54、拠点改造計画
元気溌剌とはいえ、一応、病み上がりのお婆ちゃん。
道端のスイバを手折って噛み出したのには驚いたけど、空腹を感じるのは悪いことじゃない。
けっこうな期間、飲み食いしてる《アバター》に特に問題は生じてないから、食べられるなら食べたほうが、これからの人生もより楽しめるだろう。
いまだ実験・観察してる最中で、魔力で作った体だからこうだ!って断言できないから、推測を重ねて不安にさせるより、好きに生きてもらって、何かあったら対処する形がベストだと思う。
拠点ではアビゲイルが、スープを作って待っていた。
マーサから簡単な説明を受けて、私が連れてきた人ならって無条件で受け入れながらもどこか硬いのは、ソレイユ先生が師匠だったパメラ何某と同年代だからだろう。
どうしても合わなければ、無理に一緒に暮らす必要はないけど、仲良くなれるならそれに越したことはない。
「ようこそ」
「歓迎してくれて、ありがとう。私はバージニア・ソレイユ。ここではあなたの方が先輩なんだから、いろいろ教えて欲しいし、私が年嵩だからって変な遠慮をしないで、駄目なことは駄目、こうして欲しいってことはちゃんと言ってくれると助かるわ」
「ええ。ええ、ソレイユさん。私はアビゲイルです。アビーと呼んでください。こちらこそ、いろいろ教えてください。よろしくお願いします」
さばさばとした口調で相手を気遣う老女に、アビゲイルはほっとした様子。笑顔も声も段違いに明るくなってる。
早速、一緒にテーブルを囲んで、特製スープが口に合ったこともあり、二人はすぐに打ち解けた。
ソレイユは学問にのみ集中するタイプじゃなく、純粋におしゃべりも好きみたいだ。
話し上手は聞き上手っていうけど、初対面にもかかわらず、アビゲイルは自分の生い立ちから処刑されそうになったことまで、あっさり話していた。
「あなたも苦労したね」
「はい。でも、そのおかげでフローラ様とも会えましたし、いまは毎日が楽しいです!」
「いいね、その前向きな姿勢。私は、あなたのことが好きになったよ。ぜひ、見習わなくてはね」
「いえ、そんな…」
はっきり好意を示されて、大いに照れるアビゲイル。
「こんないい子を。まったく為政者ってやつは…私も、あなたほど危険な目に遭ったわけではないけれど、まあ、振り回されたよ。自分たちの都合に合えば引っぱりだして、それなりに優遇して見せるけど、不要となれば見向きもしないから。十年、二十年、平穏に時が流れるのはよいことのはずなんだけどねぇ。むこうが自分たちの言葉を話すのが当然だって態度を取り出したのには驚いた。上がそんなだから、子供たちだってよその言葉なんて身締めて学ばなくなる。学びたくなったらそうできるように、それなりのものは残してきたつもりだけど、それもどうなることやら」
「ソレイユ先生は、言語学者なの。世界中の言葉を話したり、書いたりすることができるわ」
「ほわぁ~、すごいんですねぇ。私なんか、まだグローブ語の読み書きもまともにできません」
「なに、まだ若いんだ。コツをつかめば、あっという間だよ。それにアビーはよく効く薬も作れれば、こんなおいしい料理も作れる。素晴らしいよ。私は、料理はてんで駄目だね」
「それは、私が作るから大丈夫ですよ」
「では、お礼に私は言葉を教えようか」
「ありがとうございます、ソレイユさん! あっ、ソレイユ先生って呼んだ方がいいですよね」
「それなんだけど。アビーは改名したって言ってたよね。私もしようかな」
「はい! 新しい自分になれますから、私としてはお勧めです」
ただ、そこは言葉にこだわる言語学者。かなり時間をかけて考えていた。
その間に、拠点を改造。
寒い時期に備えて、平屋を造ってはいたんだよね。
住人が一人増えたところで、コの字がロの字になるだけだし、何の飾りもない土壁のそっけない造りだけど。
ここには、文句を言う人が一人もいないんだ。
「上等、上等」
「はい、十分贅沢です」
そのかわり、地下室はがんばった!
