55、リサ
我が姉エリザベスの幼馴染で、いまは話し相手におさまったリサだけど、手先が不器用なのは相変わらず。
ご令嬢が会話を楽しむ時、ただ話をするってことはまずない。
たとえば刺繍。エリザベスは嫌々ながら、なんとか見られる程度には仕上げられる。
でも、わざわざ自分から好んでするほどじゃないし、リサが来てからはますますやらなくなった。
お茶は侍女に入れさせることもできるけど、大事な客をもてなす時は女主人自ら入れるものだから、お茶をおいしく、きれいな所作で入れられることは必須。
また、リサの立場でも、女主人の代わりにお茶を入れることは頻繁にあるわけなんだけど、まあ、お察しだ。
あのエリザベスが、二度とリサにお茶を入れさせようとしないもの。でも、それじゃますます上達のしようがない。
私の仕掛けた《防護柵》には何度も引っかかっていて、周りからはエリザベスが倒れた時同様、病を疑われて医者を呼ばれてたけど。
クロムウェル侯爵家の掛かり付け、眉毛ふさふさおじいちゃん先生に「健康そのもの。どこも悪いところはない」って太鼓判をおされてた。
なんか変だなって侍女やメイドたちは首を傾げつつ、まさか《結界》が張られてるなんて思いも寄らず、なにせ自分たちは何事もなく通過してるわけで。見るからにあのエリザベスと同類のリサだから、たんなる奇行ってことて片付けた模様。
さすがにエリザベスはもう、私の部屋に入ろうとはしないけど、リサは懲りないっていうか、バイタリティーがあるっていうか。
よく夜中や明け方に、厨房や食料倉庫の前で倒れてるらしい。
見回りがいなかったら、冬場とかやばいんじゃないの?
私が、そこにリサ限定の《防護柵》を設けたのは、もし、彼女のバックに敵対勢力がいて、毒でも盛られたら困るって思ったからなんだけど。
どうやら、そんな複雑な背後関係はなく、純粋な食い気と、だんだん痺れることが気持ちよくなってきちゃったみたい…
前世、処理の甘いフグで痺れるのが好きな噺家がいたって話だけど、まあ、こっちは命に別状はないものだから、放っておけばいいか。
だいたい、新しく雇う人間を当の侯爵家はもちろん、第二王子が調べてないはずがなかったよ。
それでも、私が顔を合わせた場合、彼女のステップアップに利用されるくらいしか想像できないから、《マップ》まで使って全力で避けてたんだけど、一人の時はそれでよくても、たとえばアマンダとお茶をしている時なんかは身動きがとれない。
でも、さすが本物のご令嬢は違うね。これまでエリザベスが乱入できたのは、あくまでアマンダがそれを許してたから。
貴族は存在を認めないものを視界に入れずに過ごすことができるんだって、改めて思い知らされたよ。それも無視するとかそういう次元じゃなくて、物理的にガチで!
エリザベスは当たり前のように晩餐室にリサを伴おうとしたけど、執事クライブをはじめ侍女やメイドたちが壁を作って阻止。
はじめは口頭で慇懃に注意してたようだけど、それで通じる相手じゃないからね。
本当だったら、いまだお皿の上でナイフを軋らせたり、口にものを入れたまましゃべっちゃうエリザベスも締め出したいところだろう。
本来、レディース・コンパニオンは使用人じゃない。
建前は、あくまで女主人と対等な友人という立場。だから、住居から衣類から食事から一切合切面倒を見つつ、渡すのはお給金じゃなくてお手当。
でも、リサは平民で、言葉遣いもなってなければ、菓子を手づかみでいっちゃうくらいだから、とても人様の前には出せないし、貴族家の面々と席を共にさせるわけにはいかない。
それでもちゃんと個室を与えられて、そこで食事をとる権利があるんだから破格の扱いだ。
そもそもコンパニオンは、侍女やカヴァネスと同等か、小々上の立場らしい。
下級メイドたちは相部屋な上、屋根裏で寝起きして、仕事の合間に、厨房脇の食堂でささっと賄いを搔っ込むわけだから、個室まで食事を運ばせるリサが妬まれても仕方がない。
貴族の血筋でもなく、見目も、まあ…並だからよけいだ。
