53、言語
「ただいま」
「おかえり…ご苦労さま」
モグは海岸まで到達して、そこからこれまで作ったトンネルをメンテナンスしながら戻ってきた。
そう、霊力線って切れやすかったんだ。
《収納》にも非常電源ならぬ非常霊力線を余分に何本かつないでて、切れる度につなぎ直してる。
もう、自前の魔力でもぎりぎり賄えるんだけど、そうすると他の魔法が使えないからね。
いまの倍、魔力を保有できるようになったら、霊力線に頼らず運用する予定。
「トンネルはどうしようか」
「いまのところ骨でもないから、別にいいけど」
高速でシュン!と、リニア並みのスピードだもんね。
「《アバター》があれでしょ」
「うん、置いとくだけなら問題ないんだけどね」
何も足さず何も引かず、放置したままの《アバター》は一向に風化しない。
魔力製のトンネルも同じことだ。それを《転移》に使おうとすると、次元の狭間に置く必要があって、それには維持費…膨大なエネルギーが必要になる。
「《外部バッテリー》でも作るかな」
「常時、自動で霊力線を取り込んで?」
出来上がったのは給湯器くらいの箱から、細長いホースみたいな手が何本も出て、うにょうにょ動いてる変な機械。
「成功?」
「機能には問題なし」
量産して、青いドアを開け閉めしながら設置していく。
「あとは言葉なんだけど」
「それね」
これまた、うっかりしてた。
文字はまったくの別物だけど、なぜか周囲は日本語を話してたから、幼すぎて口が回らなかったこと以外、言葉で苦労したことはない。
でも、それはグローブ王国だけで使われてる、いわゆるグローブ語。
よその国ではそれぞれの言語が使用されてるし、他大陸となったらまるで歯が立たない。
「じゃ、あとよろしく」
「む~…いってらっしゃい」
きぃ~、パタン。
モグったら、船の航行を目印に、海底を行くつもりだよ。
波で霊力線がぷちぷち切れるのをどうしようかって悩んでたようだけど、それは《外部バッテリー》で解決した。取り込み口を兼ねたホースは、だいぶ長くしないとならないだろうけど。
まあ、うらやましがってばかりもいられない。早急に言語を習得しないとね。
実際、モグは船に乗ろうとして、はじめて言葉が通じないことに思い至ってる。密航するか、魔法で海面を行くかかなり真剣に悩んだ。
結局、船の移動速度に愕然として、海底を行くことにしたわけだけど。船を補足しては、海図を覗き見てって感じになるのかな。
王宮図書館で、言語にかんする本を探すと、バージニア・ソレイユの著書で大きな本棚が一つ埋まってた。
すごいな、この人。この大陸にある国の言語はすべて制覇して、エルフやドワーフ等、他種族の言語にまで精通してる。
まずは、密漁するより、ちゃんと調理された現地のご飯が食べたいから、《転移》できるようになった海縁の国、マルコムラの言語から。
おう…仮名を振り、アクセント記号を付けて、独学でも習得できるよう、ソレイユ先生は気遣ってくださってるけど、ほんとにこの発音であってるのか気になるし、こういうのって話せる人に対面で教えてもらった方が上達も早いはず。
「この本をお書きになったソレイユ先生は、いまどちらに?」
「確か、王立貴族学院で教鞭を執ってらゃっしゃるはずですよ」
あっさり答えてくれた司書さん、ありがとう。
王立貴族学院…《耳目》で見ると、まんま乙女ゲームの舞台のようだ。
ゲーム自体はしたことがないけど、ラノベによく登場してたから知ってる。
システムは前世の大学っぽい。
履修要覧をのぞくと確かにソレイユ先生の名前があり、でも、残念ながら無期限の休講となっている。
むむ? ご自宅はどこじゃいな。
教員名簿を《手》で捲って、住所を確認。
準男爵位を賜っているようで、その屋敷は貴族街のはずれにあった。
確かに、世界のほぼすべての言語に精通して、それを誰でもわかるように本にまとめるなんて、すごい功績だものね。
でも、そのわりに質素な生活をなさっているようだ。
庭は荒れかけ、屋敷の修繕も最低限しかされておらず、使用人は、控の間に掛かるお着せを見るに、通いの少女が一人だけ。
ソレイユ先生は、自室のベッドで死にかかっておられた。
あぶなかった!
