案内されると空いている席に座った。
テーブルには大きめにカットされた野菜のシチューとパンが置いてある。
イドニスがこちらに向かって来て言った。
イドニス「みなさんにお知らせがあります。
今日からみなさんと共に過ごすことになったフェイさんです。
分からないこともたくさんおありでしょうからみなさん優しくしてあげて下さい。」
フェイはまわりにぺこりと挨拶をすると挨拶を終えた。
イドニス「さあ、今日も夜ご飯を頂きましょう。」
そう言うとイドニスは目をつむり顔の前で手を合わせ額に付けた。
イドニス「今日という日と、食事とみなさんに感謝致します。頂きます。」
食堂一堂はまばらに頂きますと言った。
フェイも頂きますというとシチューを食べ始めた。
味もしっかりしていて美味しい。
向かいの席に座っている男性も黙々と食事を進めている。
すると宮仕がオルガンで音楽を弾き始めた。
温かい食事と落ち着く音楽、暖かな明かりと、人の温もりで食堂は満たされた。
心がじわりとぼやけていく感覚がした。
食事を終えると、食器を炊事場へと持って行った。
食事の終わった食堂で余暇を過ごす者もいた。
読書をする者、話しをする者、趣味の手細工をする者、それぞれが自分の生活を送っていた。
そして救世院の一日を見届けると、その日は終わった。
翌日の朝。
フェイはあまり落ち着かず早めに目が覚めた。
窓から外を見ると日が出てきた所だった。
救世院の中は静かだ。まだみんな起きていないらしい。
フェイは思い出したように外に出た。
救世院を外に出て、少し森に入った所に岩がある。
その岩の上に石が置かれている。
石を持ち上げると下には紙が畳まれて入っていた。
フェイはその紙をポケットに入れると、靴の中に書き留めたノートを畳み石の下へと挟んだ。
フェイはまわりを見渡すと救世院へと戻った。
通路を進むと宮仕がいた。
宮仕「あまりお休みになれませんでしたか?」
フェイ「ええ、あまり寝付けなくて。」
宮仕「そうですか、まだ慣れないところで落ち着かない事でしょう。
困り事や悩み事などございましたら遠慮せず仰って下さい。」
フェイ「ありがとうございます。
気分転換に外に空気を吸いに行っていました。
落ち着いたらもう少し休もうと思います。」
そう言うとフェイは自室に戻った。
先程石の下から持ってきた紙をポケットから取り出して開く。
中にはケイからの手紙が記されていた。
ケイからの手紙
「よお、初日の調子はどうだ?
これからは毎日ノートの回収には向かう。
だから出来るときでいいから調査した内容をあの場所まで届けてくれ。
それと5日間連絡がつかない時は、公安部の人間が書状を持って救世院を訪ねる。
追伸-お前が消えちまうならその前にもっと金を借りておけばよかったと後悔しているよ。
シルバの方にも時々訪問して様子を伝える。
それじゃ引き続きよろしくやってくれ。」
そんな簡単にくたばってたまるか!
フェイはケイからの手紙を読み終えると、ロウソクの火を手紙に着け皿の上で燃やした。
身支度を終えると再び部屋をノックする音がした。
コンコン
宮仕「フェイさん、朝礼の時間です。
ここでは参加出来る方は1度朝礼に集まって一日を始めます。
フェイさんも準備が出来たら食堂までお越しください。」
フェイは宮仕に連れられ食堂へと向かった。
宮仕が修養者の部屋に回り起こして回っているようだった。
体調の優れないもの以外は朝礼に参加しているようだった。
イドニス「みなさんおはようございます。
今日も一日が始まりました。
朝は一日の始まり、身支度をして心も起こして行きましょう。
気分の優れない人は安静にしたり、少しでも心が楽になるよう心がけて見てください。
では今日を始めます。
皆様によい一日を。」
食堂の一堂「よい一日を。」
朝の挨拶を終えるとそれぞれが自分の生活を始めた。
宮仕「フェイさん、もし体調が優れるようであれば生業に参加してみてはいかがでしょう。
暇を持て余しても辛いものです。
ここでは生業を行うことで再び自分の生活が出来るようになる者もおります。
特にする事が見当たらないようであれば私が生業の案内をさせて頂きます。」
フェイ「それはありがたいです。是非やらせて下さい。」
宮仕「ではこちらへどうぞ。」
宮仕に連れられると生業の間へと向かった。
5人程が生業の準備をしている。
宮仕「ここではカゴや傘、木の彫刻や小物などを作って街の商店に出荷しております。
フェイさんは何かやってみたいものなどはおありでしょうか?」
フェイ「私は傘を作ってみたいです。」
宮仕「そうですか、ではこちらへおいで下さい。」