水はもちろん、湿気を通さない《結界》を張って、強力 《ドライ》
乱立する棚には、王宮図書館で《コピー》のち実体化させた魔力製の本がずらり。
「あら、私の本は全部そろえてくれたんだ」
「はい。大いに学ばせていただきます」
一日、数時間。授業はその時の気分や状況で、ぶっ通しの時もあるし、細切れだったり、何かしながらの時もあるけど。
ソレイユ先生がいろいろな言語で聖典を唱えるのを、魔力を用いて脳に《録音》
あとは本を開いて、書き方を覚えるという流れだ。
魔法を使っているから一遍で済んでいるけど、これが十回でも二十回でも、ソレイユ先生は飽くことなく毎回、一つ一つの言葉を丁寧に話すだろう。それくらい言語というものを愛している。
彼女曰く、言葉は文化、人の営みそのもの。
「先生は何かご要望はありますか?」
「そうだね。流行りの恋愛小説を揃えてくれる?」
「は、はい」
意外や意外。ソレイユ先生も恋愛小説が大好きだった。
もっとも彼女の場合は、生きた教材としても注目してるみたい。
「言葉は生き物。書き物としては、こういうところに真っ先に変化が表れるね。新聞は意外と最後なんだ」
「なるほど」
「それって、おもしろいです?」
「どれ、お嬢さんには、この婆が読んであげよう」
「わーい!」
ソレイユ先生は暇を見ては、アビゲイルに恋愛小説を読み聞かせ。
アビゲイルはそれを大いに楽しみつつ、濡れ場シーンでは真っ赤になって、おかげで自分で読めるようになりたい意欲が高まったようだ。
いままで以上に熱心に取り組み、グローブ語の読み書きをマスター。
「ね。あっという間だったろう?」
「お見事です、ソレイユ先生」
アビゲイルが、先生のスキル《暗記》を真似して、学習時に頭に魔力を集めていたこともある。
魔力の保有量はそう多くないけど、彼女はそれを繊細に操るのが得意だ。
同じ《火魔法》でも、とろ火で長時間ソースを煮たり、《水魔法》で桶に水を出すにも、上からどぱどぱ注ぐのじゃなく、下からじんわり水位が上がるといった具合で、《風魔法》だと、芥子の実を飛ばさない程度の風を送って、適度に乾燥させたりもする。
残念ながら、私の魔法は参考にならなかったみたい。
「フローラ様は本当にすごいと思いますけど、その魔法についてはわけがわかりません」
「ああ、確かに。とんでもないよ」
二人共、言いたい放題だ。
でも、どちらにも《吸収》を教えることができて、ほっとしている。
これでアビゲイルは、魔力の少なさを補うことができるし、ソレイユ先生は、その体を維持するのに絶対に必要だと思うから。
まあ、実験用に放置してる《アバター》は、いまだ健在だけど、備えあれば患いなし。
アビゲイルは薬草を扱う過程で、植物が水を吸い上げる様を見ていたらしく、すぐにこの理屈は理解した。
《ファイヤーボール》で苦労してたのが嘘のよう…よかれと思って「燃える空気が」とか言い出した私が悪かったのかな。
いやいや、まとまった魔力を一気に消費するのが苦手なだけだ。
すでに目に魔力を集めて、魔力を見ることには成功してる。
「ちゅ~~~」
無意識にタコ口になってるのが可愛い。
「なるほどね」
難なくそれらをクリアする、ソレイユ先生の「吸った」経験には驚いたね。
「バニバニ族が神託を得る時、専用の葉っぱを切って丸めて、こうやって秘薬を吸うのさ」
参考にと渡したストローを鼻の穴に当て、屈んで見せるソレイユ先生。
「頭が冴え渡ってね、あの全能感は忘れられないよ」
…それって、コカインでは?
「常習すれば廃人になりますから、気を付けてください」
「ああ、やはりね。…わかったよ」
もっとも、いまの体じゃろくに酔うこともできないらしいから、大丈夫だとは思うけど。
マーサと酒盛りした後、しきりにぼやいてたもの。
そうやって普通に飲み食いするし、出るものも以前と変わらず出るらしい。
学者だからか、生来さばけた性格なのか、尾籠な話にも平然と応じてくれる。
体は脳ほど精密に作ってないから、彼女の「いままで通りできる」って思い込みで、そういう働きをしてるんじゃないかな。
つまり、魔法だね。
体温はもちろん、脈も呼吸もあるし、誤って切った指先からはちゃんと血が出て、自然治癒…って言っていいのかわからないけど、同じくらいの速度で治ることも確認した。
想像以上に、いまの体を使いこなしているソレイユ先生は、アビゲイルと一緒に、マーサに薙刀を習ってる。
もともとナイフをかなり巧みに使う。
「自分の身ぐらい、自分で守れないとね」
あとは《結界》と《念動》に絞って、魔法の腕を磨く日々。
「生まれ変わってはじめて体感した魔法だ。縁があるというのもあるけど、私には、これが適してると思ってね。派手なのは若い子に任せるよ」
「いえー。私も、あとは《土魔法》で鍋が作れたら満足です」
そうは言うけどこの二人、すでに魔法ありでもなしでも、ゴブリンくらい軽く狩るんだよね。
「よし、今日から私はドロシーだ」
「よかった! 名前、決まったんですね」
「ああ、待たせてすまなかったね。約束通り、冒険者ギルドに登録に行こうか」
「はい!」
バージニア・ソレイユ改めドロシー先生は、可食の植物にはくわしいし、基本的な薬草も知ってる。
アビゲイルの熱心な勧誘もあって、冒険者パーティー、グラシーズへの加入が決まっていた。
身分証があった方が、なにかと便利だろうしね。
「スキルは《投擲》とでもしておこうか」
「いいと思います」
老女が見せる百発百中のナイフ投げ…格好よすぎる!
迷彩柄のライディングコートに、黙々と投げナイフを仕込む私。
「あと、これは、ぜ~ったい必要です!」
「へぇ。確かに所属を表す印は必要だ。そういうことを抜きにしても、これ、いいじゃないか。気持ちが湧き立つよ」
「ですよねー」
スカーフにすると決めたのは二人で、色は当然のように黒。そこに例のマークが入ったものを首に巻く。
拠点を出る段階で、目の下をそれで覆うから、「ちょっと銀行まで」って言われたら慌てて止めたくなるスタイルだ。
「…よく、お似合いです」
「ああ、ありがとう。あなたも決まってるよ」
マーサが私だってことも伝えてあるんだけどね。
アビゲイル同様、それぞれ別個の人間として接してくる。
実際、別々に存在してるものを、難しく考えすぎだって笑われた。
「まさかフローラと酒飲むわけにはいかないだろう」って…ごもっともです。