でも、そこはさすがというか侯爵家のメイドたちは、いやがらせするにも一応の節度がある。いや、感心してる場合じゃないんだけど。
せいぜいが出来立てをすぐに運ばず、冷めるのを笑い合いつつ眺めてるか、お盆にあの黒々とした虫の死骸を置いとくくらい。
いや、まあ、自分がされたらキレるけどね。皿には入ってないし…実際、リサはまるで堪えてない。虫は直に掴んで窓の外に放り投げ、冷めても十分おいしい食事に大満足といった様子。「これで、もうちょっと量があればねぇ」だそうだ。
彼女にすれば友人の母親、つまりカトリーヌを味方に付けたいところだし、平時であれば、我が母は大いにリサを気遣っただろう。
侯爵の側室としても、人としても甘々なままだけど、周りがしっかりしてるからなんとかなってる。
次期当主予定のダビデ同様、カトリーヌにも、侍女たちがリサを近寄らせないから、彼女はそこの《防護柵》には、まだ引っかかったことがない。
外から見た、リサがいる唯一の利点は、エリザベスを必ず授業に出席させられることかな。
考えてみれば、ここクロムウェル侯爵邸に来るまで、エリザベスは毎日、好き勝手に外を飛び歩いてた。
いくら良い服が着られて、おいしい食事にあり付けても、まるで興味のないマナーや勉強を強要されて、なにより、自由に外に出られないことは相当なストレスだろう。
リサは、そういう彼女の愚痴を嫌な顔せずに聞いている。
内心はうんざりしてるだろうけど、けして面と向かって否定せず、うまく話を逸らす。
「うんうん。あん時は、好きに外を駆け回れたもんね。そういえば、ビジーのこと覚えてる?」
「おぼえて、おぼえてる! あの子足がおそいくせに、おいてくとすぐアニキに言いつけてさ」
「そうそう! 実際には殴ってこなかったけど、すぐ手ふり上げてヤな奴だったよねぇ」
「あはははっ! リサと話してるとやっぱりたのしいね」
わがままを言う回数が明らかに減ったので、侍女の中には、リサへの当たりがやわらかくなってる者もいる。
そしてなにより、生徒を追い掛け回す必要のなくなった家庭教師は、リサに大いに感謝していて、「共に授業を受けさせれば、エリザベス様もより勉学に身が入りましょうし、リサはより有用な人材になるのではないでしょうか」と控えめに具申した。
これもリサの思うツボなのかな。
でも、親亀こけたら子亀も孫亀もこけるって歌の文句じゃないけど、エリザベスがこければ自分もこけるって理解していて、彼女なりに努力してるのも確か。
「ほら、楽しいのはいいけど、そろそろ勉強の時間だよ」
「ええ~っ! ね、ね、わたしいいところ見つけたんだ。あそこだったら先生にも、だれにも見つからないよ」
「なに言ってるの。ベスってば、キャロにあんなにバカにされてたのにさ。ま~た、誰かにおんなじように言われたいわけ?」
「キャロ! ちょ~っと数がかぞえられるからって、わたしのことバカバカ言って。なによ、ちゃんとなれたじゃない、お姫さま! へへ~んだ、ザマァみろ」
「ざま、ざまぁね。ほんとになったんだから、少しは威張ってもいいけどさ」
「でしょう~?」
「でも、それで終わりじゃないよね?」
「へ?」
「まったく、王子様と結婚するって話はどうなったのさ」
「するよ? するする!」
「…あんためちゃくちゃ可愛いから、確かに王子様の目にとまるかもね。でも、それからどうするつもり? まさか、きのうの晩飯の話とか、木登りの仕方とか、ぺらぺらしゃべってれば気ぃ引けるって思ってるわけじゃないよね?」
「え、ダメ?」
「ダメに決まってるじゃん。賢すぎる女は男に嫌われるっていうけど、あんたはどんだけがんばったってそんなになる心配はないんだから、全力でがんばりな」
「なんかわかんないけど…うん」
「ほら、ぐずぐずしてるから鐘、鳴っちゃった。行くよ!」
「いった! 行く、行くから、引っぱんないでよぅ」
よくよく考えればどちらも十歳の少女だ。未熟で当然…身内としては迷惑だけど。
もう少し様子を見てもいいのかもね。