慌てて《アバター》を出現させて、彼女を《診断》する。
《耳目》越しでもできないことはないんだけど、それだとわずかに感覚が遠い気がする。あくまで意識の問題なんだけど、いまはリアルに何も見逃したくなかった。
医師じゃないからそっちの知識は乏しいけど、《鑑定》と合わせると魔力の澱みっていうかね。悪いところはそう見える。
う~ん…特にどこが悪いってわけじゃなく、全体的に薄い。老衰ってやつかな。
確かに髪は真っ白で、顔や手には皺が目立つけど、プロフィールを信じるならまだ六十二歳。
いや、この世界では十分長生きした部類だけど、前世の感覚からいうとあともう一周いける!
細胞を活性化させるイメージで《治癒魔法》を掛ける。結構な魔力をぶち込んだけど、肝心の細胞が応えてくれない。
六十年前後で死滅するように、プログラムされてるってこと?
考えたって、研究者でもない私にわかるわけがない。
どうしよう。
このままじゃ、この人は死んでしまう。さすがに、死人を生き返らせる自信は私にはない。まるでイメージできないもの。
何かほかに方法は…これは、やっちゃっていいのかな。
顔を覗きこんで迷っていると、薄っすら目が開いた。
縁が白く濁りはじめてるけど、黒い瞳を見るのは、マーサを除けば本当に久しぶり。前世でいうところのルーマニア人のように、さほど彫も深くない。
親しみを感じて、思わずにっこりしてしまった。
「ああ、やっとお迎え? ずいぶん待たせてくれたわねぇ」
浅い息の合間に、弱々しくも、とがめるような声音。
なんか、前にもこんな勘違いされたなぁ。
「…もうこの世に未練はないですか?」
ふははと気の抜けたように笑う老女。
「それは、あるに決まってる。でも、こんな体では何もできやしないもの」
「元気になったら、何をしますか?」
「ふふっ。まだまだ、私の知らない言葉がたくさんあるでしょう。それをぜひ知りたい」
私はうなずいて《コピー》を開始。ソレイユ先生の《アバター》はすぐにできるけど、脳の方は十三分ほどかかる。
それまで、もってくれるといいんだけど。
「そんなことを聞くなんて、悪魔か何かなんだろうか…」
違います。
「なんでもいいわ。一人で逝くものだとばかり思ってたけど、あなたみたいに可愛い子に看取ってもらえるとはね」
「先生、まだ死ぬのは早いですよ。私、先生にマルコムラ語を習いにきたんです」
「…まあ、時間が足りるかどうかわからないけど、いいでしょう。聖典は知っているね?」
「はい」
「では、それをマルコムラ語で言うから、一節ごとに、私の後に続けて言いなさい」
「はい」
「星々の瞬きが…ダムラ ペグ スミヤ~ラ アムス」
「ダムラペグ スミヤ~ラアムス」
「薄れた時に…ホイ モス ヤラクァ サ~ム ア」
「ホイモス ヤラクァ サ~ムア」
すでに目を閉じて、力の入らない声ながら、細部にまで気を遣って発音してるのがわかる。
彼女の脳には膨大な知識が詰まってる。本に起こせているのは、そのほんの一部だろう。
あらためて思う。もったいない!