そう宮仕に連れられると傘の並ぶスペースに連れられた。
既に傘を作っている修養者がいる。
宮仕「こちらの女性はここで傘の組み立てを行っています。
ですのでフェイさんには今日は傘の張りをして頂きたいと思います。」
そう言うと宮仕は傘の骨組みに糊を塗って、皮を貼ってみせた。
宮仕「このようにしてやっていきます。
フェイさんも手に取りながらやってみましょう。」
フェイは傘の骨組みを手に取り、糊を塗って皮を貼って行った。
宮仕「そうそう、その調子です。出来たものはこちらで乾かして下さい。」
そう言われると傘を干す部屋に案内された。
そこには前の日に干した傘が置いてあった。
宮仕「こちらは完成した物です。これから街の商店に出荷致します。
これから干す物をこちらに下げてください。」
フェイは傘を壁の取っ手にかけると生業の間へと戻って行った。
傘の骨組みを作る女性は黙々と作業している。
手慣れた手つきで傘を組み立てて行った。
フェイ「手慣れていらっしゃいますね、傘作りはもう長いことなさっているのですか?」
少しの沈黙の後修養者の女性は答えた。
修養者の女性「はい…。」
女性は答えると、再び傘作りを始めた。
生業の間にいる人達はみんな黙々と作業をしている。
自分の作った物がお金になったり、作った物にやりがいを感じたり、満足感を得ているようだった。
各々が自分のペースで作業をしながら一日が過ぎていった。
フェイは救世院での一日の過ごし方を知りながら、修養者と呼ばれる人達の生活の一旦を垣間見た。
そこには苦しみ自分と向き合いながらも、現実と折り合いを付けていく人達の姿がそこにはあった。
そして日が暮れかけた頃、終業の鐘がなった。
チリンチリン
宮仕は手に持った鈴を鳴らした。
宮仕「皆様ご苦労様です。
今日の生業は終業となります。
キリのいいところまで出来たら手を休めてお休み下さい。
また夕食の頃になりましたら、食堂までお越しください。」
宮仕がそう告げると、修養者は各自自室などに戻って行った。
フェイも自室に戻って行った。
作業というのも意外と疲れるな、今夜はよく眠れるといいな。
フェイは机に向かうと再び靴の中のノートに今日の出来事を記した。
そしてベッドで少し横になった。
日が暮れた頃、また宮仕が部屋を叩いた。
コンコン
宮仕「フェイさん、お食事の時間です。
食堂までお越しください。」
そう言うと宮仕は部屋を回って行った。
フェイは食堂に向かった。
今日も昨日と同じほどの人がいる。
フェイは空いている席に座った。
隣には生業で一緒に傘を作った女性がいた。
鶏の照り焼きとライスが運ばれてきた。
食事が運び終わると、イドニスは夕礼を始めた。
イドニス「皆様、今日もお疲れ様でした。
一日を過ごす力を与えられた事を感謝します。
今日も安息の夜が来ますように。
そう言うとイドニスは目をつむり顔の前で手を合わせ額に付けた。
それでは頂きます。」
食堂一堂「頂きます。」とまばらに声が聞こえた。
今日もまたオルガンの演奏が流れる。
宮仕は食事を取りながら修養者の様子を聞いて回った。
今日も暖かな夜を迎えた。
食事が終わると救世院の世は更けていった。
フェイは食器を片付けて食堂に残った。
テーブルには中年の男性が1人座っていた。
フェイはその男性に話しかけた。
フェイ「ここ座ってもいいですか?」
修養者の男性「ええ、どうぞ。」
フェイ「ありがとうございます。」
修養者の男性「あなたは確か最近救世院に入って来られた」
フェイ「ええ、フェイと言います。
訳あって今は救世院に預かってもらっています。」
修養者の男性「そうですか、私はここに来る前は店を営んでおりました。
妻と子供に恵まれて幸せな日々を送っていました。」
フェイ「ほお、それが何故ここに?」
男性は息を詰まらせ涙ぐむと言った。
修養者の男性「悪質な金貸しに捕まってしまったのです。
店が傾いたおり、悪質な金貸から金を借りてしまったのです。
それからお金の返済で、店の仕入れは出来なくなり、出来なくなったお金の返済の代わりにと妻と娘は貸金業者に連れて行かれてしまいました。」
フェイ「それは大変な思いをしましたね。」
修養者の男性「私にはどうする事も出来ませんでした。
店も妻も娘も戻ってこない。
生活はおろか、やつらに復讐する事もできない。
私はここでどうにもできない苦痛に苛まれながら後悔の日々を送っています。」
フェイ「なんと言ったらいいか。
耐えられない時もあるものです、いつか救われる日が来ると信じましょう。」
修養者の男「あなたにはこの苦しみは分からない!
