56、さらば王都
王宮で、ガスター商会のガスターを見かけた。
あれだけ大きな商会の会長だ。貴族に準ずる格好で、女官に案内されててもおかしくはないけど、あそこ、王家御用達ではないんだよね。
しかも、向かう先が軍部となると少々気になる。
こんな時は《耳目》が大活躍だ。
小会議室といった感じのあまり飾り気のない部屋で、上座に座るのは、以前私が杖でぶちのめしたアリエル・オルト・ダウンコート。
私に杖をくれたダウンコート侯爵の孫で、私の護衛騎士ローランの腹違いの弟でもある。
あの後、近衛騎士団から出されて、兵站機関の事務方として働かされてる。
つまり左遷されたわけだけど、一時的な措置なのは明らかだ。いくらダウンコート侯爵が「甘やかさないように」言ったところで、周りが忖度するからね。
だから毎日コツコツ、目の前の仕事を片付けてればいいのに、やっぱり若いというかなんというか。
汚名返上とばかりにがんばっちゃって、でも、無理を通そうとするのはよくないなぁ。
まあ、貴族ってそういうものなんだけど、人を呼び付けておきながら、自分は遅れて部屋に入ってきて挨拶もなしよ。
座れというように、手をひらっとさせただけマシか。
「失礼します」
「これらをガスター商会が販売していることに相違ないな?」
補佐らしき青年が、箱から取り出つつ並べていくのは、アビゲイル謹製の薬全種。
「ラベルの印から、そのように見受けられます」
両手を脚の付け根に添えて、伏し目がち。低姿勢でも、ひよっこ騎士より断然貫禄のあるガスター。事実のみを述べて、断言しないところもさすがだね。
端から勝負になってないけど、負けまいと胸をはる青年騎士。こんなのでも一応、アリエル卿とか呼ばれちゃうわけだ。
「よろこべ。これらを我が軍に納める栄誉を与える」
「大変、光栄なことと存じます」
「うむ、そうであろう」
「数や価格はこのように…」
ガスターは、補佐が示した書類を一瞥する。なんの感情も示さないけど、これは呆れるしかないだろう。
腹痛に効く丸薬や頭痛薬など服用系は、現在アビゲイルがスーパーガスターに売ってる十倍、傷薬に至っては百倍にせまる納入数だ。そして、アリエルが提示してる買い取り価格は、現仕入れ値の半額だ。
従来通りのふつうの効き目の薬なら数は揃えられても、売れば売っただけ損をする。だいいち、相手が求めるほどの効能はないわけで。
「大変ありがたいお話ではありますが…」
「よく考えて答えるのだ、ガスターとやら。商人はとかく目先の損得ばかりを言うが、この栄誉を手にすれば、王家御用達の道も開けよう」
目先のことしか見えてないのはお坊ちゃんの方なので、ちゃんちゃらおかしいとはこのことだ。
王家御用達をちらつかせるのも、ガスター相手には悪手。それを狙うならとっくの昔に、もっと大物に効果的に働きかけてるし、アリエルにそんな力はなく、推す気もないのは、私にだってわかるもの。
これを機に本物の権力者の目にとまる可能性が完全にゼロじゃないあたり、タチが悪いけど、一代であれだけのものを築いた商人が、その程度見抜けないわけがない。
「卿におかれましては、我が商会にお声掛けいただき感謝の念に堪えません。こちらは心ばかりの品ですが、どうぞお納めを」
「いや、私は仕事でここにいるのだ。このようなものは…」
「商人にとっては当たり前のご挨拶でございます。そちらの方へもどうぞ」
補佐がひそっと耳打ちする。どうやらこの高級酒は、彼らのさらに上司が求めて止まないものらしい。
「うむ」
片や貴族で公的機関所属、こなた平民で商人。その上下関係に変わりはないけど、貰うものをもらっちゃうと、多少は相手の話を聞く態勢になるよね。
「お恥ずかしながら商会長とは申しましても、多くを部下に任せており、そちらの商品にかんしましても、どれほどの在庫があるのかすら把握しておりません。お手数をおかけすることになり大変恐縮ではございますが、重大なお取引でありますがゆえに、一度、この話は持ち帰らせていただき、再度お返事に伺わせていただきたく存じます」
「相わかった。急な呼び出しであったことも確かだ。ただ、こちらも暇ではない。急げよ」
「畏まりましてございます」
実際、ガスターが言った通り、いくら彼が優秀でも、商会が取り扱うすべての商品を把握してるはずもない。
でも、スーパーガスター王都南店の買い取り担当タイロンは、一バイヤーながら、ガスターの信頼厚い商会員だ。
なにせ彼の目利きは確かで、その《鑑定》は毒まで見分ける。
なにそれ、すごい!