殊更丁寧に、でも、極力急いで彼女の脳を《コピー》した。
本元には、彼女の魔力も集まってる。それが常態化するほど、脳ミソを使い込んで、だからこそあれだけのことができたわけだ。
「先生、講義の途中で失礼ですが、先生の初恋っていつですか?」
「はぁ?」
思わずといったように出た声は一段低く、割と力がこもっていた。
その瞬間 《スリープ》を掛け、彼女が寝入るぎりぎりのところで《キープ》する。私の魔力で、彼女の脳を巡る魔力を強引に停滞させる感じだね。
声に魔力を乗せてささやく。
「バージニア・ソレイユ。あなたの前には黄金の橋がある。あなたはそれを急いで渡る」
先生の脳と、先生の《アバター》の脳を魔力の太い線でつなぐ。それは確かに黄金色に輝いてる。
「バージニア・ソレイユ。あなたの前には黄金の橋がある。あなたはそれを急いで渡る」
「橋…黄金の橋」
薄っすらと開いた彼女の目は、ここにはない何かを見ているよう。
私はさらに魔力を込めて言い聞かせる。
「私はバージニア・ソレイユ。私の前には黄金の橋がある。私はそれを急いで渡る」
こんなことで本当にうまくいくのか。
予行演習どころか、半時前まで想像もしてなかった。
でも、私はこれしか思いつかなかった。もう、これに賭けるしかない。
「私、私はバージニア・ソレイユ。私の前には黄金の橋がある。私はそれを急いで渡る…」
さっきまでの私同様、彼女は素直にくり返す。
夢を見ている時のように、横たわったままながら、わずかに動く手足。速くなる呼吸。
彼女の頭から、黄金の魔力線を伝って《アバター》の脳に移動していくものがある。魔力だけじゃない。時にスパークしてるから、間違いなく電気信号だ。
私は、強く両手を握りしめる。
でも、彼女という存在の容量は膨大で、まだ百分の一も伝わってない。
「さあ、急いで」
走ってもいないのに、私までドキドキして、息が上がる。
「私はバージニア・ソレイユ。私の前には黄金の橋がある。私はそれを急いで渡る」
「もっと急いで」
彼女の体を満たす魔力はさらに薄れて、いまにも尽きてしまいそうだ。
「私はバージニア・ソレイユ。私の前には黄金の橋がある。私はそれを急いで渡る。私はバージニア・ソレイユ。私の前には黄金の橋がある。私はそれを急いで渡る。私はバージニア・ソレイユ。私の前には黄金の橋がある。私はそれを急いで渡る…」
感覚を掴んだのか、急速に速度を上げて、彼女は橋を渡り切ろうとしてる。
でも、間に合うのか、私は気が気じゃない。
「バージニア・ソレイユ。急いで、お願い!」
「私はバージニア・ソレイユ。私の前には黄金の橋がある。私はそれを急いで渡る…急げ急げって、こんな婆さん相手にうるさいねぇ!」
ベッドに横たわる彼女の真上に、同じ姿勢で浮いていた《アバター》が、ガバリと起き上がる。私が《念動》で支えてるから、危なげなく宙に座っている状態だ。
「やった! よかった、ソレイユ先生!」
もとの体は、数秒前に生命活動を停止していた。
本当にぎりぎりだった。
だからこそ、勢いでできたことだって気もするけど。
もし、少しでも余裕があったら、失敗したらどうしようとか、これはさすがにまずいんじゃないかとか、いろいろ考えてとても踏み切れなかっただろう。
「え?…あ、ああ。あれ? 私、死んだのかい」
空中に座ってる自分、見おろせば横たわってる自分。そう思っても仕方がない。
「いいえ、バージニア・ソレイユ先生。あなたは生きています。ただ、お体がもちそうになかったので、新しく体を作ってそちらへご移動いただきました」
「…私、魔法にはくわしくないんだよね」
《念動》で移動させて促すと、床にそっと足を付ける。
「あらま、立てるね。…どこも痛くない」
おそるおそる、次いで少し力を込めてその場で足踏み。自分の頬をなで、手をしげしげと眺めて、悪戯っぽく笑う。
「あなた、新しく作ったっていうなら、少しくらい若返らせてくれてもよかったんじゃないの?」
「申し訳ありません、ソレイユ先生。そうしたいのは山々ですが、姿を少しでも変えてしまうと、とてもとても気分が悪くなって、それがずっと続きます」
「そうなんだ。なら、仕方ないね。…あらためて挨拶させてもらうよ。私はバージニア・ソレイユ。はっきり言ってわけがわからないけど、自分が大変な幸運に恵まれたってことはわかる。どうもありがとう」
私の魔力を満タンまで注いで、細胞はピチピチ。皺も心持ち薄くなってる。