そう言ってあなたを責めても仕方がありませんね、失礼しました。」
修養者の男性は沈痛の面持ちで机に顔を伏せた。
フェイは部屋へと戻り思いを馳せた。
ここには想像以上に深刻な事情を抱えている人がたくさんいる。
イドニスの言っていた通り、非道を受けた人間が復讐の業火に焼かれながら苦しんでいる。
この世は暗い、か。
世の闇は暗くて重くて深い。
そこから抜け出すのは容易な事ではなさそうだ。
夜も更けた頃、フェイは自室で休んでいると女性の声が聞こえてきた。
「助けてー」という叫び声を聞いてフェイは部屋を出た。
通路の先の向かいの部屋から声がしているようだった。
泣きながら「助けてー」という声が聞こえる。
扉を開けるとベッドから窓の外に出ようとする痩せた女性と宮仕がいた。
窓には柵が付いている。
フェイ「大丈夫ですか!?」
宮仕「ええ、いつもの事ですので。
すみません、もうすぐ収まりますので。」
女性は何度も泣きながら「助けてー」と窓の外に助けを求めた。
これは一体…。
フェイは状況がよく分からなかった。
宮仕「大丈夫です、彼女は発作があるのです。
気になるかもしれませんが部屋に戻ってお休み下さい。」
フェイ「そ、そうですか。」
そう言うとフェイは辺りを見渡した。
周りには自分以外誰もいない。
救世院に暮らしている人は驚いていないようだった。
フェイは気になって仕方がなかったが部屋に戻った。
やがて疲れて眠ったのか女性の声はしなくなった。
フェイの部屋を叩く音がした。
コンコン
フェイはドアを開けると宮仕がいた。
宮仕「フェイさん、先程は驚かせてしまったようです。
彼女は幼少から酷い虐待を受けていたようです。
夜になるとその時の事を思い出して先程のようになってしまう時があるのです。」
フェイ「そうだったのですね。」
宮仕「どうやら彼女は両親より虐待を受けた後、無理矢理ここに連れてこられたようです。
ある日救世院の建物の横にポツリと座った彼女は、座って顔を伏せたまま何も言いませんでした。
見つけた私達は彼女を救世院へと向い入れました。」
フェイ「そんな事情があったのですね。」
宮仕「ですので、その時の事を思い出して声を上げてしまう事がありますが大丈夫です。
そっとしておいて上げてください。」
フェイ「分かりました。」
フェイは頷くとベッドで横になった。
そして夜が開けた。
コンコン
部屋を叩く音がした。
宮仕「フェイさん、おはようございます。
もうすぐ朝礼が始まります。
準備が出来たら食堂までお願いします。」
フェイ「分かりました。」
フェイは着替えを済ませると食堂へ向かった。
空いている席に座って辺りを見渡すと10名程が食堂に集まっていた。
イドニス「皆様おはようございます。
今日も一日が始まりました。
今日もまた一日を超える力を与えられますように、安息の夜が来ますように祈りと共に願いましょう。
それでは今日を始めます。
皆様によい一日を。」
食堂の一堂「よい一日を」
また新しい一日が始まった。
フェイは昨日の事が気になって仕方がなかった。
夜に声を上げていた女性の事、金貸しに人生を奪われた男性の事。
フェイは生業をする気になれなかった。
そのまま食堂で椅子に座って休んでいると宮仕に話しかけられた。
宮仕「フェイさん、今日は浮かない顔のようですね。
よかったら私に着いてきませんか?」
フェイは言われたまま宮仕に着いて行く事にした。
居室の通路の一室まで行くと昨日声を上げていた女性の部屋に入った。
宮仕「この女性は過去の傷が癒えることなく苦しんでいます。
過去が何度も蘇り、彼女はパニックに陥り、焦燥しきって衰弱しています。
日に日に弱っていく彼女を助ける術が私達にはありません。
それでも彼女は苦しみ続け、弱り続けます。
このままでは彼女は長く生きる事はできません。
もちろん生きている間も全て苦しみによって満たされる。」
フェイ「何か出来ることはないんですか!」
宮仕「私達に出来ることは彼女に寄り添い見守ることくらい。
彼女が過去を乗り越え生きようとしない限り、私達にはどうする事もできません。
しかし、彼女は自分には乗り越えられない過去に囚われてしまっている。」
