8、お手本
母の新しい連れ合いチャールズは、絵を描きはじめるとまわりが見えなくなるので、私は心置きなく魔法を使い、ついでに家事にいそしんでいる。
案の上、彼の絵はなかなか売れず、母カトリーヌは仕事を辞めるどころか、勤務時間を増やすはめになった。
姉エリザベスは、根性でロキ君に会いに行ってるようで、こちらもまたさらに外出時間が長くなっている。
昼食のテーブルに、壊れた桶から作ったナイフとフォーク、スプーンを並べたら、継父は手放しで喜んでくれた。
大人の男と思うと腹が立つけど、大きな子供と思えば…って、さすがにそれは無理だ。
カトリーヌに免じて目をつぶっているのが現状。
身形が不潔だったり、言動が下劣だったり、私たち姉妹をいやらしい目で見ないだけマシなのかもしれないけど、ほんとこの人、いままでどうやって生活してきたんだ?
今日の工作は、木を《切断》し、《圧縮》しながら《成形》するかんじ。
これまでの妙に分厚くてフラットなスプーンは、食べづらくてしかたなかった。
あとは大人も手づかみが基本だ。
時々チャールズが、無意識にカトラリーを掴もうとするから、ナイフもフォークも存在してると確信した。
カトリーヌやエリザベスは気付きもしなかったけど。
チャールズは賢明にも文句を言わない。
だからと言って、稼ぎがないことをすまながったりもしないあたり、住む区域を間違えてるよ。
忙しい中、お昼を作り置きしてくれるカトリーヌ。
毎日同じメニューでも食べられるだけありがたいけど、私が望むレッスンの教材としては不足がある。
一から自分で用意したいところだけど、まだ、さすがに許可してもらえない。
母親とすれば、食材をいっさい無駄にできないって強迫観念から、がちがちにメニューを決めて、ニンジン一本、豆の一粒にいたるまで使用計画を立てているからよけいだろう。
マナーを学ぶために、マナー違反をするという矛盾。
そう、これは破壊じゃない…アレンジなんだ!
サンドイッチを分解して、野菜は小さなボールにまとめてサラダに、ハムはメインとして皿に乗せる。
クレソンさんには、こっちに移動してもらおう。
野菜の皮や芯を煮だして、ちょっとだけ塩を足したスープも捨てたもんじゃない。
パンはバターが塗られた側を、ガスバーナーをイメージした青い炎で炙る。
そもそもフルコースを用意するには食器が足りないので、私は給仕に専念した。
「日々の糧に感謝を」
自分だけ食卓につくことに、なんの疑問も持たないお坊ちゃま。
ナプキンがわりのスカーフを優雅に膝に乗せる。
まあ、こちらはそのマナーの一部始終を観察するのが目的だからね。
サラダからはじまって、スープとパン、メイン、そしてハーブティー。
略式も略式だけど、私の知ってるマナーで概ね問題ないことは確認できた。
野菜はしなしなで、メインのハムは限界まで薄く、それでもチャールズは満足そうに息を吐く。
「おいしかったよ」
「お粗末さまでございました」
彼のスキルは《気品》で、それしか取り柄がないとも言える。
頭だけでわかってるのと、身についているのは明確に差があるから、また絵具をぶつけだしたチャールズを横目に、食器を綺麗にしてひたすら練習。
私はいまお姫様、お姫様なのよ…
木製で軽いとはいえ、カトラリーすべてを普通サイズで作ったのは失敗だった。
まあ、たいてい《身体強化》でなんとかなるんだけど。
いまだ幼児の手の小ささと、筋力のなさを忘れることがある。
「ただいま~! なにやってんの? あんた」
馬鹿にしきった目で私を見た姉は、手も洗わず、自分のぶんのサンドイッチをばくばくと数口で食べてしまった。
「お姉様、魔法の訓練は順調ですか?」
「うるっさい」
腹いせのようにメインのハムをかっさらって、再び外出する姉。
エアでステーキを切る私。
傍から見れば、私の方がおかしい。
でも、人の行儀についてとやかく言う気はないから、私のことは放っておいてくれ。
前世でもごくごく普通の一般家庭に生まれ育って、別段気取るつもりはないけど、こっちの下町のふつうには耐えられそうもない。
実家に反発して底辺生活を余儀なくされてるチャールズも、結局、身についたマナーを行使する方がしっくりくるようだもの。
心置きなく魔法の練習ができるところは気に入っている。
でも、ある程度力をつけたら、この家から離れられないかって考えてる。
母親と姉のやり取りを見るかぎり、家事を手伝わせるのは自分が楽をしたいだけじゃなく、花嫁修業の意味合いもあるみたいだから、十数年もすれば誰それの嫁にって話になるんだろうけど。
そういうんじゃなく自立したい。
男の子だったらなぁ。
それはそれで別の苦労があるには違いないんだけど。
もうちょっと環境のよいところに住みたいし、食事のメニューを増やしたいし、着心地や好みで服を選びたい。
家族ごとそうなるのが理想的なんだろうけど…正直、なんで私がこの人たちの分までって思ってしまう。
カトリーヌには、なんらかのかたちで恩を返したいとは思ってるけど、中身はともかく、体力と信用の問題があるから、幼児にできることなんて高が知れてる。
絶対に安全な水の確保と、掃除、洗濯を完璧にこなしてるだけでも偉くない?
まあ、どちらにせよお金が必要なことは確か。
ひとまず木製のカトラリーを量産して、売れるかどうかカトリーヌに相談してみよう。
自分用には、もう二回り小さな食器を用意しよう。