「どういたしまして。私はフローラ・シャムロックです。時がなかったとはいえ、突然にお邪魔をしてすみません。先生にいろいろな言語を教えていただきたかったのです。それでこのような次第に…あまり一般的ではないことなので、秘密にしていただけると助かるのですが」
「それはそうだわね。承知した」
ソレイユ女史は深くうなずく。
「そんな心配そうな顔をしなさんな。大丈夫。こんなこと、誰に言ったって信じやしないよ。で、アレはどうしようか」
いまだベッドに横たわる自分だったものを顎でしゃくる。
なんか触るのもイヤって感じだ。そんなものかなぁ。
「私の思い付くかぎり、二つの選択肢があります。一、あちらは処分…こっそり埋葬して、再びバージニア・ソレイユとして生きる。二、あちらを使って葬儀を済ませ、別人として生きる。その場合、先生は自由ですが、できましたら、私と一緒にきていただけるとうれしいです」
「へぇ…こんなお婆ちゃんの面倒を、あなたが見てくれるっていうの?」
「フローラとお呼びください。はい。その代わりと言ってはなんですが、これまで先生が習得された言語をお教えいただきたいのです。もちろん、これから先生がさらに学ばれるお手伝いもさせていただきます」
「それはうれしいけど、どうやって?」
「お望みでしたら、他大陸にお連れします」
「よし! 二番で決まりだ」
「よろしいのですか?」
「いわばフローラ、あなたにもらった命でしょう。預けるのに不安がまったくないと言ったら嘘になるけど、なに、女は度胸だ。よろしく頼むよ」
文系の最高峰の頭脳から、こんな脳筋な言葉が出てくるとは思わなかった。
でも、よくよく考えれば、言語を学ぶには現地に行って、そこに生きる人たちと共に暮らしていたはずで、言語学者なんて、気弱じゃ到底つとまらない職業だ。
フィールドワークからの連想か、インディージョーンズのテーマ曲が頭の中を流れる。気分の上がった私は、彼女の寝巻をそんな感じの装備に変化させていた。
まあ、うろ覚えだし、テンガロンハットと多機能ベストは、完全に私の趣味だね。
「ほっ、これまた驚いた。しかし、これはいいね。動きやすいし、便利そうだ」
気に入っていただけてなにより。
「コレと同じのは、できる?」
「はい」
髪ゴムを作って渡すと、白髪を手早くまとめてお団子にし、帽子を被り直す。
身長はマーサの肩くらいしかないし、背中は丸くなりはじめてるけど、ウエストのくびれは健在で、つまり格好がいい。
「フローラはたいそう物覚えがいいようだから、授業は、あっという間に終わるだろう」
いや、脳に魔力を集めて、これでもかと機能を上げてるだけなんだけどね。
「よろしくお願いいたします」
かつて「聖典を読めればたいていのものは読める」とアマンダが言った通り、聖典には、常用されるすべての単語と文章表現が詰まってる。
日本でいう、いろは歌の文章版ってところかな。
それを別の言語で言えるなら、一通りその言語をマスターしたと言ってもいいはずだ。
なんといっても、言葉の権威であるソレイユ先生が、長年これを教材としてきたわけで、文字の方はその著書で、描き順からなにから十二分に学べる。
「じゃあ、あとはコニーに任せよう。あの子には最期まで世話を掛けるけど、仕方がないわね」
「遺言でもお書きになりますか?」
「うん? そういうのはきちんとしてあるから大丈夫だよ。葬式代はそこの引き出しにあるし、あの子の身の振り方も手配してあるから」
「さすがです。…お持ちになりたいものがあれば、いくらでも運べますが」
「うーん、やめておこう。あの子が疑われても可哀そうだ」
「そうですね。必要なものはこちらで用意させていただきます。足りないものがありましたら、遠慮なくおっしゃってください」
「わかったよ。それにしても、あなた、小さいのにしっかりしてること」
しきりと感心する先生には、あとでいろいろ説明が必要だろう。
いまは、ここから退散することを優先する。唯一の使用人らしいコニーと鉢合わせしたら、なんと言い訳すればいいのやら。
認識阻害の《結界》で包んだソレイユ先生の手を引いて、ひとまず森の拠点を目指す。
あそこからなら《転移》もできるし、この方、あまり住居や衣服にこだわりがないみたいだから大丈夫だろう。
「ドブラクチャにまた行きたいねぇ…俗語の習得が、まだだったんだ」
「これからいくらでも行けますよ」
でも、それ、どこ?
ひさしぶりに自由になる体がうれしいのか、ソレイユ先生は鼻歌まじりにスキップしてる。
私もなんだか楽しくなって、道になにかわからないものの足跡を二人分、残したのだった。