フェイ「じゃあ一体どうしたら!」
宮仕「私達はそのような死の闇と苦しみをたくさん見てきました。
この世は暗い。
光も潰え、抵抗の意志すらなくし、苦しみは死へと誘う。
死へと繋がる死神の因果なのです。」
フェイ「死神の因果?」
宮仕「この世には死なない人はいません。
いずれ人は死にます。
どんな事情であれやがて死に至る。
しかし、生きている間にも耐えきれない不幸を受けた人間は死神の因果に囚われる。
長く幸せな人生を歩むことなく、不幸という死神の風によって命の灯火は消されてゆく。
私達が相手にしている者。
それはそう、まるで死神のような者。」
フェイ「ああ、少し分かるよ。
死へと導く悪魔と死神の存在は。」
宮仕「そうですね、ですから私達は死神に囚われた人達の最後の救いとなりたいのです。」
フェイ「はい、私にも出来ることがあれば言って頂ければできる限りはします。」
宮仕「ありがとうございます。
あまり無理をなさらずに。
少しお休みになられるといいでしょう。
夕食の前にはまた部屋に伺います。」
フェイ「分かりました。」
そう言うとフェイは部屋に戻って行った。
死神の因果、か。
悪魔と死の闇はどこにでも潜み、襲う。
救世院。
どこか公安部にも似た所がある。
フェイは宮仕の話しをノートに取ると、書庫に向かった。
救世院の書物か、読んでおかないとか。
公安部への報告と共に救世院に興味が沸いたフェイは救世院の出版物のある書庫に向かった。
【救世の光】という題名の本を取ると部屋に戻って読み始めた。
救世の本には暗き世と光について書かれていた。
暗き死の闇にも、生きる知恵、努力、感情、心、人の持てる力を持って死の闇と対峙すれば死の闇を払う光を得ることが出来ることが書かれていた。
光は生と幸福を与える。
死の闇にも打ち勝つことができれば、幸福な生を享受できるという内容だった。
フェイはどこか安堵と共に元気を取り戻した気がした。
そうか、俺達が戦っていたのは死の闇だったのか。
フェイは妙な納得感を覚えた。
救世の本には死の闇との戦いについて書かれていた。
読み進めるうちにフェイは納得とともに感化されていった。
【救世の光】を読み終えると、救世院とイドニスへの理解が増した。
イドニスや宮仕達がどんな思いで、過ごしているのかを伺い知る事が出来た。
【救世の光】を読んでいるうちに日は暮れかかっていた。
【救世の光】を書庫に戻して部屋にいるとまたドアをノックする音がした。
コンコン
宮仕「フェイさん、もうじきお食事の時間です。
準備が出来たら食堂までお願いします。」
フェイは食堂に向かった。
空いている席に座ると、魚の煮付けとライスとスープが運ばれてきた。
イドニス「皆様、今日もお疲れ様でした。
一日を過ごす力を与えられた事を感謝します。
今日も安息の夜が来ますように。
そう言うとイドニスは目をつむり顔の前で手を合わせ額に付けた。
それでは頂きます。」
食堂一堂「頂きます。」とまばらに声が聞こえた。
フェイも頂きますと言うと食事を始めた。
また今日もオルガンの演奏が聴こえてきた。
音楽と共に温かい食事と灯りに包まれると、じわりと心が暖まる感じがした。
食事が終わると部屋に戻り、一日の内容をノートに記した。
ケイに言われた指定の場所にノートを置きにいくとまた新しい紙が置かれていた。
フェイは紙をポケットに入れて部屋に戻った。
フェイは部屋に戻ると紙を開いて読んだ。
ケイからの手紙
「調子はどうだ?問題なくやっていけているか?
こちらの調べによると救世院に入っている人の数は意外と多いらしい。
その中の少なくない人数が消えてしまっているそうだ。
フェイ、お前も用心してくれ。
追伸-シルバは元気でやっているよ。
先日は果物を差し入れしておいた。
そちらは心配せずやってくれ。」
フェイは手紙を読むと、ロウソクの火を紙に着け、皿の上で燃やした。
死神の因果、か。
ここにいる人達は死神の因果に囚われた人達、死に呼ばれる、死に近い人達。
死神の因果を断ち切らなければ生き延びることは難しい。
失踪者が増えているのは死神の因果によるもの?