私も是非にと、自分の《鑑定》にその機能を落とし込もうとしたけど、まだまだ不完全。
地道に経験と知識を積み重ねるしかないことがわかった。
そんなタイロンだから、重要と判断したことは直接ガスターに報告してる。
マーサのリヤカーと保冷庫、アビゲイルの薬とソースはそれに含まれる。
大商会としてみれば、貴族とゴタゴタを起こすことと天秤にかけて切り捨てるのも一つの手だけど、彼らには彼らなりの矜持があって、その一つに、仕入れ先を守るっていうのがある。
それは生産者を守るってことだけじゃなくて、優秀な商会員を商会に繋ぎ止める一助にもなってる。
つまりガスターは、バイヤーたちが仕入れ先を秘密にすることを許してるってこと。
あまり締め付けると、バイヤーたちは自分の顧客を保持したまま独立してしまうだろうし、一方で彼らも、ガスター商会ってバックがあってこそ信用が得られて、大口の買い取りにつながることを理解してる。
値付けはもとより、かなりの裁量を与えられてる彼らは、押せば行ける相手と、そうでない相手をけして間違えない。
たとえば、全員がそうだとは言わないけど、冒険者は脛に疵持つ者が多く、束縛されることを嫌う傾向にある。
現場で接する機会の多い衛兵も、その辺をよく理解していて、マーサが強盗に遭った時お世話になったユリウス・ハーノック隊長や、乗馬を習ったターナー・オルソンなどは、経費で落とす「よく効く薬」も、スーパーガスターでふつうに部下に購入させてる。
すでにタイロンとの取引は、スーパーガスターの応接室で行われるようになっていて、彼が薬やソースの入手先を口外することはあり得ないんだけど、そこで働いてるのは彼一人じゃないし、賄賂や権力に弱い者も中にはいるだろう。
それでなくても、いつも品切れしてる商品が、私たちが訪れた直後に補充されるわけだから、何日か店を見張ってれば簡単に推測できることだ。
「いつも向こうから売りにくるので所在は不明。そのため連絡に時間が掛かり…」「どうやらそこまでの生産能力はないようでして…」等、ガスター商会がのらりくらりとかわしていても、冒険者ギルドを通して圧力が掛けられるのは時間の問題。
答えはわかりきってるけど、一応、アビゲイルに訊いてみた。
いくらお金のためって割り切ってても、誰しも、できればこうありたいって気持ちがあるはずだ。
「貴族の子弟が手柄ほしさに、アビゲイルの薬をいま納めてる百倍の数、半値で買うって言ってるけど、どうする? ちなみに納める先はこの国の軍ね」
「うわぁ~、最悪です。断固、お断りします。人を何だと思ってるんでしょうか。しかも、それって平民のことなんかちっとも考えてませんよね? だいたい、この国のためになんか絶対ヤですよ」
「あはははっ! 言ってやりなさい、言ってやりなさい」
ワイングラス片手に、ドロシー先生が煽る。
「バ~ラ ヤキ ガァ ヘム テッグ!」
習ったばかりのマルコムラ語で、アビゲイルが罵る。そのことだけでも、今後の私たちの行動がわかろうというもの。
「久しぶりの海、楽しみだわ」
「魚介系のソースに期待してるよ」
「任せてください!」
高位貴族家なら、ソイソースだろうがビーンペーストだろうが手に入るんだけど、平民にとっては見たことも聞いたこともない調味料だ。
前世でお気に入りだったオイスターソースの話をしたら、アビゲイルは俄然やる気になった。
素知らぬ顔で、でも、王都内を歩く時は認識阻害の《結界》を被って、スーパーガスターにあいさつに行く。
「急なことで申し訳ないのですが、諸事情ありまして、我々グラシーズは拠点を移すことになりました」
「そうですか。これほどのよい品を、私が直接扱えなくなるのは残念ですが、さらに多くの人たちに手に取っていただけるようになるのは良いことだと思います」
タイロンは心から残念そうにしながらも、どこかほっとした様子。
そりゃそうだ。貴族にいちゃもん付けられても、その対象がいなくなってしまえばどうしようもない。
ガスター商会ほどの力があれば、後はなんとでも言い逃れできるだろう。
知らなければ答えようもないから、「どちらへ」とも訊いてこない。
「グラシーズの皆さんが持ち込まれるものでしたら、本店でもどこの支店でも、よろこんで買い取りさせていただきます。お値段の方も勉強させていただきますので、どうぞ今後ともガスター商会を御贔屓に」
そう言って、その場でサラサラと紹介状を書いてくれた。
もっとも良いものであれば相応に買い取り、売るのがこの商会の信条だから、あくまでタイロンの気持ちってことだろう。
街門からいい加減離れて、門番の耳に届かなくなってから、声をそろえて言ってみた。
「「「さらば王都!」」」
アビゲイルといい、ドロシー先生といい、その顔にも声にも姿勢にも、感傷のようなものは皆無で、むしろワクワクしてるみたい。
一応、変装してるとはいえ、知り合いにばったり会ったら面倒なことこの上なく、二人にとって王都は良いこともあったろうけど、とにかく最期が悪かった。
もっとも、いつでも帰ってこられるし、森の拠点はそのままだ。
なにせ青いドアがあるから、その日も相変わらずそこで、採取した薬草を処理したり、獲物を解体したり、よその言葉を教えたり教わったり、飲み食いしたり、気ままに過ごす私たち。
やはり、出発は朝がいい。
ちなみに、我が遠縁のアリエル・オルト・ダウンコートが叱責されたのは、私たちが王都に姿を現さなくなってから、三週間後のことだった。遅っ!