考え事をしているうちに夜は更け、いつの間にか眠りに着いていた。
そして翌日。
コンコン
ドアを叩く音でフェイは目が覚めた。
宮仕「もうじき朝礼が始まります、準備ができたら食堂までお越しください。」
宮仕に起こされるとフェイは朝の準備を済まし食堂に向かった。
食堂に着くといつもと同じくらいの人数が椅子に座っていた。
イドニス「みなさんおはようございます。
今日も新しい朝を迎えました。
新しい一日に感謝し、過ごすことができるよう祈りましょう。
辛い方、苦しい方は無理をなさらずに自分にできる方法で楽になる事をして下さい。
では今日を始めます。
皆様によい一日を。」
食堂の一堂「よい一日を。」
朝礼を終えると、各々が自分の生活を始めた。
フェイは荷物を取りに行くために1度自室に戻ろうとした。
自室に繋がる通路を歩いている時だった。
先日声を上げていた女性の部屋が空いている。
そこには女性の姿はなく、さっきまで居たような形跡と荷物を残すだけだった。
女性の部屋に宮仕がやってくると言った。
宮仕「おや、フェイさん、今日はどうお過ごしでしょうか。」
フェイ「ああ、私は…。」
言葉を詰まらせるとフェイは宮仕に聞いた。
フェイ「あの、先日の女性はどこに行ったのでしょうか?」
宮仕は少し間を置くと答えた。
宮仕「あの女性は、この救世院でお世話することが出来ませんので救世院の別院へと移動になりました。」
フェイ「別院、そういうものがあるのですね。」
宮仕「はい、重篤な方はそちらで過ごすこととなっておりますので。」
フェイ「そうなのですね。
先日の女性の事が心配になってしまって。
別院への移動という事だったのですね。」
宮仕は「はい」と答えると、女性の部屋を片付け始めた。
気になったフェイは以前いた人達が今もいるか確かめようと思った。
しかし、宮仕に見つかるとまずいので今日はそのまま生業をして過ごすことにした。
夕食を終え、自室に戻り一日を終えようとしている時だった。
フェイは女性が居なくなった事が気になった。
そして来た時に寝たきりになっていた女性がまだいるか気になった。
自室を出て、寝たきりになっていた女性の部屋に耳を当て、誰かいるか確かめる。
中は静かだ、誰もいないようだった。
フェイはドアを開けて部屋を覗いた。
中にはまだ女性はいる。
眠っているようだった。
女性がいる事を確かめると、フェイは救世院を歩き回った。
食堂、生業の間、書庫と一通り周り、聖堂を抜けた所だった。
救世院に来た時にイドニスと話した部屋に人がいる。
話し声が聞こえる。
フェイはそっと聞き耳を立てると声が聞こえてきた。
「あの女性ももう長くありませんでした。」
「そうですね、私も何度も確かめましたが致し方ありませんでした。」
「私達は【慈愛】を行ったのです。」
「彼女を無間の苦しみから楽にしてあげることができたのです。」
「マザー、私達も苦しいです。」
「そう、私達も苦しいけれど。
私達は苦しみを取る慈悲を与える慈愛を行ったのです。
苦しみは付き物だけど、耐えるしかありません。」
「そうですね、私達は彼女達を苦しみから救ってあげたんだ!」
「そうです、死ぬまで続く苦しみから解放してあげたのです。」
「マザー、今寝たきりの状態になっている女性も回復の見込みはありません。」
「そうですね、苦獄の生から救ってあげるのも私達の務め。
私も彼女の状態をよく見て見ます。
それから【慈愛】を施すか決めましょう。」
話を聞いていたフェイは疑問に思った。
あの女性?慈愛?解放してあげた?
ここにいる人は別院に行ったと言っていたはず。
苦しみから解放してあげた?
マザー達の行っている事に嫌な予感を覚えつつ、フェイは見つからないうちに自室に戻りノートに書き留めた。
いなくなった女性、慈愛を与えて苦しみから解放してあげたと言っていた。
あの女性はまだ救世院のどこかに?
フェイは不安を抱えながら眠れぬ夜を過ごした。
そして数日が過ぎた。
ある日の夜、フェイは寝たきりの女性の部屋を確かめた。
すると女性の姿がなくなっている。
あの女性がいない!
女性がいなくなっている事に危機を覚えたフェイは救世院を歩いて回った。
救世院の倉庫を確かめていると、声がしてくる事に気づいた。
棚の後ろから声が漏れてくる。
フェイは耳を澄ませた。
「ナスタさん、大丈夫ですよ恐れることはありません。」
「…。」
「もう苦しむ必要はありませんからね。一瞬の出来事で済みますから。」
そう言うとゴー、ゴーという音がして止まった。
「この世の命と慈愛の業に感謝します。永遠の幸福のありますように。」
そう言うとシューッという音の後ゴッという音がした。
しばらくの沈黙が続いた。
フェイは見つからないように、音を立てないように静かにしながら部屋へと戻った。
あの部屋では何かが行われている。
女性が消えた夜に、あの部屋で何かが。
フェイは嫌な予感しかしなかった。
確かめるしかない。
フェイはノートに記したあとまたも眠れない夜を過ごした。
翌日。
朝礼が終わってみんなが各々の生活を始めた頃だった。
宮仕達が自分の仕事に着くのを確認すると、フェイは昨日の倉庫へとバレないように向かった。
倉庫に着き、棚を見てみる。
床には動かしたような跡がある。
この棚を動かして出入りしているようだ。
フェイも跡に沿って棚を動かした。
すると隣の部屋に続く扉が出てきた。
扉を開けて中に入ると、むっと言う湿気と共に微かな異臭に包まれた部屋に入った。
灯りを灯して見てみる。
すると部屋の中からは物々しく設置された断頭台が現れた。
手入れされているのか血などはこびりついていない。
しかし、使用感のある断頭台だった。
昨日の物音はこの断頭台を動かしていたもの?
フェイは周囲を見て回った。
小さい祭壇が備えられた隣に樽が置いてある。
フェイは樽の中を確かめようとした。
重い樽の蓋を開けると異臭が飛び出し、フェイは鼻と口を覆った。
灯りを近づけ樽の中を見る。
中には体育座りになってしまわれている体と、体から切り離された頭を体が抱えるように納められていた。
先日声を上げていた女性の遺体のようだった。
日数が経って腐食が始まっている。
フェイは胸が苦しくなった。
その場に座り込みしばらく動けなくなった。
周りを見渡すと樽はもう1つある。
中を確認しない訳にはいかない。
フェイは起き上がると、もう1つの樽も開けた。
中には同じように切断された体と、それを抱えるように頭が納められている。
昨日いなくなった女性だった。
フェイは樽の蓋を閉じて、その部屋から出ると、棚を戻し自室へと戻って行った。
やはりここでは殺人が行われている。
慈愛と称する殺人が。
死の闇、光の潰えた無間の闇に生きる者。
苦しみによって死に呼ばれる者。
彼等彼女等を救うのも救世院の務め。
癒える事の無い死ぬまで続く苦痛や苦悩からの解放…。慈愛…。
それしかなかったのか…本当にそれしかなかったのか…マザー…。
フェイは自分の見てきた人達を思い出した。
彼等彼女等の囚われている死の闇、抜け出すのは容易ではないこと。
そして殺された彼女達はその死の闇を超えることは出来なかったであろう事。
フェイはその事について考え込んだ。
そして夕食の時間が来た。
イドニス「皆様、今日もお疲れ様でした。
今日も一日を過ごす力が私達に与えられた事を感謝します。
今日も安息の夜が来ますように。
そう言うとイドニスは目をつむり顔の前で手を合わせ額に付けた。
それでは頂きます。」
食堂一堂「頂きます。」
マザー…。フェイは深刻な面持ちで夕食が喉に通らなかった。
これが、救世院のいつもの風景なのか…。
マザー…。こんな日を一体いつから繰り返しているんだ…。
光の潰えた死の闇に囚われた人々、その救いだと言った。
フェイは何が正しい事なのか、考える事が出来なかった。
食事を終え、自室に戻るとフェイは考え込んだ。
出来事をノートに取る事もしなかった。
そしてまた眠れぬ夜を過ごす事となった。
翌日の朝。
部屋のドアを叩く音がして目が覚めた。
コンコン
宮仕「フェイさん、もうじき朝礼が始まります。
準備が出来たらお越しください。」
フェイは準備を済ませると、あまり眠れなくて寝ぼけている頭のまま食堂へ向かった。
イドニス「皆さんおはようございます。
今日も新しい一日を迎えました。
あまり代わり映えのしない毎日のようにも思えてしまいますが、日々は変化していきます。
私達も日々を一新して前を向いて行けるよう務めて行きましょう。
では今日を始めます。
皆様によい一日を。」
食堂の一堂「よい一日を。」
フェイはまた何もする気になれなかったのでそのまま食堂で過ごすことにした。
気分が悪い。
頭の中が整理出来ていなかった。
すると以前傘を一緒に作っていた女性が隣に座ってきた。
修養者の女性「ここは沢山の事情を抱えた人がいる。
だけどマザーも宮仕の人達もとてもよくしてくれる。
皆そういう中にいるけどいっぱいいっぱいの中で皆生きてる。」
フェイ「…。」
修養者の女性「私はマザーや宮仕さん達のおかげで何とか毎日を過ごすことは出来ているの。
あまり辛い事ばかり考えないで。」
フェイ「ありがとう。
心配してくれたんだね。」
そう言うとフェイは今までの出来事に思いを巡らせた。
一日中悩んで夕食を済ませると自室に戻った。
フェイはこの事をどう報告するか悩んでいた。
ここでは殺人が行われていた。
放っておけばまた次の犠牲者が出る。
しかし、殺人が行われていなくても、犠牲になった人達には苦痛の不幸な生しか残されていない。
フェイは戸惑っていた。
連絡が5日以上ない時は公安部が来るようになっている。
フェイは気持ちがまとまらないままだったが、内容をノートにまとめ指定の場所に持っていった。
救世院での殺人。
死の闇に生きる人々。
公安部はなんと判断するのだろうか。
しかし、隠し通すことは出来ない。
フェイは何も考えられないまま、夜が更けて行った。
それから数日経った時だった。
定期の連絡のため、指定の場所に行って、いつも通り紙を持って帰って読む。
するとその内容には救世院の処遇が書かれていた。
ケイからの手紙
「フェイ何とかやっているか?
以前からの報告を受けた事と、こちらの調べから分かった事がある。
救世院で犠牲になっている人数は少なくとも20人は超えていると見られる。
事態の規模と深刻さ、被害人数と危険度を鑑みて、公安部は事態を重く受け止めた。
危険思想を持つ宗教組織による洗脳と大量殺人が行われているとし、機動隊が救世院の壊滅と施設内の人間の保護に乗り出す事となった。
明日の正午に機動隊がそちらに向かう。
フェイ、お前は巻き込まれないようその前にこのやり取りをしている指定の場所に行って、機動隊と合流してくれ。
無事を祈る。」
機動隊が壊滅に乗り出したっ!?
明日突入!?
このまま放っておけば殺人が起こる、しかし止めればマザー達は…。
ああ!
もう遅い!
明日には機動隊がやってくる!
大量殺人によって機動隊が壊滅に乗り出した!
マザー達が危ない!
クソっ!
俺はどうしたらいいんだ!
マザー達を逃がすか?しかしどこにこの人数を逃がすって言うんだ。
分からない、どうしたらいいんだ!
フェイは急な事態にパニックになりながら夜が明けて行った。
そして朝が来た。
コンコン
フェイの部屋を叩く音がした。
宮仕「フェイさん、もうすぐ朝礼のお時間です。
準備が出来たら食堂までお越しください。」
宮仕はそう言うと部屋を回って行った。
朝礼の時間になったが、そこにフェイの姿はなかった。
宮仕「マザー、今日はフェイさんの姿が見えませんが。」
イドニス「……。」
イドニスは前を見つめると深刻そうな面持ちで沈黙した。
救世院の昼下がり。
救世院にはいつもの光景が広がっていた。
生業に励む者、食堂で過ごす者、部屋で看護を受ける者。
いつもの光景が広がっていた。
正午前になるとフェイが手紙のやり取りをしていた場所に機動隊3名が現れ打ち合わせを開始していた。
そこにフェイも現れた。
機動隊員「お前がフェイか?」
フェイ「そうだ。」
機動隊員「これより突入を開始する。
正面入口から聖堂を抜けて、目標を各個撃破しつつ施設の制圧を行う。
これが装備だ。」
そう言うと機動隊員は自動小銃と装備をフェイに渡した。
機動隊員「施設正面に移動する。」
そう言うと一行は救世院の正面へと向かった。
救世院の扉の前で4人は位置に着いた。
扉の両側に2人ずつ並び、周りを確認すると1人が解錠をした。
手前の1人が突撃の合図を送る。
すると合図を受けた1人はドアを蹴破り4人は聖堂に突入を開始した。
周囲を確認しながら通路を進む。
1人は入口を確保し、3人は通路に進んだ。
通路を進もうとする時だった。
先頭の機動隊員が宮仕を見つけ銃を構えた。
その時だった。
パパパッという乾いた音がした。
先頭にいた機動隊員は後ろから背中を撃たれ倒れた。
フェイは機動隊員に向けて発砲していた。
そのままもう1人の機動隊員を蹴り、自動小銃を蹴落とすと機動隊員はハンドガンで応戦してきた。
機動隊員の弾がフェイの肩に命中する。
フェイは咄嗟に隠れながら、応戦した。
入口にいた機動隊員は応援を要請しに本隊に走った。
救世院の中は騒然とした。
宮仕達も突然の銃撃戦に驚く。
しかし、修養者達を倉庫に集めると自分達も包丁などの武器を持って応戦しようとする。
聖堂での銃撃戦が続く。
フェイは機動隊員のハンドガンの弾切れを確認すると、撃ちながら近づき、聖堂の隅へと追い詰める。
機動隊員と目が合った後、頭を撃ち抜いた。
機動隊は何とか防ぐ事が出来た。
しかし増援がやってくる。
救世院の人も、自分も、国から追われる身となってしまった。
フェイはイドニスと宮仕に聖堂に集まるように言った。
銃撃戦の後、機動隊員の死体の転がる聖堂にイドニスと宮仕、フェイは集まっていた。
フェイ「俺は公安部の人間だ。
救世院の調査のために派遣されていた。」
イドニス「そうだったのですか…。」
フェイ「このロゼリアという国は、この救世院を危険な思想を持つ団体とし壊滅に乗り出した。
さっきのはそのために派遣された機動隊だ。
もうすぐ増援が来る。」
イドニス「そうですか。」
フェイ「だからマザー、どこまで逃げれるか分からない。
だけど逃げてくれないか!
このロゼリアから!」
イドニス「フェイ、気持ちはありがたいですが私達は逃げ切れない事は分かっています。
そして私達がしてきた事も理解しています。」
フェイ「マザー!あんたは生きてくれ!」
イドニス「私達は救世の徒。
私達は死の闇と戦い、世の苦しみにも慈悲と慈愛を持って、救世の信仰を持ってやって来ました。
私達の信仰と想いは強い。
この先、私達を待ち受ける運命は救いなき苦獄の死、死まで続く永遠の闇。」
フェイ「ああ、そうかもしれない!
だけど、生きていたら…生きていたらいつかは…!」
イドニス「フェイ、あなたには私達をこの死獄から救うことが出来る。
国から追われる私達を哀れんで下さい。
そしてその苦しみに慈悲と慈愛をお与え下さい。」
フェイ「マザー…。」
イドニス「こうしている内にも追ってはやってきます。
さあ。」
そう言うとイドニスと宮仕達はひざまずき、手を合わせ胸に当てた。
フェイは無言になると宮仕の頭に銃を向けた。
フェイ「………。」
パンッ
乾いた音と共に宮仕は床に倒れた。
イドニスと宮仕達は手を合わせ胸に当てている。
1人、また1人と宮仕達は倒れて行った。
そしてイドニスが残った。
イドニス「フェイ、あなたにこんな事を頼んでしまって申し訳ないと思っています。
あなたのくれた慈悲と慈愛を私達は忘れません。」
そう言うとイドニスは手を合わせ胸に当て目を瞑った。
静寂の後、パンっという乾いた音が鳴った。
イドニスは床に倒れた。
こうして救世院の人間はいなくなり修養者達だけが残された。
救世院は壊滅された。
フェイは倒れた宮仕とイドニス達を見ていた。
この救世院に来てからの事を思い出していた。
金貸しに人生を奪われた人間、寝たきりの女性の死、声を上げていた女性の死、機動隊員の死体、そして宮仕とイドニスの死。
続く不幸と死の連鎖。
まるで呪われているようだ。
死から伸びる死神の手のように、死に引き寄せられてゆく。
機動隊の増援がやってくる。
俺にももう逃げ場はない。
頭の中で真っ暗な中から引く風のようなものを感じた。
フェイ「死神…。」
そう言うとフェイは膝を落とし銃をあごの下に当てた。
目を瞑り、呼吸を整えた。
機動隊のやってくる音が聞こえる。
パンッという乾いた音と共にフェイは地面に倒れた。
それから季節が巡り春を迎えた頃だった。
救世院は取り壊され、跡地には慰霊碑が建てられていた。
春の風の吹く慰霊碑に花を手向ける女性がいた。
シルバ「フェイ…。」
花を手向けるとシルバは泣いていた。
慰霊碑にはこう記されていた。
「救世院で亡くなった方々の魂が報われますように。
救世の世が訪れる事を願って」
丘には季節を告げる風が吹いていた。
終わり。